今朝は、とってもいい天気!
3人とも母乳で育てました。
幼稚園に3年行った子、2年行った子、1年しか行かなかった子。
3人とも地元の公立小学校を卒業しました。どの子も塾に行きませんでした。
附属高校に行った子、地元の県立高校に行った子、私立高校に行った子。
3人とも大学は遠くまで通いました。どの子も一校しか受験しませんでした。
大学卒業後、あるいは、退職後、アメリカに2年近く行った子、オーストラリアに1年行った子、今からイギリスに2年滞在する子。
お喋り好きな子が居なくなった時、優しく家族に接する子が居なくなった時、趣味趣向が似ている子が居なくなった時、それぞれ、やっぱり、寂しいもんだ。
それでも、今朝は、やっぱりいい天気!
☆写真は、スイス グリンデルワルト近くのハイキングコース。背景の山は、ヴェッターホルン(3701メートル)

子どものときから、50歳前までは、痩せていました。今は、見る影もなく中年太り・・・というわけでもありませんが、もう「細いねぇ」と言われることはなくなりました。若い頃、洋服を選ぶとき、好みで選ぶのではなく、サイズが5号や7号があるかないかで選んでいた自分としては、普通サイズの9号になって、よかったと思っているのです。が、今もなお、腰に抱きついてくる末のお嬢さんに、「お母さんのウェストはどこに行ったの?」と言われるのは、いたい。確かに、どこに行ったんだろう?そして、このおなかはどこから来たんだろう?
先日、センダックの「ロージーちゃんのひみつ」の絵本を出して眺めていたら、ロージーが太めのお母さんに抱きついて甘えたり、お母さんの台所仕事の邪魔をしている絵があって、どこにでも、こんな子はいるもんだ、と、末っ子に見せたら、ふふ、と笑いました。
その末っ子も、今日から一人でイギリス住まい。
二年間しっかり、勉強してくるように!
*「ロージーちゃんのひみつ」 (センダック 中村妙子訳 偕成社)
☆写真は、旭山動物園のペンギン。初めからウェストがない。(撮影:&Co.A)
「A.A.ミルン童謡集」
(訳詩 山田正巳 挿絵:E.H.シェパード 中日文化)
ずっと以前、うちの3人の子どもたちが、登校、登園する前のひととき、この童謡集をぱっと開けて、開いたページの詩を、毎朝3人分読んでいたことがありました。子どもたち自身のお気に入りの詩を読むこともありました。ところが、最近、久しぶりに、違う訳で、読んでみたら、あれ?全然、調子が合いません。メロディこそなかったものの、歌のように読んでいたので、違う歌は歌えませんでした。
A.A.ミルンは、クマのプーさんの作者です。
この童謡集に、さくらんぼうの種を一つずつ、いろんな人に見立てている詩があります。
「さくらんぼうのたね」
≪いかけ屋さんに 洋服屋
兵隊さん 水兵さん
お金持ち 貧乏人
お百姓さん どろぼう君・・・それから≫
・・・この後、カウボーイとかお巡りさんとか牢屋番とか、海賊の親分や花火師までも登場します。
そして、最後は、
≪・・・ああ、そんなに沢山 したいこと
そんなに沢山 なりたいもの
ぼくのちいさな さくらの木
いつでも沢山 なっている
さくらんぼうの実のように≫
☆「茎右往左往菓子器のさくらんぼ 」(高浜虚子)
「やかまし村はいつもにぎやか」
(リンドグレーン文 大塚勇三訳 ヴィークランド絵 岩波)
≪・・・いつまでだって、すきなだけ、サクランボをおなかにつめこんでいてもいいのです、・・・とにかく、おなかがいたくなるまでは・・・。ええ、まい年、サクランボのなるころ、わたしたちは、ちょっとおなかをいたくします。でも、そのあとは、スモモの実がうれるころまでは、おなかをいたくしません。≫
そして、サクランボ会社を作ったのは、ラッセとリーサとボッセ、それにブリッタとアンナとオッレのやかまし村の子どもたちでした。
桃の類と並んで好きなのが、サクランボ。日本のおいしい桜桃。でも、なんであんなに高価なの?誕生日がこの季節だったら、サクランボのプレゼントがあるかもしれないな。来年から、誕生日を変えます宣言しようかな。いやいや、欲張ってはいけません。私の誕生日花はバラでした。だから、バラのプレゼント?いずれにしても、桃もサクランボもみんなバラ科!やっぱりバラが好きなんや。
・・・・が、しかし、やっぱり、くまのパディントン*のように誕生日が二回って言うのは、どう?夏に一回、クリスマスに一回・・・・と、すると、今は一体何歳?むむむむむ
ともあれ、やかまし村の子どもたちのように、サクランボを、おなかがいたくなるまで食べてみたいなぁ。次は、スモモまで大丈夫なんだから。
*「やかまし村はいつもにぎやか」「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」(リンドグレーン作 大塚勇三訳 ヴィークランド絵 岩波)
*「くまのパディントン」シリーズ(マイケル・ボンド作 松岡享子訳 ペギー・フォートナム絵 福音館)
☆写真は、英国ケンブリッジの電話ボックス横のサクランボ。手が届きませんでした。
「赤ずきん」 (グリムの昔話 フェリクス・ホフマン画 大塚勇三訳 福音館)
フェリクス・ホフマン生誕100年記念展が伊丹市立美術館で開催されたのは、2011年でした。そこには、フェリクス・ホフマンが自分の子どもたちだけに作った「ながいかみのラプンツェル」「ねむりひめ」「おおかみと七ひきのこやぎ」「七わのカラス」の手稿絵本が並んでいました。孫のためには、「くまおとこ」。初めての孫娘には、「赤ずきん」を描いていました。
このたび、福音館創立60年周年に合わせて、その「赤ずきん」の絵を使った絵本が出版されました。(表紙と、翻訳は「グリムの昔話Ⅱ」の絵を使っているようです)
公刊されている他の絵本は、出版の際に、描きなおして洗練されていますが、この「赤ずきん」は、手稿絵本をもとにしていますので、粗い描写のままです。が、孫娘スザンヌのために描いているので、優しいおじいちゃんの目が溢れています。
特に可愛いのが、オオカミが飛び出し、赤ずきんが、びっくりしてひっくり返っているところです。
「きゃあ」
小さなスザンヌはこのページを「もう一回読んで」「もう一回」とせがんだだろうと想像します。
「きゃあ」うふふふふ 「もう一回読んで!」
そして、多分、小さなスザンヌは、この赤ずきんのようにおさげにして、お菓子のクグロフが好きだったにちがいありません。
*「ながいかみのラプンツェル」(フェリクス・ホフマン作 瀬田貞二訳 福音館)
*「ねむりひめ」(フェリクス・ホフマン作 瀬田貞二訳 福音館)
*「おおかみと七ひきのこやぎ」(フェリクス・ホフマン作 瀬田貞二訳 福音館)
*「七わのカラス」(フェリクス・ホフマン作 瀬田貞二訳 福音館)
*「くまおとこ」(フェリクス・ホフマン作 酒寄進一訳 福武書店)
*「グリムの昔話Ⅰ~Ⅲ」(フェリクス・ホフマン作 大塚勇三訳 福音館)
☆写真は、ニコロ・パガニーニという薔薇。イタリアの有名なヴァイオリニストの名前です。

関西に住んでいると、寺社仏閣、歴史の舞台が、日帰り圏内にあって、けっこう楽しいです。お花は、ご近所でも、じゅうぶん目の保養ができるので、贅沢言いません。
が、しかし、きっと、関東、特に東京に住んでいると、美術・博物展の充実に満足するだろうなぁ。それに、もっと欲張ると、ロンドンやパリ、ニューヨーク、他、欧米なら、美術館もすいているのになぁ。
ま、次なる見たい・行きたいところがある限り、前向きな人生だと、勝手に思うことにしよう。
☆写真は、英国バーンズリーハウスのクレマチスデュランディと、ご近所の鉄線・クレマチス
「佐藤忠良生誕100年記念展」が開催された佐川美術館は、車で行かない人には、本数の多くないローカルバス頼みの、少々不便なところにあります。
が、素敵な建築物です。ゆったりと建てられ、光も多く取り入れられています。外観は、無駄なものがなく、すっきりしています。大きくは、常設の平山郁夫館、佐藤忠良館、樂吉左衞門館からなっていて、水辺に立っています。水庭というらしいのですが、水が、風に揺らぎ、さながら、水の芸術作品を見るようです。直線的な柱と塗り込められた壁、屋根のゆるやかな「むくり」(「反り」の反対)、そして、周りの緑と生きて動く水。琵琶湖と田園の茅葺屋根がテーマなのでしょうか。
中庭も水庭で、その揺らぎを見ながらのお茶は、落ち着きます。そこでは、風の音も、さざ波の音も聞こえませんが、次々広がる波紋を見ていると、聞こえてくるかのようです。
佐川美術館という作品の鑑賞も魅力的なのです。
ご縁があって、また佐川美術館にいきました。もうすぐ佐藤忠良生誕100年記念展示が終わります。
今回も、この前行った時にも、強く心惹かれたものの一つが王貞治氏のブロンズ像でした。「記録を作った男の顔」という題です。王貞治という人の秘めた闘志が伝わってきて、神々しささえ感じます。佐藤忠良の解説文には、こう書いてありました。「・・・モデルにはないが、眉間から額の生え際までに少しばかりスーッと糸のような起伏をつけた。意志が苦しみのように表れず、知的に見えればと思ったからである、鍛え上げて作った記録の上に、もう一つたたき上げて生きようとしている男の顔を美しいと思ったのである。」
記録を作った男も凄いけど、その像を造る芸術家も凄い。
そして、佐藤忠良は子どものための、図工や美術の教科書の監修、執筆にもたずさわります。
小学校図画工作の教科書文に、「・・・王さんの一本足を、あの形らしく作ることはやさしいけれど、本当の形を作るのは、とてもむずかしい。王さんが世界記録を立てることができたのは、わたしたちが考えることができないほどの失敗と、練習のくりかえしがあったからだろうと思う。わたしも四十年以上も彫刻をしてきて、失敗の連続であった。このごろになってようやくわかってきたことは、人間は失敗をおそれない、失敗の上に足をしっかりとふまえ、考えて、またやり直してみることが大切だということだ。・・・」
この教科書も凄い。
そしてまた、高校の美術の教科書には、「・・・・・・自分の願望を貫き得たということは、力づくで、ただたくましいというだけのことではないのだから、あの意思的な顔の中に、孤独と優しさが出せたら、と考えていた。・・・」
この教科書も然り。
1985年に佐藤忠良の書いた「子どもたちが危ない―彫刻家の教育論」(岩波ブックレット)は、「子どもたちが危ない」ことに変わりない今も、必読の教育論です。最近、復刊されました。
*引用文は、すべて、「生誕100年 彫刻家 佐藤忠良」図録より
「グリーン・ノウの川」
(ルーシー・ボストン作 亀井俊介訳 ピーター・ボストン絵 評論社)
(承前)
さて、実は、昨年6月、英国ヘミングフォード村に行った後、川べり散歩のことを書きすすめていました。ところが、夏場になると、日本では、川の氾濫等、大きな災害が相次ぎ、こんな文を公開するのも、ためらわれているうち、結局、ブログ開設ということになりました。それで、また、もたもたしているうちに、いわゆる大雨のシーズンになり、しかも、今日は台風!とりあえず、あの本もあの本も残っているけど、「子どもの本でちょっとお散歩 川編」を休憩しようと思います。
ロック(Lock)・ 水門・ 閘門(こうもん)
イギリスの川のお話に、よく出てくるのが、もちろん、「グリーン・ノウの川」にもでてくるのが、ロックです。高低差のある川を行き来するボートのために、水門を開閉し、ボートの進行方向の水の高さに調節する仕組みです。日本にもいくつかあって、大阪には、淀川と大川の高低差を調節する毛間閘門というのがあります。
「グリーン・ノウの川」では、オスカー、アイダ、ピンの3人の子どもたちが、ロック(水門)に入り、出ることが、こう書かれています。
≪・・・それで子どもたちはかいをこいで、細い石壁の水路へとまっすぐにはいっていった。すると後ろで水門がしまった。水は急速にへっていった。まるでエレベーターにのっておりていくような感じだった。両側の壁がぐんぐん上がっていった。川の一部がこんなにこんなに深い流れになっているなんて、思っただけでも怖くなるくらいだった。この巨大な風呂桶のせんは、ゴボゴボ音をたて、カヌーを引っぱり、吸いこんでいった。・・・・ようやく、下がわの水門がひらかれた。水がもういちど激しくぶつかり合い、泡だちあったのち、あらたに平らな水面ができ、カヌーは水車池にかいをこいで出ることができた。・・・≫
「グリーン・ノウの川」には、挿絵がついていますが、文だけでは、まだロックをイメージしにくいかもしれません。明日は番外編で順を追った写真を、載せます。
(川 番外に続く)
☆写真は、英国マーローロック 水位の低い方に、ボートが出て行きます。
先日TVで「大都会ロンドン キツネ1万匹 大繁栄の謎に迫る」というドキュメンタリーを放映していました。キツネたちが、ロンドンの民家や公園に1万匹も住みついていると言う内容でした。キツネは小ぶりな赤ギツネです。そう!ルーファス。(Rufusという男子名は、ラテン語で、red-headedらしい。また、英語でrufousは、赤褐色の、赤茶けたの意)
「こぎつねルーファスのぼうけん」「こぎつねルーファスとシンデレラ」
(アリソン・アトリー著 石井桃子訳 キャサリン・ウィグルズワーズ挿絵 岩波)
アナグマさん一家と暮らすこぎつねのルーファスが、川で小さな金の星を釣る話「こぎつねルーファスと魔法の月」には、月夜の川のきらめきが見える、美しい情景が書かれています。
≪ルーファスは、鼻を空のほうにむけて、川岸の匂いをかぎました。ぬれた土の匂いが、つんと鼻にきましたが、それは、とても気持ちのいい匂いでした。それから水ハッカや、フクロ草や、シモツケ草の香り、それから、コケや葉っぱの強い匂い。川は、にぎやかに流れていました。川は岩を飛び越え、白いあわをたてたり、小さいたきを作ったりしながら、大きな声で歌っていました。波の上には、金色の星のかけらや、ゆがんだ月が、空にある星や月と同じように、輝いていました。≫
・・・・それで、ルーファスは釣り糸を投げ、小さな金の星をたくさん釣るのでしたが、やってきた白鳥に諭され、一つ以外は川へ戻します。すると、
≪たくさんの白い手が水の中から出てきて、それをつかんだようでした。『あれ、どういう、ひとたちですか?』ルーファスはびっくりして、とぎれとぎれに聞きました。『ここに住む水の精たちです。』ルーファスが、水の精を見ようとして、じっと川の中をのぞきこんでいたとき、・・・・・≫
☆写真は、英国マーロー、テムズ川河堰、早朝、水面がキラキラ。
「川べのちいさなモグラ紳士」
(フィリッパ・ピアス 猪熊葉子訳 パトリック・ベンソン挿絵 岩波)
フィリッパ・ピアスの作品は、「トムは真夜中の庭で」を筆頭に、先の「ハヤ号セイ川をいく」にしても、この「川べのちいさなモグラ紳士」にしても、一気に読ませてくれます。
モグラと英国の歴史、まったく繋がっていそうもないことが、モグラの掘るトンネルのように、深いところでつながっていると言う面白さ。英国の歴史に興味のない向きには、興味半減だとしても、英国の子どもたちには、きっとぞくぞくとする楽しさを持って受け入れられたことでしょう。とはいえ、単なる歴史物語ではなく、成長物語だと言うところが、ピアスの「腕」の見せ所です。
モグラの寿命は5年と言われているのに、ハンプトン・コート生まれのモグラが、何故に、300年もトンネルを掘りつづけ故郷に帰ろうとしているのか。はたまた、どのようにして、モグラが進化論を理解し、アルフレッド・テニスンの詩を味わうことができるようになったのか。そして、いかに、おばあちゃんの家で暮らす、本好きで孤独な少女ベットと心を通わせていくのか。
「たのしい川べ」のモグラが子どもらしいモグラだとしたら、このモグラは大人であり、かつ紳士。そして、「不思議の国のアリス」を思い出させる魔法の時間。
ともかくも、事の発端を読んだら、もしかしたら、これはフィクションじゃなくて、こういうことで、歴史が動いたのかも・・・と、納得。え?それじゃ、わからない、って?じゃあ、ヒント。イギリス名誉革命。モグラ塚。ハンプトン・コートで落馬。
ベットは思うのです。≪もしかすると、読めば聞く人を作りだすのかもしれない。ベットはゆっくりと大きな声で読みだした・・・・≫
そうそう、書けば読む人を作りだすのかもしれない。
☆写真は、英国ハンプトン・コート(撮影:& Co.H)
「わたしの山の精霊ものがたり リューベツァール」
(オトフリート・プロイスラー作 吉田孝夫訳 ヘルベルト・ホルツィング絵 さ・え・ら書房)
「大どろぼうホッツェンプロッツ」*や「クラバート」*の作者、プロイスラーが、故郷の山の精霊「リューベツァール」にまつわる物語を「わたしの」と題し、彼なりの視点で伝説を紹介しています。挿絵は、クラバートでも一緒だったホルツィングです。
伝説なので、小さい子向きに書かれた昔話とは、少々違うのですが、困った時のお助け精霊であり、懲らしめる時の精霊でもあるリューベツァールは、この地方の人たちの身近な存在だったのが分かります。自然を侮ることなかれ。自然に敬意を払うべし。されど、自然と共に・・・と言った感じでしょうか。
その中の一つに、川を制そうとした男の話があります。
水門作りのエキスパート、ゼップ親方は、川床を隅々まで細かく調べ、水の流れが曲がる場所も、狭まった場所も、傾斜や岩壁も、全部ぬかりなく調べ「ここが新しい水門の場所だ。ここに造ることにする。――リュ―ベンツァーゲルの野郎は、この水門に咬みついて、自分の歯を折ることになるだろうよ」と、自信に満ち、降りつづける雨にも「好きなだけ降るがいい。こんな雨、おれたちには屁でもねぇ!」と、うそぶくのでした。が、夏の盛りだというのに、突然、強い寒さがこの一帯を襲い、山では雪が降り出し、一週間降りつづけた後、今度は生暖かい風を伴って雨が・・・そして、ものすごい鉄砲水・・・≪ここからは、さらにリアルなプロイスラーの表現が続きます。≫
(注:リューベンツァーゲルはリューベツァールの別称)
*「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズ (プロイスラー文 中村浩三訳 トリップ絵 偕成社)
*「クラバート」(プロイスラー文 中村浩三訳 ホルツィング絵 偕成社)
☆写真は、スイス 向こうが氷河、こちらでは、牛が草を食んでいます。
「クリスマス・キャロル」「クリスマスのまえのよる」「アンデルセンコレクション」等の画家、リスベート・ツヴェルガーの原画展に行ってきました。オーストリア生まれの女性の画家です。1954年生まれの現役で、しかもデビュー35年というキャリア。未邦訳絵本の原画もたくさんありました。優れたデッサン力で描かれた、オシャレな衣装の登場人物や部屋の設え。衣装や壁飾りの細かい刺繍が、本物の刺繍のように細かく丁寧に描かれています。繊細な線。ともかく、細かーい。これは、印刷されたものでは、なかなか味わえません。やっぱり、原画。
ツヴェルガーは、1990年国際アンデルセン賞を画家部門で受賞しています。日本では、赤羽末吉と安野光雅が受賞している賞です。ちなみに1956年第1回国際アンデルセン賞は、エリーナー・ファージョン「ムギと王さま」です。
*「クリスマス・キャロル」(ディケンズ作 吉田新一訳 太平社)
*「クリスマスのまえのばん」(クレメント・ムーア詩 江國香織訳 BL出版)
*「アンデルセンコレクション」(アンデルセン作 大畑末吉訳 太平社)
*「ムギと王さま」(ファージョン作 石井桃子訳 アーディゾーニ絵 岩波)
先日、美容院に行ったら、大泣きしている子が・・・お母さんに抱かれ、しゃくりあげながら「嫌だぁ」と泣いています。美容師さんも汗だく、抱いているお母さんも、もちろん、その子も汗だくになっています。3歳になるかならないかの女の子です。髪の毛も、そんなに多くなく、まだ、ショートカット以外はしたことがないと思えます。全員、大変そうでした。
うちの子3人は、ずいぶん大きくなるまで、私が散髪していました。3人とも散髪屋さんや美容院に通ったら、すごいコストになるので、3人同じ日に切っていました。さすがに、女の子たちは、高校生になると、親の下手さ加減にあきれ、髪を切らず伸ばし始めたと思います。長男などは、めんどう臭さも手伝って、高校生になっても、私が切っていました。そうやって、子どもが大きくなってきた頃は、私自身も、自分で切ったり、染めたりしていました。
長男が、高校卒業の日、スプレーで赤く部分染めをして式に臨んだら、日頃、真面目で通っていた彼でしたから、「君もそんなことするの?」と先生に言われたと、ちょっと嬉しそうでした。
流行のヘアスタイルとは、縁遠かったお母さんの散髪屋さんですが、誰も、大泣きしなかったのが幸いでした。
☆写真は、京都宇治三室戸寺の紫陽花
恥ずかしながら、ここ何年か前まで、有名なゲーテの、有名な「ファウスト」を、終わりまで読んだことがありませんでした。(今、映画やってますけど)
が、以下の繋がりで読めました。
もともと「詩」は好きで、その周りの本も読んでいましたが、集英社プリマーブックスという若者向けの新書に「詩への道しるべ」「詩に誘われて」(柴田翔)というのがあり、それを読んだことから、始まりました。
柴田翔といえば、若い頃、「されど、われらが日々――」という作品で芥川賞を受け、当時はその名前の「翔」という新鮮な響き、「されど」と始まる斬新な題、当時の学生たちの葛藤などの問題提起で、一世を風靡したのを覚えています。特に、「翔」という名前は、今では、ずいぶん多く、街で「翔くーん」と呼べば、何人か「はあ?」と答えてくれそうですが、かつては、新鮮でした。だから、「詩への道しるべ」「詩に誘われて」を手にした時も、あの若若しくフレッシュな柴田翔というイメージがありました。そしたら、なんと、この2冊出版時に、1935年生まれの彼は東大の独文の教授等を歴任して、今や、若者じゃない!
ともかくも、読み進んでいくと、授業内容から書きおろしているようで、読みやすい。特に、有名な作家の有名な翻訳に疑問を呈してみるところなんか、特に面白い。もしかしたら、この人のこの視点の翻訳で読むなら、読めるかも・・・と、柴田翔訳の「ファウスト」を読んだわけです。すると、すらすらと読めてしまった。しかも、ファウストの中に「ネズの木」(グリム)が出てきて、喜び倍増。知らなかった・・・
翻訳物は、出会いが大事です。まだまだ、読みたい古典や読了したい古典が目白押し。
*「詩への道しるべ」「詩に誘われて」(柴田翔著 集英社プリマーブックス)
*「ファウスト」(ゲーテ作 柴田翔訳 講談社文芸文庫)
☆ 写真は、京都宇治三室戸寺紫陽花 
「海時計職人ジョン・ハリソン」
(L・ボーデン文 片岡しのぶ訳 E.ブレグバッド絵 あすなろ書房)
副題に「船旅を変えたひとりの男の物語」とあります。
人々は、何百年もの間、現在地を知ることなく航海していたのである。18世紀、この男ジョン・ハリソンが出現するまでは・・・
不屈の精神で、ジョン・ハリソンがやり遂げたのは、航海中も誤差のない時計を作りだしたことでした。波で揺れしまう「振り子」のない時計です。一生をかけて作り上げたものは、海の波をかぶるより、世間の大波にもまれ、一筋縄では認められませんでしたが、その優れた考えは、今も時計の基礎となっています。
この絵本は、その丁寧で細かい描き方で、時計の細かい世界だけでなく、当時の英国の風景や風俗も描いていて、すみずみまで楽しめます。
巻末には「その後のお話」も記載されていて、その後の時計がどうなったかも示してくれます。そして、最後に、ジョン・ハリソンを支えてきた息子のウィリアム・ハリソンが1764年2月に経度評議委員会あてに書いた手紙の一文が載っています。
「すでにできている道をたどるよりも、道なきところに道をつくるほうがはるかにむずかしい、とはよく知られていることであります」
さて、この絵本のその後もあります。
今回の写真は、ジョン・ハリソンに敬意を表して、ケンブリッジ大学出身の現代の時計職人ジョン・テイラー氏が、巨費を投じて作った振り子のない時計です。ジョン・ハリソンが動く機械のことを考え始めるきっかけとなったのが、村の牧師さんの貸してくれたケンブリッジ大学の数学のノートだったことから考えても、振り子も針もない!この奇妙な時計が、ケンブリッジにあるのは、当然のことです。針は、金色の部分に刻まれた溝のところが青く光って時間を読む仕組みなっているそうです。この写真にも、なんとか写っています。(およそ12の位置と3のちょっと下。)また、上にいるバッタは、ジョン・ハリソンさんの開発したgrasshopper escapement(バッタ式調速機構?)に敬意を表しているようです。
法華寺の境内に、茅葺屋根の民家が移築され,「光月亭」として県の指定文化財になっています。その縁側で、お抹茶とお菓子をいただきました。かきつばたの描かれたお茶碗でした。
2時間足らずの参拝とお庭散策でしたが、その間、団体の方々が2組、どっと来られていました。友人と私は、団体とは反対方向に進み、十一面観音菩薩立像をゆっくり参拝し、庭をゆっくり歩きました。佐川美術館もそうでしたが、最近は、美術館もツアーに組み込まれていることがあるようですね。わがままなので、美術館や、庭園を、団体で行動するなんて、考えられません。好きな絵の前では、ゆっくり時間を取りたいし、好きな花の前では、ゆっくり匂いも嗅ぎたいし、あっちの木も見上げたい。確かに、ツアーだと、説明も聞けるし、効率的に動けるという利点もありますが、何もかも、欲張らずとも、いいのではと思うのです。
本堂の前の大きな菩提樹が、少し咲き始めていました。ほんの少しなのに、ああ、いい香り。蜂もさっそく来ていました。 
≪「阿修羅のジュエリー」から続き≫
「装飾する魂 ―日本の文様芸術」(鶴岡真弓著 平凡社)
(承前)
「阿修羅のジュエリー」のあと、本棚から引っぱりだして来て、「装飾する魂 ―日本の文様芸術」を読み返しました。1997年の第一刷りでこの本を持っていて、所々、鉛筆で線を引いている箇所がありますが、以前は、今よりさらに訳もわからず目を通していただけです。
本の初めの方に、こんなこと書いてありました。
≪日本人の視覚はその白の平面を「模様」として見ていた。無のような白を「模様」として見てしまう視力。これが極東の島国の目の特質の一つだと思える。無。最もないのが、最もある。≫・・・・・・むむむ、禅問答のようです。白の平面?むむむ・・・・この箇所を読んだなら、もうこの「装飾」の本全体を読まなくてもいいのじゃないか、と思ってしまいそうです。
以下は、最近のフラワープレゼントや花束から気づいたことです。
小さな箱にお菓子のように詰め込まれた薔薇の花とか、背丈をそろえ、色合いをそろえ、ぎゅっと縛られたブーケ様の花束とか、いつ見ても、息苦しそうで、花の美しさが半減しているとしか見えません。多分、フランス風であったり、西洋風ブーケといったりするのでしょう。
なんの手習いもなくても、背の高い花、細い枝と葉、伸び伸びとした緑、細かい花、小さい花、大きく開く花、香りのある花・・・それぞれを、花瓶や何か器に挿すだけで、全体も美しく、それぞれも生きます。着るものに、紫と黄色を並べたら、ちょっとびっくりするような、そんな補色関係でも、花だと互いが引き立て合い、自分も美しい。もちろん、同系色の花で揃えても、間に緑の葉や枝が入ることによって、アクセントになり、息苦しさのない美しいものに。そして、たった一輪の薔薇は、いわずもがな、一本のエノコログサを水に差すだけでも、一輪の美しさが。
花は、詰め込まれたり、ぎゅっと縛られたりするのでなく、花と花の隙間、緑と緑の隙間があってこそ、美しいと思うのです。こんな風に、「隙間」も花の一部と見てしまうのは、先の白の平面を「模様」と見てしまう視力と関係があるでしょうか。
すみずみまで油絵の具を塗り重ねる西洋絵画と、潔い線で描き切る余白の多い日本画。こちらは、どちらにも好きな作品があるけれど・・・。
≪「阿修羅像」から続き≫
「阿修羅のジュエリー」(鶴岡真弓著 イーストプレス)
(承前)
さて、そんな私の秘めた想いを、違う角度で楽しませてくれた本が「阿修羅のジュエリー」でした。
著者の鶴岡真弓氏の本は、かつて、「ケルト/装飾的思考」*「聖パトリック祭の夜 ケルト航海譚とジョイス変幻」*「ケルト美術への招待」*、また、氏が監修した「ケルト 生きている神話」*など、続けて読んでいた時期があって、久々に読む「阿修羅」の本は、どんなだろう?と、手にとったわけです。(氏は、「装飾する魂 日本の文様芸術」*という、日本の装飾についての本も書かれている美術史家です。)

「阿修羅のジュエリー」は、若者向きに書かれた本ゆえに、くだけた書き方や装丁、ふりがなのうち過ぎが、かえって読みにくい難点があるものの、一本の論文としても通用する充実の内容です。
東洋から西洋、花と光、ラヴェンナの皇妃テオドラと天平時代の光明皇后、ボッティチェッリの美しきシモネッタやモローのサロメ、ミッシャやフェルメール・・・きっと、今後、仏像を見るとき、絵画を見るとき、今までと違った見方もできるようになっていると思います。
そして、文中、「東洋への憧れ」の項の中で、筆者がこう仮説するのですが、こんな仮説は好きです。【阿修羅の合掌の手にも隙間があって、いままさに手を合わせようとしているポーズといわれているのですが、もしかしたら、阿修羅もなにかしら宝石を手で包み込んでいたのかもしれませんね。】
≪「装飾する魂」に続く≫
*「ケルト/装飾的思考」(ちくま書房)
*「聖パトリック祭の夜 ケルト航海譚とジョイス変幻」(岩波)
*「ケルト美術への招待」(ちくま新書)
*監修「ケルト 生きている神話」(フランク・ディレニー著 森野聡子訳 創元社)
*「装飾する魂 日本の文様芸術」(平凡社)
☆写真は、英国コッツウォルズ ケルト十字のそばにピンクの薔薇が咲いています。
若い頃、動かぬ「もの」を見て、初めて涙が出そうになったものが、奈良・興福寺、「阿修羅像」です。特に、正面の眉をひそめたあのお顔を見たときの、心の揺れは、今でも思い出すことができるくらいです。
「阿修羅像」と言うのは、「憤怒」を表す像なのに、怒りみなぎると言うより、憂いが満ちています。
「この人、哀しくなるくらい怒っている?」
「怒りを収めようとしている?」
「泣かんとって・・・・」
そのとき、阿修羅像が泣いたように見えたのです。
学生だったので、その写真集を買うのも大変だったはずですが、アイドルの写真をそばに置くのとほとんど同じ気持ちで、買い求め、今もそのモノクロの写真集は、そばにあります。
近年、像ができた頃(奈良時代)のお姿が復元され、今のお姿と異なる朱を中心に緑青・群青などの派手な色彩であるのを知っても、自分が見た「阿修羅像」とは、別物だと思っています。しかしながら、朱のものが、今のようなお姿になるということは、今まで、どれだけ長きにわたって、空気に触れ、人の手が当てられてきたのか。どれだけの祈りや願い、思い、といったものが、そこに在ったのか。有難いことです。≪「阿修羅のジュエリー」に続く≫
☆写真左は三田永沢寺の睡蓮、右は英国ヒドコットマナーの睡蓮。 

最近、オリンピックも近いということもあって、英国関連の番組が多くなっています。特にNHKのBSでは、毎日、なんらかの英国関連番組があって、日頃、「世界ふれあい街歩き」と「9時のニュース」くらいしかテレビを見ない者にとっては、けっこう忙しいです。英国映画あり、街紹介あり、ドキュメンタリーあり、音楽関連あり、美術関連あり、子ども向けあり・・・英国びいきとしては、見逃せないなぁ。
☆写真は、英国ロンドン、テムズ川にかかるタワーブリッジ。(撮影:&Co.H)
「かもさんおとおり」
(マックロスキー 渡辺茂男訳 福音館)
ボストン、チャールズ川の水辺のしげみのなかに気持ちのよい場所を見つけて巣を作ったのは、マラードさんご夫婦でした。
これまでも、「かもさんおとおり」の楽しさは、いろんなところで書いたり話したりしてきましたが、この絵本を初めて読んだ時から、40年たっても、いつも新鮮な気持ちで楽しめる1冊です。
末っ子のクワックが、いつも遅れて、気になる存在であるのは、相変わらずです。
実は、お母さんも、けっこう、注目なのです。
街を自慢げに歩いている時以外、一列に並んで歩いていたり、泳いだりするときのお母さんの目線は、常に、ちらりと後ろに流し眼です。やさしい視線の先には、子どもたち。お母さんの歩き方も、子どもたちのよちよち歩きとは違います。爪先から歩く、エレガントさ。
そして、「よるになると」と最後のページにあります。それまでと同じモノトーンの絵ながら、夜の帳を降ろした様子がよくわかります。橋の上につくガス灯のほんのりした明るさまで伝わってきます。
作者のマックロスキーは、実際にカモを飼い、つぶさに観察し、この絵本を作りました。ボストンの街や川や公園の池もずいぶんスケッチしたのでしょう。多分、街角の本屋さんもチャールズ通りの鍵屋さんも、そのままあったのでしょう。それで、もしかしたら、今もそこに見つけ出すことができるかもしれません。というのは、今回の池の写真でも、絵本が描かれた頃(1941年出版)と、大きく変わらない風景の写真が撮れているからです。この写真は、&Co.T1が2009年にボストンで撮ったものですが、池の大体どこに立って写真を撮ったか、絵本を見たらわかりそうです。マラードさん達の子孫も、うまい具合に写真におさまっています。