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みんなみすべくきたすべく

栗のパスタ

ウルスリ21
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
(承前)
 絵本「ウルスリとすず」で、ウルスリが大きな鈴をっ持ち帰り、鈴の行列の先頭に立ちます。そのあと、お父さんお母さんと食べたのが、蒸した栗でした。上には、生クリームがたっぷり、かかっていました。
 最後の絵は、件の大きな鈴を椅子に置いて家族でウルスリの話を聞いています。テーブルの上には、山もりの蒸した栗、それぞれのお皿に取り分けた蒸した栗、あとは、パンとオレンジ(?)が置かれています。つまり、栗は、ごちそうだとも言えましょう。

栗のパスタj

 さて、「黒い兄弟」の舞台、ソノーニョ村➡➡は、冬場は厳しい自然と岩場の狭い土地でしたが、そんな場所で見つけたのが栗のパスタ類でした。小麦がたくさん育つような場所ではありませんから、当然、たくさん収穫できる栗は、主食となっていたのでしょう。日本でも、縄文時代は、どんぐりを食べていたようですから。

 それで、日本に持ち帰り、食べてみましたよ。ほんのり甘い栗の味。ソースの味付けを気にすることなく、簡単にオリーブオイルやチーズをかけただけでも、美味しいです。また、小麦粉のパスタなどのような こしのあるものではないものの、最近、パスタが胸につかえるような感じのするカ・リ・リ・ロには、ぴったり。日本でも、売ってないか、探してみようっと。

 ちなみに写真上 右後ろに写るのは、ウルスリのエンガディン地方でもなく、黒い兄弟のティチーノ州でもなく、レマン湖畔ヴォー州で取れた黒いキノコをハーブの酢漬けにしたもの。手前の栗のパスタに混ぜて食べました。美味しいに決まってる!

 写真下は、同じくヴォー州シャトー・デーのお店に売っていた乾燥キノコですが、上記、壜詰めのキノコは、お店のおじさんの家族で森に取りに行ったものだと、胸を張って教えてくれました。だから、手書きのラベルにリサイクルの瓶。

 蛇足ながら、これで、思い出したのが絵本「うたこさんのおかいもの」(ディック・ブルーナ―文絵 松岡享子訳 福音館)。この中で、市場のきのこうりのおじさんが、≪この きのこは おれが じぶんで みつけて とってきたんだぞ」と たいそう ごじまん≫の箇所。

きのこj

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山に響いたのは・・・

ウルスリ12
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
(承前)
 ウルスリ詣での山には、ウルスリが渡った釣り橋を模したものも途中にありました。先の5歳くらいの男の子が渡っていきました。
 落ちても平気なところにかかっているので、揺れるのを楽しむのです。次は我々夫婦。(そこを通らずとも行けますけど)
 ♪ ビョンビョンビョン♪

 さて、次は、小学生低学年くらいの女の子二人。♪ ビョンビョンビョン♪
 あれ、行きつ戻りつしています。♪ ビョンビョンビョン♪
ウルスリ19

すると、聞こえてきました。彼女たちの歌声♪♪♪
モーツアルトの「魔笛」夜の女王のアリア!の有名な、コロラトゥーラの部分!!
繰り返し、繰り返し・・・
楽しくて♪ ビョンビョンビョン♪が、モーツアルトの「夜の女王のアリア」だなんて!
ウルスリ30

そして、蛇足です。孫たちが9月に入って、10日余り、うちから保育所に通うことがありました。そのときに、この「夜の女王のアリア」を何度か聴きました。あの山で出会った小学生の女の子のようなしっかりしたメロディではありませんが、3歳の孫は、タタタタタタタタターン♪などと歌いながら、ソファの上を ピョンピョンピョン♪・・・・ん?このアリアって、子どもたちを飛び跳ねたくさせる魔力を持っているんだ!!!

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ウルスリ詣で

ウルスリ山1
(承前)
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波) 
 ウルスリが、大きな鈴を取りに行った山は、村から一気に登っていきます。が、今は、おおよその順路がつけられ、子どもも登れる工夫がされています。ウルスリが行った山小屋や吊り橋は、もっと奥にあったと思われますが、ともかく、ウルスリ気分で、山を一周できるよう、木製の遊具が、随所にありました。次の遊具を目ざして、急な山道を登っていくという形です。 
 実際、我々の前を歩いていたのは、ジイジとバアバに連れられた5歳くらいの男の子。どんどん、先に歩いていきますが、遊具のところで、少し遊んでいるうちに、大人が追い付いてくるという形です。スイスでの山には(いわゆる名峰登山は知りませんが)、必ず、標識あるいは、石に赤ペンキで、印が入れられ、天候に問題がなければ、初心者でも、子どもでも迷うことはありません。
ウルスリ11

ウルスリ122
男の子が絵合わせの裏見てます。

ウルスリ12
鈴の一番大きいものはどーれ?

ウルスリ14
男の子のジイジが、こうやって、歩くんだよと、教えてるところ。
ウルスリ15

ウルスリ16
模造の山小屋ですが、ドアの上の部分が開き、裏手に回れば屋根裏まで登れます。男の子は、今からドアの上部を開けて、ジイジ!バアバ!と言ってました。
 さて、ここから下りになり、以下のような大きな立体絵合わせが、随所に置かれています。
ウルスリ17
      ウルスリ16
 で、最後は、「ただいまぁ!」のウルスリの家のドア。もちろん、開けて下りていきました。
ウルスリ18

 一周およそ、1時間半でしたが、最後、雨が降ってきて、かの男の子とジイジ・バアバより早く村に戻ったものの、彼等は、まだ、山で雨に会って、大変だなぁと心配していたら、雨具、完全防備で、元気よく下りてきて、一緒のバスに乗りました。
 うーん、小さい時からの山や自然に親しむ・あるいは向き合う生き方、教育。黒い兄弟のジョルジョ➡➡が、自然の中で学び、それが人に対する思いやりとなり、やがては、故郷に戻って、次の世代のために生きる・・・ということを、思い出します。
 
 そんな山の中で、聞こえてきたのは…(続く)
ウルスリ山2

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ウルスリのすず

ウルスリ1
 2005年、初めてスイスに行ったとき、カリジェ詣でに、生家や墓のあるトゥルン村に行ったことがあります。 そのことは、古本「海ねこ」さん掲載のブログ(2007年3月8日)などにも書きましたが、➡➡ フルリーナの絵のある建物他、カリジェの描いた絵のある建物➡➡が、その村に多くあって、ハイテンションな時間を過ごしたのを思い出します。もちろん、ゆかりの博物館も教会も楽しみました。
 ハイテンションすぎて、その村には、ウルスリが居ない・・・などと、考えもしませんでした。

ウルスリ4

ウルスリ4

 その後、15年近く経って、やっと、今回、ウルスリには、別の舞台があるんだ・・・と、わかった次第。
それは、スイス東部のエンディガン地方。グアルダという村。

「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
以前、「ウルスリとすず」のことを書きましたが➡➡実際に、その舞台になった場所に立って見ると、小さな村の後ろにそびえる山は、急な山。(素人には・・・)そして、ウルスリがすずを見つけに行った山の小屋は、ずいぶんと遠そう。(続く)
ウルスリ3

ウルスリ2

☆写真は、すべて、スイス グアルダ村 二番目と三番目は、小さな小さなウルスリ博物館。四番目は、文を書いたゼリーナ・ヘンツの住んでいた家(カリジェは、ここに逗留し、ウルスリとすずの絵を描いたようです。)。五番目は、ウルスリの家のモデルになった家。一番下は、見晴らしのいい場所にあったベンチ


ウルスリ8

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もりのなか

ファンタジー3
(承前)
 「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ まさきるりこ訳 福音館)には、個人的に深い思い出があります。(この話は、他でも書いたかもしれないし、話すことも多いのですが・・・)

 昔、小学校1年生を担任していた時、小人数のクラスだったこともあり、毎日、帰りの時間には、1冊の絵本を読んでいました。教室の後ろの広いスペースに子どもたちは半円になり、体操座りで床の上、教師の前に座ります。それで、絵本を聞くのです。
 そのとき、それまで、幼稚園にも保育所にもいったことのなかった、つまり、集団生活の経験のなかったNくんは、うろうろと、動き回り、ともだちの顔をのぞきこんだりしていました。それは、そのときに始まったことではなく、授業中でも同じでした。椅子に座って聞くという経験がなかったのです。騒いだり、もめごとを生んだりするのでなく、みんなが椅子に座っているのは、どういうことなのか、うろうろ確かめているような動きでした。やんちゃ坊主ということもなく、多動過ぎるということもなく、単に、友達の存在が気になって、椅子に座っていなかったような気がします。その子の家庭は、決して裕福ではなく、狭い一部屋に5人家族が住んでいました。N君が、一番上の子で、あと2人の弟、妹が居たと思います。
 いくら、この話が昔のことと言っても、当時、ほとんどの子どもが幼稚園や保育所に通っていましたから、一種のネグレクト状態だったのかもしれません。まだ、虐待という言葉自体が、知名度の低い頃で、ましてや、新卒の新米教師には、そんなに深いところは、理解もできていませんでした。
 ・・・・で、3学期にもなったある図書の時間のことです。
 子どもたちは、思い思いの本を広げて、図書の時間を過ごしていました。ふと見ると、N君が、「もりのなか」を広げ、にっこり笑っているではありませんか。いい笑顔!!!
 その笑顔が忘れられなくて、新米教師だったカ・リ・リ・ロは、前期高齢者講師になった今も、絵本の種をまき続けています。
絵本なんか見たこともなかったであろうN君に、「もりのなか」を紹介したように、これからも細々と種まきします。 とはいえ、終わりの方が近いなぁ・・・・

☆、写真は、「また もりへ」(マリー・ホール・エッツ まさきるりこ訳 福音館)➡➡の見返しを広げた上に、「もりのなか」

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ファンタジーの世界へ

ファンタジー1
(承前) 「あおのじかん」➡➡「はくぶつかんのよる」➡➡ 「シルクロードの あかい空」➡➡の イザベル・シムレールの絵本で邦訳されているのは、現在のところ、4冊です。

 次の「ねむりどり」(イザベル・シムレール作 河野万里子訳 フレーベル館)は、他の三冊と違って、科学絵本ではありません。美しい絵でファンタジックなで世界を表現しています。
 「青い」「赤い」ときて、今度は「白い」絵本とも言えるでしょう。白い鳥の羽毛の質感も、表現しています。
☆写真上は、イザベル・シムレールの「シルクロードの あかい空」の上に、「ねむりどり」の本を置いています。
 
 この「ねむりどり」は、図鑑のように名前を紹介するのではなく、お話仕立てですから、作者の表現する世界に、自らが入りこんでいく必要があります。ところが、話の始まりは、リアリティのある、生活感のある表現ですが、徐々に、時間をかけて、ファンタジーの世界に入っていくので、ん?どうなっているの?  よくわからない・・・ということに、なるかもしれません。

 ファンタジーの世界に入りこむことは、時間をかけてではなく、あっという間に入りこまなくては、嘘っぽさが増してしまうのではないでしょうか。そして、入りこんだ世界が、もしかしたら、あるかもしれないというリアリティに裏付けされていることが、ナンセンスとは、違うと言えましょう。ナルニア国に行くのに、大きな深い衣装だんすに入りこむなんて、本当にありそうな入り口です。

 と、考えると、幼い読者が、あっと言う間にファンタジーの嘘っこの世界に入っていける「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ作 まさきるりこ訳 福音館)は、本当にお薦めできる1冊なのです。

≪ぼくは かみの ぼうしを かぶり、あたらしい らっぱを もって もりへ さんぽに でかけました。≫
 そしたら。ほら!あっというまに、ファンタジーの世界に入み、らいおんが、ひるねをしているところに・・・
 そして、髪をとかすライオンがいて、水浴びをする象がいて・・・これが、髪をとかす象、水浴びをするライオンじゃ、リアリティがない。ありそうな世界だから、安心して、入りこめる。

 「ぼく」は、もりに散歩に出かけ、動物たちと、お父さんには見えない動物たちと、楽しい時間を過ごすのです。

 イザベル・シムレールの「ねむりどり」は美しい本ですが、地味な色合いの「もりのなか」「また もりへ」というマリー・ホール・エッツの絵本と比べると、幼い読者の心を捉えて離さない絵本は、後者だと思います。(続く)
☆写真下は、イザベル・シムレールの「ねむりどり」の上に、「もりのなか」を置きました。寝ているライオンの口元、よーく見て!このリアリズムがたまらない。

ファンタジー2

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シルクロードのあかい空

あおのじかん5
「シルクロードの あかい空」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)
(承前)
 さて、今度は青い絵本ではなくて、「赤い」絵本です。赤い色を基調にし、雄大な風景を美しく描いています。
 この絵本は、科学絵本の中では、自然科学というより、社会科学絵本のような位置づけでしょうか。もちろん、今までの「あおのじかん」➡➡(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波) 「はくぶつかんのよる」➡➡のように、図鑑的な要素もあり、絹や綿、その地の動物などの名前を記してもいます。ただ、この絵本は、シルクロードの歴史や位置づけもテーマなので、2冊の青の絵本より、単純な流れとはいえません。
 今この時、シルクロードを行く人の視点だけなく、歴史上の人物も登場するため、視点がぶれ、幼い子どもにはわかりにくい。絵本の形はしていても、小学校中学年以上の子どもたちに楽しんでほしい一冊です。(続く)

☆写真上下とも、「はくぶつかんのよる」の見返しの上に、「シルクロードのあかい空」を広げています。これら、「はくぶつかんのよる」の 2つの見返しは、少々、青の明度が違い、描かれている内容も、違います。

あおのじかん6

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はくぶつかんのよる

あおのじかん3
「はくぶつかんのよる」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)
(承前)
 絵本「はくぶつかんのよる」は、「あおのじかん」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)➡➡の続編かと勘違いしそうになる深い青色の表紙。中身も青を基調としています。

≪かわの ほとりに たたずむ はくぶつかんに まもなく よるが おとずれます。だれも いなくなった たてもののなかを そっと
のぞいてみましょう。≫と、この絵本は始まり、化石や貝殻の部屋(ここは何も動きません)、次は、昆虫標本の部屋(チョウたちがこきざみに 羽根をふるわせ始めたと 思ったら、一匹の黄色いチョウが・・・)、骨だらけの部屋(いつのまにか、チョウたちが 飛び回り)、剥製の部屋(チョウたちが呼びかけると、どの生き物も目を覚まし)、鉱石や隕石の部屋(チョウたちがふれ)、道具たちの部屋、埴輪やお面も仏像も、空中散歩、いろんな時代のいろんな地域から集まってきた生き物や化石や道具たちが、一晩中 過ごすのは、まるで、夢のようなひととき!・・・・・

 たくさんの化石にも、昆虫たちにも、動物たちにも鉱石や隕石にも、名前が付けられ、さながら、小さな図鑑のようです。
 図鑑のようでありながら、詩的で、美しい話の流れ、最後は、一番初めに飛び始めた、一匹の黄色いチョウの絵で終わります。(続く)

☆写真上は、「あおのじかん」の最後の見返し、世界地図の上の動物たちの絵の上に、「はくぶつかんのよる」を置いています。
写真下は、「あおのじかん」の初めの見返し、色々な青という色見本の上に、「はくぶつかんのよる」の鉱物のページを開いています。


あおのじかん4

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あおのじかん

あおのじかん2
 きれいな絵本です。「あおのじかん」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)

 おはなしの絵本のようでもあり、小さい子どもにもわかりやすいように描かれた科学の絵本でもあります。絵本を開くと、初めの見返しの部分に、いろんな青の色見本があって、青といってもこんなにあるんだと、本を読み進む期待感が増します。
 ちなみに、一番薄い青は、「こなゆきいろ」。一番濃いのが、「まよなかのそらいろ」。

  ≪おひさまが しずみ よるがやってくるまでの ひととき あたりは あおい いろに そまるーそれが あおの じかん≫で、はじまり、≪すべての あおい いきものを よるの やみが そっと やさしく つつみこむ≫で、終わる絵本です。

 いろんな青の動植物たちが登場。詩的な世界が広がります。≪あおの じかんの はじまりを つげるのは アオカケスーー≫そして、ホッキョクギツネ、コバルトヤドクガエル、アオガラ・・・・・最後は、 ≪ぐんじょういろの イトトンボが ルリハッタケに すっと とまったら・・・・あおの じかんは そろそろ おしまい≫
 
 見返しの最後は、青い世界地図が描かれ、絵本に登場した動物たちが、世界中で、夜更けを迎えたのがわかり、その地球規模の広がりを知り、青の深さに改めて、感心。静かで、美しい世界を味わえる1冊です。 

 この綺麗な絵本を学生たちに読んだ授業後、「手に とって見たい」と近寄った学生も、何人か・・・(多くは、いつも、近寄ってきません) (続く)
 
あおのじかん1

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ねこのホレイショ

ホレイショj
「ねこのホレイショ」(エリナー・クライマー文 ロバート・クァッケンブッシュ絵 こぐま社) 

(承前) 写真左は、気難しい顔つきに見えるねこのホレイショです。
 ホレイショは、しまもようのおじさんねこで、ちょっと太りぎみ。灰色の眉毛が突き出しているので、気難しい顔つきに見えるとあります。が、抱かれるのも嫌いで、うれしいときも滅多にゴロゴロとのどを鳴らしません。ホレイショは、可愛がられるより、尊敬を込めて扱ってほしいと思っていたのです。

 写真右は、ホレイショが笑っているところです。抱きしめられても嫌がらず、嫌がるどころか、のどをゴロゴロ大きく鳴らしたホレイショ。

この2枚の絵は、初めと最後の絵です。
ホレイショに何があったのか?

 ホレイショの飼い主は、親切なケイシーさん。ケイシーさんが、連れて帰ったおなかをすかせた子犬、預かったウサギ、翼のおれた鳩、隣の家の子どもたち・・・みんな、ホレイショには、不愉快な存在でした。
うんざりしたホレイショは、家から抜け出すと・・・子猫が二匹、ついてきます。お店で追い払われ、大きな犬に吠えられ、雨が降ってきても、おなかをすかせた子ネコたちはついてきます。
 するうち、ホレイショが、子ネコたちのために行動し始め…
 最後は、ケイシーさんのところに子ネコと共に帰る・・・というお話。

 温かみのあるロバート・クァッケンブッシュの版画が、すねているホレイショをうまく表現し、可愛い子猫をより可愛く表現しています。

 作者のエリナー・クライマーは、「パイパーさんのバス」(クルト・ヴィーゼ絵 小宮由訳 徳間書房)➡➡の作者でもあります。

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