(承前)
ロンドン テート・ブリテンにあるこの絵「妖精のきこりの見事な一撃」の画家、リチャード・ダッド(1817~86)は、若くして才能を発揮したものの、精神を病み、父を殺害、亡くなるまで43年間精神病院で過ごしました。この絵は1855~64までかかって描かれ、未完成部分を残しています。
この絵は、比較的小さな絵ですが、いつも、その絵の前に立つまでは、もっと大きな絵だと考えています。で、実際に目の前にすると、54×39.4センチという大きさなのです。
この絵の周りには、壮麗なラファエル前派の大きな絵が掲げられていて、小さいのも際立つはずなのに、その絵を見ていると、大きな世界の広がりを感じてしまうがゆえに、実物の大きさを思い違いしてしまうのかもしれません。
とにかく、細かく描かれています。不思議な容姿の人や妖精たちが、いわくありげに描かれています。 一人ずつ解読していくことも面白いことですが、カ・リ・リ・ロは、一人背中を向けて、今にも斧を下ろそうとしている人間(?)に、いつも目が行きます。この人だけ身体のバランスが普通・・・で、そのあと、その人を正面で見据える小さな老人に目が行きます。この二人を描くために、妖精の世界、草花より小さい世界、謎めいた人たちやその視線などなど、加えていったのだと、勝手に解釈しています。
描かれているのは、ノーム(地の精)やエルフ(小妖精)、トンボのトランぺッターも居ます。もちろん目立つところには、妖精王のオベロンも女王ティタニアも。
画面上には、鋳掛屋さんに兵隊さん、船乗りに仕立て屋に農夫、それに薬剤師に泥棒。(これは、イギリスの伝承歌、子どもの占い歌)
さて、この一撃のあと、それぞれが動き出す・・・それぞれのざわめきが聞こえてきそうです。(続く)
*参考:図録「テイト・ギャラリー(日本語版)」(1996)(サイモン・ウィルソン著湊典子・荒川裕子・平尾左矢子共訳)
(承前)
昨日のジョン・シンガー・サージェント「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」➡➡やラファエル前派の絵➡➡を展示しているのは、テート・ブリテンと言われる美術館です。
もとはヘンリー・テートさんがロンドン・ナショナルギャラリー➡➡に寄贈しようとしたものの、収まり切れないというので、ナショナルギャラリーの分館となり、その後、テート・ギャラリーとなったものです。そのテートは、ロンドンのプリムコウにあるテート・ブリテンとテムズ対岸のバンクサイドにあるテート・モダン、あと、行った事がないテート・リバプールとテート・セントアイブスで、成り立っています。
現代アートを所蔵するテート・モダンは、もと発電所だったところを美術館にしているユニークな建物です。エントランスは、発電機があったタービン・ホールで、99mの巨大な煙突と昔ながらの煉瓦造りの外観を残し、内部は7階まで吹き抜けとなっていて、現代アートを展示する空間として、面白いものとなっています。
かつて、ここに家族で行ったとき、アンディ・ウォホール展をやっていて、キャンベルスープの缶の絵やマリリン・モンローなどなど、所狭しと貼られていて、その迫力に圧倒されました。が、かの夫はというと、発電所のなごりの鉄の柱や、鎖などに痛く感銘を受けていました。サイズを測っていた・・・・
また、ここのカフェ・レストランは、テムズを見下ろし、前にセントポールなど、ロンドンの景色が見渡せる素敵な場所なのですが、行ったときはいつも、混んでいて、なかなか縁がありません。
そして、テムズ川の両岸にあるテート・ブリテンとテート・モダンは、船でつながっているようです。
それから、テート・モダンの隣には、かのグローブ座もあって・・・と、書いているうちから、また行きたくなってきた。(続く)
☆写真は、テート・ブリテンのエントランス上部
(承前)
やっぱり、ロンドン コートールド美術館は、いい。
「月曜午前は、無料」というサービスがなくなったのは、残念だけど、シニア割引もきくし、やっぱり、この落ち着いた美術館は、いい。
見ている人が観光でなく、見たいから来ているという空気がいい。
ドガの彫塑もたくさんあると、書いたことがあったけど、➡➡、うーん、今度は選び抜いて、置いてあった。「舞台の二人の踊り子」の前。しかも、柔らかい自然光の部屋。
こんな素人が鑑賞しても、いいものが置いてあるなぁ・・・と、いつも感心しきり。マネの 「フォリー・ベルジェールのバー」もスーラの「化粧する女」も、モネの「花瓶」も、ゴッホの 「耳を切った自画像」も、セザンヌの「カード遊びをする人たち」も、ルノワールの 「桟敷席」も、 ゴーギャンの「ネヴァモア」も、クラナハもゲインズボローもルーベンスもカンディンスキーもブラマンクも、ベン・ニコルソンも。(絵本「かしこいビル」の画家ウィリアム・ニコルソンの息子)
3月いっぱいかかって、日経朝刊「私の履歴書」は、ジョー・プライス氏の履歴が連載されていました。若き彼がいかに若冲と出会ったか、いかに若冲を広めたかなどなど、いずれ、一冊の本になろうかと思われる連載でした。
その中で、かつて、若冲の作品は、日本の屋内で、自然光の中で楽しまれたと気付き、人工的な照明やガラスショーケース越しでの展示を、できるだけ避けようとしている姿勢が、何度か出てきました。
確かに、自然光のなか、美術品を保護していくのは、至難の業でしょう。特に、容赦ない日本の夏の日差しは、素人が考えても困難なことはわかります。日焼けしてしまった作品が多いのも確かです。
が、しかし、日本家屋は軒が深く、特に床の間は、部屋の奥深いところにあることを考えれば、あるいは、襖絵にしても、縁側を広くとり、雨・風・陽光が入りづらいことを考えれば、日本人が、美術品を配慮なく、飾っていたとは考えられません。
また、四季折々、掛け軸や屏風絵を替え、襖も夏向きの御簾のようなものもある、を思い起こせば、さらに日本人の芸術品との付き合い方がわかるような気がします。
とはいえ、生活の中の芸術ではなく、今の日本での美術展では、そうもいかず、照明光るガラス越しに、作品を鑑賞することが多く、ましてや、混雑するなか、いろんな角度を変えてみるというわけにもいかず・・・
ところが、カ・リ・リ・ロの行ったことのあるヨーロッパの美術館には、自然光を取り入れた部屋も多くあります。また、フラッシュをたくのでなければ、写真もOKなところがほとんどです。しかも、概ね、混雑していない。・・・・・というわけで、上のような写真も真正面で、落ち着いて撮れたりするのです。(続く)
☆写真は、ロンドン ナショナルギャラリー スルバラン「A Cup of Water and a Rose on a Silver Plate」(かつてこの絵について、書いたのは➡➡➡)