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みんなみすべくきたすべく

もりのなか

ファンタジー3
(承前)
 「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ まさきるりこ訳 福音館)には、個人的に深い思い出があります。(この話は、他でも書いたかもしれないし、話すことも多いのですが・・・)

 昔、小学校1年生を担任していた時、小人数のクラスだったこともあり、毎日、帰りの時間には、1冊の絵本を読んでいました。教室の後ろの広いスペースに子どもたちは半円になり、体操座りで床の上、教師の前に座ります。それで、絵本を聞くのです。
 そのとき、それまで、幼稚園にも保育所にもいったことのなかった、つまり、集団生活の経験のなかったNくんは、うろうろと、動き回り、ともだちの顔をのぞきこんだりしていました。それは、そのときに始まったことではなく、授業中でも同じでした。椅子に座って聞くという経験がなかったのです。騒いだり、もめごとを生んだりするのでなく、みんなが椅子に座っているのは、どういうことなのか、うろうろ確かめているような動きでした。やんちゃ坊主ということもなく、多動過ぎるということもなく、単に、友達の存在が気になって、椅子に座っていなかったような気がします。その子の家庭は、決して裕福ではなく、狭い一部屋に5人家族が住んでいました。N君が、一番上の子で、あと2人の弟、妹が居たと思います。
 いくら、この話が昔のことと言っても、当時、ほとんどの子どもが幼稚園や保育所に通っていましたから、一種のネグレクト状態だったのかもしれません。まだ、虐待という言葉自体が、知名度の低い頃で、ましてや、新卒の新米教師には、そんなに深いところは、理解もできていませんでした。
 ・・・・で、3学期にもなったある図書の時間のことです。
 子どもたちは、思い思いの本を広げて、図書の時間を過ごしていました。ふと見ると、N君が、「もりのなか」を広げ、にっこり笑っているではありませんか。いい笑顔!!!
 その笑顔が忘れられなくて、新米教師だったカ・リ・リ・ロは、前期高齢者講師になった今も、絵本の種をまき続けています。
絵本なんか見たこともなかったであろうN君に、「もりのなか」を紹介したように、これからも細々と種まきします。 とはいえ、終わりの方が近いなぁ・・・・

☆、写真は、「また もりへ」(マリー・ホール・エッツ まさきるりこ訳 福音館)➡➡の見返しを広げた上に、「もりのなか」

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ファンタジーの世界へ

ファンタジー1
(承前) 「あおのじかん」➡➡「はくぶつかんのよる」➡➡ 「シルクロードの あかい空」➡➡の イザベル・シムレールの絵本で邦訳されているのは、現在のところ、4冊です。

 次の「ねむりどり」(イザベル・シムレール作 河野万里子訳 フレーベル館)は、他の三冊と違って、科学絵本ではありません。美しい絵でファンタジックなで世界を表現しています。
 「青い」「赤い」ときて、今度は「白い」絵本とも言えるでしょう。白い鳥の羽毛の質感も、表現しています。
☆写真上は、イザベル・シムレールの「シルクロードの あかい空」の上に、「ねむりどり」の本を置いています。
 
 この「ねむりどり」は、図鑑のように名前を紹介するのではなく、お話仕立てですから、作者の表現する世界に、自らが入りこんでいく必要があります。ところが、話の始まりは、リアリティのある、生活感のある表現ですが、徐々に、時間をかけて、ファンタジーの世界に入っていくので、ん?どうなっているの?  よくわからない・・・ということに、なるかもしれません。

 ファンタジーの世界に入りこむことは、時間をかけてではなく、あっという間に入りこまなくては、嘘っぽさが増してしまうのではないでしょうか。そして、入りこんだ世界が、もしかしたら、あるかもしれないというリアリティに裏付けされていることが、ナンセンスとは、違うと言えましょう。ナルニア国に行くのに、大きな深い衣装だんすに入りこむなんて、本当にありそうな入り口です。

 と、考えると、幼い読者が、あっと言う間にファンタジーの嘘っこの世界に入っていける「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ作 まさきるりこ訳 福音館)は、本当にお薦めできる1冊なのです。

≪ぼくは かみの ぼうしを かぶり、あたらしい らっぱを もって もりへ さんぽに でかけました。≫
 そしたら。ほら!あっというまに、ファンタジーの世界に入み、らいおんが、ひるねをしているところに・・・
 そして、髪をとかすライオンがいて、水浴びをする象がいて・・・これが、髪をとかす象、水浴びをするライオンじゃ、リアリティがない。ありそうな世界だから、安心して、入りこめる。

 「ぼく」は、もりに散歩に出かけ、動物たちと、お父さんには見えない動物たちと、楽しい時間を過ごすのです。

 イザベル・シムレールの「ねむりどり」は美しい本ですが、地味な色合いの「もりのなか」「また もりへ」というマリー・ホール・エッツの絵本と比べると、幼い読者の心を捉えて離さない絵本は、後者だと思います。(続く)
☆写真下は、イザベル・シムレールの「ねむりどり」の上に、「もりのなか」を置きました。寝ているライオンの口元、よーく見て!このリアリズムがたまらない。

ファンタジー2

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シルクロードのあかい空

あおのじかん5
「シルクロードの あかい空」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)
(承前)
 さて、今度は青い絵本ではなくて、「赤い」絵本です。赤い色を基調にし、雄大な風景を美しく描いています。
 この絵本は、科学絵本の中では、自然科学というより、社会科学絵本のような位置づけでしょうか。もちろん、今までの「あおのじかん」➡➡(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波) 「はくぶつかんのよる」➡➡のように、図鑑的な要素もあり、絹や綿、その地の動物などの名前を記してもいます。ただ、この絵本は、シルクロードの歴史や位置づけもテーマなので、2冊の青の絵本より、単純な流れとはいえません。
 今この時、シルクロードを行く人の視点だけなく、歴史上の人物も登場するため、視点がぶれ、幼い子どもにはわかりにくい。絵本の形はしていても、小学校中学年以上の子どもたちに楽しんでほしい一冊です。(続く)

☆写真上下とも、「はくぶつかんのよる」の見返しの上に、「シルクロードのあかい空」を広げています。これら、「はくぶつかんのよる」の 2つの見返しは、少々、青の明度が違い、描かれている内容も、違います。

あおのじかん6

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はくぶつかんのよる

あおのじかん3
「はくぶつかんのよる」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)
(承前)
 絵本「はくぶつかんのよる」は、「あおのじかん」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)➡➡の続編かと勘違いしそうになる深い青色の表紙。中身も青を基調としています。

≪かわの ほとりに たたずむ はくぶつかんに まもなく よるが おとずれます。だれも いなくなった たてもののなかを そっと
のぞいてみましょう。≫と、この絵本は始まり、化石や貝殻の部屋(ここは何も動きません)、次は、昆虫標本の部屋(チョウたちがこきざみに 羽根をふるわせ始めたと 思ったら、一匹の黄色いチョウが・・・)、骨だらけの部屋(いつのまにか、チョウたちが 飛び回り)、剥製の部屋(チョウたちが呼びかけると、どの生き物も目を覚まし)、鉱石や隕石の部屋(チョウたちがふれ)、道具たちの部屋、埴輪やお面も仏像も、空中散歩、いろんな時代のいろんな地域から集まってきた生き物や化石や道具たちが、一晩中 過ごすのは、まるで、夢のようなひととき!・・・・・

 たくさんの化石にも、昆虫たちにも、動物たちにも鉱石や隕石にも、名前が付けられ、さながら、小さな図鑑のようです。
 図鑑のようでありながら、詩的で、美しい話の流れ、最後は、一番初めに飛び始めた、一匹の黄色いチョウの絵で終わります。(続く)

☆写真上は、「あおのじかん」の最後の見返し、世界地図の上の動物たちの絵の上に、「はくぶつかんのよる」を置いています。
写真下は、「あおのじかん」の初めの見返し、色々な青という色見本の上に、「はくぶつかんのよる」の鉱物のページを開いています。


あおのじかん4

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あおのじかん

あおのじかん2
 きれいな絵本です。「あおのじかん」(イザベル・シムレール文・絵 石津ちひろ訳 岩波)

 おはなしの絵本のようでもあり、小さい子どもにもわかりやすいように描かれた科学の絵本でもあります。絵本を開くと、初めの見返しの部分に、いろんな青の色見本があって、青といってもこんなにあるんだと、本を読み進む期待感が増します。
 ちなみに、一番薄い青は、「こなゆきいろ」。一番濃いのが、「まよなかのそらいろ」。

  ≪おひさまが しずみ よるがやってくるまでの ひととき あたりは あおい いろに そまるーそれが あおの じかん≫で、はじまり、≪すべての あおい いきものを よるの やみが そっと やさしく つつみこむ≫で、終わる絵本です。

 いろんな青の動植物たちが登場。詩的な世界が広がります。≪あおの じかんの はじまりを つげるのは アオカケスーー≫そして、ホッキョクギツネ、コバルトヤドクガエル、アオガラ・・・・・最後は、 ≪ぐんじょういろの イトトンボが ルリハッタケに すっと とまったら・・・・あおの じかんは そろそろ おしまい≫
 
 見返しの最後は、青い世界地図が描かれ、絵本に登場した動物たちが、世界中で、夜更けを迎えたのがわかり、その地球規模の広がりを知り、青の深さに改めて、感心。静かで、美しい世界を味わえる1冊です。 

 この綺麗な絵本を学生たちに読んだ授業後、「手に とって見たい」と近寄った学生も、何人か・・・(多くは、いつも、近寄ってきません) (続く)
 
あおのじかん1

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ねこのホレイショ

ホレイショj
「ねこのホレイショ」(エリナー・クライマー文 ロバート・クァッケンブッシュ絵 こぐま社) 

(承前) 写真左は、気難しい顔つきに見えるねこのホレイショです。
 ホレイショは、しまもようのおじさんねこで、ちょっと太りぎみ。灰色の眉毛が突き出しているので、気難しい顔つきに見えるとあります。が、抱かれるのも嫌いで、うれしいときも滅多にゴロゴロとのどを鳴らしません。ホレイショは、可愛がられるより、尊敬を込めて扱ってほしいと思っていたのです。

 写真右は、ホレイショが笑っているところです。抱きしめられても嫌がらず、嫌がるどころか、のどをゴロゴロ大きく鳴らしたホレイショ。

この2枚の絵は、初めと最後の絵です。
ホレイショに何があったのか?

 ホレイショの飼い主は、親切なケイシーさん。ケイシーさんが、連れて帰ったおなかをすかせた子犬、預かったウサギ、翼のおれた鳩、隣の家の子どもたち・・・みんな、ホレイショには、不愉快な存在でした。
うんざりしたホレイショは、家から抜け出すと・・・子猫が二匹、ついてきます。お店で追い払われ、大きな犬に吠えられ、雨が降ってきても、おなかをすかせた子ネコたちはついてきます。
 するうち、ホレイショが、子ネコたちのために行動し始め…
 最後は、ケイシーさんのところに子ネコと共に帰る・・・というお話。

 温かみのあるロバート・クァッケンブッシュの版画が、すねているホレイショをうまく表現し、可愛い子猫をより可愛く表現しています。

 作者のエリナー・クライマーは、「パイパーさんのバス」(クルト・ヴィーゼ絵 小宮由訳 徳間書房)➡➡の作者でもあります。

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声に出して読むのが楽しかった

たいさんぼく1
 最近、世界で活躍する日本の若いアスリートたちが増えてきたように思います。体格の資質や、メンタルの強さもあるでしょう。専門的なことはわかりませんが、単純に彼らのルーツが、日本とどこの国か、ということに、関心が生まれます。

 テニスは、ハイチと日本。陸上の若者は、ジャマイカと日本、ガーナと日本・・・・
 が、バスケットの若者の、ベナン共和国、どこ?
 調べたら、へぇー、こんなところにあるんだ。フランス語が公用語だって…大変だったんだろうな・・・え?その前は、王国だった?そうか・・・

 そのとき、ふと、思い出したのが、「A.A.ミルン童謡集」(訳詩山田正巳 さしえ E,H.シェパード 中日文化)
その中に出ていた「言うことをきかない」でもなく「いそがしい」でもなく、「もしも王様だったなら」のこと。
≪ぼくはときどき思うんだ 王様だったらいいなあと 
そしたらなんでも出来るんだ
もしもスペイン王ならば (中略)
もしもフランス王ならば (中略)
もしもギリシャの王ならば (中略)
もしもノーロウエイの王ならば (中略)
もしもバビロン王ならば (中略)
チンブクツーの王ならば ぼくは楽しく思うんだ
やりたいことのいろいろを
なんでもいいから 王ならば 兵隊たちに言ってやる
”ぼくは王様なんだぞ”と≫

 「チンブクツー(トンブクトゥ)」・・・このときも知らなくて、調べたら、(今みたいにWEBじゃなかったけど)アフリカ マリ共和国にあった交易で栄えた都市。
 あれ?アフリカ、王国というキーワードで、思い出したものの、全然違う場所じゃないですか・・・・。が、しかし、最も思い出すことができたのは、この詩集を、3人の子どもたちに毎朝読んでやっていたときのあの感触。
 楽しかった‥‥
 誰に指示されたわけでなく、何の義務感からでもなく、単純に、声に出して読むのが楽しかったお母さんでした。
 いまも、学生たちやお母さんたちに絵本を読んでいて、楽しさを分かち合いたいという気持ちにはかわりがないものの、やっぱり、あの楽しかった時代があってこその今なんだとも思うのです。

・・・なんだか、つながっていない話の流れで、恐縮。

☆写真上は、珍しく低いところで咲いていた公園のタイサンボク。大きな花でも、かすかにいい香り。下は、公園の池のカメさん。鯉も鯉の赤ちゃんも泳いでいます。鯉の赤ちゃんに似た赤い枯れ葉も浮いています。
たいさんぼく2

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ペルシャのふるい詩から

イラン1
「くらやみのゾウーペルシャのふるい詩からー」(ミナ・ジャバアービン再話 ユージン・イェルチン絵 山口文生訳 評論社)
(承前)
 イランの絵本を、ほとんど知りませんが、ペルシャの詩人ルーミーの詩をもとにつくられた「くらやみのゾウ」はどうでしょう?

商人アフマドは、大きくて不思議な生き物を遠く、インドから連れ帰りました。その噂は、村中に知れわたり、一体それはなんだ?一目見ようとアフマドの家に。一人、また一人と、くらのなかをのぞいてみますが、「蛇みたいだ」「木の幹みたい」「でっかいうちわ!」「革製の水入れみたい」「絵筆みたい」「角のよう」「笛のような音」・・・と、言い合い、夜になっても誰も人の言うことに耳を貸さず、どなり合っては、自分の言い分を押し通そうとします。

≪…つぎの朝、アフマドは、うつくしくて、おだやかな生きものを川へつれ出しました。でも、みんな、けんかするのにいそがしすぎて、大きなはい色のゾウに、ちっとも気がつきません。そして、自分が知っているのは、しんじつのほんの一部だということにも,気づきませんでした。


下の画面の絵は、前のページで、大人たちが言い争っているページの次、最後のページで、文章はありません。子どもたちと美しい象が向き合って、仲良く楽しんでいる様子が描かれています。
    イラン  

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子ども図書館

子ども図書館35
 今まで、東京 上野の複数の美術館に足を運ぶものの、近くの国立東京子ども図書館は行った事がありませんでした。
 東京子ども図書館は、上野の文化ゾーンの一角にある、子どもの本の総本山です。

 大きな古い建物は、一階ずつの天井が高い3階建て。明治に建てられた、元帝国図書館の堂々とした姿。
今もその面影は残しつつ、平成には、近代的な建物も中庭の向こうに建てられています。
       子ども図書館1

 甥が建築を勉強しているおかげで、おばさんも以前より建築に目が行くようになって、その明治の建物には、感心することしきり。知の殿堂としての図書館は、明治の威信をかけて作られたものと思われます。
 図書館の充実は、国家の知恵につながるのですから。いつの時代でも。

 中では、「イランの子どもの本展」が開催されていました。
 誰かのお使いでイランに出向いた人も、話の糸口に、『「イランの子どもの本展」を、今、東京でやっているのですよ。』と、話したでしょうか?そんなわけないか・・・
 それとも、単なる 誰かのお使いではなく、何かにつながる計略の一小道具だった?
 ともあれ、ペルシャ(イラン)の古い詩を知っていたら、もっと、賢くなれたのに・・・(続く)
子ども図書館11

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ちっぽけで ちいちゃい

エーデルワイスj
 昨日のRBGは、知恵の塊のちいちゃなおばあちゃんでしたが、お話でも、ちいちゃいおばあちゃんが、なかなか知恵のあるものとして描かれるのは、喜ばしいことです。

 イギリスの昔話に「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」(ジェイコブズのイギリスのむかし話集より 瀬田貞二訳 瀬川康男絵 福音館)というのがあります。
≪むかし ちっちゃな ちっちゃな むらに ちっちゃな ちっちゃな うちが あって ちっちゃな ちっちゃな おばさんが ひとりで すんで おりました≫で始まる話です。このおばさんは、ちっちゃな ちっちゃな ぼうしをかぶり、ちょっぴり ちょっぴり散歩に出かけるのですが、そこで見つけたものは、さてなんでしょう?
ちっちゃな ちっちゃな おばさんは、それを持ち帰り、ちっちゃな ちっちゃな 戸棚にしまうのですが。。。

 この話「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」の原題は、Teeny -Tiny といいます。音が面白いですね。
 また、英語には、他に wee という単語も、ちっぽけなという意味があるので、カ・リ・リ・ロは、これを使い「ちっぽけなカ・リ・リ・ロ」というアドレスにしています。
☆写真は、スイス ロートホルンのエーデルワイス

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