昨日は、古筆のお稽古の番外編でした。京都、東山の新緑美しく閑静な地域にある泉屋博古館(せんおくはくこかん)に、先生とご一緒させていただきました。住友コレクション「書を楽しむ―日本・中国書跡展」です。先生の解説付きなので、とても勉強になりました。
ポスターになっている書「伝紀貫之の“ゆふつくよ をくらの山になくしかの こゑのうちにや 秋はくるらむ”」などは、ポスターの写真と実物では少々印象がちがいます。この作品は、ポスターになるくらいですから、展覧会一押しの優雅な線が美しい書です。写真にすると、1000年前の平安期の書でも、はっきり・くっきりと写ります。ところが、実物は、とても小さいもので、その紙の持つ特質や紙の劣化も手伝い、また照明を落としていることもあって、はっきり・すっきりとは見えません。その分、書のもつ、柔らかく、たおやかな筆使いが伝わってきます。
先生はおっしゃいます。「印刷されたものと実物は、やっぱり違うねぇ。実物は、その人が軽く筆を持つ人かどうかも分かるし、緊張して書いているかどうかというのも伝わって来る」と。へぇー、そうなんだ。ふむふむ。
続けて、先生は、ご自身が「よし」とする書は、字体や書式を細かく見るより、見て「すがすがしい」印象を持つ作品だ、とおっしゃいました。なるほど!わかる!
初見では、まだまだほとんどまったく読めない文字たちではありますが、それぞれが持つ個性を楽しむことはできました。そして、どんな芸術も、本物に触れてこそ、喜びも大きいと感じたことでした。
☆写真は、泉屋博古館中庭から東山を望む
最近、不安定な天候の日が増え、急に天気が変わるということがあります。
昨日は、日傘をさして出掛けたものの、仕事に行く途中で、真っ暗な空になり、あとで聞いたら、仕事先のごく近くに落雷していたとか・・・で、夕方近く、ゴロゴロ・ガラガラという雨の中を帰宅し・・・と、日傘を持ちつつ、雷づいた一日でした。
実は、家の中で雷を見たり、聞いたりするのは、けっこう嫌いではありません。
以前の山の上の家では、稲光が、窓からよく見え、雷鳴と稲光の関係を冷静に受けとめることができました。山でしたから、近所に雷が落ちることもあって、地響きがしたり、ある時などは、ごく近くに落雷し、ご近所のクーラーやパソコンが壊れるといった事態に。うちはパソコンのモデムのところまでアウトになりました。
それで、海が山より近いこの住まいに移ってきたときは、「雷も見えないなぁ」などと、のんきなことを言っていたら、海に落ちる雷は多いそうな。しかも、2年ほど前、海辺の遊歩道をジョギングされていたご近所の方が、雷に打たれてお亡くなりになったという現実があって、さすがに、昨日のように、雷鳴とどろく時に、外を歩くのは、怖くなりました。
☆写真は、以前の山の家から見た雨上がりの虹。
先日、芹沢銈介(1895~1984)の型染めの展覧会に行きました。
琉球の紅型(びんがた)に影響を受けた作風は、明解で温かく、身近に置いておきたい、あるいは身につけたい作品が多かったです。日本の手仕事の「美」を見つけ出す民芸運動の柳宗悦に師事した芹沢の仕事は、斬新でモダンです。すっきりとしたそのデザインは、今も新鮮で古臭い感じがありません。
写真のポストカードは、「木」という漢字の中に、木の実をかじるリスと、フクロウと鳥などが型染めされています。この「木」の文字について、「芹沢銈介の文字絵・讃」(杉浦康平+芹沢長介 里文出版)の中で、こう書かれています。
≪木の文字には、沢山の鳥たちが集い、憩っている。蝶々さえも飛んでくる。こんもりと茂る木の姿が想い出される。・・・・・(中略)・・・・・漢字は自然の中から抽出され、自然の姿を写しとって産みだされた記号である。つまり、抽象性を持っている。だが、漢字は、その身振りにほんの少し手をかけて押しもどすと、いつでも自然の中に還りうる…という、「回帰する力」を隠しもつ。それを取り出して、漢字を絵の世界、自然の姿へと戻してみよう…。芹沢さんが、文字の姿をそのように捉えていることがよく分かると思います。≫
ブログを、短く端的に書くのは、なかなか難しいので、駄文が長くて嫌な時は、飛ばしてもらって、写真だけでも見てもらえれば幸いです。今日の写真は、101枚目。
その写真も、ここに載ると画像が小さいものの、原画像は、老眼にも優しく、綺麗です。
それで、時には、ちょっと嬉しいお申し出もあって、原画像を、メール添付で送ったら、「プリントアウトして文庫本カバーにする」とのこと。
☆写真は、英国バーンズリーハウスに咲いていた、つぼみが赤いピンクの薔薇
≪「アルノルフィーニ夫妻肖像」より続き≫
(承前)
さて、「アルノルフィーニ夫妻肖像」については、日本の中野京子も「怖い絵1~3」(朝日新聞社)の第二巻で書いています。かたやフィクションで、かたや、美術解説書という大きな違いはありますが、アイルランド人と日本人の視点の違いがあって、比べると面白かったです。中野京子が、男の顔のことについて紙面をさくほど、アイルランド人の詩人は、顔には重きをおいていません。反対に、「シャムロック・ティー」が解釈する、ベッドそばのドラゴンや聖人については、「怖い絵2」では、まったく触れていません。
あるいは、「怖い絵2」では、窓辺の1個のリンゴのことしか言及していませんが、「シャムロック・ティー」では、窓下のオレンジが、キーワードとなっているのです。というか、オレンジがなければ、この話も成り立たないくらい重要な役割を担っているのです。(「ウィトゲンシュタイン」に続く)
*ロンドン・ナショナルギャラリーThe National GalleryのHPで、この絵The Arnolfini Portraitの拡大図が出てくるので細部までよく見られます。
☆写真は、英国マーロー、民家屋根の上にドラゴン(ウェールズの象徴のレッドドラゴンと思われます)
≪「ローズ・ベルタン」から続き≫
(承前)
(写真は、英国クリブデン宮殿の天井画から、2014年夏にナショナルギャラリーで撮った「アルノルフィーニ夫妻の肖像」に差し替えました。)
閑話休題。
「琥珀捕り」がフェルメールなら、「シャムロック・ティー」のお話の骨は、ロンドン・ナショナルギャラリーにあるヤン・ファン・エイク(1390-1441)の「アルノルフィーニ夫妻の肖像」です。
タイトルだけでは、どんな絵かピンと来なくても、左に大きな黒い帽子をかぶり、黒い長い上着を着たかまきりみたいな顔の男の人、右には、緑のドレスの大きなふくらみに片手をそえた若い女の人。奥の壁には、丸い凸面鏡。そこには、二人の後ろ姿と、また別の人が映っています。二人の履物は転がっていて、二人の間には、犬がいて、左の窓辺には、リンゴ、窓の向こうには木になるサクランボ、窓の下には3つのオレンジ。頭の上のシャンデリアには、何故かろうそくが一本。右手のベッドや椅子の彫り物など、いわくゆえんがありそうな絵、です。
この謎めいた絵は、今までに専門家たちが、色々な解釈や、研究をしています。そんな中、キアラン・カーソンの「シャムロック・ティー」では、この絵が、あちらの世界に行く入口となります。「ナルニア国物語」*では、たんすの奥の奥に入っていったら、ナルニアに着きますが、「シャムロック・ティー」では、たんすの代わりに「アルノルフィーニ夫妻肖像」が、その入口になるのです。もちろん、幻覚剤としての「シャムロック・ティー」がなければなりませんが・・・(「ドラゴン」に続く)
*「ナルニア国シリーズ」(C.S.ルイス 瀬田貞二訳 岩波書店)
「ローズ・ベルタン -マリー・アントワネットのモード大臣― 」
(ミシェル・サポリ著 北浦春香訳 白水社)
≪シャムロック・ティーから続き≫
(承前)
「シャムロック・ティー」の100章分の色名のついた章題もさることながら、何でも色名をつけずにはいられない、マリー・アントワネット(1755~93)お抱えの服飾係りローズ・ベルタンが、名付けたこだわりの色名もちょっとびっくり。
≪「男のげんこつ」「ミドリゲンセイ」「カナリアの尾」「ロンドンの煙突の煤」「軽はずみな涙」「ヒキガエル」「ひそかなため息」「淡い硫黄色」「ニンフの太腿」「鳩の喉」「気どり屋の中身」「煙突掃除夫」「カルメル会修道女のバラ」といった色名があった。どの色も、さらにさまざまな色調に展開され、たとえば黄色は木、シャモア、黄金、栗、ナンキーン、オレンジがかった、ブーツの内側、錆、カナリア、キンセンカ、牝鹿の腹、緑がかった、など。緑ならば、淡い、キャベツ、水面、ローリエ、海の、ぼかした、インコ、ピスタチオ、りんご、春、ザクセン、アメリカ、イギリス、ガラス瓶、アヒルなど。≫
平民出身の一女性が、どうやって、マリー・アントワネットのお気に入りになり、当時のフランス上流階級女性の流行を生み出し、終わったか。マリー・アントワネットのファッションへの浪費三昧が、彼女を断頭台へと導く一端となり、その彼女の最期の衣装を用意したのが、このローズ・ベルタンだったという事実。
本の前半は、奇妙な流行を作り出すメカニズムとおバカな女たちを読んでいるのですが、後半は、マリー・アントワネットの最期が近づいても、彼女の元に通い、最後は自分自身も困窮していったローズ・ベルタンの運命に、今まで知らなかったフランス革命を読みました。
それにしても、いろんな色の名前があるものです。個人的には、日本の色の名付け方が好きですねぇ。東雲色、曙色、萌黄、鈍色、漆黒・・・・(「アルノルフィーニ夫妻肖像」に続く)
☆写真は、フランス ジヴェルニー モネの庭 (撮影:&Co.T2)
先日、気仙沼から届いた、山菜の「モミジガサ」(シドケともいうらしい)を、おすそ分けしてもらいました。検査結果に問題がなくても、風評被害で、御苦労がおありのようです。ここ阪神間では、すでに春の終わり、初夏という日々ですが、まだまだ東北地方は、春盛りなのでしょうか。
春の山菜は、香り高く、ちょっぴり苦く、濃い緑色は、栄養たっぷり。もう一度、春先を味わいました。おいしかった。ごちそうさまでした。
(承前)
さて、根津美術館のあと、おのぼりさんが日帰りできる場所にある美術館と言えば・・・
調べると、ブリヂストン美術館が、60周年記念展「あなたに見せたい絵があります展」をやっていました。
ブリヂストン美術館には行ったことがないし、テーマごとの展示というのに惹かれ、弾丸充実美術館二つ日帰りの旅のもう一つは、東京駅八重洲口に近い「ブリヂストン美術館」に行きました。
一人の画家の大規模な展覧会もそれはそれで魅力的ですが、テーマに沿って、同じ画家でもそのテーマ作品だけとか、いろんな芸術家ならテーマに沿ったそれぞれの作品を並べる、というテーマごとの展示は、イージーリスニングの音楽のような楽しみ方ができます。
今回の「あなたにみせたい絵があります展」は、自画像→肖像画→ヌード→モデル→レジャー→物語→山→川→海→静物→現代美術とテーマが続きます。セザンヌあり、ピカソあり、ルノアールあり、ドガあり、マティスあり、モネあり、クレーあり、藤田嗣治あり、青木繁あり、佐伯祐三あり・・・・・・・・・。
ピカソには元気をもらえるし、クレーは、やっぱりよかったし、しかも、材質まで近くで楽しめたし、そして、なんといっても、かのヴラマンクに会えました!うちにあるリトグラフのヴラマンクとは少々イメージが違いました。見る者の気持ちも明るくなるような色彩とタッチの絵で、弾丸充実美術館二つ日帰りの旅に大きなお土産をもらったような気分になりました。
それにしても、石橋正二郎コレクションから始まった、この収集の成果披露展示は、センスのいいものでした。腹八分の満足感で帰路につきました。ごちそうさまでした。
☆写真は、一番下に置いたポストカードから、ルオー「ピエロ」 ヴラマンクの「運河船」 ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」 安井曾太郎「薔薇」
センダックの「まどのそとのそのまたむこう」(脇明子訳 福音館)に、この写真みたいなシーンがありますね。
少し暗くなって、気温が下がったような気がして、専用メガネ買っておけばよかったなぁ・・・と、後悔して、外でわいわいやっていた子どもたちの声が聞こえなくなったと思ったら、いつもどおりの明るい朝に。

(承前)
圧巻の「燕子花図屏風」「八橋図屏風」展や、池端のカキツバタが終わっても、根津美術館の庭は、魅力的です。坂道の上に美術館があり、その斜面(谷)を利用した回遊できる庭園です。街の真ん中に、うっそうと緑があって、周りの喧騒がうそのような庭園です。この庭の魅力を高めているのは、庭のところどころにある石像です。大理石や金属製の立派なものではなく、素朴な石像だからこそ、出会うと、ほっとします。石と言う、無機質な素材でできた像なのに、なぜか温かい気持ちになります。少し歩いたら、優しい顔つきの石像が立っていたり座っていたり・・・
英国でも、石像のある庭園に行ったことがあります。日本の庭園のように濃い緑の中ではなく、芝や草花の間を歩くと、え?こんなところに居たの?と、石像がたたずんでいて和みます。
☆写真左は、根津美術館庭園の石像。右は英国コッツウォルズ バーンズリーハウスの石像とバラ。
(承前)
日本では、カキツバタはそろそろ花期が終わろうとしていますが、英国では、まだ綺麗に咲いていました。
というのは、英国のエリザベス女王即位60周年を祝う会に、天皇・皇后両陛下が出席され、そのときに、皇后陛下の着けていらした帯が、TVに映ってびっくり!金地に、カキツバタです。あの尾形光琳の「燕子花図」が、基にあることは間違いなさそうな帯でした。カキツバタ、英国で咲く。
☆写真は、クィーン・エリザベスという薔薇。
(承前)
近くの公園の黄菖蒲です。池に植わっていて、「八橋」みたいな板の橋がかかっています。
カキツバタじゃないけど、意図するところは、伊勢物語なのですね。
「キューピッドとプシケー」
(ウォルター・ペーター文 エロール・ル・カイン絵 柴鉄也訳 ほるぷ)
世にも美しいプシケーと彼女を愛するキューピッド、プシケーの美しさに嫉妬し、プシケーを追い詰めていく、キューピッドの母ヴィーナス。ギリシャ神話から続く、嫁姑問題とも言える話に、ル・カインの世紀末風妖しい曲線美が、魅力的な絵本です。あえて、モノクロの画面で、その情念の世界を表していると思います。デンマーク出身の画家、カイ・ニールセンや、英国の世紀末、夭折の画家オ―ブリー・ビアズリーを思い出させる画面です。
「プシケーは大地に倒れたまま、夫の飛び去る姿を見送り、嘆き悲しみました。そして、夫の姿がまったく見えなくなると、そばを流れていた川へ身を投げました。でも、川の流れはキューピッドのためにプシケーを傷つけることなく川岸へ優しく運び返したのです。」
・・・ラッキー!な命拾いをするプシケーですが、今度は、愛するキューピッドの姑のヴィーナスの無理難題から、逃れようと、また川の深みに身を投げようと考えます。・・・ところが、「身投げなんかしてこの川をよごしたりしないでくださいね。」と、川のアシに注意されるのです。そして、また難題。「あのけわしい山の頂が見えますね。あそこから流れ出る暗い川は黄泉の国をうるおし、やがては三途の川であるコキュタス川に合流します。さあ、行ってこの小さな壺にその源流をくんでらっしゃい。」・・・・ところが、岩の上に立ち、困り果てたプシケーには、またもや助っ人が・・・・
とまあ、見てはいけないことを2回も見てしまうし、かなりの意思の弱さの持ち主のプシケーながら、美しいということは、やっぱり、生まれつき、「持っている」のかなぁ・・・
最後は、ハッピーエンドです。「四季の神々が部屋をバラで飾ります。琴にあわせてアポロが歌を歌い、パンがアシ笛をかなでます。おや、ヴィーナスが美しい音楽にあわせて、かろやかに踊っています。こうして、りっぱな結婚式をしてもらい、プシケーはキューピッドの妻となりました。そして、このふたりから「喜び」という名前の娘が生まれました。」
☆写真は、パリ ルーブル美術館。キューピッドとプシケー像。

以前、オーデコロン類のサンプルをたくさんもらったことがあって、末娘とくんくんやっていました。さて、そんな娘が、たくさんある一つを嗅いで、「これ、おばあちゃんの匂いや!」と言いました。おばあちゃん、私の母は、2009年夏に亡くなっています。香水をつけていたのは、さらに、その数年前までだったと思います。長く母と暮らした私の妹に確認すると、「ああ、その銘柄 使ってた!」
末娘は言います。「おばあちゃんに抱きついたら、いい匂いがしてた。いろんな服やスカーフから、その匂いがしてた。おばあちゃん、元気でやってるかなぁ。」
今、その小さなサンプルは、おばあちゃんの写真の横に置いてあります。香りとともに、あっちでも、おしゃれで居てね。
☆写真左は、ベランダで咲いた「芳純」と言う名のバラ。芳純ないい香りで、某化粧品会社の原料にもなっているらしい。右は、英国ロンドン リージェントパークのバラ園のヴェルベットフレグランスという薔薇。これもとてもいい香り。はい、お鼻を そっと 近づけて、くんくんくん。
ドリトル先生やケストナーを読んでもらってゐたが・・・
「持ち重りする薔薇の花」 (丸谷才一 新潮社)
この本は、美しいメロディを奏でるカルテット(弦楽四重奏)の4人の演奏家たちが、演奏を離れると、なかなか調和よく行くとは限らないというのが主題です。それで、題名の「持ち重りのする薔薇の花」は、「薔薇の花束を一人ならともかく4人で持つのは面倒で、厄介、持ちにくい・・・つまり、薔薇の花束も見かけよりずっと持ち重りしそう」というところから来ています。
その中、経済界では名前の知れた梶井は、中軸のような役回りで登場します。そして、その再婚相手のアヤメは、60歳になるまでに、アルツハイマー症を発症します。そこで、
「はじめのうちはヘルパーや梶井にドリトル先生やケストナーを読んでもらってゐたが、やがてDVDやCDで音楽を聴くのも稀になり、テレビを見るだけになった。・・・」と、ありました。
ドリトル先生!ケストナー!おお、この両シリーズは、私の小学校のときの愛読書です。どちらも、小学生には、興味津津の題名がついています。特にケストナーシリーズは、五月三十五日、エーミールと三人のふたご、点子ちゃんとアントン、飛ぶ教室・・・と、初めて目にしたら、え?と思うような題名です。ドリトル先生には、一度聴いたら、一生の友人になるようなネーミングの登場人物たち。オシツオサレツ、ダブダブ、ガブガブ・・・・
子どもの頃に読み、子育ての頃、自分の子どもに読み、そして、最後は、誰かに読んでもらう・・・人生で3回以上、楽しめるシリーズなんですね。
*ドリトル先生物語シリーズ ヒュー・ロフティング文・絵 (井伏鱒二訳)岩波
*ケストナー少年文学全集 ケストナー文 トリヤー他絵(高橋健二訳)岩波
日経新聞の「おうちで理科」(2012年4月28日)という若い人向けの記事を見て、びっくり。上記写真のタンポポの綿毛入りペーパーウェイトの謎に、近づいたからです。
写真のペーパーウェイトは、英国キューガーデンで購入しました。本物のふわふわの綿毛が見事に、樹脂の中に入っているのです。どうやって作ったんだろう?と、このペーパーウェイトを手にした人は誰しも、首をかしげます。
新聞には写真入りで「綿ぼうしを容器に入れるには・・・」
①咲き終わったタンポポのくきを、適当な長さに切る。
②発泡スチロール片に針金を刺し、裏に両面テープをはる。
③針金の先を、タンポポの茎に差し込む。
④竹ぐしを使って容器に入れる。
⑤両面テープで底に固定する。
⑥綿毛が広がるまでは容器のふたを閉めない。数日で完成。
・・・・とありました。もちろん、写真のペーパーウェイトは、新聞記事のように入れ物の中の空間にあるわけでなく、樹脂で固定されていますから、謎が100%とけたわけではありませんが、美しく広がるタンポポの綿毛をそのまま、ゆっくり見ていたい人が、結構、いるんだと楽しくなりました。
大変なことに気づきました。
センダックの“Really Rosie”も“Lullabies and Night Songs”も、カセットテープで持っているのですが、聴こうと思っても、引っ越しのときデッキを処分してしまった!ああ!どこかでCDに変換してもらわねば・・・2本とも、子どもたちと、よく聴いていた時期があって、今でもしっかり耳に残っていると言うのに・・・
キャロル・キングの歌う“Really Rosie”は、Very Very Good!
“Really Rosie”は「ロージーちゃんのひみつ」(中村妙子訳 偕成社)のロージーと「ちいさな ちいさな えほんばこ」(神宮輝夫訳 冨山房)の子どもたちが出演するアニメーションで歌われたものです。
“Lullabies and Night Songs”は、子守歌中心なので、全体が穏やか、そして、美しい声。
また、“Lullabies and Night Songs”の絵本は、大判で綺麗な楽譜絵本です。紙面が真っ白でなく、触った時につるんとしていず、文字だけでなく音符までも書き文字であることもあって、すみずみまで温かいものを感じられる丁寧な作りの絵本です。画家と作者(作曲家)と編集者の3者の想いが伝わります。トラディショナルな歌を中心に、ブレイク、テニスン、スティーブンソン、ファージョン、キップリング、デ・ラ・メア等の詩にも、曲がついています。(アレック・ワイルダー作曲)
このテープのほかに、センダックが舞台美術に関わった、「ヘンゼルとグレーテル」と「グラインドボーンの5つのオペラ≪かいじゅうたちのいるところ≫≪へへへん、ふふふん、ぽん!≫≪3つのオレンジへの恋≫≪子どもと魔法≫≪スペインの時≫」は、 DVDで持っているので、当分、慌てず楽しめるはず。センダックが、絵本とともに、大きく力を注いだ舞台音楽を聴きながら、彼が残した大きなものを偲びたいと思います。
追記:沼辺信一さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」に「センダック追悼音楽会」の文章が書かれているので、ぜひ、ぜひ、クリックしてみてください。
(追伸)Where the Wild Things Are
夜中に、急いで先の文章をUPし、息子の次のメールに気付いたのは、寝る前でした。そこには、「これくらい充実しかつ涙を誘う死亡記事を載せられるニューヨークタイムズはさすがですね」とありました。え?そうなの?
ということで、朝、ワードに移し替えプリントアウトしたら、何と7ページにもなる長文の、確かに充実の記事でした。そこには、9月に“Bumble- Ardy”という豚さんの絵本が出たことや、“My brother’s Book”という詩と絵の本が、来年2月に出版予定であることも書かれていました。
「おねがい、いかないで。おれたちは たべちゃいたいほど おまえが すきなんだ。たべてやるから いかないで。」
Where the Wild Things Are
珍しく息子からメールが来たと思ったら、ニューヨークタイムズのブックス欄のURLが。
「センダックが83歳で亡くなった」とありました。
「かいじゅうたちのいるところ」のセンダックです。
子どもたちと、どれだけ楽しませてもらったかわからない「かいじゅうたちのいるところ」の作者センダックです。
私が細々と今も絵本の世界を楽しんでいるのは、この「かいじゅうたちのいるところ」と出会ったからにほかなりません。
センダックの作品の思い出を語るには急すぎて、言葉が足りませんが、ごく最近の話を。
私が学生のときにまず購入したのは、「かいじゅうたちのいるところ」(富山房・神宮輝夫訳)ではなく、ウエザヒル出版社から出版され、その編集委員が訳した「いるいるおばけがすんでいる」でした。
特に、3人の子どもたちのうち、長男には、この「いるいるおばけがすんでいる」をよく読んでやっていました。それも、まだ若かった父親が。
時を経て・・・先日BSで「かいじゅうたちのいるところ」の映画をやっていたとき、お風呂からあがった、かつて若かった父親が、遠くに後ろを向いた、かいじゅうが一人いるだけの画面を見て「いるいるおばけがすんでいる」や。・・・と一言。
今は絵本と無縁の父親の心にも、あのかいじゅうたちが住んでいたのがわかった瞬間でした。
センダックは、
“1しゅうかんすぎ、2しゅうかんすぎ、ひとつき ふたつき ひがたって、1ねんと 1にち こうかいすると、かいじゅうたちの いるところ ”に旅立ったのですね。
☆写真は、米国メイン州海岸(撮影&Co.T1)
もしかしたら、骨折の治療方法は、人類始まって以来、大きく変わっていないのでは・・・
添え木を当てたり、ギブスで固定したり、骨がくっつくのを待つ。多分、昔よりギブスの性能がよくなり、何らかの外科的施行や、最近は、超音波で回復を早めるという方法もあるらしいけど、やはり基本的には、人間の治癒力頼りの固定第一。それに、ギブスをしたままの状態では、小さな傷からでも「バイ菌」が入るということもあって、侮れません。
ということで、2本松葉杖生活1か月余、バイ菌と戦い点滴に通うこと半月の夫も、そろーり二足歩行に。まだ腫れていて、かかとを支えるベルトを着けていますが、とりあえず、松葉杖よ、さようなら。力をいれずに、もうひと踏ん張り。お疲れ様。その奥様も少なからずお疲れ様。
☆写真は、英国コッツウォルズ キフツゲート・コート 左側、緑の通路に老夫婦が仲良く並んで歩いています。
プール(ジム)に通っているのですが、そこで、最近お話したおばあちゃんは、なんと89歳。お顔の色つやもよく、しゃきっとしていて、まったくそのお歳には見えません。しかも、足の指には、赤いネイル。
以下は、湯船につかって、裸の会話。
「あら、貴女、泳いできたの?私は、最近、腰が悪くてね。泳ぐのはやめて、もっぱら、水中ウォーク。もうすぐ89歳だから、無理しないのよ。」
「ええっ!そのお歳に見えません。何かやってこられたのですか?」
「昭和30年からずっと続けたのは、ゴルフ。昔はね、今みたいにカートで移動じゃなかったから、歩く、歩く。80歳になって、車の運転をやめたから、プールへの道のり20分も一度も休まず歩いているのよ。他には、特別なことを何もしてないの。ただ、歩いて、こうやってジムのお風呂でゆっくりするだけ。100歳くらいになったら、長患いしないで逝けるらしいから、もうひと踏ん張り。」
「ははあ。」
むむむ、まだまだや!今日は、私の誕生日。
☆写真は、英国バースのローマンバス (バースは、お風呂の語源です) 
新緑が綺麗な5月。山笑い、街の緑も笑っています。