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みんなみすべくきたすべく

読者は続くよ どこまでも

恐竜13
 あとさきになりましたが、昨日の若い読者のための『種の起源』 「入門 生物学」≫(チャールズ・ダーウィン レベッカ・ステフォフ編著 鳥見真生訳 あすなろ書房)➡➡より先に手にしていたのは、絵本『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)でした。

 というのは、この絵本の装丁の美しさもさることながら、内容の興味深さもさることながら、一番の興味は福岡伸一訳だったからです。かつて、この学者は、フェルメールの研究者だと思ていたくらい、フェルメールの著作などもある生物学者です。

というのも、「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン作 いしいももこ訳 まなべまこと監修 岩波)が改訂版で出たとき➡➡、その改訂監修者の真鍋真が書いた「深読み!絵本『せいめいのれきし』」(岩波科学ライブラリー)➡➡のあとがきの中で、こんなことが書いていました。

≪・・・どこまでが恐竜かどこからが鳥類か境界線が引けないくらい連続的な進化があったことがわかってきたことを、福岡伸一さんとお話したことがありました。恐竜から鳥類への進化は「世界は分けてもわからない」という福岡さんのメインメッセージにぴったり当てはまる事例です。先日、福岡さんもこの本(「せいめいのれきし」)が大好きな少年だったことがわかりました。福岡さんのお気に入りのページは大きな竜脚類が闊歩していたジュラ紀だったそうです。福岡さんに「バージニア・リー・バートンさん、石井桃子さんと一緒に名前が並んでいる真鍋さんがうらやましい」と言われて、とんでもないことをしてしまったと気がつきました(気がつくのが遅い!)・・・≫

 ということは、この『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』の表紙、ダーウィンという名前のタイトルの下、福岡伸一訳とあるのは、きっと、ご自分にとっても、誇らしい気持ちだったでしょうし、真鍋真氏からみたら、羨ましい・・・だったかもしれません。(続く)

☆写真は、英国 自然史博物館

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ねずみのおよめさん

ねずみのよめいりj
 今度は瀬田貞二再話ではなく、小野かおる再話・画のものです。「ねずみのおよめさん」(小野かおる再話・画  福音館)
 
 子どものいない鼠夫婦の家に生まれた、大事な娘鼠。嫁にやるには、ネズミの嫁さんじゃもったいない。せかいいち偉い人に婿さんになってもらおう・・・ということで、おひさんに白羽の矢が。ところが、おひさんは、雲さんが一番偉いというので、雲さんの元に。すると、今度は風さんが偉い。次は、壁さん、その次は、壁をかじることのできるネズミさん。

 ということで、
≪ほう、せかいで いちばん えらいのは ねずみだったのか。まあ、せかいで いちばん つよいのは ねずみだったのね と おおよろこび≫
≪そこで ねずみのむすめは、となりまちの わかものねずみのところに およめいり≫

めでたいお話です。写真のページは、めでたいと口に出さずとも、鯛が描かれるだけで伝わります。
ただ、この絵を、違う文化の人が見ても、お祝いに鯛、めでたいから鯛などと分からないんだろうと思います。ということは、もしかして、ひょっとして、いずれ、日本の子どもたちも、この絵のめでたさが伝わらない日が来るとしたら、どうしましょ?
将来、こんな文化、こんな洒落や粋なこと、その他、色々、伝わっていきますように。

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おんちょろちょろ

おんちょろちょj
「おんちょろちょろ」(瀬田貞二再話 梶山俊夫画 福音館)
「さてさて、きょうのおはなしは・・・・」( 瀬田貞二再話・訳 野見山響子画 福音館)


「ねずみじょうど」➡➡は、瀬田貞二再話で、絵本にも、「さて さて、きょうの おはなしは・・・」にも入っていましたが、「おんちょろ おんちょろ」も、同様。

 道に迷った男の子が、山のふもとの一軒家で世話になる事になるものの、お寺の小僧さんと勘違いされ、お経を唱えることに。
 そこに現れたのが、ネズミ。そこで、「おんちょろちょろ 出てこられそろ」「おんちょろちょろ のぞきもうされそうろ」などと、唱えたものですから、小僧さんが出て行った後も、その家のおじいさんおばあさんは、その言葉を唱えます。そんなおり、3人の泥棒が、やってきます。
 3人の泥棒たちは、そのお経を聞き、自分たちが入りこもうとしているのが見破られたと震えあがり、逃げていったというお話。こればっかり。

 この最後の件のところで、ちょっと、思い出すのは、ブレーメンの音楽隊➡➡じゃないですか?ブレーメンの方は、ニワトリ、猫、犬、ロバが、力を合わせて泥棒を追い払うのでしたが・・・

☆写真の絵は、ネズミがちょろりと走り出て、かねたたきのバチをたおしたところ。その時、男の子が唱えたのが、「おんちょろちょろ、ばちあたりそろ」
追記:瀬田貞二再話で梶山俊夫画という本は、まだありました。瀬川康男と二人で画を描いています。「日本のむかしばなし」(瀬田貞二文 瀬川康男、梶山俊夫画 のら社)の「ねずみのすもう」です。

≪びんぼうな家のやせネズミと長者どんのところのこえネズミが相撲をとるのですが、貧乏な家のやせネズミは、負けてばかり。そこで、じいさんとばあさんが、餅を作り用意してやると、ついに長者のところのこえネズミに勝つのです。こえネズミは、その秘訣を聞き、自分にもお餅を作ってもらい、二匹は互角に戦えるようになる。そして、そのお礼に長者の家のぜに金を毎日もってくるようになって、じいさんもばあさんも、ずいぶん金持ちに。≫

・・・うーん、わかりやすい話とはいえ、個人的には、いくら長者どんのところのお金でも、ずっと持ってくるのは、泥棒じゃないの・・・・と、思ってしまいます。・・・悪徳長者なんだろうか?

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まご ひこ やさご すえの すえまで

 ねずみじょうどjj
 次は、草子ほど長くない昔話「ねずみじょうど」。
 貧乏なお爺さんが、ころがったそばもちを追いかけて行ったら、ねずみの住む穴に。目をつぶってねずみのしっぽを握って、着いた先では、ねずみたちが大歓迎。ねずみの黄金をどっさりお土産に持って帰ると、となりの目腐れ爺さんも、真似して、ネズミ穴に。ところが、ねずみたちの歌の最中にねこの鳴きまねをしたものですから・・・・もぐらになっちゃった。

 瀬田貞二再話の「ねずみじょうど」では、ねずみが言います。
≪じいさん じいさん ただいまは、けっこうなごちそうをありがとさん。なんにもないけど、ちょっくらうちへよってくだされや。それ まなこをつむって、このしっぽにしっかりつかまって、な。」と、ねずみごえでいいました。

 ねずみごえって!! 「ねずみは いいました。」ではなく、「ねずみごえで いいました。」 聞いているそれぞれの頭で、いろんな声が聞こえてくるじゃありませんか。

 それに、ねずみたちが歓迎に歌う歌、ちょっとめでたく、お正月にぴったり。
♪ねずみのじょうど ねこさえ いなけりゃ このよは ごくらく とんとんとん 
まご ひこ やさご すえの すえまで ねこのこえ きくめぇ とんとん ♪

 それにしても、もぐらになった めくされ爺さんも、よりによって、にゃーおなんて言わなければ、よかったのに・・・
 とっぴんはらいのぴい・・・ですね。

「ねずみじょうど」(瀬田貞二再話 丸木位里絵 福音館)
(「さてさて、きょうのおはなしは・・・・」 瀬田貞二再話・訳 野見山響子画 福音館)

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ねずみのおはなし

      鼠年j

 2020年は、子年。ねずみの年・・・ということで、今年は、ねずみの絵本を探そう。2019年のイノシシよりは、たくさんあります。

 とはいえ、ねずみは、いろんな絵本に、ちょい役として登場するものの、主人公となって大活躍は、犬や猫に較べて少ないかもしれない。犬や猫が、家族の一員となって、身近な存在であることに較べ、ねずみは、多くの世界で嫌われものとして、生きながらえて来たことに関係している?
 また、ライオンや象などは、強い、大きい・・・と、絵本に登場することも多いのに比べ、ねずみはどうだろう?
 身体が小さいねずみは、可愛いということにもつながることもあるけれど。

 が、しかし、ねずみは、小さいながらもなかなかの知恵者であり、家族が多く家内繁栄を象徴することもあって、ねずみの小さな力を借り、成功に導かれる、幸せに近づく、といった話は、けっこうあります。

 特に、日本の昔からの話に、鼠が登場するのは、ペットとして身近ではないものの、ごく身近に――壁一枚のところに、住んでいて、昔話の基本である、虐げられている者、弱い者、貧しい者の代弁者として、ねずみを描いているのではないだろうか。(続く)

☆写真後ろは、鼠草子(サントリ―美術館) ➡➡ 写真前は、グリーンノウのねずみ。「まぼろしの子どもたち」(ボストン作 瀬田貞二訳 堀内誠一絵 偕成社文庫)「グリーンノウの子どもたち」(ルーシー・M・ボストン作 ピーター・ボストン絵 亀井俊介訳 評論社)

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もりのおくのクリスマスツリー

もりのおくのクリスマスツリー

 30年以上、クリスマス絵本の会を続けていると、質のいい新刊・復刊が、たくさんあって、用意するのに困る年もあれば、え?たったこれだけ?復刊もしないの?と、残念な年があります。今年が、その年でした。

 毎年のように、紹介し続けている「クリスマスイブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン 矢川澄子訳 ほるぷ)のような、静かに心に迫るクリスマスストーリーとは、違った角度で、クリスマスツリーを見たのが、この「もりのおくのクリスマスツリー」(ユーヴァル・ゾマー 石津ちひろ訳 ほるぷ)
 クリスマスツリー(モミの木)を中心の題材としたクリスマス絵本・読み物は多く、その中の新人がこの「もりのおくのクリスマスツリー」です。

 絵がイラストタッチなのは、最近ありがちな風潮です。が、自然の描写は、子どもたちに親しみやすいものです。ストーリーもわかりやすい。

≪ぼくは いっぽんの き・・・・ここに じっと たっている。≫と、この絵本は始まります。傾いているこの木は、なかなか背が伸びず、季節がめぐって、他の木がクリスマスツリーとして、居なくなって、ひとりぼっちになって・・・
 そして、最後、≪あめや かぜや ゆきや おひさまの おかげで だんだん おおきく なっていく。いつだって、ぼくは みどりいろ。ぼくは いっぽんの き・・・・ ここに じっと たっている。≫で、終わります。

 四季を表現した絵は、どれも美しい。大仰な表現でなく、子どもたちにも伝わりやすい馴染みやすい絵です。
 ページの隅々に登場する、鳥や、森の生きものも、いいなぁと思っていたら、この画家、自然科学の絵本、動物や昆虫の絵本も手掛けている人だった・・・(続く) 

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アーサー・ラッカムの真夏の夜の夢

ラッカムj
(承前)
  岩波少年文庫の「シェイクスピア物語」)(矢川澄子訳)にはラッカムの挿絵がついていますが、話一つに一つの挿絵。(1899年のものには11の線画、1909年の改訂版には12のカラー絵がついたようなので、岩波少年文庫は、ラムの文章自体は1807年のものですが、ラッカムの挿絵本は1899年のものだと思われます。)

 ところが、新書館の出版には、シェイクピアの「真夏の夜の夢」(伊東杏里訳)で、ラッカムの挿絵がたっぷり入ったものがあります。 あとがき【『真夏の夜の夢』を描いた絵師】(荒俣宏)によると、ラッカム自身、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の作品をいたく、気に入り、挿絵たっぷりのもの(カラー絵40枚線画34枚)を1908年に出版したようです。(1939年にも限定のものも出したとあります。)

 このラッカム絵を充分楽しめる、「真夏の夜の夢」は、シェイクピピア原作のようにト書きや台詞ではなく、散文ですので、臨場感が違うものの、もしかしたら、台本のような作品が苦手な向きは、この方が読みやすいと思われます。

☆写真右;岩波少年文庫「シェイクスピア物語」(矢川澄子訳)の真夏の夜の夢。写真左;ラッカム挿絵の「真夏の夜の夢」(伊東杏里訳 新書館)

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メインの海

うみべのあさj
(承前)
 本が本を呼ぶ・・・文学の楽しのみ方の一つだと思います。映画を見て原作を読むのも、その一つだし➡➡、面白かった作家のべつの作品を探すのも、その一つ➡➡。もちろん、書店の溢れかえる本棚の前で、ワクワクするのも、その一つ➡➡。などなど。

 それで、「とんがりモミの木の郷ー他五篇」(セアラ・オーン・ジュエット作 河島弘美訳 岩波文庫)➡➡を読んでいて思いだしたのが、「海べのあさ」(マックロスキー作 石井桃子訳 岩波)の最後のシーン。 「ハマグリのスープが できてるのよ!」というサリーの声まで聞こえました。
 
≪ ある朝、歯がぐらぐらしているサリーは、すでに海岸でハマグリを掘っているお父さんのところに行く途中で、魚をつかんで飛んでいるミサゴに「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」というものの、ミサゴは返事もしないで飛んで行ってしまい、次に水際近くのアビにも「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」また、次には、アザラシにも「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」
ついには、浜辺にいたお父さんに「パパ、あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」
 それで、お父さんと話しながらハマグリを探しているうちに「あれ?」・・・≫

 歯が抜けるような時期の子どもと一緒に楽しんでほしい1冊です。黒に近いダークブルー一色で描かれた絵本は、海の青さ メインの森の深い緑が、伝わってきます。そして、サリーとジェインの動きの可愛らしいこと、子どもを、よく知る目がこの作品を描いたと言えます。

 加えて、このサリーとジェインが大きくなって、絵本「すばらしいとき」(マックロスキー文・絵 わたなべしげお訳 福音館)➡➡に再登場し、またメインの海辺が見られたとき、そして、その「すばらしいとき」に描かれた大事なことに出会ったとき、ますます、マックロスキーの絵本の虜になるでしょう。
 
 そして、次には、やはりメインの海で書かれたレイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」「沈黙の春」という読書につながっていく。

*「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 佑学社 新潮社)
*「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹 簗一訳 新潮文庫)

       うみべのあさjj
☆写真上は、アメリカ合衆国メイン州(撮影:&CO,T1)
 

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つながっている

すばらしいときj
(承前)
 「とんがりモミの木の郷ー他五篇」(セアラ・オーン・ジュエット作 河島弘美訳 岩波文庫)➡➡を読んで、シェイクスピアを思い出す人も居るでしょう。また、カ・リ・リ・ロのように、マックロスキーの絵本を思い起こす者もいるでしょう。あるいは、遠く、メインの海を思い浮かべたり、故郷の海を浮かべたり、千差万別。
 文学が、文学を呼び、文学が芸術全般につながり、文学が科学につながっていく。・・・・だから、文学は広く深く、続いているのです。
 
 何か、結果が出るから、文学に近づく。という考えが間違っていると思っています。
 絵本を、子どもに読んだからと言って、子どもがその本を好きになると限らないし、ましてや、絵本の読み聞かせが本好き、あるいは、国語力につながるなどと、考えたこともありません。ずっと、楽しみを分かち合うために、絵本を子どもと楽しんできたし、今は、学生たちとも楽しんでいるつもりです。(優れた絵本を、文学の第一歩と捉えない人は、論外です。)

 読書感想文という評価対象の課題をこなそうとするから、夏休みの本読みがしんどいものになるだろうし、いい感想文を書くための読み方になるかもしれない。
  国語の授業で、先生が気にいる答えが出せる人が優等生で、ただ、面白かったと思っている人は、その作品がわかっていないってことに、なるかもしれない。
 入試問題に文学作品を載せても、その作家自身は、その設問に答えられないこともある、などなど・・・

 評価の対象ではなく 国語の教科書にある文学作品は、文学への手引きとなればいい。
 が、しかし、その手引き書が大学入試に関係ないから、採点が難しいから…等と、遠ざけていくのは、まったくもって、違っている。(続く)

☆写真上は「すばらしいとき」(マックロスキー わたなべしげお訳 福音館)
➡➡

写真下は、アメリカ合衆国 メインの海辺近く。10年ほど前に、長男が行ったときの写真です。知らない人が見たら、ただの倒木の根っこの写真ですが、長男には、多分、絵本「すばらしいとき」の絵が重なったに違いありません。
    すばらしいときjj

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にぐるまひいて

にぐるま1

 シャトーデーの切り絵美術館、民俗博物館を見ていると、かつて、横長絵本で紹介した➡➡「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)を思い出します。
にぐるま3

道具7
  舞台はアメリカ北東海岸(ポーツマス近郊)で、スイスではないものの、雪深い冬の様子は同じ。また、手作りの生活も同じ。生きるという毎日を彩る自然。必要な道具があって、生きるにつながる。現代の 便利で、有害なものを生む生活を、時々、立ち止まって考えるきっかけになる絵本なのですが、そんなこと、子どもは、伺い知りません。

 横長の絵本は、お父さんが出かける距離を表現し、遠くから無事帰ってくる時間を表現し、一年を通じた美しい自然を楽しませてくれる絵本です。そして、お土産には、美味しいものと、娘には、刺繍針、息子にはバーロウナイフという片刃の大型ナイフ。あとのシーンで、子どもたちが、それらを使っている絵が描かれています。その作品も。
 大きくなりたいと切望している子どもたちにとって、この素朴ながらも、充実した一年があって、成長していくことを伝える絵本だと思います。
にぐるま2

シャトー9
 だらだら書いているうちに、夏のスイス話も いつのまにか、秋になりました。もう、あと少しスイス話続きます。

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