FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

ぼくはなにいろのネコ?

ねこ10j
「ぼくはなにいろのネコ?」(ロジャー・デュボアザン 山本まつよ訳 子ども文庫の会)
デュボアザンの絵本は、たくさん翻訳されています。
「ごきげんならいおん」シリーズ、「ペチューニア」のシリーズ、「かばのベロニカ」のシリーズ、アルビン・トレッセルトと組んだ数々、などなど。ここでも、もっと紹介した絵本があるものの、なかなか全ては紹介しきれていません。

 ということで、猫の絵本。「ぼくはなにいろのネコ?」です。

≪「ぼくを見て」と黄色がいいました。「ぼく、パッとあかるいでしょ。ぼくは、秋のにわを いきいきとさせるキクの花。ぼくは、日なたでねむる黄色いネコ。ぼくは、ジャングルを音もなく とおっていくトラ。ぼくは、空にかがやくお日さま。もちろん、ぼくがいなければ、お日さまもないのさ」≫と、この絵本は、始まります。
≪「黄色いネコだって!」と子ネコのマックスがいいました。「黄色っぽいネコはいるけど、黄色いネコなんかいるもんか、もし、ぼくが黄色だったら、水仙の花たばと まちがえられてしまいそう。」≫と、子ネコのマックスは考えます。

 こんな、詩的な始まりのこの絵本は、次に青、緑、赤、オレンジ、茶色、黒、白…時にお互いが交じり合いながら、色が様々に交じり合っていく世界を 表現しています。絵本でなくては、表現できなかった抽象的な世界です。
 が、お話の本ではないので、少し大きめの子どもたちの方が、楽しめるかもしれません。

 また、最後には、大人にも、伝えたい言葉がありました。
≪「ほんとうに、ぼくら、ほかの色がいなければ、なにもできないね」と、黄色、青、赤、黒、白が、声をそろえていいました。「わたしたちが、なかよくいっしょにいれば、世界は、なんてうつくしく見えるんでしょう」≫

PageTop

そして、みんなも ねこである!

サイモンj
「サイモンは、ねこである」(ガリア・バーンスタイン作 なかがわちひろ訳 あすなろ書房)

 上記、写真の左端に、小さく「そして、みんなも ねこである!」という文字が見えますか?これは、表紙カバーを広げたところで、カバーされた状態では、表から見えず、折り込まれている箇所です。だから、多くは見落とします。
 が、洒落っ気のある作者は、この絵本のテーマであり、みんなも猫ということをどうしても、言いたくて、ここに表記したのだと思います。小さくても、主張するポリシーは、またこれ、この絵本のテーマだと思われます。

 お話は単純、サイモンという小猫がライオンやチーターやピューマやクロヒョウやトラたちに、「ぼくたちのだ にてますね」というところから話は始まります。みんなはそれを一笑に伏すものの、よく考えると、「いい耳を持ってる」「立派なひげと長いしっぽ」「鋭い歯」「とがった爪」「暗闇でも見える目」を、みんな持っていることがわかります。小猫のサイモンも「ちっちゃい」ながらも、持っていたのです。・・・・・ということで、サイモンも、仲間だとわかり、みんなで楽しく過ごす・・・というお話。

 これを読むと、ちょっとした違いにしか過ぎないものにこだわっていると、大きな括りが見えなくなる、ものの本質が見えなくる・・・・なーんてこと、考えて読んだら、面白くないので、このサイモンという猫たちの関わりを楽しむのみ。 

PageTop

不思議の国のアリス展

アリス11
 兵庫県立美術館の「不思議の国のアリス展」(~2019年5月26日)に行きました。

 作者本人(ルイス・キャロル)の挿絵も、味はあるものの画家でないので、やっぱり、ジョン・テニエルの絵が、それ以外考えられないほど、不思議の国のアリスには、ぴったり。また、アーサー・ラッカムの絵は、個人的に好みで、楽しみの一つでしたが、アリスは、テニエルかなぁ・・・
 今回の展示では、ルイス・キャロルやテニエル以外の画家たちによる、本や挿絵も展示されています。それは、現代にいたる およそ、1世紀に及ぶ画家たちの饗宴でもあって、楽しいものでした。ヘレン・オクセンバリーやエリック・カール、ディズニーのアリスもあります。

 ところが、どの画家も、その個性を発揮して、おもしろいものの、画家ごとに展示、この展示方法より、同じ章の挿絵を比べていった方が、もっと、面白さが増したような気がします。それぞれの表現方法は異なっても、元になる話が一緒なのですから、その捉え方を見るのは、きっと、興味深いものになったと思うのです。

 また、係の方が、羽根つきの帽子をかぶり、黒いいでたちで、室内監視をなさっていましたが、アトラクション会場ではないし、もっと、ワンダーランド感を出すなら、違う方法で、アプローチしてほしかった気がします。ティーセットの設えも、中途半端な気がするし、他、色々な飾りも、子どもだましに近いような・・・会場の最後では、さながら、アミューズメントパークのような、アニメーションが並んでいました。手を振ってくださいと言うアナウンスについ つられ、手を振ったら、各画面のアリスワンダーランドのキャラクターたちが、手を振りました。(カ・リ・リ・ロは、若い頃、本場に行ったくらい、ディズニーランドが好きでした。)(続く)

☆写真上は、左から、アーサーラッカム「アリスとメダマカエル召使い」(1907年)。左下、マリ・ローランサン「涙の池」(これは、このページが開かれた展示本で、他のページも見てみたかった・・・)(1930年)。右下、エリック・カールのはらぺこあおむし風の「チェシャネコいもむし」(2018年)。ポストカード3枚の下にあるのは、展覧会の案内パンフレットのジョン・テニエルのアリス(1890年)
☆写真下は、写真撮影可の展示作品、チャールズ・サントーレ「ウサギ穴を落ちていくアリス」(2014-17年)
            アリス20

PageTop

あかいえのぐ

あかいえのぐj
 昨日の「ねこのミランダ」➡➡を本棚から出した時に、隣にあったのが、この「あかいえのぐ」(エドワード・アーディゾーニ作 津森優子訳 瑞雲舎)でした。
 表紙に、黒猫・・・猫絵本の1冊に積み上げました。

 話は、絵描きのお父さんはと子どもたちは、貧しくても仲良く幸せに暮らしておりました。いろんなものを売ってお金にしてきたものの、ついに、、仕上げの赤い絵の具がない・・・そこで、子どもたちが、頑張りますが、八方ふさがり・・・とはいえ、ちょっとクリスマス・キャロルを思い出す、スクルージじいさんんみたいなロバートおじさんが現れて(お話の初めに絵描きのお父さんとけんかしているおじさん)・・・お父さんの絵は完成、お父さんの絵は売れるようになって・・・・めでたしめでたし
 
 で、ちっとも、猫は関係ありません。しかも、その存在を知らしめるのは、写真左に写る絵で「ニャア」と言う箇所だけ。

 とはいえ、家族、仲良く団らんしているページでは、それを見守るかのように満足気(に、みえる背中)な猫。
 男の子のサイモンが何か描こうとしているページでは、興味津々に尻尾をたて、上の写真左のページでは、元気をなくしたお母さんに「大丈夫だよ」というお父さんと声を揃えて「ニャア」。
 赤い絵の具を探しているページでは、心配そうに引き出しの方を見て、売るものもなく、作品もできないと家族が悲観するページでは、猫の耳も垂れ、尻尾も下がっています。
 家族が食べるものも硬くなったパンと古くなったチーズの夕飯のページでは、猫もお皿に、何かほんの少し入れてもらい、お皿をなめています。
 そんなある日、大きなごちそうの入った荷物、赤い絵の具も入っている荷物が届くと猫も一緒になって、箱をのぞき込んでいます。
 そして、完成した絵の前では、尻尾を立て、姿勢を正した(かのように見える)猫が居ます。みんなでごちそうの用意をするページでは、足取りの軽い猫の姿。そして、ついにロバートおじさんが部屋に入ってくるページでは、見知らぬ人には「フゥー」とうなっているかの猫の絵。

 ・・・とまあ、お話の本筋とは関係ないかのように見える猫でしたが、ちゃんと仕事をしていたのがわかります。もちろん写真右の本の表紙(昨日も写っています)では、家族をモデルにして描くお父さんの傍で、じっと見守っている猫です。

PageTop

ねこのミランダ

ねこ11j
「ゆうかんな猫のミランダ」(エレナー・エステス作 エドワード・アーディゾーニ絵 津森優子訳 岩波)

 このアーディゾーニの挿絵のついた子どもの本の作者は、「百まいのドレス」「(石井桃子訳 ルイス・スロボドキン絵 岩波)や「モファットきょうだい物語」(全3冊 渡辺茂男訳 松野正子訳 スロボドキン絵 エスティス絵 岩波少年文庫)の作者です。
 
 「ゆうかんな猫のミランダ」は、肝っ玉お母さん猫ミランダの話です。時も場所も、古代ローマ。コロッセウムや広場が舞台です。
 歴史に興味がなくても、この大きくて勇敢で、しかも、妊娠しているお母さん猫の頑張りには目を見張ります。
 最後には、数十匹の猫たちのトップとなり、勇敢なという冠ではなく、猫の女王「コロッセオの女王ミランダ」という位置づけに。
 路頭に迷う子猫を助け、それも、自分の子プンカを含めて34匹(あとから、さらに、自分が産んだ4匹も加わり)、他にも、途中から加わった大人の猫など・・・ともかく、親分肌のミランダに、猫たちが集まった結果です。

 子ネコたちのミルク不足を補うために、コロッセウムの中に閉じ込められたライオン(しかも、乳の出るメスライオン)と、取引するところは、「勇敢すぎる猫ミランダ」に改題してもいいくらい。

 そんな肝の座ったのミランダも、子猫たちに子守唄を歌い、生まれたばかりの子どもたちに寄り添って、のどをならし、子どもたちは、それに、ごろごろと応え、≪まるで、浜辺にうちよせるさざなみのように、子猫たちはのどをならしました。≫
 この優しい空気とローマの混乱と、最後の章でのミランダのソロと、猫たちの合唱、猫たちのオペラ・・・子どものための本ながら、壮大な歴史を伝えようとする作者の意気を感じます。もちろん、そこに生きる小さなものたちの生き方も。

 残念ながら、ローマに行った事はありませんが、今も、猫の多い街(と、言われている)ローマの遺跡トッレ・アルジェンティーナ広場などには、野良猫・捨て猫保護センターというのがあるようです。

エピローグにあります。
≪いつかあなたが、アッピア街道かどこかの道からローマを訪ね、コロッセオをおとずれることがあったらーそれも夜に、できれば馬車で石畳の道をぱっかぱっかと走ってたずねることがあったならーコロッセオから歌がきこえてくるかもしれません。その歌は、そこにいる猫たちの王国のなりたちを伝えるものです。あの壮大なオペラが、夜ごとさまざまにつけたされたり、ねりなおされたりしながら、テーマはそのままに、奇跡のようにすばらしい女王、コロッセオの女王ミランダをたたえているのです。もう何世代にもわたって伝えられてきた歌ですから、あなたもコロッセオで、きっとその歌を耳にすることでしょう。できることなら、ここぞというところで、「イオ、イオ!ブラボー!」といってごらんなさい。≫
 

PageTop

極楽にいった猫

   涅槃猫j
「極楽にいった猫」(エリザベス・コーツワース 古屋美登里訳 清流出版)
 冬の京都の特別公開で「涅槃図」 を何点か見てから➡➡  ⇒⇒  ➡➡  ⇒⇒、この本のことを教えてくださった方いて、図書館リニューアル後やっと、借りることが出来ました。

 「極楽にいった猫」は1931年にニューベリー賞を受賞し、たくさんの作品を残したコッツワースという作家の作品です。*ニューベリー賞は、アメリカでその年、最も優れた児童文学に与えられる賞で1922年から*

 長いお話ではありません。
 貧しい絵師が、涅槃図を描く仕事をするのですが、釈迦の人生をたどりながら、それぞれの動物の動きにも心を寄せて描いていきます。
 その絵師の傍には、猫がいました。が、猫は、死者を踊らせたり奪ったりするために臨終の場にはタブーであったらしく、また、摩耶夫人が投じた薬袋を取りに行ったネズミを猫が食べてしまうといわれていた➡➡ので、涅槃図には描かれませんでした。が、絵師は、「福」と名付けられた猫を描かずにはいられません。
≪「他の動物は釈迦に受け入れられ、慈悲を受け、極楽へいくことができたのに、猫のまえで極楽へと通じる扉は閉まってしまったのです。絵師の目に涙が溢れてきました。「そんな無慈悲なことはできない」≫と、一番いい絵筆で、最後に猫を描きいれたのです。≫

 こんなお話を1931年にアメリカの女性が書いたことにびっくりです。この人は20代の頃に一人で日本に来たようで(日本の大正時代)、東洋の国々も旅したようです。幼い頃から両親と世界中旅していたとありました。

で、この猫、「福」という猫、昨日の Delilah➡➡と同じ三毛猫!なのですよ。
この話では、三毛猫の美しさを、こう表現しています。
≪白い雪に金箔と漆をおとしたような体をしているな。白い花に二羽の蝶が舞い降りたようにも見える・・・・≫
三毛猫を愛したフレディ・マーキュリーは、この話を読んでいただろうか?

参考:「涅槃図物語」(竹林史博 大法輪閣)
☆写真は、再登場、京都 轉法輪寺 涅槃図に描かれた猫➡➡

PageTop

きみとぼくのネコのほん

 パオラねこj
「きみとぼくのネコのほん」(トミー・デ・パオラ作 もりしたみねこ訳 ほるぷ出版)

 この絵本は、お話のある図鑑のような一冊です。いろんな猫の説明が続きます。
まずは、シャムネコ、マンクス、ペルシャネコ、レックス、アメリカン・ショートヘアー。他にも絵だけで登場するのは、バーミーズ、ジャパニーズ・ボブテイル、ヒマラヤン、メイン・クーン、ロシアン・ブルー、のらネコ、でぶネコ、農場のネコ。

 それで、アビシニアンのページには、古代エジプトの猫と呼ばれる由来が、書かれています。また、ローマ人がエジプトの猫を連れ帰ると重宝されたものの、中世になると、悪い魔女の手先と思われ、ハローウィーンの魔女の箒に乗る猫の絵が…それから、ヴィクトリア女王の時代には、猫の居る家庭が幸せの象徴とされ、たくさんの画に。そして、お話にも登場するチェシャーネコ フクロウと子ネコ 長ぐつをはいたネコ・・・・

 それから、猫の食事やトイレ、寝る場所・・・と、簡単に書かれています。そして、主人公のパトリックは、猫をもらって帰ったものの、一匹だけでいいと家族に言われ、上の写真下部に写る絵となるのです。
 
 ネコ好きの人には、たまらない絵本です。
 その後書きの部分に「ネコのおもしろじょうほう」もあって、その中に、「英語でおすネコはトム、めすネコはクィーンとよばれます。」とありました。ん?ん? ああ、また続くぞ!(続く:その2へ)

PageTop

これが おばあちゃんの おうちかな?

ウィリー2j
(承前)
「ウィリーのぼうけん」(マーガレット・ワイズ・ブラウン 作 上條由美子訳 広野多珂子絵 福音館)の、三つ目のおはなしは、「ウィリーのおでかけ」です。

始まりはこうです。
≪ウィリーは、小さなまちにすんでいました。ウィリーのおばあちゃんは、いなかにすんでいました。ある日、おばあちゃんから、ウィリーにでんわがかかってきました。「おばあちゃんのところに、あそびにおいで」「いつ?}と、ウィリーはききました。「いまから、すぐに」と、おばあちゃんはいいました。「ぼく、どうやっていったらいいの?」と、ウィリーはききました。「あるいておいで」とおばあちゃんはいいました。「のはらをとおって?」「そう、のはらをとおって」「ぼく、ひとりで?」とウィリーはききました。「そう、おまえひとりで」・・・・・≫

あれあれ?これって、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン坪井郁美文 林明子絵 ペンギン社) じゃないの?昔、うちの本棚にも並んでいた絵本の一冊。林明子の描く絵が可愛く、魅力的で、今も書店に並んでいる絵本。当時は、絵の魅力に抗しきれず、少々、お話が唐突でも、いい絵本だなと思っていたのです。
こちらの始まりはこうです。
≪はい もしもし あ、おばあちゃん うん ぼくだよ いまから? ぼく ひとりで いくの? どうやって いけばいいの?おうちのまえのみちを まっすぐ いって いなかみちを まっすぐ まっすぐ いなかみちってこわくない?どのいえが おばあちゃんの おうちか わからないよ うん、わかった のぞいてみるね・・・・・≫

較べてみると、一目瞭然、
「ウィリーのおでかけ」では、おばあちゃんの声も文になっているため、具体的な電話の用件が伝わってきます。そして、ひとりで行くという流れも。ところが、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」では。絵を見れば、僕がおばあちゃんと話しているのはわかりますが、何を指示されているか、具体的にわかりません。大人は、文を読めば、指示された内容についてわかるでしょう。が、しかし、お話を読んでもらっている幼い子どもたちには、「うん」「わかった」といっても、その具体的な流れはわからないのです。

かつて、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」で、納得できなかったことが、こうやって比べるとすっきりしました。「ウィリーのおでかけ」は、マーガレット・ワイズ・ブラウン文ですが、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」は【”Willie's Walk"をもとに創られた】とありますから。

三つのおはなしの入った「ウィリーのぼうけん」(Willie's Adventures)は、2019年1月に翻訳出版されました。

PageTop

ウィリーのこねこ ミューミュー

ウィリー1j
「ウィリーのぼうけん」(マーガレット・ワイズ・ブラウン 作 上條由美子訳 広野多珂子絵 福音館)には、三つのおはなしが入っています。「ウィリーのどうぶつ」「ウィリーのポケット」「ウィリーのおでかけ」です。挿絵のたくさん入った幼年童話です。

一番初めのおはなし「ウィリーのどうぶつ」は、≪ウィリーは、どうぶつを、1ぴきもかっていませんでした。ウィリーは、いっしょにあそべる、どうぶつがほしとおもいました。じぶんだけの、いきている、ほんとうのどうぶつです。≫で、始まります。それで、田舎に住んでいるおばあちゃんに電話し、おばあちゃんが捕まえられる動物は?と相談。すると、おばあちゃんは、次の日、小さな箱をウィリーに届けてくれます。お母さんがお昼に帰ってくるのを待って開けてみると…
 そこから飛び出した小さいふわふわのもの。長い髭とキラキラしたみどりの目と、白い、とがった歯と、ふさふさしたしっぽがついています。
・・・で、ウィリーは、その子猫の世話をし、一緒に遊び、名前を「ミューミュー」とつけました。

 さて、小さな子どものおはなしは、子どもたちの身近なもの、身近な出来事、あるいは、子どもたちの気持ちに沿ったお話というものが大切です。作者のマーガレット・ワイズ・ブラウンは、「おやすみなさいおつきさま*」や「クリスマス・イブ*」をはじめとして、子どもたちによくわかるお話を書き続けた人でした。(続く)

*「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)
*「クリスマスイブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ベニ・モントレソール絵 矢川澄子訳 ほるぷ)

PageTop

ヴィークランドの絵

ロッタちゃん新
(承前)
 「長くつ下のピッピの世界展」➡➡で、ニイマンの絵➡➡を たくさん見ることが出来ましたが、リンドグレーンと言えば、ヴィークランドの絵と思っているようなカ・リ・リ・ロにとっては、ここで、初めて目にした「ちいさいロッタちゃん」表紙原画を見ることができただけでも、大きな喜びでした。この絵は、翻訳されているロッタちゃんシリーズ(山室静訳 偕成社)では、見ることができないからです。

 「ちいさいロッタちゃん」「ロッタちゃんのひっこし」は挿絵の本で、絵は白黒ですし、カラーで大型絵本の「ロッタちゃんとじてんしゃ」「ロッタちゃんとクリスマスツリー」にも、この表紙原画を見ることはできません。

 上のような図録を写した写真では、その素晴らしさが伝わらないのが残念ですが、ヴィークランドの描く、数々の花吹雪や、降りしきる雪の絵は、この画家ならではの美しさを伴って、リンドグレーンの作品に、深みを持たせていると思います。

 と、いうことで、ヴィークランドとリンドグレーンについても、ぼちぼち 書いていきたいと思います。
 そして、こんな時代だからこそ、リンドグレーンを読むことにも、意味があると思っています。➡➡

☆写真上は、「長くつ下のピッピの世界展」図録の「ちいさいロッタちゃん」
写真下、右は、「ロッタちゃんとじてんしゃ」(山室静訳 偕成社)、左は「ちいさいきょうだい」(大塚勇三訳 岩波)
ロッタちゃん2

PageTop