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みんなみすべくきたすべく

かぼちゃの本

おおまじない3j

(承前)
 なぜか、この時期、ハローウィンで盛り上がる街の風景で、カボチャも俄かに人気者になっています。
 現場で、絵本を子どもたちに読む人たちには、ハローウィンの絵本や、せめて、かぼちゃの絵本を探すことも増えています。➡➡

 そんなとき、やぎゅうげんいちろうの、カボチャの絵本が、毎年出ているのに、気付きました。(この画家、きっと、カボチャすきなんだろうなぁ)

 かつて、うちの子どもたちが小さい頃、月刊のかがくのともなどに、やぎゅうげんいちろうの絵本が何冊が出ていました。「はなのあなのはなし」「あしのうらのはなし」「おしっこの研究」(いずれも福音館)などなど、からだに関する絵本の数々にイラストをつけたような感じのもので、絵本単体としては、愉快な絵ではあるものの、ごちゃごちゃした感が、否めませんでした。

 が、しかし、小さい子どものための絵本「たまごのあかちゃん」「いろいろおせわになりました」➡➡ 「おでかけばいばい」シリーズ(すべて、福音館)になってくると、ずいぶんと、絵が、すっきりしてきて、眼鼻のはっきりしたキャラクター、そこに、さりげなく描かれているユーモアのセンスが光っていると思います。
 で、1943年生まれの彼が、最近 出版しているのが、上のカボチャの絵本なのです。吹っ切れたような無駄のない画風は、小さい子の眼に留まりやすく、リズミカルな言葉運びとともに、楽しい展開となっています。(続く)

☆写真 真ん中が、昨日の「なむちんかむちん」右が「むむたい ねむたい」左が「ねむれんねむれん かぼちゃのこ」(すべて福音館)

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なむちんかむちん

なむちんj
(承前)
 おまじないの絵本といえば、やぎゅうげんいちろう作「なむちんかむちん」(福音館)が可笑しい。
 このおまじないの言葉は、
≪なむちんかむちん なむちんかむちん おおきなれ おおきなれ なかそとなかそと しものおならや かみのおならや せっけんばこは あわでぶくぶく≫

 大きくなりたい野菜の子どもたちが、かぼちゃのおばあさんに大きくなる「おまじない」をかけてもらうものの、そらまめくんだけが大きくなりすぎてしまいます。(それは、なぜでしょう?)
 そこで、やり直しを訴えますが(ここが、まず、可笑しい!!!)、おばあさんは眠ってしまい、ちょっとした怪我もしてしまいます。
 それを見ていた鶏のおばさんが、横やり入れるものの、翌日、やり直してもらうことに。大きくなり過ぎたそらまめくんは、家に帰って、お母さんに報告すると、お母さんの対応が、優しい。(しかも、可笑しい!)さらに、次のページは、大きくなり過ぎたそらまめくんは、小さくなり過ぎたお布団をかぶって寝ます。(その絵が、可笑しい!)
 で、次の日、今度は、きちんと「おまじない」をかけてもらって、ふつうに大きくなったそらまめくんでした。

 小さすぎる子どもたちには、この本のユーモアが分かりにくいところもありますが、幼児なら、このユーモアとおまじないの言葉を楽しみます。ましてや、そばで、もし、聞いている大人が居れば、大笑いしてしまうこと、請け合います。

 それにしても、やぎゅうげんいちろうの絵本➡➡の絵は、年々、単純化され、見やすいものとなっています。(続く)
☆写真は、スイス ルガーノ

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ちちんぷいの ぷいぷいぷい

おまじない1j
 先日、幼稚園に行っている一人の女の子に会いました。その女の子は、ふざけて遊びまわっていましたが、大人ばかりの場所では、飽きてきていました。そこへ、頭をコツン!
  よそのばあばではありますが、その子の頭を両手で抱え、「いたいの いたいの とんでいけぇー」といいました。「もう痛くない?」と聞くと、「うううん まだ」というので、もう一度「いたいの いたいの とんでいけぇー」と繰り返しても、まだ、もう一回と、そのつぶらな瞳が言っています。で、今度は「いたいの いたいの あっちいったね」と、いうと、にっこり笑って、遊びに戻って行きました。
 世界中に、この「痛いの痛いの飛んでいけ」のおまじないがあるようです。(TVのCMで、各国のをやってます)どれも、スキンシップも伴うおまじないで、子どもを思う大人の気持ちは、万国共通ということなのでしょう。

「ぐりとぐらのおまじない」(なかがわりえこ作 やまわきゆりこ絵 福音館)という手のひらサイズの小さな絵本があります。
「ちちんぷいの ぱっ」「ちちんぷいの ぱくっ」「ちちんぷいの ぴん」「ちちんぷいの ぷいっ」「ちちんぷいの ぱっぱっぱ」・・・・と続きます。
「ちちんぷいの ぷいぷいぷい」のページには、手を前に組む象さんの絵が描かれています。
≪はずかしくて しんぞう どきどきするときは しずかに そっと てをあわせ ちちんぷいの ぷいぷいぷい ぷいぷいぷいは ききめあり≫
 
 実は、先の女の子、大人ばかりの部屋に入るとき、「こわーい」「はずかしーい」を連呼して、なかなか部屋に入れなかったのです。だから、「いたいの いたいの とんでいけー」だけでなく、入口のところで、「ちちんぷいの ぷいぷいぷい」とおまじないしてあげればよかった。(続く)
 

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あめのひ かぜのひ

かぜ1
今年は、台風が、しかも強烈な台風が、たくさんやってきましたね。多分、年々、大変なことになるだろうと、素人でも予想できます。災害となってしまうような大風は、困りますが、頬に気持ちいい風は、気分もよくしてくれます。

「あめ」と同じく、子どもたちにとって、非日常な気候が、風の吹く日なのかもしれません。
オルセンの「あめ」「かぜ」➡➡*もありますが、新しい絵本では「あめのひ」「かぜのひ」(サム・アッシャー作・絵 吉上恭太訳 徳間書店)という絵本もあります。

 おじいちゃんと一緒に暮らす「ぼく」が雨の日、風の日に、外にでて、自由に楽しんで帰ってくる・・・・

 帰ってくると、雨の日には、
≪うちにかえると、かわいた くつしたに はきかえて、 あつい ココアを のんだ。おじいちゃんが いった。「まっていると、いいことが あるもんだな」「うん」 あしたも あめ、ふるといいな。≫

また、風の日には、
≪うちに はいると、おちゃを のみながら おじいちゃんが いった。「いっしょに ぼうけんするのは、たのしいもんだな。」「うん」あしたも かぜ、ふくといいな。≫

と、どちらも、二人でお茶しているシーンで終わるのです。(イギリスの絵本です。)

二冊とも、絵が魅力的で、遊び心に溢れています。

「あめ」(イヴ・スパング・オルセン ひだにれいこ訳 亜紀書房)
「かぜ」(イヴ・スパング・オルセン 木村由利子訳 文化出版局/ひだにれいこ訳 亜紀書房)


かぜ2

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あわてず さわがず

あるめん15
「ホイホイとフムフム――たいへんなさんぽ」(マージョリー・ワインマン・シャーマット文 福本友美子訳 バーバラ・クーニー絵 ほるぷ出版)

 オポッサムのホイホイとフムフムのおはなしです。散歩の好きなホイホイが、窓から外を眺めいろんなことを考えるのが好きなフムフムを散歩に誘い出します。なかなか散歩に出かけるのに気乗りしないフムフムでした。

 散歩をしていると、鼻歌を歌いたくなるホイホイ。そんなホイホイが歌っても、まだ、屁理屈を言うフムフム。
≪さんぽ するのは、いい くうきを すって からだじゅうに ちを めぐらせる ためだったよね。うきうきとか いってなかったし。べつに うきうきしなくても いいんじゃない?≫

 そんなフムフムも一休みして寝転がると、≪こうやって ねころぶと そらが きれいに みえるね。≫≪こんなに きれいな そらは はじめて みたよ。≫と、気分がよくなって、また歩き始め、いくつもの丘を越え、小川を渡ると、フムフムだけでなく、ホイホイまでも、疲れて歩けなくなります。

 すると、フムフムが言うのです。≪ねぇ、いきを すってごらん≫さて、今度はホイホイが屁理屈。
≪すってるよ。≫≪いきは いままでも ずっと すってるもん≫
 そして、フムフムが言います。
≪ちゃんと すって、っていうことだよ。すって、はいて、すって、はいて。からだじゅうの ちが げんきに ながれるように するんだ。≫

 フムフムはホイホイの背中を押してやりながら、いくつもの丘を越え、森を抜け、二人は帰っていきます。
≪ねころんで そらを みあげたし、おがわの みずに さわったし、とりのなきごえも きいたよね。もっと いろいろ みてみたい。 せかいじゅうを みてみたいよ。≫と言い出すフムフムは、家に帰ると、こんなことを言い出します。
≪また さんぽに いこうよ。こんどは うみへ いこう。スペインにも。イギリスにも。アイスランドにも。ちゅうごくにも いこう。いろんな ところへ いってみようよ。≫

 最後のシーンでは、散歩好きだったホイホイが椅子に座り足を延ばし、窓の外を見ています。座って窓から外を眺めるのがすきだったフムフムは立って、地球儀を見ています。そして、その部屋の額には「あわてず さわがず」という言葉がかけてあります。
☆写真は、スイス アルメントフーベル

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何より、絵本を紹介できる。

からすj
 秋になって、週2日の出勤をしています。昨年、使命感➡➡などと大層なことを言って、請け負ったものの、果たして、やれるのかと、少々不安に思った日もありました。ところが、実際に、動き出してみると、出来るもんですね。この年齢でも…
 帰宅すると、疲れているのが分かりますが、意外と、教壇に立つと、アドレナリンがでるようで、結構、やれていると思います。多分、「教える」という行為が根っから好きなのでしょう。

 上から目線で物を言うから、「先生」は嫌い・・・というむきもあるでしょう。
 つきつめれば、おせっかいの延長にあるのもかもしれません。
 たとえ、そうだとしても、「教える」という行為には、自学という裏付けもあって、個人的にはそれらをひっくるめて、好きなのだと思います。準備も楽しいし、話す内容を考えるのも嫌いじゃありません。何より、絵本を紹介できる。
 それにまた、時々見える、生徒・学生たちの成長や喜びや悲しみ。人間的なつながりが持てることがある事も、「教える」側の喜びに通じています。

  さて、今日、学生たちに、今までで一番好きな絵本は?と聞いたら、「ぐりとぐら」➡➡「はらぺこあおむし」「からすのパンやさん」という声が、各1割ずつ出てきました。ここ何年も、同じ質問を繰り返していても、今年は、目立っていました。特に「からすのパンやさん」➡➡が、出てきたのは、今年が初めて・・・
 何故なんだろう?と考えてみたら、もしかしたら、加古里子が亡くなった特集がテレビでも、広告でも、書店でも、あった影響かもと思うのです。・・・・・ということは、やっぱり、いろんな形で、絵本の愉しみをアナウンスし続けていかないといけないんじゃないかとも考えるのです。

☆写真は、「からすのパンやさん」(加古里子 偕成社)のパンをペットボトルの蓋に一つずつ貼り付けた手作りの玩具。 
絵本の上に乗っかっている「スイカ」の折り紙と、その前のキャンデー二本は、「はらぺこあおむし」(エリック・カール もりひさし訳 偕成社)にちなんだ手作り折り紙。

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ウルスリのすず

カリジェ25j
 「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
(承前)安野光雅の「旅の絵本」(スイス編)(福音館)に、申し訳程度に登場したのは、「ウルスリのすず」➡➡のウルスリですが、「ウルスリとすず」は、岩波から出版されたカリジェの6冊の絵本のなかでは、お話が一番短く、わかりやすい展開です。他の絵本よりも、スイスの風景の書き込みも少ない分、主人公の動きだけを見ることができます。

≪ずっと遠く、高い山やまの、そのおくに、みなさんみたいな男の子が、すんでいます。(中略)ほーら、これがウルスリ、山の子です。小さいながら、おとなみたいなかっこうです!あたまには、やまのてっぺんみたいにとんがった、とんがりぼうしがのっていますね。これは、いま、ウルスリのうちでねている、ヒツジの毛からつくったのです。そう、ウルスリのおかあさんは、毛をつむいだり、あんだり、おったりして、むすこのきものや、ぼうしをつくってくれるのです。おとうさんも、ウルスリのくつにびょうを打ってくれるし、しょっちゅう、いろんなものをつくってくれます。≫

・・・と、ウルスリの様子がよくわかります。そして、お母さんとお父さんに愛され育つウルスリが、一晩帰ってこない事件が・・・

 2歳半の孫に、この絵本の大筋を絵を見ながら説明しました。すると、大きい鈴(カウベル)小さい鈴、一晩帰ってこないウルスリを探す大人たち、泣いている親たち、朝になって帰ってきたウルスリ、みんなより大きい鈴で、意気揚々と歩くウルスリを、場面場面で理解したようです。というのも、3回ほど説明をせがんだ後、孫は、自分の母親に、この絵本を見せ、説明していたからです。
「ここはね、おかあさん、ただいまーって、いってるよ。大きな鈴もってきたんだよ」
カリジェjj

追記:この絵本は、「大雪」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 生野幸吉訳)とともに長らく品切れになっていましたが、2018年11月に再版されるようです。(岩波「図書」10月号より)
☆写真上、スイス トゥルン カリジェの里の駅舎(2005年撮影)

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あふれでるもの

スイス編95
 スイスに出かける前に、安野光雅の新刊「旅の絵本Ⅸ」(スイス編)(福音館)が手元にありました。(意識しないで買ったら、なんと、サイン本!)1926年生まれのこの画家の絵本は、ち密なのに大らかさを感じることのできる絵本が多く、しかも、いたずら心満載で、好きなものでした。
 特に旅の絵本シリーズの初めの頃のものは、秘密がたくさん隠されていて、それを見つけるのも楽しく、ワクワクしながらページを繰っていくと、こちらまで、絵の中の旅人や現地の人たちと一緒にちょっと遊んできたという感覚になりました。
 絵から、溢れるものを分けてもらえます。
 スイス編4

 が、しかし、近年 この画家の絵本は、あまりそれが感じられなくなってきていました。
 そこに、この「スイス編」でした。緻密な筆使いでなくなっているのは、仕方ない事だろうし、それも一つの「味」となっているのかもしれません。とはいえ、あのワクワク感が見つけられません。あんなにたくさん描かれていたお茶目な人たちが減っているからでしょうか。

 この画家は、何度もスイスを訪れています。2002年から2003年にかけて、カリジェ生誕100年記念の絵画展があった時の図録には、カリジェの里に何度か足を運び、原画を見た一文を寄稿しています。だから、今回のスイス編のトーンは、「らしく」ないともいえるものでした。何故なら、カリジェの絵本から抜け出したのは、ウルスリ一人だし、それが描かれているシュタイン・アム・ラインの絵には、印象的なカリジェの壁画➡➡も描かれていないからです。

 デフォルメされていても、実際と違った構図になっても、それは問題ではありません。ホドラーの描くスイスの風景のように、風景の抽象化➡➡とも違います。
  溢れ出る画家の感性に触れたい・・・

  絵本に描かれた アイガーもグリンデルワルトも、ラウターブルンネンの滝➡➡も、ユングフラウも。ラインの滝も、シュタイン・アム・ライン➡➡ ⇒⇒、そして、ルチェルンの街やベルンの街も。
☆写真上は、スイス ユングフラウヨッホから見たアレッチ氷河。2005年撮影。写真中は、ライン瀑布。2017年撮影。写真下は、ルチェルン。2018年撮影。

スイス編

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こいつは、気持ちがいい!

ブリエンツ2
 小さな花や小さな虫、大きな山から、エネルギィをもらいましたが、心地よく吹く風は、一番大事なものでした。
 葡萄棚の下で、吹く風も。
 アルプスを見渡す山麓で吹く風も。
 湖面に吹く風も。

 そして、帰国して、今まで余裕がなくて、手元に置いたままだった本たちを読みました。
 その1冊「パイパーさんのバス」(エリナー・クライマー作 クルト・ヴィーゼ絵 小宮由訳 徳間書房)
 街で一人暮らしのバスの運転手パイパーさんが、動物たちと出会い、バスを購入し、そのバスで、動物たちの住処を探しに出かけ・・・というお話で、中にこんな表現があります。

≪パイパーさんは、毛布を外へもちだして、りんごの木の下にしくと、そのままよこになりました。(犬の)バスターがやってきて、パイパーさんの足もとでまるくなりました。風が、さらさらと木の葉をゆらしています。「こいつは、気持ちがいい!」パイパーさんはそういうと、すぐにねむってしまいました。≫

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まるで 妖精のように

とかげ10
(承前)  花は好きですが、花に集まる小さい虫たちも嫌いじゃありません。バッタみたいに触ろうとは思いませんが、きれいな「とかげ」を見るのは平気です。「きゃあ」なんて言いません。

 スイスで、男前の「トカゲ」を見ました。大抵、シャッターチャンスを逃すのですが、この時は、2枚も撮れました。
 陽光サンサン降り注ぐ中、彼は、ぎろっとこちらを見て、行ってしまいました。
 ファージョンの「イタリアののぞきめがね」の中の「トカゲ」を思い出しました。
 帰国して、読み返したら、トカゲは、もちろん出てきますが、数多くの花々も次々登場しているのを、再発見し、嬉しくなりました。そのお話は「ブリジェットのイタリアの家」です。

≪家まで帰る途中で、みどり色のトカゲが、日にあたろうとして、石がきのすきまから出てくるのにあいました。というのは、月があがったのに、お日さまも、まだ出ていて、みどり色の、イタリアのトカゲは、日なたぼっこがすきだったからです。トカゲは、宝石のように、キラリと光りました。けれども、わたしたちが近くにいるとわかると、トカゲは、あわててにげだして、まるで妖精のように、またべつのすきまにかくれてしまいました。・・・≫

*「イタリアののぞきめがね」(ファージョン作 アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波)

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