みんなみすべくきたすべく

かあさん ふくろう

               207屋久島樹j
 『おやすみなさい おつきさま』(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 瀬田貞二訳 評論社)の画家クレメント・ハードが奥さんのイーディス・サッチャー・ハードと組んで作った絵本が邦訳されました。
 「かあさん ふくろう」  
(イーディス・サッチャー・ハード作 クレメント・ハード絵 おびかゆうこ訳 偕成社)
表紙の絵(木版画です)から、読んでみて!と言っています。
かあさんふくろうが賢そうで強そうで、子どもたちは賢くなりそうで・・・
狩りをするとうさんふくろうはかっこいい!
頭をくるくる回せるふくろうはチャーミング。
つばさをあげたり、さげたり ばたばたさせて 空を飛ぶ練習をしているひなたちの可愛いこと!
木版画は美しく、お話は、ふくろうの子育てと、その生態、そして、次への命の継承をきちんと真正面から描いています。こどもたちと楽しみたい1冊です。

かこさとしが、尊敬するこの絵本に一文を寄せています。
「ふくろうを描いても正しい姿勢や生態が失われていては、科学絵本としては困ります。正確でまちがいないふくろうが、描けていても、美しさや楽しさがその本から伝わってこなくては、子どもの絵本とは言えません。この本には、それがあるのです。」

☆写真は、屋久島(撮影:&Co.A)

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真夏の散歩

            201蝉鳴いてますZZZZZj
           朝6時半の写真です。蝉の大合唱が写らないのが残念です。
           最近5時頃から元気よく鳴いています。
           実は、一番手前の樹に蝉が一匹とまっています。
202スモモj203スモモ熟すj
多分、ずっとお留守のこの家のスモモの類。週末の散歩の度に熟れて行き、上の方からなくなって行きます。おいしそう・・・
204夾竹桃白j205夾竹桃桃j
夾竹桃も近くで見ると、白薔薇のよう。
                最後は、人目を惹きつける葉鶏頭。
               206葉鶏頭j
               6時に家を出て小1時間。家に帰ったら、まずシャワーです。

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ロンドン(オリンピック)

               201ロンドンアイと水族館j
  「おかあさん、いつからオリンピックファンやったん?」
 いつもは、ほとんどテレビを見ないのに、ロンドンオリンピック開会式を熱心に見ているのに驚いた娘の一言でした。オリンピックファンというより、イギリスファン。風景や、その文化の一端が見られるかも・・・

 開会式のさらにそのオープニングはテムズ川上流からスタートしました。そこには、
「たのしい川べ」のモグラとネズミとヒキガエルが一瞬、ちら。シェイクスピアもありました。メアリー・ポピンズが空から降りて来て、ハリーポッター、ピーターパンも。女王陛下のコーギー犬が映り、ミスタービーンがオーケストラに居て・・・・・・
 五輪の輪が頭上に昇る演出もよかったけれど、聖火が一つにまとまった時は、とても綺麗でした。最後に、ポール・マッカートニーが「ヘイ ジュード」を歌ったときは、歌の背景に居たと思えるジョン・レノンを思い、感慨深かったです。ま、英語がわからなくても、みんなで歌える繰り返しは、一体感を演出できますね。

さて、
グラスゴーで勝利、と聞いても、「おお!マッキントッシュの街。見に行きたいなぁ」
コヴェントリーでなでしこ戦う、と聞いても「おお、ゴダイヴァ夫人の街かぁ」(Lady Godiva*あのチョコレートのマークになっている夫人です。)
 と、競技と違うところで関心が高い今日この頃です。
 
☆写真は、テムズ川沿いのロンドンアイとロンドン水族館(撮影;&Co.T)

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クライドルフの絵本

              200クライドルフ絵本j
クライドルフ展から続き)
(承前)
エルンスト・クライドルフの絵本で、現在日本で出版されているのが、5月に福音館から復刊された「ふゆのはなし」と「くさはらのこびと」(大塚勇三訳)、それに、新刊の「バッタさんのきせつ」(佐々木田鶴子訳 ほるぷ)です。他、詩画集のような「アルプスの花物語」「花を棲みかに」「妖精たち 小人たち」(矢川澄子訳 童話屋)「花のメルヘン」(佐々木田鶴子訳 ほるぷ)等も復刊してほしいなぁ・・・

真夏に 「ふゆのはなし」  (大塚勇三訳 福音館)
 クライドルフの繊細でユーモアに満ちた絵を知ってしまうと、その虜になる人が多いと思います。ところが、お話の視点から見ると、詩的な内容だとはいえ、お話が、盛りだくさんで、散漫になっているのは否めません。それから、原画はどれも、もう少し明るい感じがするのに、福音館から出版されたものは、ずいぶん落ち着いた色合いになって、「地味」な様子です。紙質の問題もあるかもしれません。特に1902年以前の「くさはらのこびと」の原画の紙質と、1931年にできた「バッタさんのきせつ」では、紙質がずいぶん異なっておりました。

 ただ、誤解のないように付け加えると、「地味」な絵本が、人気がないといっているのではなく、お話の構成が優れ、子どもたちにわかりやすいものであれば、表紙や中身の絵が、少々「地味」でも関係ないのです。例えば、エッツの「もりのなか」「またもりへ」(まさきるりこ訳 福音館)は、表紙の地味さに関係なく、子どもたちの大好きな絵本です。

 クライドルフは、表紙や見返し、タイトルデザイン、全体の色調等、トータルで絵本作りをしていたと思います。だから、復刊された「ふゆのはなし」の表紙より、もともとの原書の「ふゆのはなし」の表紙≪白雪姫と小人が雪合戦をしているところ≫のままで日本でも出版すればよかったのではないかと思うのです。「ふゆのはなし」と言うタイトルから受けるイメージも、暗い感じがするのですから、明るく楽しそうな、もともとの原書の表紙はぴったりです。ここでも、誤解があるといけませんが、復刊された表紙の絵は、お話の中で使われ、以下の文章があることによって、その絵は、美しさを増します。
≪ほんのりかがやく沙の衣装をきて、頭にはダイヤモンドのかんむりをかぶり、白雪姫は青い氷の上をすべっています。氷の精たちにとりかこまれながら、白雪姫は、きれいなカーブを氷にえがいて、こんどは近く、こんどは遠く、こんどは円天井の下をすべりぬけ、それからまた、ひらけた氷の上にあらわれて、すべります。空には星のきらめく、うつくしい夜で、金色にかがやく三日月が、夜をいっそうあかるくしています。≫

 さて、絵本「ふゆのはなし」の内容をちょっと・・・
かの白雪姫が、7年ごとに7人の小人を訪ねてくることに気付いた,「いとこ」の3人の小人たちが、雪深い中、訪ねて行く話です。で、10人の小人たちと白雪姫は楽しい時を過ごします。・・・え?白雪姫を助けた王子さまはどうしたか?って?・・・はい、はい、ちゃんと書いてありますよ。

☆写真は、一番上に置いてある黒地が、「アルプスの花物語」(矢川澄子訳 童話屋)。右、バッタの絵が見えるのが「フィッツェブッツェ」(パウラ・デーメル、リヒャルト・デーメル文 若林ひとみ訳 ほるぷ出版)。その右上、緑の小人が見えるのが「くさはらのこびと」。一番下に敷かれているのが、「花のメルヘン」(矢川澄子訳 ほるぷ出版)。それで、中央絵本の表紙が「ふゆのはなし」の原書表紙(「クライドルフ展カタログ」)

追記:一番下に敷かれている「花のメルヘン」の見返しの絵を初めとして、他クライドルフの絵本には、日本の浮世絵や「KATAGAMI」の影響が見られます。

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クライドルフ展

              スカビオサ・ルキダとカンパヌラ・ロンボイダリスj
 やっぱり、原画でしょう。ははは・・・行ってきましたよ。またもや弾丸東京ツアーでした。かきつばた弾丸ツアーから、もう2カ月以上たったし・・・? 誘ってもらえる時がご縁と解釈し、行ってきました。ははは・・・

 なんとかして、原画を見たかったのは、「エルンスト・クライドルフの世界―スイス絵本のよあけ―」(小さな絵本美術館)に、こんなことが書いてあったからでした。
≪クライドルフのあの精緻な挿絵の表現は、彼の大理石を使いこなす製版技法と、印刷経験に秀でた職人の鋭い感覚が一体化した手仕事の粋です。したがって、クライドルフの絵本がスクリーンプロセスによる製版に置き換えられると、絵肌が変わって透明感と深見がなくなり、線も色もメルヘンを語らなくなります。いわば、似て非なる複製絵本になってしまいます。現在の絵本の大量生産の時代にあって、クライドルフの絵本の美しさを再現することは至難の業です・・・≫
 と、現在福音館書店相談役の松居直氏が脱帽したのです。

 クライドフが石版画に並々ならぬ労力を注ぎ、そこから生まれた100年以上前の美しい絵本たち。
 よくよく観察された本物の花や蝶などは、擬人化されているものの、「媚び」や嘘っぽさがありません。それは、花の様子だけでなく、葉の様子、あるいは、生えている場所の特徴などもつかんで、丁寧に描かれ、擬人化されているからです。蝶や虫たちも、多分同じことが言えるのだと思います。しかも、その花の種類たるや、素人の私には、数えきれません。

 自然を愛し、自然と向き合うことができる画家だったのだとわかります。特に、それを感じたのは、絵本の花や虫を描いている作品からでした。小さな生き物たちに、いのちを与え、それぞれが、その他大勢として描かれていないのです。生き生きと楽しんで描いているのが、見ている者に伝わってきます。そして、一つの花、一匹の虫、それぞれを丹念に見ていくと、思わず笑みがこぼれます。
 油絵や、自然以外のテーマの作品もありましたが、精彩さを欠くような気がします。
 クライドルフは、小さな生き物が、好きだったんだ・・・

 そして、この展覧会では、花の絵の横に、(すべてではありませんが)、実際のアルプスの花の写真が、説明とともに貼ってあって、絵を見る楽しみをより大きくしてくれました。
 それにまた、先日、見に行った「KATAGAMI展」とも繋がるところもあり、行ってよかった「クライドルフ展」でした。
(「クライドルフの絵本」に続く)

☆この「クライドルフ展」は、東京の後、郡山、富山、横浜と2013年の2月まで巡回するようです。
☆写真は、スイス・グリンデルワルト付近、左カンパヌラ・ロンボイダリス(キキョウ科)、右スカビオサ・ルキダ(マツムシソウ科)

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オリエンタル・フラッシング

199スイスビールj
 「酒に弱い遺伝子のアジア人」と、日経(2012年7月22日朝刊)に出ていました。飲酒後、顔が真っ赤になる現象を「オリエンタル・フラッシング」と呼ぶらしい。アフリカで誕生した原人の大陸移動、人種がわかれる過程で突然変異種が生まれ、それが弥生時代に渡来したとか・・・ふーん。

 それで、思い出すのが、以前、娘がホームスティしていたメルボルンへ陣中見舞いに行った時、そこのパパが、ワイナリーでランチのとき、ワインを飲んで運転。夕飯の後、我々夫婦をホテルに送っていくのに、高速道路をぶっ飛ばす前にも、ワインなどを飲酒。日本ではありえないのですが、見た目、全然酔っていないし、オーストラリアの基準のことはわからないので、とにかく送ってはもらいましたが、ドキドキ・ひやひや・ハラハラでした。
 アイルランドのパブでもイギリスのパブでも、赤い顔をしていたのは、うちの旦那だけでしたね。確かに・・・

☆写真は、スイスのカフェで。左アップルサイダー、奥Calanda Edelbräuはビール。チョコレートが山の形。

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蝉の声

                197榎j
 遠い昔、セミの佃煮が出来そうなくらい、虫かごにセミを取って来た得意げな息子。
 横には、満足げなお父さん。
 公園の隣に住んでいた頃、息子が幼稚園の頃。

 早朝から、蝉の大合唱が始まると、暑い一日が始まったのがわかります。気温が上がって来ると、トーンダウンし、真っ昼間、ガンガンに暑いときは、鳴いていません。

  「半日の閑を榎や蝉の声」 (はんじつのかんをえのきやせみのこえ 蕪村)
 「はんじつのかん」という音がいいなぁ。
 この「えのき」は「榎」と「閑を得る」を掛けているのですよね。
 それに、「榎」という漢字は、夏の木、つまり夏に大きく葉を広げ木陰を作る木と言う意味でしょう?
 「閑」と言う漢字の中にも「木」があって、やっぱり、いいなぁ。
 こんなに短い言葉の連なりの中に、たくさんのことが詰まっています。実は、この句は、蕪村が敬愛した芭蕉が背景にあるらしく、さらに奥が深い。

☆写真上は、榎の実。下は、白粉花に着いていた蝉の抜け殻。榎の近くに白粉花はありました。

                        198抜け殻j

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萱葺きねこ

             196萱葺き猫j
 「ピーターサンドさんのねこ」 
(ルイス・スロボドキン作 清水眞砂子訳 あすなろ書房)

 ルイス・スロボドキンの絵本は、どれも暖かい感じがします。
 スロボドキンの描く子どもたちは、どの子もよく似ています。それなのに、そのお話お話で命をもらい、そのお話お話で生き生きと動き出すのです。

 スロボドキンの絵本は、たくさん翻訳されていますが、「ピーターサンドさんのねこ」は、挿絵の本です。絵が多いので、読んでもらうのも、自分で読むのも両方好きな年齢の子どもには、ぴったりです。
 休暇の過ごし方が多くの日本人とは違うものの、長い夏休みのある子どもたちにとっては、日常とは違う島で、猫を飼う話は、魅力的なものです。

 夏になって、普段は町に暮らしている人々がホタル島に戻って来ると、その場所を居心地良くするために動きます。ところが、何かが足りない・・・「ねこの居ない家なんて!」と気付き、ピーターサンドさんの飼っている数えきれない猫を休暇の間だけ、借りて飼い、そして、休暇が終われば、猫を置いて町へ帰って行くのでした。ところが、あるとき、ピーターサンドさんが怪我をして・・・・
さあ、大変!猫たちの世話はどうなるのでしょう?
 話をハッピーエンドにつなげるのは、子どもたちでした。心優しく、大人よりずっと、もののわかった子どももたちでした。
 そして、賢いクロメという母さん猫(初めは、迷い子猫)が、話を明日につないでいきます。

 さて、この本の書き文字(例えば、表紙の題字やピーター・サンドさんの手紙)は、オアナアキコさんです。この人は、古本海ねこさんで、時々配布されていた「エホンだより」の作者さんですね。

☆写真は、英国ヘミングフォード・アボット村の萱ぶき屋根に飾られた猫。萱でできています。

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夏の散歩

191エンジェルトランペットj192ルリマツリj
              193サルスベリj
194ハマユウj195モミジアオイj
 夏の散歩は暑すぎる。
 朝6時台に散歩する時も、帽子に長袖、手袋に日よけスカーフ、タオルをもって。それに、日焼け止めも塗って、厚化粧して、さっそうと、というわけにはいかないものの、朝の散歩は好きです。夜に散歩したら、花や木、鳥や虫に出会えないので、やっぱり、眩しくても、朝です。
 何を隠そう、この私、子どもの頃から早起きが得意。但し、晩ご飯の後は、ほとんど役立たず・・・
☆写真は、左上エンジェルトランペット、右上ルリマツリ、中央サルスベリ、左下ハマユウ、右下モミジアオイ。

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工芸品の幅広い裾野

190マヨルカハウスj
(「KATAGAMI展」から続き)
(承前)
 「KATAGAMI展」では、ウィリアム・モリスのテキスタイルデザインだけでなく、リバティ商会のテキスタイル、ウォルター・クレインの壁紙やタイルにも出会いました。オーブリー・ビアズリーのサロメの本もありました。マッキントッシュの家具もありました。そして、ガレのスタンドやテーブル、ティファニーのスタンド、ラリックのガラス工芸や装飾品もありました。また、ティーセットや花瓶、お皿、などなど、現代においても、どこかで目にしたことのあるようなデザインが並んでいました。それこそが、工芸品の幅広い裾野だと思います。

 英国ウィリアム・モリスの提唱した、「アーツ&クラフト」は、生活と芸術の融合であり、質の高い工芸品の作成でした。それは産業革命で粗悪な大量生産品が溢れた時代に反発して生まれたものですが、その基盤のところに、日本の職人技があったということです。

 さてさて、もし、あの中で一つ、自分のものにできるものがあるなら、日本の型紙見本帳が欲しい。小さくコンパクトにまとまっている、当時のファッションブックです。どの型紙にしようかと、染物屋さんと相談しながら、ページを繰る。楽しそう!それこそ、生活にアート。提唱されるまでもなく、身近に在りすぎたから、尊重されなかったのでしょうか?

☆「KATAGAMI展」には、上記写真の「マヨルカ・ハウス」と「ウィーン分離派会館」の写真も展示されていました。二つともウィーンにあります。

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KATAGAMI展

189型紙j
 京都国立近代美術館の「KATAGAMI展」(2012年8月19日まで)は、現在、英国に行っている娘が、「代わりに見に行っといて」と、言い残していった展覧会です。わかりました。

  日本の型紙が、英国のアーツ&クラフト、フランスのアール・ヌーヴォー、ウィーンやドイツ語圏のユーゲントシュティール等などに多大な影響を与えたのがよくわかる展覧会です。浮世絵が西欧近代絵画に多大な影響を与えたのは、有名ですが、工芸の世界では、日本の型紙「KATAGAMI」が、西欧近代工芸に多大な影響を与えました。もう一つの「ジャポニズム」なのです。
 それにしても、日本の「KATAGAMI」は、凄い!以前、「明治の七宝展」で並河靖之が作った超絶七宝を見たときも、「おお!」の連続でしたが、今回も、また超絶技法で、「おお!」「わあ!」の連続。それに、その美意識。

  どの型紙が、どの作品に影響を与えたかが、比較できるように展示されていました。影響を受けたとされるものには、大雑把な感じのするものもあり、概ね、もともとの「KATAGAMI」の方が繊細で、美しく見えます。

  工芸というと、今まで、芸術から一歩さがったものように思われてきたように思います。また、芸術家と職人という区別もあります。が、しかし、芸術が人の心を根本のところで励ますものであるなら、日々、生活の中に存在する美しい工芸品も、もっと大事にされてもよかったはずです。浮世絵と同じくこの型紙もずいぶん国外に流出してしまいました。あ~あ 
(「工芸品の幅広い裾野)に続く)

☆写真は、「KATAGAMI展」限定の「海苔」を巻きました。ご飯粒が見えるでしょう?「鳥繋ぎ」という型紙。すぐ、湿気てしまう、はかない工芸品です。

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海の日

          188サンゴ礁jj
 以前は、7月20日に制定されていた「海の日」も、ハッピーマンデーの制度で、今年は、晴れ渡る猛暑の16日でした。たまたま、その日は、明石方面まで電車に乗って移動したものですから、車窓から、「わあ!泳いでる!」
 この辺りの地形をご存知ない方に、補足です。
 源氏物語でもおなじみの神戸須磨辺りから明石方面は、JRも私鉄もほとんど並行して、海沿いを走ります。山が海に迫ってきているので、海沿いしか走れなかったともいえますが、大きな災害があったら、ひとたまりもない海の近く、線路は続いているのです。
 晴天のときは、瀬戸内海の穏やかな海が、窓の向こうに広がり、「おお!」。
 曇天のときも、それなりに静けさを感じ「ああ」。
 春は春で「春の海ひねもすのたりのたりかな」と、一句できます。ちがいます。作者は、与謝蕪村です。
 夏は、紺碧、強い光に「おお!」・・・・とまあ、須磨出身のカ・リ・リ・ロとしては、この風景は、とても大事なものです。

☆写真は、オーストラリア上空から写したサンゴ礁。

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気合をいれすぎない

187金星と木星j
「翻訳に遊ぶ」(木村榮一著 岩波書店)
≪・・・これはぼくの個人的な考えだが、本を読むにせよ、翻訳をするにせよ、あまり気合をいれすぎないほうがいいようである。疲れると、何とかそこから逃げようとするのは自然なことで、読む気もないのに別の本に手を伸ばしてみたり、急に本棚や机の整理をし始めたりするものである。≫
そうそう、あるある・・・
摂理にかなったご意見。
有難くいただきました。

☆写真は、色見本ではなく、2012年7月18日早朝、明るくなり始めた東の空に輝く金星と写真上部小さく木星、日の出はまだですが、写真左隅から明るくなってきています。

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梅雨明け宣言したからといって

                    186白桔梗j
 ガンガン照りが続くのは、夏に決まっているではありませんか。
 梅雨明け宣言したからと言って、事態の好転があるわけでなく、くそ暑い夏がこれからしばらくずっとずっと続くということです。
 以下は、ある意味、梅雨を懐かしむかもしれない1冊です。

「花のものいう―四季のうた」
(久保田淳 岩波現代文庫)
 この小さな本には、日本の中世から近世俳諧までの歌や句が、たくさん紹介されていて、無知な私には、そうだったのかの連続でした。高校の古文で、もっと勉強しておけばよかった・・・

 「わたの原こぎいでて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波」という教科書にも出てきたと思われる歌の「雲居」の解釈について書かれている項は、特に興味深いものでした。契沖は、こう言う。賀茂真淵は、こう言う。香川景樹は、異を唱える。ところが、この歌ではこうだ。西行にもこんなのがある。頼山陽は、こんなだ。・・・・・・と、結局、正解はどれ?≪都会の片隅で古歌の風景を思い描くことは、とにかくむずかしい。そこに楽しさもあるのだが。≫と、著者は、この項をまとめます。ということは、古文の解釈は、完璧に読み解かれているわけではないのか?つまりは、あのとき、古文で×をもらった答えも、完全な×ではなかったのかも・・・と、私は小さい人間です。

 著者はドイツに一年滞在した経験を持つのですが、現代文庫版に際しての「あとがき」で、こう言っています。
≪・・・・ヨーロッパの風土や文化に触れたことは、日本の風土とそれに育まれた文化をヨーロッパのそれらとの対比において考えてみるきっかけにはなった。自分は梅雨のある湿潤な空気の中でしか古い歌や句を読む気になれないことを思い知った。・・・(中略)・・・決して鮮やかとはいえない日本の野の花に安らぎを感じる自分を偽ることはできない。・・・≫(2012年5月)

☆写真は、京都東福寺天得院の白い桔梗。

追記:ロンドン郊外は2-3日前、雹(ひょう)がふり、毎日、ウールのセーター着用とのこと。同じ7月なのに・・・ああ。

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長刀鉾

185長刀鉾j
 京都八坂神社のお祭り祇園祭は、疫病退散を祈願したのが始まりで、千年以上も続いています。このお祭りは、7月1日から1カ月、様々な儀式があり、14日~16日の宵々々山、宵々山、宵山、そして、ハイライトは17日の山鉾巡行となっています。その後、関西は、夏本番に向かいます。

 ずいぶん昔、学生の頃に、宵山や山鉾巡行見物に出掛けたことがあります。
 宵山は涼しく、お囃子も耳に嬉しく、が、祇園祭価格の食べものが多く、帰りの電車が混雑していました。
 山鉾巡行は、動く美術館のようでしたが、暑く、人が多く、やっぱり、電車が混雑していました。
 ・・・・と、混雑の印象が強く、今は、なかなかその日に出掛ける勇気がでまへん。

 ところが、先日、お稽古に行った床の間の掛軸が、「長刀鉾」になっていました。
 この鉾にだけ、生稚児(いきちご)とお付きの禿(かむろ)二人が乗り、他の鉾は人形。長刀で病気を払った伝えから、この「長刀鉾」は先頭です。選ばれし生稚児は厚化粧で、冠、振袖、裃の衣装を身につけ、太平の舞い(無病息災、天下泰平、五穀豊穣)をします。神の使いなので、祭りの期間中は伝統に乗っ取った制約も多く、―14日からは、食事も男系家族とのみ摂るとか、地上に足を降ろすのもご法度で、巡航の鉾に昇るときも、地上に足を降ろすことなく、強力と呼ばれる人の肩に担がれ、鉾に昇るとか―なかなか大変そう。とはいえ、京都に生まれた「ええしのぼんぼん」には、伝統を受け継いでもらわな、あきまへん。

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カーテン

184アイガー北壁j
 カーテンを替えました。
 以前の家と窓のサイズが似ていたので、そのまま使っていたのですが、経年でレースのカーテンの方が裂けてきたからです。この際、レースも本体の方も替えました。古いカーテンを汗だくになってはずしました。外したカーテンの山を見て、思い出したのが・・・・そう!映画「サウンド・オブ・ミュージック」。
 家庭教師のマリアが、カーテンで子どもたちに服を作り、それを着て、みんなで元気よく外に出ていく・・・確か、ドレミの歌♪
 星の数ほど、映画のある中、よくできたミュージカル映画は、歌と映像、相乗効果で、印象深い。ABBAの映画「マンマ・ミ-ア」も楽しかった。小難しいこと描いていないミュージカル映画は、辛口の批評もあるだろうけど、明るい歌と明るい映像、私には、元気になれる「サウンド・オブ・ミュージック」と「マンマ・ミ-ア」です。どっちも、いい歌、多いぃ~♪

☆写真は、スイス ホテルのカーテン越しにアイガー北壁が見えるぅ~♪

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「ウィリーはとくべつ」

 「ウィリーはとくべつ」 
 (ノーマン・ロックウェル作 谷川俊太郎訳 紀伊国屋書店)

 英国から、娘が、こんなメールをくれました。
「鏡をゆっくりみたら、自分の顔でないみたい。ノーマン・ロックウェルの『ウィリーはとくべつ』のウィリーみたい」・・・・はあ?????
 ウィリーというのは、ツグミです。しかも、作曲のできる稀有な天才ツグミです。

 遠く離れた末娘が気掛かりな父親が、珍しく、「ウィリーはとくべつ」全編に目を通していましたが、ハッピーエンディングの話に「こんなにうまくいく」と思っているんか?と、言いました。ところが、父親の感想を伝えましたら、話の内容を思い出したのでなく、骨ばった顔のウィリーがさえずっている絵と、骨ばってきているような自分の顔が似ている気がするという旨のメールがきました。えぇっ!「ちゃんと食べているか?」

 彼女が、この絵本を特にお気に入りだったという記憶はありません。
 が、今回、何故、ウィリー?
 きょうだいの3番目で家族と離れて一人暮らしをするウィリー。
 やきもきするウィリーの母親。

 読み返して気づいたのですが、彼女はウィリーと共通点が多く(もちろん、天才ではありませんが)、性格もどことなく似ています。この度、顔つきまで似たようです。

≪ウィリーは、自分がツグミであることがほこらしかった。でもまたほかのだれともちがう自分自身でありたいともねがった。≫

☆写真は、ツグミの写真がなかったので、英国ケンブリッジのクロウタドリ。
                     
                      183ケンブリッジクロウタドリj

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182キバシガラスj
 黒の服を着た人が並ぶと、同じ黒のはずなのに、深緑みたいな人、茶色みたいな人、濃紺に見える人など、全然違います。現在の衣服は化学染料だとはいえ、黒色の秘密は、以下、短い引用ながら、天然染料の黒染の話にも、あるような気がします。
 黒は、手間がかかっていたのでした。

(吉岡幸雄 JAL「アゴラ」2012年7月号「男達の色彩」『吉岡憲法黒』)より
≪まず、藍で縹色(やや薄い藍色)に染め、次に楊梅(やまもも)の樹皮の煎じ液で染めて、鉄分がとけた鉄漿(てっしょう)の液に浸す。憲法黒に限らず黒染には鉄分が必要で、黒への化学反応を促すのである。天然染料の黒染は、植物のタンニン酸を抽出して茶系に染めてから、鉄媒染で、黒く発色させる方法が世界の至るところでとられている。・・・・≫

 このような染め方をすると、底色にある「藍」を感じさせる「藍下黒」になるそうな。
 むむむ、おぬし、そうだったのか・・・

☆写真は、スイス ピラトゥス山 キバシガラス(撮影:&Co.A)

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シュルヴィッツ

              181シュルヴィッツ見返しj
(「あめのひ」より続き)
(承前) ユリー・シュルヴィッツ(1935~)は、センダックの両親の故郷と同じポーランド出身で、パリやイスラエルに渡った後、アメリカに居を構えた画家です。
 最初にこの人の絵本に出会ったのは、「よあけ」(瀬田貞二訳 福音館)でした。「あめのひ」でもそうでしたが、この「よあけ」も、なかなか渋くて深い色合いです。
 「よあけ」のモチーフは、唐の詩人柳宗元の詩「漁翁」によるようです。したがって、言葉が選ばれ、少ない言葉の中で感じ取る大きな世界が、そこにはあります。瀬田貞二の訳も美しく、この絵本自体も美しい。夜明けの荘厳さを伝えるためには、多くの言葉、多く色は不必要だとわかります。

唐の詩人から、話のモチーフを得た「よあけ」。
北斎の神奈川沖波裏に影響を受けたと思われるシーンのある「あめのひ」。

 シュルヴィッツの絵本は、センダックの絵本ほど、たくさん邦訳されているわけではありません。が、しかし、その1冊1冊がどれも、心に残ります。画風は、様々ですが、どれもが、優しい雰囲気を持っています。
 
 そして、センダックと同じくこの人も、アメリカの絵本の賞「コルデコットメダル」を「空飛ぶ船と世界一のばか」で受賞しています。また、「あめのひ」「たからもの」「ゆき」「おとうさんのちず」は、それぞれの年の「コルデコットメダル」次点です。

*「空飛ぶ船と世界一のばか」(アーサー・ランサム作 神宮輝夫訳 岩波)
*「あめのひ」(矢川澄子訳 福音館)
*「たからもの」(安藤紀子訳 偕成社)
*「ゆき」(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)
*「おとうさんのちず」(さくまゆみこ あすなろ書房)

☆写真は、センダックの時、評判の良かった見返しをシュルヴィッツでも撮ってみました。
右は「よあけ」上は「あめのひ」左の色合いの違うのは「空飛ぶ船と世界一のばか」一番下になっている無地は「ねむいねむいおはなし」(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)

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「あめのひ」

180屋久島トロッコ道j
 「あめのひ」  
(ユリ―・シュルヴィッツ作・画 矢川澄子訳 福音館)
 セミが鳴くのを聞きました。
 梅雨明けも、近いはず?の今日この頃です。
 そんなとき、5月に福音館書店創立60周年記念で復刊した「あめのひ」はどうでしょう?
雨の絵本は、雨の一部始終を描いたものや、最後にやみましたという流れのものが多いのですが、この絵本は、時折、雨がやむのを待っている子どもたちが、描かれています。ところが、最初から最後まで、窓の外は、結構な量の雨。最後まで、雨はやみません。

≪・・・・あめは やねを すべって、といの とんねる くぐり ざあざあ あふれだして どんどん どぶをはしる ≫といったページの後≪あしたは ふねで あそぼう≫と、心は、明日できているはずの水たまりのこと。

≪あめだ あしたは くさきも のびのび ことりは みちばたで みずあび≫といったページの後≪みんな はだしで とびだし どろんこで おどろう みずたまりは そらのかけら ぴょんと とびこそう≫ と、心は、明日できているはずのどろんこのこと。

 大人は、ついつい、長く続く雨にばかり気持ちがいくのですが、雨が降っていて制約の多い時間を、楽しみに替える子どもたち。雨の降った後を想像できる子どもたち。ここには、「あした」を信じる前向きな気持ちが描かれています。(「シュルヴィッツ」に続く)

☆写真は、屋久島のトロッコ道(撮影:&Co.A)

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枯山水の手入れ

178東福寺枯山水1j
 この前、桔梗の庭を見に東福寺天得院に行きましたが、その時、東福寺方丈の庭園にも行きました。
 そうしたら、日経の7月3日夕刊に、東福寺方丈の「枯山水の手入れ」のことが出ていました。前日の大雨で、景色が崩れたため、整えなおしに来たという記事でした。あの砂紋を描くのは、この寺では、寺の人でなく庭師さんだったんですね。知りませんでした。
 東福寺の庭は東西南北4つからなっていますが、伝統に乗っ取りつつ、近代的な意匠にという依頼を受けた、作庭家の重森三玲の手掛けた名園として知られ、1939年に作られました。

 作業は「真っすぐに引くのが難しい。特に一列目が大事。」とありました。何事もそうです。シンプルなだけに、ごまかしがききません。それで、素人が気になるのは、円から円に足跡を残さずにどうやって移るかですが、「直線に引いた砂紋を線描きでなぞりながら後ずさりして次の円を描く場所に移動する」と、ありました。粗忽者なら、反対から手をつけて、「あぁ~!」外に出られない、なんてことありそうですが・・・。そこは、この道20年のプロ。
 こうして整え直された枯山水庭園は砂紋の陰影が増し、ぐっと奥深い表情になるようです。そして、庭が一番きれいなのは、「砂紋を描き直した直後にぱらっと雨が降った日の夕刻」だとか。砂礫の塵が洗われるからだそう。なーるほど。
                             179東福寺枯山水2j
☆写真上下は、京都東福寺方丈南庭
≪蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、神仙境を表現しています。≫東福寺HPより
 

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空港

                       177チューリッヒ中央駅前j
 先日、娘を送りに、空港まで行きました。そのとき、混雑するチェックインカウンターのそばで、待っていたのですが、一人の若者が、持っていた紙袋を置いて、スーツケースだけを持ち、チェックインカウンターに並びに行きました。紙袋には、何か沢山入っているようで、確かにスーツケースと紙袋じゃ持ちにくそうでした。
 ところが、20分くらい、そこに置いたままでも、誰も目に留めません。ほとんど旅行前のテンションの高い人、それを見送る人たちで、ごった返していて、そんな紙袋、誰も目に持留めません。私は、初めから見ていましたけれど、そんなところにポツンと紙袋があるのは、変です。電車でも駅でも、「不審な荷物を見かけた方は、駅員か乗務員に連絡ください」と連呼しているではありませんか。それなのに、どう見ても、不審な紙袋が空港ロビーにある。

 10年以上も前、家族でパリのシャルルドゴール空港で帰りの便を待っていた時、ものものしい出で立ちの警察官たちが、一つのベンチを取り囲み、何か調査し、周りの人を遠ざけました。それで、バン!と、何か白い煙と、きな臭い匂いの残る方法で、そこにあった荷物を開けました。中には、女の人の持ちものが見えました。警官たちは、荷物をどこかに運んで行きました。しばらくしてから、持ち主と思われる女の人がやってきて、残っていた警官と話しこんでいました。おそらく、ただの荷物を、放置して、どこかに行っていたのです。
 そんなことを思い出しながら、紙袋を見守っていたら、娘のチェックインがやっと終わり、その若者は、まだ並んでいるのが見えました。

☆写真は、スイス チューリッヒ中央駅前。 左手の像はアルフレッド・エッシャー(1819- 1882)というスイスの産業企業家。

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梅雨の晴れ間(暑い!)

174カンナj175アガパンサスj
                  176ノウゼンカズラ&あげはj
 梅雨の晴れ間、久しぶりにご近所を散歩しましたら、あんなにきれいだった紫陽花は哀しい姿になっていました。その代わり、ノウゼンカズラなど、元気そうな仲間が、もうすぐ本気の夏だ!と言っておりました。
☆写真の、ノウゼンカズラとアゲハは、以前の庭のものです。日射しを浴びるカンナと涼しげなアガパンサスは、早朝、ご近所で撮りました。

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ぐりとぐら

173マイエンフェルトj
 日経夕刊「人間発見」のシリーズで、2012年7月2日~6日まで5回連載されたのが「子どもと本に教わった」の中川李枝子さんでした。

 保母さんだった中川李枝子さんが、当時、園で一番人気があった絵本「ちびくろさんぼ」*のホットケーキを作り、子どもたちがとても喜んだ経験をします。そして、「ホットケーキよりもっといいもの」と浮かんだのが、とびきり上等のカステラで、そうして生まれたのが、のねずみが森の友だちに、カステラをごちそうする話「ぐりとぐら」だったのです。(2012年7月4日日経夕刊)
 
 「ぐりとぐら」は、日本人作家の作った数ある絵本の中でも、今後も子どもたちが読み継いでいく1冊だと思います。青い服と赤い服。卵。自分たちで料理する。歌う。みんなで食べる。最後に作ったものは?・・・子どもたちにわかりやすく、子どもたちが大好きな要素が、この一冊の中に満ちています。みんなで食べるシーンでは、「いやいやえん」のおおかみや、やまのこぐちゃん、他にも、らいおんみどりや、けんた・うさぎも出てきて、楽しみを繰り返すことができます。

「かすてらを つくっているんでしょう!とっても いい においがするもの」

 実は、大学生の頃、幼稚園実習5週間に行きました。その総仕上げのとき、実習生たちで、「ぐりとぐら」の人形を作り、脚本を書き、メロディを作り、人形を動かし、歌いました。今でも、そのメロディが、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐるり。

「ぼくらのなまえは ぐりとぐら このよで いちばん すきなのは おりょうりすること たべること ぐり ぐら ぐり ぐら」

 連載「子どもと本に教わった」の4回目の最後で、中川李枝子さんはこう言います。
 ≪・・・大人の本も子どもの本も本質は変わらないと思います。トルストイは「優れた芸術の3条件として「新鮮」「誠実」「明快」を挙げています。何度読んでも新しい発見や感動がある。心に残って成長の糧になる。そして相手にわかりやすく伝わる。これは音楽にも美術にも通じると思います。子どものまわりにはいつも最良のモノを置くのが、みどり保育園の天谷先生と私の保育理念でした。≫(2012年7月5日日経夕刊)

*「ちびくろさんぼ」
(ヘレン・バンナーマン文 光吉夏弥訳 フランク・ドビアス絵 岩波)
*「ぐりとぐら」(中川李枝子文 おおむらゆりこ絵 福音館)
*「いやいやえん」(中川李枝子文 子どもの本研究会編集 大村百合子絵 福音館)
*「らいおんみどりのにちようび」(中川李枝子文 山脇百合子絵 福音館)
*「けんた・うさぎ」(中川李枝子文 山脇百合子絵 のら社)

☆写真は、スイス、ハイジの舞台マイエンフェルト。
「ぐりとぐら」に、まったく関係なさそうな写真ながら、ほんの少しは繋がっているかもしれません。以下は、「本・子ども・絵本」(中川李枝子著・大和書房) (『岩波少年文庫と私』)より
≪・・・ある日、母が目を赤くして子ども部屋にあらわれ、「ハイジには泣かされましたよ」と、『ハイジ』(スピリ作 竹山道夫訳)を本棚に返していったことがありました。・・・・・母は、子どもが五人いようと、情操教育のおかげか、本を読む暇ぐらいは持っていましたし、戦争で中断していた趣味の習字も再びやり始めていました。・・・・・≫

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七夕

            172水平線に夕日沈むj
 万葉集にも、源氏物語にも、「七夕」あるいは、その関連の歌が出てきます。長らく、日本人が、大事にしてきた五節句の一つです。が、しかし、こんな梅雨のさなか、星を見るでもないでしょう?星を見にくい時期だから、一年に一度の逢瀬も、よけいに有難味は増すのか・・・などと、物を知らない頃は、勝手に解釈しておりました。
 が、本来七夕は、旧暦の七月七日で、新暦なら立秋も過ぎてから、と知ってからは、なるほどなぁと、やっと理解できました。大体、重陽の節句の9月9日は「菊の節句」とも言われるものの、新暦だと、そんなとき、菊なんて咲いてない!しかも、まだまだ暑くて、菊の香が、少々うるさい。

 いや、まてよ。
 昔、私が子どもだった50年前、うちでは、桃の節句のお雛さんを4月でも出していました。「3月3日と違うの?」と聞くと、母は、「関西は、これでいい」と答えました。ふーん。「ほんまぁ?」
 いつの頃からか、お雛さんをいつまでもだらだら出しておくと、婚期が遅れる、などと漏れ聞き、4月にお雛さんが出ているのは、まったくもっておかしいことになりました。

 それに、もしかしたら、うちでは、七夕も8月にやっていた気がします。ただ、こちらは、幼稚園や学校の行事と重なって行き、笹に願いごとをたくさんぶら下げたのが、7月だったのか8月だったのか、ますます定かではありません。母と二人で、軒先に笹を飾っている4歳の頃の写真にも、日付がありません。が、服装は、完全に真夏のそれでした。加えて、汗をかきかき、「こより」をよっていた母の姿は思い浮かぶものの、それは、7月でも8月でも同じです。さりとて、パリパリに乾いた笹を、雨だから慌てて途中で取りいれた記憶もない。うーん。
 さはさりながら、2012年の七夕も梅雨らしい日?

☆写真は、オーストラリアから日本に向う飛行機から撮った「夕日が水平線に沈みました。」(撮影:&Co.A)

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両足院で ほっ

170臨池亭j
 ドクダミの花の一つ一つは、可愛い顔をしているのですが、凄い生命力で、油断すると庭を席巻してしまいます。しかも、草ひきするとドクダミの独特のきつい匂い。
 建仁寺両足院の池の周りに広がっている半夏生も、同じドクダミ科です。その匂いも同じようなものらしいのですが、池を望む茶室「臨池亭」で半夏生を眺めていると、風が通って、近くに植わっているクチナシのいい匂いがしました。水辺なので、シオカラトンボも飛んでいました。観光客でにぎわう祇園花見小路がすぐ近くにあるなんて思えない、静かな空間でした。

 ここでいただいたお饅頭は、「半夏生」といいい、白い表面に寺紋の焼印、星と月。中は涼しげな薄緑の餡。           「どうどす?きれいでっしゃろ」と、庭の半夏生が言っています。
    
                                    171お饅頭切ったらj

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半夏生

169半夏生j
 今年の半夏生は、7月1日でした。
 節分や入梅や土用等と同じ雑節の一つが、半夏生(はんげしょう)。
 夏至から11日目で、季節の変わり目、農繁期の終了期でもあるらしい。が、昨日今日の、このじめじめ・蒸し蒸しは、季節の変わり目とは程遠く、梅雨まだ半ば。よく降ります。

 で、もう一つの半夏生。こちらは、植物。
 京都 建仁寺両足院、満開の半夏生を見てきました。庭園特別公開でした。(2012年は7月8日まで)
 遠くで見ると、大きな白い花に見える半夏生は、実は、白い小さな花の花穂が細く伸び、上方の葉だけが白くなって、花弁のようになっています。さながら、白い筆のように見える花穂が、葉に白塗りしているようです。そう、舞子さんたちの白塗り半ばという感じです。祇園近くにある建仁寺両足院に、ぴったりです。それに、半夏生が半化粧と言う音と同じなのも、「粋」です。半夏生の頃、涼しげに、旺盛に咲く半夏生。

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「石さまざま」の序文

            168バッカスj
  ≪滅びゆく民族は、まず最初に節度を失う。彼らは個別的なものに向かって進み、近視眼的に小さいもの、つまらないものに飛びつき、制限されたものを普遍的なものの上に置く。そして享楽と官能的なものとを求め、隣人への憎しみとねたみとの感情を満足させようとする。彼らの芸術には・・・・≫
  と、シュティフターは、「石 さまざま」の序文で述べます。この序文は「偉大なものと小さなものについて」述べられています。ゆめゆめ、現在の、どこやらの国情や政情を憂えているものではありません。1852年秋、オーストリアで書かれました。

 「石 さまざま」  (アーダベルト・シュティフター 高木久雄・林昭・田口義弘・松岡幸司・青木三陽訳 松籟社 シュティフター・コレクション)

☆写真は、ウィーンのホイリゲ(ワイン専門の居酒屋)、ワインを手にご機嫌のバッカス。

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米の飯を五十年も長く食っていたら、

                         167根津庭園j
  「郷愁の詩人 与謝蕪村」  (萩原朔太郎著 岩波文庫)
≪僕は少し以前まで、芭蕉の俳句が嫌いであった。芭蕉に限らず、一体には俳句というものが嫌いであった。しかし僕も、最近漸く老年近くなってから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。あるいは少し解りかけて来たように思える。そして同時に、芭蕉などの特殊な妙味も解って来た。昔は芥川君と芭蕉論を闘わし、一も二もなくやっつけてしまったのだが、今では、僕も芭蕉ファンの一人であり、或る点では蕪村よりも好きである。年齢と共に、今後の僕は、益々芭蕉に深くひき込まれて来るような感じがする。日本に生まれて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としては何だか寂しいような、悲しいような、やるせなく捨鉢になったような思いがする。≫

 萩原朔太郎(1886~1942)が、1935年に書いた『芭蕉私見』の文頭です。
 ふーむ・・・50歳の頃、こんなこと思ってもみなかった・・・。ま、芥川君をやっつけてしまうような人とは出来が違うけど、米の飯を50年以上ずいぶん長く食っている身としては、今からでも、朔太郎のいうところの“複雑な内容を表現しうる『俳句の如き小詩形』”を、楽しみたいと思います。
 それにしても、この「郷愁の詩人 与謝蕪村」は、読みやすく、しかも深く、ぐいぐい引き込まれる1冊です。新字新仮名も有難い。電車のお伴向きの薄っぺらいのも、うれしい。

☆写真は、根津美術館の庭園

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バッタさん

           166スイス花畑j
 『虫愛ずる姫』(堤中納言物語)とまではいきませんが、子どもの頃から、結構虫は嫌いではありませんでした。(ただし、ゴキブリ以外)
 これは、多分、父親が昆虫好きで、大きな網を持って、信州や、遠く台湾まで蝶を捕りに行ったりしていたことに関係すると思います。また、凝り性の父親は、標本作りも得意で、結果、亡くなったとき、某昆虫館にギフチョウ等の標本を寄贈させていただきました。こちらは、まったく似ませんでしたが・・・
 すごく幼い頃、父と草むらに、バッタ捕りに行って、面白いように捕れたのは、今でも、はっきり覚えています。バッタは、前から捕まえるという単純さに、はまったのです。そして、それは、年経て、花を育てるときに、花にやって来る害虫たちを撃退するテクニックにつながりました。

 「バッタさんのきせつ」 
(エルンスト・クライドルフ作 佐々木田鶴子訳 ほるぷ)

 「バッタさんのきせつ」は、クライドルフ作です。現在も、これからしばらくも、東日本では、クライドルフ展が開催されるようですが、西日本は残念ながら、この新刊(といっても、1930年刊)と、福音館の復刊「ふゆのはなし」「くさはらのこびと」で楽しむしかありません。何冊かは、ほるぷや童話屋から出版されていましたが、今は出ていません。

 スイス生まれのクライドルフは、体調を崩してからはアルプスのふもとの村で暮らすようになり、アルプスの自然を、その絵本の中に丁寧に描きました。特に、大きな自然の中の小さな生き物に対する、確かな観察眼。図鑑のように、小さな生き物たちを描ける画家は、いくらでもいるでしょう。それが、彼の手にかかると、ぴったり最適な擬人化となり、本当らしく、生きる友人となって行きます。絵本は、図鑑ではありませんから、お話とともに、生きる絵が必要なのです。
 以前、クライドルフの「アルプスの花物語」などにでてくる花と、実際の花の写真と比べて見たことがあります。ほとんどが、実際の花と特定できました。多分、全部、特定できる草花なのでしょう。

『おくさんたちのボーリング』(「バッタさんのきせつ」より)
≪バッタのおくさんも ボーリング
ボールをかまえるのも のんびりと
ピンにあたらなくても へいきなの
それより おしゃべりがだいじだから≫
 この詩の前には、『ボーリング』という詩が出ているのですが、男のバッタさんのボーリングの構え方と、おくさんの構え方を見比べるだけでも、楽しいです。バッタさんは、左から二番目のバッタさんが特にかっこいい。奥さんの方は、今から投げようとする左利きの奥様の構えが、力強くてOK!(力こぶあります)

*「くさはらのこびと」「ふゆのはなし」(クライドルフ作大塚勇三訳 福音館2012年5月復刊)
*「アルプスの花物語」(クライドルフ作 矢川澄子訳 童話屋)

☆ 写真は、6月のスイス グリンデルワルト(撮影:&Co.A)

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