みんなみすべくきたすべく

こどものとも

かきj
(承前)
 「おおきくなったら」⇒⇒にしても、「しゅっぱつ しんこう!」⇒⇒にしても、「くだもの」⇒⇒や「いちご」⇒⇒にしても、うちの一代目は、月刊の福音館こどものとも年少版でした。
 いずれも、セロテープで補強しているものの、要はボロボロ。
 それは、今に始まったことではなく、この家に引っ越してくる前の家でも、そんな状態でした。
 
 その収納の多い一戸建ての家から、収納の少ないマンションに引っ越すとき、たくさんの本を整理処分しました。
 そんな中、子どもたちの誕生から購入し続けていた「こどものとも年少版「」他、「「かがくのとも」や「たくさんのふしぎ」に至るまでのペーパーバックの月刊誌は、傷みもあるし、玉石混交でもあって、整理処分対象になりました。
 が、子どもたちに段ボール箱いっぱいのペーパーバックを見せると、
 「うーん、これは捨てたらだめ」
 「これは大事にしなきゃ」
 「あ、これこれ 懐かしいなぁ」・・・
 などと、三人三様で、何冊かずつ選びだしたものですから、さきの「おおきくなったら」などなどは、今も我が家にあるというわけです。

 その後、我が30歳代の3人の子どものときにはなかった赤もちゃんえほんというジャンルが、日本の市場にも登場し、月刊「こどものとも0・1・2」(福音館)というものもでました。これは、ページ数は少ないものの、ボードブック(厚紙でできている)なので、購入し続けたら、もっと凄いことになっていただろうと思います。

☆写真上は、1週間に一度通る道に、たわわに実る柿、なのですが、もう3週間も誰も鳥も食べずに、ずいぶん熟しています。渋柿だろうか・・・写真下も、同じく1週間に一度通る道の山茶花。遠く向こうは大阪平野。

かき2j

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まるで長くて はでな吹き流し

北斎2j
(承前)
 写真上は、北斎の富嶽三十六景「隅田川関屋の里」 下は、ランドルフ・コルデコットの「ジョン・ギルピンのゆかいなおはなし」(ウィリアム・クーパー文 ランドルフ・コルデコット絵 吉田新一訳 ほるぷ)の一場面。
 北斎(1760~1849)は、長生きで、しかも、最後まで力を発揮できた日本の画家。
 ランドルフ・コルデコット(1846~86))は、長生きとは言えない英国の画家。

 片や、日本の浮世絵師。片や英国で、エドモンド・エヴァンスという彫版師(彫師、印刷)のもと、仕事をした挿絵画家。
 馬の疾走の絵ですから、特段、ジャポニズムの影響云々をかざさなくてもいいと思いますが、北斎の富嶽三十六景「隅田川関屋の里」を見ると、コルデコットを思い出すのです。

 そこで、今回、どの絵だったかな?と「コルデコットの絵本 復刻版 全16冊」(福音館)を探してみました。
 3頭の馬の疾走だから、「3人のゆかいな狩人」(The Three Jovial Huntsman)だと勝手に思い込んでいました。が、何度か、3人の狩人たちが馬で疾走はするものの、北斎そっくりという感じではありません。
 それに比べて、「ジョン・ギルピンのこっけいな出来事」(ジョン・ギルピンのゆかいなおはなし)は、馬は一頭ながら、ジョン・ギルピンがマントを翻して馬で疾走するシーンが、北斎のそれに似ているのです。

 北斎にしても、コルデコットにしても、生き生きと物語る絵という点で共通していて、どちらも何度見ても、楽しい。

≪・・・「まあ そういそぎなさんな!」と彼が声をかけても効き目はなく たずなをあれこれ引いたけど だく足は すぐギャロップになる    こうなると ギルピンは前かがみ  まっすぐにすわってはいられず  両手で たてがみに しがみつく 力いっぱいしがみつく   馬のほうは そんなぎょし方を されたことがないので 背の上に 何をのせているのか ますます疑いをつよめた   ギルピンは  もう命がけ 帽子とかつらが吹っとんだ 出かけるときにはこんあ目に あおうなどとは思わなかった    風を切るので マントはばたばた まるで長くて はでな吹き流し あげくのはてに ボタンははずれ マントはさっと吹きとんだ・・・・≫
(復刻版解説書 吉田新一訳)

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やわらかく ゆでて くりーむ

       もんぶらん栗 35
(承前)
 ≪「どんぐりを かご いっぱい ひろったら おさとうを たっぷり いれて、にようね」
 「くりを かご いっぱい ひろったら、やわらかく ゆでて、くりーむに しようね」≫
 この言葉は、「ぐりとぐら」(中川李枝子文 大村百合子絵 福音館)です。
きりきんとん1j
 秋になり、栗が店に出回ると、ぐりとぐらのこの言葉を思い出します。
 ましてや、ケーキ屋さん、和菓子屋さんの連なる百貨店のスィーツ売り場では、さらに、この言葉が頭の中をぐるぐる。
「ああ、おさとう たっぷり」
「ああ、やわかくゆでて くりーむ!!!」
くりきんとん2j
 果物は総じてどれも好きなのですが、この「栗」も特別の位置に存在しています。(果物の類いか否かは、別問題として)
 というのも、栗は、美味しい栗ほど中もクリームのようになっているのを知ってはいても、如何せん、それを口にするまでに、どれだけの手間がかかることか・・・指は痛くなる。手はしんどくなる。むいても、むいても、家族で食べるには、ほんのちょっと・・・という厳しい現実があり、調理済み、しかもそれが丁寧な出来上がりだとすると、もう手を合わせたくなるような気分になります。

 で、秋と言えば、栗・・・「渋皮煮」に「くりきんとん」、それに、できれば、栗の産地の「和栗モンブラン」。というのも、かつて、パリで食べたモンブランが甘すぎて(大きすぎて)、「うっ」となりながら食べて以来、和栗の、どこか遠くに渋みを感じるモンブランのファンです。
 ということで、レマン湖畔で見たモンブランも、お口に入るモンブランも、どちらもいいでしょ!

☆写真は上から、モンブランみたいなイタリア風丹波栗のモンブラン。二番目は京都老舗の栗きんとん。三番目は、丹波栗のモンブラン。四番目は、栗と抹茶のスィーツバイキング。これも、パリと同じくらい甘いものの、お昼のバイキングですからサラダもあって、サラダにお醤油味のドレッシングをかけ、口直しをしながら、およそ完食。
もんぶらんj

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ひとあし、もうひとあし

いたずらこねこ
(承前)
 今回は、まごとえほんではありません。
 わかいひととえほんです。

 小学校の教員をしていたとき、子どもたちに絵本を読み、お母さんたちの集まりで、お母さんたちに絵本を読み、もちろん、自分の3人の子どもたちにも絵本を読んできました。そして、ここ10年以上は、学生たちにも絵本を読んでいます。

 そんななか、学生たちからもパワーをもらうことがありますが、先日「いたずらこねこ」(バーディン・クック文 レミイ・シャーリップ絵 まさきるりこ訳 福音館)の時もそうでした。

 私語の多い学生たちを固定席に変えたら、概ね静かになりました。で、絵本が見やすいように前方は空けておきました。そんな前方席も埋まったその時間、「いたずらこねこ」を読んでみたら、ねこが後ずさりする頃から、なんだか空気が変わってきたのを感じました。そして、後ろの小さな池に足がかかる!その瞬間には、学生たちが息をひそめるのが伝わってきました。で、ページを繰ると、ばっちゃーん!!!・・・・・あーあ(ほらね!)

 小さな子どもたちも、学生たちも、息をひそめるところは同じ。
 
 この横長の絵本には、よけいなものが一切書かれていません。横に長い一線と、こねこの住処を表す木塀、亀の住処を表す小さな池、そして、こねこと亀。色は、小さな池の青緑色。
 距離感を表す横一線が有効的です。他に色を使わないことが、小さな池を強調しています。まどろこしいような物語の展開が、時間の経過と最後のスピード感を表現しています。
 そして、繰り返す言葉・・・「やがて、かめは、ひとあし、もうひとあし、また もうひとあし まえへでてきました。そして こねこは、ひとあし、もうひとあし、またもうひとあし うしろへさがりました。・・・」

☆写真の聞き手たちは、右から「げんきなマドレーヌ」他(ルドウィッヒ・ベーメルマンス作 瀬田貞二訳 福音館)のマーちゃん、「ラチとらいおん」(マレーク・ベロニカ作 とくながやすとも訳 福音館)のらいおん、スコットランドのわんわん

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自由な美術

フランツ3j
 エリック・カールの絵本「えを かくかくかく」(アーサービナード訳 偕成社)➡➡は、巻末の「この絵本のはじまり」という一文によれば、そこには、ドイツナチス政権下の頃「堕落した美術」として見てはいけなかったマルクの複製画を、美術学校の先生がそっと出してきてエリック・カール少年に見せたことが書かれています。
 先生は言います。≪「残念ながら、学校では自由な美術をおしえることはできない。しかし見てごらん。フランツ・マルクの絵はすばらしくのびのびしているだろ?ナチスのやつらはまったくわかっちゃいないんだから。」≫そして、カール少年は驚くものの、のちにマルクの絵から多くのことを学んで影響を受け、≪この「えを かくかくかく」のふしぎな色の動物たちは、あの日からずっと、ぼくといっしょにいきてきてくれたんだ」≫とエリック・カールは語っています。

 そのフランツ・マルクの絵にバーゼル美術館で会いました。今までも他で見ていたのかもしれないものの➡➡、今回は、「ああ、これ、フランツ・マルク!」と、目に飛び込んできました。
フランツ2j

 興奮気味に「これよ!孫が好きな絵本の画家が、好きな画家やん!」と、夫に伝えるものの、夫は絵本「えを かくかくかく」自体がわかりませんから、「ふーん」とスマホを向けるだけでした。

 ばあばには、「ぼくは えをかく。 えをかけば・・・」で始まるこの絵本の言葉が聞こえます。
 こんなに自由に生き生きと、絵を描いている!12歳のエリック・カールが影響を受けたフランツ・マルクの動物たち。

 フランツ・マルクの画像は見たことがあります。が、しかし、実物は、やっぱり違う。孫と一緒に鑑賞したかったなぁ。
フランツ1jj
 ***蛇足ながら、フランツ・マルクとカンディンスキーらが起こした「青騎士」というグループの青騎士第一回展に出品したピカソやクレー、アンリ・ルソーも近くに展示されていました。
☆写真は、一番上がフランツ・マルク「二匹の猫 青色と黄色」二番目と三番目は「動物の運命」いずれもスイス バーゼル美術館

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あおいやまいぬ

あおいやまいぬj
(承前)
 昨日の、文庫本ナルニア新訳タイトルには、驚いたものの、こちらの新訳は、色々考えさせられました。

 絶版になっていた瀬田貞二訳「あおいやまいぬ」(マーシャ・ブラウン 佑学社)です。かつてのものより、印刷も綺麗に鮮明になっています。こちらも、タイトル変わって「あおいジャッカル」(マーシャ・ブラウン こみやゆう訳 瑞雲舎)
 
 訳者のあとがきによると、≪このタイトルの改題は、作者マーシャ・ブラウンとの生前の約束で、改題と同時に訳も刷新し、マーシャが原典とした世界最古の子ども向け物語集といわれる『パンチャタントラ』とを読み比べながら翻訳≫されたようです。つまり、作者の意図を組み、さらにその原典にあたるという労作。

 が、ひっかかったのは、このジャッカル本人の名前です。
 瀬田貞二は≪よくなくので、“とおぼえ”と なのついたやまいぬが、まちはずれの はげやまの あるほらあなに すんでいました。≫
 新訳こみやゆうは≪むかし、だれよりも あらあらしい とおぼえを するので、あらぼえと よばれた ジャッカルが、まちはずれの はげやまの どうくつに すんでいた。≫とします。

 英語の原文を読んでいませんが、多分、この「あらあらしい」という言葉をつかった「あらぼえ」という名前は、原文に忠実なのだと思います。ジャッカルの名前に過ぎないと考えると、「あらぼえ」でもいいと思う気もします。
  
 その「とおぼえ」あるいは、「あらぼえ」が遠吠えを聞くシーンがあります。
瀬田貞二訳≪あるねむたい ひるさがり、とおぼえの みみが ぴくりとたって、あたまから かんむりが ころげおちました。一むれの やまいぬが やまでほえていました。とおぼえのめに うれしなみだが あふれました。≫
こみやゆう訳≪ある とろんとした しずかな ひるさがり、とつぜん、あらぼえの みみが ピンとたって、はずみで あたまの おうかんが おちてしまった。とおくの おかから、ジャッカルたちの とおぼえが きこえてきたのだ。そのなつかしさの あまり、あらぼえの めには なみだが うかんんだ。≫

 瀬田貞二訳では、「他が吠えていた」と訳すことによって、遠吠えできる「とおぼえ」本人が際立ちます。
 こみやゆう訳では、「遠吠え」を聞くのは、「あらぼえ」という名の遠吠えできる一匹で、仲間意識が見えます。
 さて?

 また、名前ですから、何度も「とおぼえ」あるいは、「あらぼえ」と出てきます。
 かつて、瀬田貞二訳で初めて、この絵本を読んだとき、インドの話と日本語の言う「負け犬の遠吠え」という言葉の近しいイメージが重なって、世界は狭いものだと感じ、この絵本全体を、負け犬の遠吠えの世界と重ねていました。
 が、新訳で、名前が「あらぼえ」になることによって、その負け犬の遠吠えという言葉から少々距離ができたような気がします。

 マーシャ・ブラウンの生き生きとした版画は、ジャッカル、やまいぬの遠吠えが聞こえるようです。
 米国人マーシャ・ブラウンが築いた世界を翻訳することと、日本の子どもが日本語で味わう世界を表現すること・・・・
 奇しくも、昨日のナルニア国物語(岩波)と「あおいやまいぬ」の訳者は、同じ瀬田貞二でした。

 瀬田貞二は「絵本論 子どもの本評論集」(福音館)でいいます。
「文章のすばらしさが、じゅうぶんすきのない可視的な一つの世界を表現し、絵のすばらしさがその世界を百倍も千倍も生き生きとくみあげて、ここに完璧な魅力のある絵本が、一体として、子どもたちの眼前におかれるのです。」  

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改訂版 せいめいのれきし

恐竜1j
(承前)
 「せいめいのれきし」(バートン作 石井桃子訳 岩波)➡➡は、2015年に真鍋真監修によって、改訂されています。
絵本「せいめいのれきし」が生まれてから50年たち、その間にいろんなことがわかってきたことによって、本文の趣旨をかえることなく、新事実に基づいて、説明を改訂したのが、この新しい「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン作 いしいももこ訳 まなべまこと監修 岩波)です。

 「改訂版 せいめいのれきし」は、科学的な新しい見識の部分の訳を改訂していますが、話の本筋は変わっていません。
 例えば。プロローグ2場
旧→≪わたしたちの地球は、何億年、何十億年もの昔、うまれました。太陽の家族にあたる、九つの惑星のひとつで、太陽からかぞえて、三ばんめの場所をしめています。・・・≫
新→≪わたしたちの地球は、46億年もの大昔に、うまれました。太陽の家族にあたる、8つの惑星のひとつで、太陽からかぞえて、3ばんめの場所をしめています。・・・・≫

 真鍋真氏は、生命進化史の研究者で、子どもの頃、この「せいめいのれきし」の愛読者だったようです。そして、岩波科学ライブラリーから「深読み!絵本『せいめいのれきし』」も出していて、そこでは、作家のバートン女史をリスペクトしつつ、特に恐竜について、その後判明したことなどを紹介しています。
 
 真鍋氏は作者に敬意を払い、訳者にも敬意を払っているのがわかります。それは、きっと、監修者ご本人が「せいめいのれきし」を大事な一冊のままにしておきたかったからだと思います。
 子どもの頃の愛読書の改訂に、関われるなんて、なんと幸せなことでしょう。他の誰でもない、一番の愛読者である自分が、丁寧に愛をこめて改訂するのですから。

 そして、真鍋氏は、今後も、絵本「せいめいのれきし」が読み物として、子どもたちの手に渡ることを、忘れていません。
 ここが、同じ思いを持つ愛読者のひとりとして、嬉しい限りなのです。一人でも多くの子どもたちが絵本「せいめいのれきし」に出会い、地球上に生きる喜びを知ってほしい、そして、考えてほしいと願うのです。

 バートン女史は「せいめいのれきし」の最後でこういいます。
≪さあ、このあとは、あなたのおはなしです。主人公は、あなたです。ぶたいのよういは、できました。時は、いま。場所は、あなたのいるところ。いますぎていく1秒1秒が、はてしない時のくさりの、あたらしい わ です。いきものの演じる劇は、たえることなくつづき――いつもあたらしく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます。≫(続く)

☆写真は、ロンドン 自然史博物館

     自然史博物館j

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せいめいのれきし

地層3j
(承前)
 ルチェルン交通博物館のトンネル断面図➡➡に興味津々だったのは、スイス観光をしていると、出くわす、目に見える断層、地層のことだったからです。
地層2j
 高校の時の地学の先生の顔は思い出せても、一体何をやったのかわからんという不届き者ながら、今は、湖から眺める崖などを見ていると、ふーむ、これはいつの時代だったのかい?と、ちょっとは、頭を働かせようと鋭意努力し、結局、うーん、凄く古い時代なんだね。と、納得するだけで終わっています。
地層5j
地層9j12
地層8j

 が、地学で習った知識というより、思い浮かぶのは、かつて子どもたちと楽しんできた 改訂前の「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン作 石井桃子訳 岩波)です。
≪山が、たかくもちあがってきました。気候はさむくなり、かわいてきました。氷河がうまれて、沼地は、さばくにかわりました。地上のいきものの歴史で、これは大変な危機でした。・・・・≫という1幕6場。
地層6j
そして、2幕1場
≪気候が、すこしおだやかになりました。大きな川や小さな川が、山をけずって流れだしました。・・・≫
2幕3場
≪山は少しずつ高くなっていきます。気候はだんだんさむくなってきました。・・・≫
2幕4場
≪山は、いよいよ高くなっていき、気候は、どんどんさむくなってきました。・・・≫
3幕2場
≪火山が、火をふきはじめました。そして、山が、また高くなりはじめました。・・・≫
3幕3場
≪山は、いよいよ高くなっていき、火山も、噴火をつづけていました。気候は、たえまなくすずしく、かわいていきました。・・・≫
3幕4場
≪噴火と造山連動(山のできること)は、この時代に絶頂にたっしました。気候は、ひじょうにさむく、空気は、ひじょうにかわいてきました。・・・≫
地層4j
3幕5場
≪北に、大きな氷河が、いくつかうまれて、地面をけずりとりながら、ゆっくり南にすすんでいきました。地球の歴史のうえで、この時代は、氷河時代と呼ばれています。この大きな氷のかたまりは、四ど、北からおしよせて、四どとけて、しりぞいていきました。そのころ、にんげんは、すでにうまれていたでしょう。でも、まだたいした力は、もっていませんでした。≫(続く)
地層1j
☆写真下から2・3番目はロートホルンという山ですが、昔、氷河が流れた跡がわかりますか?一番下の写真は今なお残るアルプス三山の氷河。

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がたんごとん がたんごとん ざぶん ざぶん

    がたんごとんj
 「がたんごとん がたんごとん」(安西水丸 福音館)
 がたんごとん がたんごとん のせてくださーい 
 がたんごとん がたんごとん・・・の、繰り返しの「がたんごとん がたんごとん」の絵本は、小さい子どもたちと、一緒に楽しんでほしい1冊です。
 がたんごとん がたんごとんと 列車が進み、リンゴやバナナ、哺乳瓶も のせてくださーい。
 小さい子どもたちの身近なものが、次々、のせてくださーい。

 で、終点です。おりてくださーい。
 絵も単純化され、小さい子どもにもわかりやすい。
 
 夏バージョンの「がたんごとん がたんごとん ざぶんざぶん」もありますよ。
 スイカやアイスクリーム、ビーチボールも出てきます。
 個人的には、がたんごとんがたんごとん ざぶんざぶんの「ざぶんざぶん」の音が好みです。
 23年ぶりの続編らしいですから、「がたんごとん がたんごとん」が長い間支持されてきたのがわかります。
 
 小さい子の絵本は、身近なものが出てきて、繰り返しのある言葉、リズミカルな言葉のものが楽しいのですが、一番は、身近な大人が読んで、一緒に楽しむことに、つきますね。

 ちなみに、この登場人物(?)の中で、孫(1歳3ヵ月)が好きなのは、小さなネズミ。

☆写真は、がたんごとん がたんごとん オモチャ。丁寧な作りです。子どもと絵本に関わる人が、作ってくれました。

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わっしょい わっしょい

わっしょいj
(承前)
 「蚊」も「蟻」もと書いたのに、「蚊」のお話だけ紹介するのも、片手落ちのような気がして、今日は「蟻」のおはなし。
 といっても、「ありこのおつかい」(いしいももこ文 なかがわそうや絵 福音館)ではなく、もっと、小さい子ども向けの絵本です。

 「わっしょい わっしょい」(福地伸夫さく 福音館)は、小さい子向けの絵本なので、絵がはっきりくっきり、見やすく、しかも「いっぽ にほ ありさん」、「わっしょい わっしょい」の繰り返し。
 登場するのも、さくらんぼ、イチゴ、ビスケット。それに、少々、傷みが来て、甘い匂いが漂って、皮がふにゃふにゃしてそうなバナナ。
 甘いもの・・・子どもの大好きなもののオンパレード。

 で、最後のページは、集めてきた甘いものが全員集合。
 「わっしょい、 まっかしょい」

 小さい子と、声に出して楽しまなくちゃね。
 「わっしょい、 まっかしょい」

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