みんなみすべくきたすべく

乗合馬車の愚痴が聞こえる

平安j
 日本列島が凍りつく今日この頃。
 久しぶりの京都にお稽古の日。お稽古前の遠足は、お寺の拝観は寒いし、お庭は今は寂しいということで、京都国立近代美術館の「ゴッホ展ー巡りゆく日本の夢」(~2018年3月4日)に行ってきました。
 東京で見たものの➡➡、その後、「ゴッホの手紙 上・中・下」(硲伊之助訳 岩波文庫)を読んだり、3冊のドーデ―「タルタランシリーズ」(岩波文庫)を読んだりしたので、もう一度、見たいと出かけました。
 すでに、ここで紹介した絵をもう一度丁寧に見る楽しみもさることながら、やっぱり、かの「タラスコンの乗合馬車」では、乗合馬車の愚痴が聞こえてきそうで、思わずにんまり。しばらく、見入って耳をすませておりました。あまり人が群がっていないのが幸い。

  もし、今から「タラスコンの乗合馬車」を見に行く予定のある方は、ぜひ、「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)だけでも、いえ、せめてこのブログに引用した部分だけでも➡➡知ってると、ちょっと楽しいかもです。(続く)

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ギャロービー・ヒル

ホックニーj
(承前)
 「ボストン美術館の至宝展ー東西の名品、珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡では、ゴッホもよかったし、ジョン・シンガー・サージェントもよかったし、歌麿も、陳容もよかったけれど、もしかしたら、一番、心躍った作品は、そして、行きつ戻りつ、何度も眺めたのは、ディヴィッド・ホックニーの「ギャロービー・ヒル」のような気がします。

 なんと、伸びやかで美しいイギリスの田園風景。ああ、遠くに見えるパッチワークのような畑。遠くの空の霞んだ様子。
 イギリスの絵画と言えば、ラファエル前派のダークな色合いを思い浮かべがちですが、ホックニーの描くのは、あの明るい田園。
 イギリスと言えば、曇りがちの風景を思い浮かべがちですが、ホックニーの描くのは、夏のあの明るい空。

 イギリス生まれのホックニーは、アメリカ西海岸を拠点に活動したようですから、この明るさは、その光なのかもしれません。
 けれど、そんな先入観なしに、この絵を見たとき、あのイギリスの田園以外浮かびませんでしたから、ホックニーもきっと、時折見ることのできる夏の日射しのイギリスの田園を描いたものだと、勝手に解釈いたします。
 その後、調べたら、ここは北イングランド ヨークシャー州のギャロービー・ヒルでした。

 この絵は、大きな油絵なので、離れて見ると一層、わくわく。

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九龍図巻

ゴッホ14j
(承前)
  「ボストン ボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡は、古代エジプト美術から中国、日本、フランス、アメリカ、版画・写真.、現代美術まで幅広く展示されています。東京上野で見てきたテーマを浮世絵とフランス近代絵画に絞った二つの美術展とは、ずいぶん違います。➡➡  ➡➡ アメリカの複数のコレクターからの寄贈の展示でもあるので、まあ、多種多様な展示とも言えます。写真画面上は、以前の「ボストン美術館展 日本の至宝」➡➡の図録表紙ですが、日本のものに特化し、曽我蕭白の「雲龍図」を展示の目玉にしていました。そのときに来ていた墨画の曽我蕭白「風仙図屏風」(1770年頃)も、今回、神戸の「ボストン美術館展」にも来ていました。

 「ボストン美術館展」は、テーマこそ違え、毎年のように、開催されているせいか、混雑していず、珍しく、ゆっくり見ることが出来ました。
 中でも、陳容という中国の人の描いた絵巻、「九龍図巻」(1244年)紙本墨画淡彩は、10メートルに及ぶ画面に9匹の龍が自由にのびのび、生き生きと描かれていて、楽しいものでした。今まで、このように龍の生活(?)が描かれたものを見たことがなかったので、十分に鑑賞しました。

 この絵巻「九龍図巻」は、小さいながらも、その迫力に圧倒されてしまいます。この作品が13世紀にすでに描かれていたというのですから、日本の画家も、龍の絵は、素晴らしい手本があったことよ、と思いました。
 「九龍図巻」に描かれている龍のおおらかさも、かの大きな国、かの歴史ある国だからこそ生まれたのだろうと思うと、きっと、もっとたくさん存在するであろう古い中国の龍の絵を見たいものだと思いました。(続く)

☆写真下は、「九龍図巻」の”黒雲のなか老年の龍(左の白髪頭)が若い龍(右上方)に教えを授けているシーン”…龍も年を取ったら白髪になるんだ!

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ローベル・ド・セヴリュー

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(承前)
 「ボストン ボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡に、ジョン・シンガー・サージェントの作品も2点来ていました。サージェントの作品は、カ・リ・リ・ロの名前のもとになった絵➡➡だけでなく、肖像画の素描➡➡も好きですが、今回の展示の絵は、初見でした。

  いかにも、裕福な女性の肖像画「フィスク・ウォレン夫人と娘レイチェル」(写真左)より、緊張した姿勢で立っている男の子の肖像画「ローベル・ド・セヴリュー」(写真右)が印象的でした。
  この男の子は、手から逃げ出してしまいそうな子犬を抱いているので、緊張している様子が伝わってきます。顔は正面を向いていますが、いつのまにか、揃えていただろう足は、離れ、力が入っています。
 
 先日来、見てきたゴッホの肖像画とまったく違う描き方だし、それぞれのモデルの生活もずいぶん違ったものだったでしょう。シンガーのものは依頼による高価な仕事に対し、ゴッホは描きたい人を描き、当時はお金に縁遠かった。この二人の画家には、まったく共通点はありません。
 しかしながら、二人の画家が、その人物の本質を見ようと描いた肖像画には、時を超え、その人が、そこで息をしているかのように我々に語ってきます。

 若い時に比べ、肖像画も楽しめるようになったのは、現実でも、いろんな人生を見る経験が増えたせいかもしれないと思います。(続く)

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ボストン美術館展

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(承前)
 先に絵ありき、ではなく、先に映画を観て、美術鑑賞というのも、面白いです。
 
映画「ゴッホ最期の手紙」➡➡の影の主人公ともいえる郵便配達人ジョゼフ・ルーランとその妻の肖像画が展示されている 「ボストン ーーボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)に行きました。

  郵便配達人ジョゼフ・ルーランの絵を描くにあたって、ゴッホは、弟テオに、こんなふうに紹介しています。
≪青い制服に金モールの飾りをつけ、髭を生やした大きな顔の、ソクラテスによく似た「郵便配達夫」だ。タンギー爺さん➡➡みたいな熱狂的な共和主義者で、ほかの多くの人たちよりもずっと面白い人物だ。≫≪「郵便配達夫」を自分が感じたように描くことができるかどうか、僕にはわからない。・・・・・(中略)・・・・残念なことになかなかこのモデルは座ってくれないが、どうしてもやっぱり仕上げてみたい、知的モデルの絵を。≫*「ゴッホの手紙 中」(J,v.ゴッホ―ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
 ゴッホは、郵便配達人ジョゼフ・ルーランが制服を着た絵を、この全身像と胸像の何枚か描いています。

 ルーランと、その家族が、アルルで友人のほとんどいなかったゴッホにとって、大事な存在だったのは、このジョセフの絵だけでなく、息子のカミーユ(映画「ゴッホ最期の手紙では重要な役回りでした)、それに妻のオーギュスティーヌ・ルーランも描いているところからも、よくわかります。この一家でのひと時は、癒される時間だったのかもしれません。

 実際、かの耳切事件の直後、親身になって世話をしてくれたのがルーランだったことからも、ルーランの存在は大きいものでした。
 事件後すぐの弟テオへの手紙1月1日付に、こうあります。(事件は12月23日夜)
≪ゴーガンが君をすっかり安心させてくれると思う。多少絵の商売の件でもね。近いうちにまた制作を始めたい。家政婦と友人のルーランが家の中を片付けてくれたので、すっかり整頓した。・・・・・(中略)・・・・・ルーランは本当に親切にしてくれた。他の人たちが承知する前に、退院できるように機転を利かせてくれた。≫*「ゴッホの手紙 下」(J,v.ゴッホ―ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
 その後、ルーランは、転勤になってしまい、ゴッホの周りから、また一人居なくなり、その後、ゴッホは、精神病院へ・・・

 実は、郵便配達人ジョセフ・ルーランと息子のカミーユ・ルーランの絵は、2016年秋の東京都美術館「ゴッホとゴーギャン展」➡➡に来ていました。
 この時は、「ゴッホの手紙」もまだ読んでいなかったせいもあって、郵便配達人ジョゼフ・ルーランの絵をしっかり見てきたわけではなかったと、今更ながら思います。
 
くわえて、スイスのオスカー・ラインハルト美術館アム・レマーホルツ➡➡に、ゴッホが描いた、アルルの病院の絵が2枚ありましたが、年が明けたら「ゴッホの手紙」(岩波文庫)のことを書くつもりなので、そのときに。(続く)

☆写真下は、一枚の絵ハガキ。二人の肖像画がそろって日本にくるのは初めてだとか。左:郵便配達人ジョゼフ・ルーラン、右:子守唄 ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人

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Starry, Starry Night

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(承前)
 映画「ゴッホ最期の手紙」➡➡の最後では、「Starry Night Over the Rhône」(ローヌ川の星月夜:パリ オルセー美術館所蔵)の絵が登場。リアン・ラ・ハヴァスの歌う「Starry, Starry Night」が流れます。そして、ナレーションと字幕。
 ここで、うるっと来ない人なんているんだろうか・・・

 有名な激しいタッチの「星月夜(糸杉と村)」(ニューヨーク近代美術館所蔵)より、この「ローヌ川の星月夜」➡➡の方が、好みです。優しい星の光、川面に写る光・・・。映画のエンディングでこれを使う監督も同じ気持ちなのかと、またうるうる。映画を観てつくづく感じたことは、映画製作者たちのゴッホへの愛でした。

 今まで、偏った見方で見ていたと思えるゴッホの作品の中に流れる大きな愛や、南仏で得た明るい光や、ドーデ―が描いたような、南仏の人情。
 心を病む孤独な人、ゴッホなどと捉えるのは、やめることにしました。
 
「ゴッホの絵は、生前一枚しか売れなかった」という言葉で映画は終わります。
ああ、ゴッホは居ない・・・無性に哀しかった。
歌は流れます。「Now I understand what you tried to say to me,」(今なら わかる あなたが 言おうとしたこと」(続く)

***リアン・ラ・ハヴァスの歌う「Vincent (Starry, Starry Night)」にも愛が溢れ、少々センチメンタルではありますが、いい歌です。詩がとてもいい。Don McLeanの1971年作とか***

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映画「ゴッホ最期の手紙」

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(承前)
 東京都美術館の「ゴッホ --巡りゆく日本の夢」(~2018年1月8日)を見る前に、この映画「ゴッホ 最期の手紙」を観ていたら、絵画鑑賞する目も違っていたことだろうと思います。

 油絵風のアニメーションでできた映画でした。実写の部分もあったような気がするのは錯覚らしく、全編アニメーションといい、その出来栄えは見事。アニメーションにありがちな、薄っぺらな感じでなかったのは、油絵風だったからでしょうか。それとも、実写を油絵風にするという、しんどい作業から生まれたからでしょうか。
 一つの例をあげるなら、写真右のゴッホの肖像画に、うねうねと描かれた背景がありますね。そのうねうねが動き出すとともに、ゴッホも動き出すという仕掛け。

 話は、郵便配達人ジョゼフ・ルーランの息子が、父の友人で自殺したゴッホが弟テオに宛てた最後の手紙を託され、パリへと向かうものの、テオはすでに亡く・・・・・・それで、ゴッホの最期をたどるうちに、その死因が、本当に自殺だったのかと疑問が湧いていき、ゴッホの生前の人となりを追うとともに、その謎に迫ろうとするミステリータッチ。
 久々に面白い映画でした。

 見たことのある絵が次々と動き出し、自然な形で、風景となり、肖像画として見たことのある人物が、次々と、話し始め、動き始める。ずっと昔に見たひまわりが一面に咲いていたゴッホとゴーギャンの実写の映画より、ずっとリアリティがあって、画家の本質に迫るものがあると思いました。(続く)

 ☆写真右は、ゴッホ自画像(1889年)「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波)、左は、麦わら帽子をかぶった自画像「ゴッホの手紙」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)

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日本の娘

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(承前)
 ゴッホのアルル時代には、夾竹桃を持った少女の絵を描いています(写真、中央)。今回の「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)➡➡に来ていたのは、その「ムスメの肖像」(ラ・ムスメ)の素描でした。(写真、右)

 ゴッホはベルナールに宛てて、この絵のことをこんな風に書いています。
≪十二歳の少女の肖像を描き上げたばかりだ。目が褐色で、髪と眉毛が黒く肌が灰黄で、白い背景はヴェロネーズ緑が利いている。血のように鮮やかな赤のジャケツには紫の縞があって青いスカートには橙色の大きな点がある。可愛らしい小さな手で夾竹桃の花をもっている。≫

 で、この絵のタイトルは「ムスメ」(ラ・ムスメ)といい、ロティの「お菊さん」に出てくるムスメからきているようで、娘の翻訳ではありません。弟テオには、この絵のことをこう書き送っています。
≪・・・僕の「ムスメ」をうまく書き進めるためには頭脳の力をそれだけに集中しなければならなかったのだ。「ムスメ」とは、十三四歳の日本の娘ーーこの場合は実はプロヴァンス娘なのだがーーのことをいうのさ。・・・・・(中略)・・・少女の像は、背景に強く緑をかけた白、胴着は血紅色と紫の縞。スカートは青地にオレンジがかった黄色の大きな斑点がある。艶のない肌は灰黄色。髪は紫がかって、眉と睫(まつげ)は黒で、眼はオレンジ色と群青。指の間に夾竹桃の枝が一本で、両の掌は内側に向けている。≫

 ゴッホと言えば、「ひまわり」➡➡というくらい、ゴッホとひまわりは印象深いものの、意外と、夾竹桃も、ゴッホの作品の中では、ゴッホとつながっていました。
 
 そして、いずれ、「ゴッホの手紙 上中下」のことは書いておこうと思います。(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

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縮緬紙の版画で見るような豊かな青

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(承前)
  「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)見聞報告はまだ続けるつもりですが、ここでは、関連して、夏ころから読み続けているドーデ―のこと。
 今まで書いたように、ドーデ―の文庫本は、大抵が、今まで本棚の隅で眠っていました。
 それを、スイスに行くので、まず「アルプスのタルタラン」(畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡を読み、「アルルの女」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡「風車小屋だより」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡「月曜物語」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡ ➡➡、まだここに書けていない「サフォ パリ風俗」(朝倉季雄 岩波文庫)、「プチ・ショーズ ある少年の物語」(原千代海訳 岩波文庫)、それともう一冊のタルタランもの「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)を読みました。そういえば、ドーデ―も、シーボルトを通して、日本と近づいていたのでした。➡➡
 
 そして、日本に憧れるゴッホは、友人のベルナールにアルルから送った手紙に
≪約束通り筆を執ってみたが、まずこの土地の空気は澄んでいて、明快な色の印象は日本を想わせるものがある。水は綺麗なエメラルド色の斑紋を描き、われわれが縮緬(ちりめん)紙の版画で見るような豊かな青を風景に添える。・・・≫と書いています。*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)

 そんなゴッホの本邦初公開「タラスコンの乗合馬車」という絵は、「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫」に出てくる乗合馬車から描かれたようです。解説には、【この乗合馬車は、ドーデ―の作品の中で「アルジェリア送りにされた古い乗り合い馬車が昔を懐かしんで愚痴をこぼす話」】とありました。(続く)

☆写真右は「アルルの跳ね橋」(「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波 の表紙。)左はゴッホ展案内紙「画家としての自画像」

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アルルのアイリス

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(承前)
 東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日)は、日本に憧れるゴッホがアルルへ移住したときの作品も並んでいました。
 アルルのことをよく知らないので、アルルと日本が似ていると言われても、よくわからないものの、ゴッホは、澄んだ空気、明るい色合いなどを求めた移住だったと思います。
 解説によると、≪「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」、「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」とまで言います。≫
 すごーい。日本礼賛ですね。
 ただ、1888年2月にアルルに到着した日は、大雪で「本当に日本の冬景色のようです」と書き送っていますから、色彩の豊かさを求めて移住したゴッホには、前途多難の幕開けだったもかもしれません。

 とはいえ、「アイリスの咲くアルル風景」(1888年)は、今回の「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展では【第二会場 アルル 日本の夢】というところに展示され、日本の風景との関連を示唆していましたが、写真に使った画集「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波 1993)の同じ絵の解説は、ちょっと違っていました。(同じ絵ですが、タイトルは「花咲く草原」 )
≪ゴッホのジョンン・コンスタブルへの賛嘆、あるいは水路と眺望に同じ重要さを認めた、オランダが育んだ風景画への賛嘆が、この絵には暗示されている。≫
ふむふむ、見方を変えると、アイリスまでが違って見えます。燕子花風に見えたり、ジャーマンアイリスに見えたり・・・
 
 さて、読書家のゴッホ(1853~90)は、ドーデ―(1840~97)も好んでいたようですから、ゴッホの絵に「アルルの女」(1890年)というのがあり、ドーデ―の戯曲に「アルルの女」(1872年)があり、話と絵は、まったく関係ないものの、興味深いことです。

 その「アルルの女」の絵は【第三会場 深まるジャポニズム】というところに展示されていましたが、ジャポニズムの空気?どこ?・・・などと思っていたら、同じ会場にあった、「タラスコンの乗合馬車」も、うーん、どこが深まるジャポニズム?と考えたものの、こちらもドーデ―つながりで、興味深いものでした。(続く)

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