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みんなみすべくきたすべく

鹿まつところの狸

十二支1
(承前)
 ≪…ふつう美術史家は、室町時代にはいっての絵巻物として、わずかに『十二類合戦絵巻』と『福富草紙』の二作を認めるのので、鎌倉以後は、評価していません。けれども、室町時代を通じて絵巻物は、三百をこえ、その大部分がお伽草子だといわれます。そしてたしかに、『十二類』と『福富』とは、土佐派の優品で、しかも内容からいっても、お伽草子を代表するものでした。…≫と、「落穂ひろい」(瀬田貞二 福音館) ➡➡にも書かれていますが、その『十二類合戦絵巻』です。➡➡

 ≪『十二類合戦絵巻』というのは、満月の夜に十二支の鳥獣が月を題に歌合せをして、鹿を判者として楽しみます。≫
 が、次に、鹿の代わりに狸がやってくるのですが、狸は≪さんざん馬鹿にされたので、味方を集めて十二類に戦いをしかけ、逆に討たれて、狸は三井寺で出家する…≫

 この話が「いまは昔 むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第3巻「鳥獣戯語」➡➡ の中で、綺麗な状態のチェスター美術館の絵巻を使いながら、紹介されています。この話を知らなかったカ・リ・リ・ロには、新鮮で楽しいものでした。

 例えば、鹿の判定がなかなか鋭いいいものだったので、十二類たちは2・3日後にまた寄り集まったときに鹿を判者として呼ぶも、≪・・・鹿はこういう席へ二回出席することは古人がいましめているとはばかって、あいにく風邪気なのでと辞退し、前回、鹿の供をした狸が、鹿が歓待されたのをうらやましがって、自分でも判者になれないはずがないと、あつかましく歌会におしかけていった。…≫。
 この一件から「鹿待つところの狸」という言葉が生まれたとか…
*「鹿待つところの狸」・・・・よい獲物をとろうと待っていたのに、とるに足りないものが来たの意。

 で、牛は?(続く)

☆写真は、狸たちの作戦会議。≪・・・まず一門の獺の守、稲荷山の老狐、熊野山の若熊、蓮台寺の狼、愛宕山の古鵄、ゆるぎの森の白鷺、二日市場の群鴉、梟悪大好きの梟などが味方についた。侍大将は、猫、貂、鼬、ばん、みみずくなど。総勢三百。・・・≫(ここに出てくる動物たちの漢字読めますか? 

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劇的な場面転換は絵本でなければできない

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(承前)
 「鳥獣戯語」(「いまは昔 むかしは今」第3巻 福音館) ➡➡ では、「白鼠弥兵衛物語」の絵本になったものを載せ、サントリー美術館の「鼠草子」➡➡と比べています。

 弥兵衛と姫君との婚礼の場面で、
≪絵本だからページを繰って次の場面へ進むことになるが、開いてみるとあっと驚かされる。さっきまで美しく着飾って姫君につきそっていた鼠の女房たちが、着物を全部脱ぎすてて、あられもない恰好で小盗みをしているのである。ページの表と裏が、鼠の女房たちのふるまいの表と裏になっている。こういう劇的な場面転換は絵本でなければできない。≫

今、単純に、絵本のことを考えるとき、絵本は、文と絵と、そして、めくるという要素があると言うものの、この「いまは昔、むかしは今」の中でも、改めて、絵本の奥深さを教えてもらった気がします。

で、牛の話を探していて、「いまは昔 むかしは今」を開いていたわけでしたが、「落穂ひろい」(瀬田貞二 福音館)➡➡にも「いま昔 むかしは今」第1巻「瓜と龍蛇」(福音館)にも、干支の話で、今まで知っている話より、ずっとお面白い話が出ていました。
  そして、これも、また、先の「白鼠弥兵衛物語」をフォッグ美術館が持っていたように、チェスター・ビーティ美術館所蔵の保存状態の良い絵巻からも、わかることなのです。(続く)

*フォッグ美術館:アメリカ合衆国ハーバード大学付属 *チェスター・ビーティ美術館:アイルランド ダブリン(続く)

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絵本の味わい

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 第1巻「瓜と龍蛇」 ➡➡ ➡➡ 「いまは昔 むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 全5巻福音館)は、まだまだ手におえていません➡➡が、中世文学、伝承など、子どもの話に繋がるのことについては本当に深く書かれ、本を開くだけで、不勉強を思い知ります。また、この本は、大人を意識して書かれた論文ではなく、大きな子どもたちにも理解できるように平易に書かれていて、もっと、読者のすそ野が広がればいいと心から(今さらながら・・・)思います。

 「いまは昔、むかしは今」全5巻には、中世のものが多いので、京の都(きょうのみやこ)という設定も多く、いわゆる、江戸や江戸時代については、ページ数が少ない。また、江戸の絵草紙などの消耗品だったものまでは、多く書かれていないので、瀬田貞二「落穂ひろい上下」(福音館)も、開き、読み直しています。

 こちらは、瀬田貞二が、絵本を深めるために日本の絵本の歴史をたどるという趣旨がある、これも大著です。
 瀬田貞二は、≪日本の子どもの本は、鼠に始まった≫という小池藤五郎の言葉を引用し、≪鼠の嫁入りは子どもの本の不変のテーマでした。≫とします。

 鼠の嫁入りのことは、以前、サントリー美術館で「鼠草紙」の絵巻を見た時にも書き、➡➡、また昨年のネズミ年にも書きましたが➡➡「いまは昔 むかしは今」第3巻「鳥獣戯語」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)にも出てきます。
≪江戸時代のなかばになると、人間の生活のさまざまなありさまを鼠でにぎやかに描いた絵本が無数に作られるようになった。…(中略)・・・・これらの絵本に人間が登場することはない。そのかわり、鼠たちは人間にかぎりなく近づいてゆく。≫

 そして、ハーバート大学フォッグ美術館所蔵の「白鼠弥兵衛物語」(絵巻)を紹介しながら、こう言います。
≪絵巻には場面が連続して変わる楽しさがある。≫
≪絵本の味わいは、ひとつひとつの場面に集中することにある。≫(続く)

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むかしの鳴き声

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(承前)
  『うしは どこでも 「モー!」』(エレン・スラスキー・ワインスティーン 作  ケネス・アンダーソン 絵  桂かい枝 訳 すずき出版)➡➡にあるように、世界共通の牛さんの「モォー」は、日本では、昔から「モォー」と鳴いていたのか?

 この疑問には、「いまは昔 むかしは今 全5巻」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第3巻「鳥獣戯語」に、答えがありました。

≪牝牛はウンメと鳴き、牡牛はウンモと鳴くなる≫(醒睡笑)*1623年成立の笑い話集1039話
・・・・ま、やっぱり、牛は、モゥーかな?

牛ではなく、猿の事は、「今も昔も進化しない猿」と書かれ、
≪キヤキヤキヤキヤ≫(狂言「猿聟」)
≪キヤアキヤアキヤア≫(狂言「柿山伏」)と、しています。

そして、鼠は、チューチューでなく、「ジイジイ」
≪「あら都恋しや、ジイジイ」「姫まつ恋しや、若まつ恋しや、ジイジイ」「都よりの花男見んとて、ジジメキ、寄りこぞり給ひけり」(慶応大学本『弥兵衛鼠』)
≪ジジといへば聞き耳たつる猫殿の眼のうちの光恐ろし≫(渋川板御伽草子『猫の草子』)

さて、犬は?「わんわん」といわず、古くは、英語のよう。
≪べうべうたる野城、ことに興をもよほして覚え候≫(チェスター・ビーティ本『十二類絵巻』 15世紀)
≪ただべうべうと打つ波の音/鼓にも犬の皮をやかけぬらん≫(鷹筑波)*1642年刊の俳諧撰集
≪世間ノ人ハ犬ノ如ニシテ、ヒヤツヒヤツト吠テ≫(東福寺『四河入海』)1534年成立の抄物

他にも鴉、鷲、猫、梟、雉なども出ていますが、
ちょっと勉強になったのは狐。
≪コウコウとはちぎりながら其日はみえず≫(チェスター・ビーティ本・旧堂本本『十二類絵巻』 15世紀)
≪夜ならばコムコム(コウコウ)とこそ鳴くべきに あさまに走る昼狐かな≫(大山寺本・十行古活字本『曽我物語』江戸時代)
・・・・コウコウというのは、来う 来う(擬声語のコウコウの掛言葉)。

 上記チェスター・ビーティ本・旧堂本本『十二類絵巻』では、「コウコウ(来う 来う)」と約束しながら、狐が、その日は来なかったという箇所があります。ずるがしこく、約束を破る狐の性質までも当時から読み取っていたのが面白い。(『鹿まつところの狸』に続く)

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踏ん張った牛

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(承前)
 昨日のように、牛が力強い象徴として伝わる話➡➡は多いのですが、単に、体力的な力強さだけでなく、その心も強いと表現しているお話もあります。
 それは、「いまは昔、むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)の第三巻「鳥獣戯語」に載っています。やはり今昔物語です。

  夕暮れに、牛小屋に入れられるのを忘れられた牝牛と子牛が、田んぼで草を食んでいると、狼がやってきます。母牛は、子牛をかばおうと、狼の動きに合わせ、ぐるぐる回り。するうち、片方の崖が土塀のように切り立ったところに狼が背を向けたちょうどそのとき、母牛は真正面から寄って行き 突きました。母牛は、満身の力を込めて、狼を角で突き続け、狼は死んでしまいます。
 が、母牛は、狼がまだ生きていると思ったのか、角を突いたまま、夜通し踏ん張ります。
 夜が明けて、牛小屋に入れ忘れたことに気づいた牛の主が見に行くと、狼を追い詰め、まだ角で突いたままの母牛とそばで鳴きながら座っている子牛を見つけます。
 それで、牛の主は「なんとかしこいやつだ」と言って牛をほめ、うちに連れ帰ったというお話。

 第3巻「鳥獣戯語」というタイトルですから、牛の話だけでなく、たくさんの鳥獣の話が載っています。また、大きな目次だけ記します。
 翼あるもの、地を走るもの
 神か神の使いか妖怪か
 狩人・王・荒えびす
 血と肉の祭り、豊穣の祭り
 ”生”の品位
 人と野生をつなぐもの
 楽土の夢想

☆写真は、スイス 向こうにアイガー

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黄斑の牛

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(承前)
 今度は、「黄斑」。
 あめまだらの牛の話です。こちらは「いまは昔、むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第二巻「天の橋 地の橋」にありました。

また、第二巻の大きな目次だけ書きます。
「最初の橋を見つけた!」
「だれが橋を架けたのか?」
「橋の神秘」
「橋は別世界との通い路」
「橋にひそむもの、川にひそむもの」
「川をゆく――淀川水系の場合」
「都の橋 京・大坂・江戸」
・・・中には、「だいくとおにろく」や「さんびきのやぎのがらがらどん」や「一寸法師」などの話も入っています。

 それで、「黄斑の牛」がでてくるのは今昔物語「河内禅師の牛」です。大意が現代語にされて書かれています。
≪・…当時、河内禅師のところに黄斑の牛が飼われていたが、その牛を知人が借りうけたいというので、淀へ牛をひいていかせた。ところが、樋集(ひづめ)の橋にさしかかると、牛飼いの車さばきがへたで、片方の車を橋から落としてしまった。それにひかれて牛車も橋から落ちていく、ああ、落ちる落ちる、と思っていると、牛は足をふんばってぐっとこらえ、じっと動かずに立っていた。とうとう鞅(むながい)が切れ、牛車は落ちてこわれてしまったが、牛は落ちずに橋の上にとどまった。人は乗っていなかったので、けが人はなかった。力の弱い牛だったら、引かれて落ちて、牛も大けがをしたことだろう。なんとすばらしい牛の力だと、そのあたりの人たちもほめちぎった。・・・・・≫

 なるほど、力強い牛の象徴として「黄斑牛」が選ばれたのですね。
 ちなみにこ樋集橋のことを調べてみましたが、この字の橋や地名は見当たりませんでした。ただ、ひづめ(獣の蹄と同じ音)の字が樋爪という地名は、京都南部桂川(やがては淀川になる近く、淀樋爪というところが見つかりました。(続く)


北野

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黄牛を埋める

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(承前)
 それで、 「黄牛」はどこで目にしたかというと、それは、「いまは昔 むかしは今 全5巻」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第1巻「瓜と龍蛇」➡➡

 この本の前半は、いわゆる七夕伝説を中心に書かれていて、瓜が天の川の元なったという「天稚彦草紙」の絵巻から始まるのです。大著なので(全体で400ページ以上)、とりあえず、大きな目次だけ。
「瓜から天の川が流れ出す?」
「一夜杓とは何か?」
「西の京の女とは何者か?」
「瓜、瓢箪、夕顔をもう一度よくみてみよう。」
「瓜や瓢箪の中からは、思いがけないものが出てくる」
「水に浮かんで,ふしぎなものが流れ寄る」
「龍か蛇か」

 さて「黄牛(あめうし)」は、各地の『さまざまな天人女房の話』を集めた中、長崎の天人女房のところに出てきます。
≪木挽きの源五郎が、天女の着物を隠して女房にするも、子どももでき安心したので女房に着物を見せると、女房はそれを着て「会いたくなったら、黄牛を千匹埋め、ブナの木の種をまけ」といって天へ帰ってしまいます。源五郎が999匹の黄牛を埋め、ブナの木の種をまくと、ブナの木は天にとどいた。源五郎がのぼっていくと・・・・・≫

 なぜ、赤牛でなく、短角牛でなく、黄牛なのかは、不明で、少々落ち着かないものの、ともかく、役牛としての牛の話は、昔からたくさんあったようです。ただ、大陸から渡来するまでの古墳時代以前は、馬牛は日本に居なかったとありました。また、仏教では動物の殺生が禁じられていたこともあって、さらに、奈良時代には、食するのが禁じられ、牛は、役牛としての位置であったようです。素人としては、牝牛の乳を飲んだりもしなかったのかと、素朴な疑問は残るものの、(貴重な発酵品はあったようですが)、命令を守る素直な国民としては、長きにわたって、牛さんを食べることに利用なんて考えもしなかったのだろうと考えます。(続く)

☆写真は、「瓜と龍蛇」に出ている「天稚彦の草紙」絵巻(室町時代初期)

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黄牛

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 「黄牛」の読み方、知りませんでした。
「あめうし」(または「あめうじ」)と読むようです。あめは、飴。つまり、飴色のうし、薄い黄褐色の牛のこと。それにまだらがあれば、黄斑(飴斑)。へぇー。*ただし、黄牛(おうぎゅう)と読んで、中国。東南アジアの首にこぶのある農耕牛をさす場合もあるようです。

 本棚をかき回していたら、一番上の棚のその奥に横たわっていたのが、「いまは昔 むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)の全5巻と索引本。

 この本は、初め、出版されたのが1989年です。当時、昔話にはまっていた9歳の長男が、この大きな本をよく読んで(見て)いました。が、次に出版されたは二年後。息子は、次の刊行を心待ちにし、問い合わせたくらい。が、その後、二年おきに刊行されたものの、最後の5巻目と索引は4年のブランク。結局5巻そろったのは、1999年。11年かかってやっと完結。息子はそのとき、19歳の大学生。5巻そろったのも、知らないかもしれません。

 それで、息子が楽しんでいたことだけを覚えていて、この母親は、その本の内容をしっかり読んでいたか?少々の書き込みはあるものの???・・・・で、いま、読んでみると、これは凄い!大変だぁ…ちゃんと、読もう・・・ということで、とりあえず、牛関連だけでもと考え、索引を引いたところで、見つけたのが、先の「黄牛」の項目でした。 (続く)

*すでに、「牛が座り込む」➡➡で、「いまは昔 むかしは今」第一巻「瓜と龍蛇」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)のこと少し書いています。

☆写真は、スイス クライネシャイデックの牛なので、日本の黄牛とは違う種類と思います。

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牛車

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(承前)
 菅原道真の牛車➡➡つながりで、もう一つ。と、思ったら、これはこれで、酒呑童子にも、つながった。➡➡ ➡➡

  「今昔ものがたり――遠いむかしのふしぎな話」(杉浦明平文 太田大八挿絵  岩波少年文庫)に「牛車にまけた三豪傑」という話があります。**福永武彦訳の「今昔物語」では「屈強の侍どもが牛車に酔う話」(ちくま文庫)

 酒呑童子のもとになったのは、源頼光とその家来の話、大江山の鬼退治で手柄を立てた家来のうち、平貞道、平季武、坂田公時が、京の加茂の祭りの翌日、斎院行列の見物に牛車で行く話です。
≪乗馬で紫野に出かけるのは、田舎ものくさく、やぼったくていかん。≫ということで、牛車で行こうということになるものの、≪乗りなれぬ牛車に乗って≫事故でも起こしては大変と、≪簾を垂れさげて女用の車のように見せかけてはどうじゃろう≫ということになって、車を借りてきます。3人の豪傑は、車のまわりに簾をたれ下げ、田舎ものらしい紺色の水干(すいかん)と袴など着たまま乗り込みます。
 ところが、牛車に乗るのが初めての三人は、乗り方がわからず、牛車に振り回されます。
 …頭をぶつけるやら、ほっぺたを打ち合わせてひっくり返るやら、うつぶせに倒れてごろごろ転がるやら・・・・ということで、3人とも、酔ってしまいます。
 御者の子どもに「やいやい、そんなに速く走らんでくれ」とうめくも、牛は止まりません。周りの人たちもこの女房車には、どんな方が乗っているんだろう?と、不審に思います。
 そんな猛烈な勢いで進んだものですから、3人の牛車は、どの車より早く紫野に到着。行列を待つ間の長い間、酔ってしまった3人は寝込んでしまい・・・

 ・・・・というような滑稽話なのですが、興味がわいたのは、田舎者と思われないために乗馬をやめるとか、田舎者の服装の様子とかです。
 ちなみに、平貞道(碓井貞光)は、相模国。坂田公時(まさかりかついだ金太郎?)は、駿河国。平季武(卜部 季武 坂上季猛)は、今の宝塚。

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牛が座り込む

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 「瓜と龍蛇」(「いまは昔 むかしは今」第一巻 網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)に、「神になった人の物語」が入っていますが、それは、京都 北野天満宮の菅原道真の話です。天神さんと牛との繋がりは大きいものです。
「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」  「桜はな ぬしをわすれぬものならば 吹き込む風に言づてはせよ」
 と、花の歌を残し、大宰府に流されますが、菅公は、日々都を思い、無実の汚名を晴らしたい思いをつのらせていたものの、亡くなります。
 ≪その亡骸を牛車に乗せて墓所に運ぼうとする途中、車を引く牛がにわかに路上に座り込んでしまった。人びとが騒ぎたてておしたり引いたりしたが、牛は石のようにうずくまってびくともしない。「これはきっと、この場所に葬れとの知らせであろう。」人々は、そう言いあって、牛のうずくまった場所を掘って亡骸を葬った。≫

北野jjjj

 だからか・・・北野天満宮の牛さんは、みんな座り込んでいるのは(臥牛)・・・なるほど。
これは、撫牛信仰として広がり、横たわった牛には、諸病平癒の力があると考えられています。(続く)
北野1
*写真一番上の牛の目が赤いのは、菅公の帰りを瞬きせずに待っていたからとか・・・

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