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みんなみすべくきたすべく

ハーブティ

ベルベーヌj
 古筆のお稽古の度に京都に行っていると、お昼を食べるお店が、それぞれのエリアで決まってきています。
 平安神宮付近には、美術館が3つもあるということもあり、よく行くのが、「失われたときを求めて」(AU TEMPS PERDU)という名前のフレンチのお店です。で、そこのランチで、いつも注文するのが、ハーブティの「ベルベーヌ」。

 フランスのハーブティとして有名らしいのですが、このお店で初めて飲んでから、いい香りのそのお茶のファンになっています。
 それで、毎回、これを注文していたものの、今回は摘みたて新茶(店の庭先で、栽培している)だったようで、いつもより、さらに いい香りで、色も清々しいものでした。

 イギリスのエルダーフラワーティといい、ハーブティは、そのいい香りで、なんだか、疲れも取れる気がします。
 今は、家に 授乳中の娘もいて、カフェインレスの飲み物が中心なので、カモミールティを よく飲みます。
 カモミール(かみつれ)は、「ピーター・ラビットのおはなし」「(ポター作 石井桃子訳 福音館)で、食べ過ぎのピーターに、お母さんが煎じたのでしたね。
≪きのどくに、 ピーターは、 そのばん おなかのぐあいが よくありませんでした。おかあさんは ピーターをねかして、かみつれをせんじて ピーターに 1かいぶんのおくすりをのませました。「ねるまえに 大さじに 1ぱいですよ。」≫

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これがスモールさんのおはなしです

スモールさんjjj
(承前)
 「スモールさんはおとうさん」(ロイス・レンスキー わたなべしげお訳 福音館 童話館)
 白黒とあと一色で出来ていたスモールさんシリーズは、今では、カラー版で出ているのもあります。「スモールさんはおとうさん」(童話館)「カウボーイのスモールさん」「ちいさいじどうしゃ」「スモールさんののうじょう」「ちいさいひこうき」「ちいさいヨット」「おまわりさんのスモールさん」(以上 福音館)ですが、カラフルとはいえ、以前の白黒、あと一色のスモールさんのシリーズでも、十分にその世界を楽しめたと思います。
 上の写真は、「スモールさんはおとうさん」のカラー版と以前の版を並べてみました。カラーも白黒と一色の方も、どちらもその楽しい雰囲気は伝わってきますが、個人的には、色の特定をしてしまうカラーより、以前の素朴な色合いの方が好みです。

 おとうさんのスモールさんは、この2枚の絵でもわかるように、家事を率先してやっていて、おかあさんを時々一休みさせるところがあるのが、母親の私は、気に入っていました。もちろん、お父さんも一休みするところはあります。
 それに、下に写る≪水もれをなおしているスモールさん≫のページは、我が家の子どもたちが好きだったページです。腰に手を当て、少々上から目線で、そばにいるお母さんが似ていたからでしょうか。それとも、腹ばいになってみているスモールさんの3人の子どもたちが、うちの3人の子どもたちと重なったからでしょうか。

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マトリョーシカちゃん

マトリョーシカj
 このブログでも、加古里子の絵本をいずれまとめて紹介しようなどと考えているときの訃報でした。
 
 このマンションに引っ越しする際に、たくさんの絵本を処分しました。絶版絵本や、なかなか手に入らない絵本を手元に残し、今後も書店に並ぶだろうと思われる福音館の「林明子」のものだとか、「中川李枝子」のもの、そして「加古里子」のものは、傷みも激しいせいもありましたが、処分という形にしました。そんななか、場所を取らないペーパーバックの林明子、中川李枝子、加古里子は、残しました。

 そこで、2歳になったばかりの孫は「だるまちゃんととらのこちゃん」「だるまちゃんとだいこくちゃん」「マトリョーシカちゃん」という加古里子の代表作から、ちょっと横のペーパーバックの3冊を楽しむことになりました。

 写真に写るマトリョーシカ人形は、ロシアのお土産で、このブログにも一度登場したことがありますが➡➡、この入れ子人形で遊ぶのが、面白くなってきた孫に、加古里子の「マトリョーシカちゃん」を読むと、(・・・といっても、大抵の場合、全文ではありません)「もう、一回、よんで」。

 この絵本は、30年以上も前、うちの娘たちのお気に入りだったのを思い出しました。
≪――ぶからんら ぶからんら ぶかぶからんら――≫と、てふうきんを ならすユラユラ人形のイワンちゃんや、
≪――とんとん とんとん とんとことん――≫と、、つえをつくドングリ人形のイリューシャちゃん。
≪――とっとこ とっとこ とっとこと――≫と、やぎにのった、おしゃれ人形のアンドリューシャちゃんに、
≪――ぱかぱか がらがら ぱっぱかぱ――≫と、あくまたいじの帰り道のぺとリューシャ。
そして、
≪――ずんたか ずんたか ――おどったり、
――つんたら つんたら――うたったり、
――ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ――おしゃべりして
みんなで たのしく すごしましたとさ。≫

・・・と、歌のように、リズミカルな言葉が次々と出てくるのが、この絵本の魅力です。

加古里子の絵本の多くは、深い読み物とは違いましたが、親しみやすく、口ずさみやすい箇所があって、たくさんの子どもたちを魅了し、これからもし続ける絵本が多いと思います。

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物語を味わう本とは少し違う

 マミーj
(承前)
 「参加型絵本」という記事がありました。(日経3月13日)
その文の最後が
≪物語を味わう本とは少し違う「参加型絵本」は、親子のコミュニケーションツールとして地位を築きつつある。≫です。

 親子のコミュニケーションツールと捉えると、これまで書いた開く絵本もその一つですし、赤ちゃんの絵本の数々もそうです。
 が、この記事のは、「触る」「手をたたく」「息をふきかける」など、読み手の身体を使う働きかけ、その「行為」の楽しさを売り物にしていて、コミュニケーションツールとはいえ、本というより玩具に近いものです。確かに、書かれてある文面を読み取って、働きかけるのですから、取説の楽しいバージョンとも言えましょう。不思議の国への小さな入り口でもあるでしょう。また、カ・リ・リ・ロは、やったことがありませんが、ゲームの入り口に近いのかもしれません。

 また、親は、子どもが参加しているのを見て、また楽しんでいる様子を見て、喜ばしく思い、うちの子は、読み取れて(あるいは、聞き取れて)次々アクションしていると、満足するのだと思います。そこが、親子のコミュニケーションツールといわれる所以です。
 
 ≪子どもの反応もよく、朗読に自信がない大人でも、子どもの注意を引き付けやすい本でもある≫・・・と、記事には、書かれていました。

 確かに、その場だけの子どもの反応に限るなら、きっと、子どもたちは大興奮の絵本なのでしょう。が、うちの、ボロボロになった絵本を見ていると、大興奮した絵本は「さんびきのやぎのがらがらどん」「かいじゅうたちのいるところ」以外思いだせません。(それらは、興奮して、破いてしまったページがある)淡々と、楽し気に聞いていて、あるいは、見ていて、「も一回、よんで」と言ってきた絵本たちばかりなのです。

 加えて、絵本を朗読しようと思ったことは、今まで1度もないし、自分がうまいか下手かなんか考えたこともないカ・リ・リ・ロは、ただ、ただ、自分が楽しいから、この楽しみを分かち合いたいと、自分の子どもたち、かつて出会った子どもたち、そして、学生やお母さんたちに読んできたのです。

☆写真は、アナログな開く絵本の「MOMMY?」(題名は、マミー?ですが、ミイラという英語、Mummyにかけています。)
 (センダック絵 Yorinks シナリオ Reinhart 紙工作:MDC Scholastic)

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ひらく えほん

ひらくえほんj
(承前)
 ちいさい絵本➡➡ おおきい絵本➡➡ 横長の絵本➡➡ ⇒⇒、縦長の絵本➡➡などありますが、ひらく絵本というのもあります。
 が、これは、破損しやすいこと極まりない。子どもが扱い、しかも、面白ければ、何度も何度も触るわけですから、破損も仕方ないというのが、ひらく絵本の宿命です。

 ということで、写真に写る おさるのジョージの作者(H.,A,レイによるじぶんでひらく絵本(『おかあさんとこども』、『さあ、たべようね』、『だれのうちかな』、『サーカスをみよう』(H.,A,レイ石竹光江訳、文化出版局)は、二代目。(孫の為ではなく、30年前の我が子のために購入)

 各ページが折返しになっていて、その折返しをひらくと・・・
例えば、「おかあさんとこども」では、ページを開くと、どうぶつのおかあさんのそばにはこどもたちが…。
「さあたべようね」では、動物園のどうぶつたちに餌をもっていくと、どんなどうぶつが食べるのかな?
「だれのうちかな」では、ページをひらくと、その家に住んでいるのが誰かわかるし、「サーカスをみよう」は、サーカスに出てくるのは誰かがわかるようになっています。
 それぞれ1冊1冊は小さくその軽いので、子どもが扱いやすいという面もあって、小さい子どもが自分で開いて、お話の展開を楽しめるようになっているのです。
その分、傷みやすく、我が家の30年以上前のは、ボロボロとなり、あんまり、子どもたちとの思い出も詰まっていたものですから、子どもが少々大きくなったときに、二代目を購入したと思います。
(続く)

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歌のように耳に入る言葉

  やえざくらj
 (承前)
 瀬田貞二訳の 「おやすみなさい おつきさま」➡➡にしても「はねはね はねちゃん」➡➡や「くまくんおでかけ」➡➡などの中川李枝子文にしても、言葉にリズムがあって、歌のように、本文が作られています。

 そして、その「歌」を覚えようとするのか、孫は、何度も何度も読めとせがみます。
 幼い子どもは、歌のような言葉に興味津々。
 
 そういう意味でも、絵も一緒に楽しめる、しかも、「時」の流れをも伝えるマーガレット・ワイズ・ブラウン(瀬田貞二訳)の「おやすみなさい おつきさま」➡➡は、よくできた絵本と言えましょう。

 まだ、お話の世界に入る前の、本当に幼い子ども。その子どもたちに必要なのは、歌のように耳に入る言葉が連なる絵本、そして、それを読んでくれる(歌う)大人の存在。
 今、客観的な視点をもって、孫と絵本に接していると、かつて、書いた修士論文を書き足せるのではないかという気持ちすら湧いてきます。・・・・が、時間がない・・・今も、この先にも。
☆写真は、公園の八重桜
 
やえざくらjj

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はねちゃん

はねちゃんj
(承前)
 中川李枝子とご主人の中川宗弥が組んだ絵本より、中川李枝子と妹の山脇百合子(大村百合子)の組んだ絵本が 個人的には、好みです。
 それは、子ども目線の言葉、お話、上手い下手ではなく、子ども目線の絵というコンビが作り上げた世界だからです。

 中川李枝子と、 山脇百合子が組んだ小さい子の絵本は、数多くありますが、「はね はね はねちゃん」(福音館)は、身体を動かしながら、孫と何度も楽しんでいます。
 ≪はねはね はねちゃん たいそうします  きをつけ せなか まっすぐ まえから みても よこから みても いいしせい≫≪てを うえに うーんと せいのび きりんに とどくかな≫≪てを まえに おせ おせ よいしょ くまのせなか おおきい おおきい≫・・・・

 小さい子と絵本の関係に、読める大人が介在してこそ、絵本は、さらに楽しいものとなる。つまり、小さい子の絵本は、声に出して読むもの。
 中川李枝子は、保育士だった経験と、ご自身の読書体験から培われた言葉の力で、日本の子どもたちの絵本の世界を広げた人だと思います。絵本の世界は、楽しい世界なのです。(続く)

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いってまいります

おでかけj
(承前)
 中川宗弥絵の絵本に「くまさん おでかけ」(中川李枝子文 福音館)があります。
 何箇所か、抽象的で、わかりにくい画もありますが、中川李枝子の文が、小さい子に伝わりやすく、全体として、楽しめる1冊になっています。
 「いってきまーす」ではなく、≪いってまいります≫と、丁寧な言葉遣いで、始まり、
≪とこ とこ とこ 「おや みずたまり」 じゃぶ じゃぶ じゃぶ≫
≪はだしになって とこ とこ とこ≫・・・・・と、リズミカルで、わかりやすい展開です。
くまさんが一人ででかけるのですから、しっかりしていなくちゃいけません。だから、「いってまいります」
一人で、たべて、お土産までも持ち帰る。いろいろあっても、≪ただいま≫の最後のページの絵は誇らしげです。
孫を保育所にお迎えにいったとき、「ばあば!!」と、言う顔にそっくりです。

 さて、中川李枝子文の絵本の数々は、「ぐりとぐら」(福音館)を筆頭に、子どもの生活に沿っていて、子どもたちが親しみやすいものです。そして、その言葉の流れは、どれも、軽快で、楽しい。
 そのテーマに、「くまさん おでかけ」のようにどこかに出かけて、何かあって、戻ってくるというものがあります。瀬田貞二のいうところの「行って帰ってくるお話」≪行きて帰りし物語≫です。

 「ぐりとぐら」もそうだし、何より、子どもたちがよく知っている、あの歌。
 2歳になっていない孫すら、たどたどしく歌います。
♪♪あるこう あるこう わたしは げんき あるくの だいすき どんどん いこう 
  さかみち とんねる くさっぱら いっぽんばしに でこぼこ じゃりみち 
  くものす くぐって くだりみち♪♪
 「となりのトトロ」挿入曲≪さんぽ≫作詞:中川李枝子

 

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ぞうさん

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(承前)
「ぞうさん」(まどみちお詩 中川宗弥絵 福音館)
 まどみちお詩が入っているこの絵本(楽譜つき)➡➡の挿絵は中川宗弥です。奥さんの中川李枝子文の「とらた」の絵本や「ももいろのきりん」(福音館)など、ご夫婦が組んだ仕事も多いですが、石井桃子「ありこのおつかい」「ノンちゃん雲にのる」(福音館)、アリソン・アトリー「チム・ラビットのぼうけん」(石井桃子訳 童心社)などの挿絵の仕事もあります。

 子どもの絵本に多い具体的な描き方とは違うこの画風は、読みものの挿絵「ノンちゃん雲にのる」や「チム・ラビットのぼうけん」など、あるいは、「ぞうさん」のような詩の世界を表現するのに適していると思います。特に、まどみちおの詩のような優しい気持ちが伝わるものに、ぴったりです。

 書き込み過ぎで、もとの詩の世界を邪魔する挿絵(カット)の多い詩集、歌の本もあるなか、抽象的な雰囲気すらある挿絵は、その詩のイメージを広げるものが多いと思います。(続く)

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ほそながのえほん

ほそながj
 横長の絵本より、幅が狭い細長い感じのする絵本もあります。
 例えば、フィッシャーの「るん ぷん ぷん」(ハンス・フィッシャー作 さとうわきこ・言葉 小さな絵本美術館 架空社)(写真上)
ホフマンの「ヨッケリ なしを とっといで」(フェリクス・ホフマン絵 おかしのぶ 訳小さな絵本美術館 架空社)(写真下左)  
 どちらもスイスの絵本画家というのが共通しています。

 「るん ぷん ぷん」は、元は文字のない原書だったものに、フィッシャー氏の長男がラッパや太鼓の口真似で読み聞かせてくれたものに、さとうわきこが日本語の言葉を添え、刊行されたものです。
≪るんぷんぷん きょうは ゆかいなけっこんしき ねこのがくたい くりだして ドンチャカ ブンチャカ プッパカパー・・・・≫

「ヨッケリ なしを とっといで」は、ホフマンの【子どもたちが自ら楽しめる、子どもたちの手に合ったサイズの本を】という思いから作られた作品です。これも、ドイツのわらべ歌で、原文は韻を踏んだ心地よい響きの感じられる詩のようです。
≪ヨッケリ なしを とっといで だけど なしは おちたくないよ すると おやかた いぬに いった ぱくっと ヨッケリ かんどいで いぬは ぱくっと かみたくないよ ヨッケリ なしを とりたくないよ なしは まだまだ おちたくないよ・・・・≫

 そして、写真下右は、センダック「7ひきの いたずらかいじゅう」(モーリス・センダック作 なかがわけんぞう訳 好学社) 「かいじゅうたちのいるところ」(冨山房)の番外編とでもいうか、センダックも軽い気持ちで作ったような作品です。
≪こりゃ たいへん! かいじゅう 7ひき でてきたぞ   1ばんめは そらを とびまわり、 2ばんめは じめんに もぐる 3ばんめは まちへ のそ のそ のそ やってきて、……≫(続く)

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