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みんなみすべくきたすべく

タントニーのブタ

   アントニーj
(承前)
 上の写真は、スイス ロカルノのマドンナ・デル・サッソ教会➡➡で撮った聖アントニーの像の写真です。「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)の足取りをたどって行った教会でした、

 そんなスイス、イタリア語圏の小さな像と、「タントニーのブタ」の話がつながるのですよ。
 
小さすぎるブタのトコは、他のブタのように検査も通らず、聖アントニー施療院のペットになります。
 トコは、それまで、人からひどい仕打ちをうけていたものの、聖アントニーさまのブタになった以上、人は優しく接してくれるようになりました。
≪トコは、いままで人間からひどくされていたことを忘れ、安心し始めた。すべての生きものが、恐れる必要がないとわかれば、いずれはそうなるように。≫

 中でも、≪失せ物を探し出してくれるという聖アントニーさま≫に、なくした人形を探してくれるようお願いに来ていたベッシー・ポニーちゃんは、トコと仲良しに。
 そして、ベーコンになる運命から遠ざかっていたトコも、みんなに可愛がられて、肉付きのいい体に。それでは、困るということで、トコ自身が、元の身体に戻してほしいと聖アントニーにお願いに行くと、絵の中の聖アントニーがいいます。

≪「あなたは、ベッシー・ポニーのお人形を見つけることができませんでした。だから、やっぱり、わたしのすがたも、とりもどせないんでございますね。」と、トコはいった。「何をつまらんことを!」と、聖アントニーはいった。「もちろん、おまえのすがたをとりもどしてやれるさ。やろうと思えば。もっとも、わたしは、パデュアの聖アントニーではないが。」 「だれですって?」トコは聞いた。「もう一人の聖アントニーだ。その方が、失せ物を見つけてくださる聖人なのだ。」 「アントニーさまが、ふたりおいでになるので?」 「ああ、もちろんじゃよ、おまえ。だが、ばかどもは、わたしたちをとりちがえる。わたしのつとめは、おまえのような子ブタを守ることだ。ベッシー・ポニーの人形のような失せ物を見つけるのは、あの方だ。・・・・」≫

・・・というわけで、動物たちの守護者と言われている聖アントニーと、失せ物探しのパデュアの聖アントニーが存在することを、皮肉りながら、人形が見つかり、トコは板のように痩せたままでした。

≪タントニーのブタ!タントニーのブタ!
おまえが市場にきたときは、一文のねうちもなかったさ。
やさしく、かしこい
アントニーさまだけが、タントニーのブタの心をご存じだった。≫

・・・ということで、写真は銘板にパデュアの聖アントニーとあるので、失せ物を探してくださる方のよう。

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ヒナギク野のマーティン・ピピン

ライ3
(承前)
「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(E.ファージョン文  イザベル&ジョン・モートン=セイル絵 石井桃子訳 岩波)
 これまで、面白おかしかった「ライの町の人魚」でさえも、ちょっとしたメッセージが入っていたことに気づいてみて➡➡、この「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の中のお話の寓話性にも着目してみました。

 この本のあとがきで石井桃子が、「ナンセンスと寓話のいりまじったようなもので、他の六つのお話とは、あまり調子がかけはなれ、なぜ、この本にこういうものが、長々とはいってこなければならなかったかを、ふしぎに思います。」と評価しなかった「ニコデマスおじさんとジェイキン坊や」でさえも、今のカ・リ・リ・ロには、結構面白く読めました。確かに全体としては長々と教訓て臭く、蛇足のような位置づけではありますが、一つ一つのお話はとても短く、この短さで、大事なことを伝えようとしたファージョンの老婆心がちょっと楽しく思えました。「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(1937年)はその姉妹版である「リンゴ畑のマーティン・ピピン」(1921年)から、15年以上も経ってできた本だと考えると、ファージョン(1881年~1965年)がまだ伝え足らないことを書いたとも考えられます。カ・リ・リ・ロが、気に入ったのはイタリア人が話した「自分で選んだ重荷は軽い」の話。

 そしてまた、かつて読んだときには、「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」や「ウィルミントンの背高男」ほど楽しくなかった「タントニーのブタ」のナンセンスな筋運びも、ちょっと深いところに触れているのかとわかると、やっぱり面白く楽しめました。(続く)

*「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、6つのお話とそれをつなぐ前奏曲、第一~第五間奏曲、後奏曲などで構成されています。
6つのお話は、「トム・コブルーとウーニー」「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」「タントニーのブタ」「セルシー・ビルのお話」「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」 そのあと、「洗たく物かごのなかの赤んぼう」「ニコデマスおじさんとジェンキン坊やがちえをさがしにゆく」(続く)

☆写真は、英国ルイスの町 ルイス城から、ケーバーン山(「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」の舞台)を望む。右端に白亜が見えますが、海には面していません。ケーバーン山自体が主に白亜層でなっています。それゆえ、樹木が少なく、こういう丘(丘陵)をダウンといいます。(撮影:&Co.Ak)

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ライのマーメイドイン

ライ
(承前)
 なにゆえ、ライに行ったかは、以前、書き➡➡⇒⇒他でも書いているので、「ライの町の人魚」のお話の出ている「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)のこと。
 何しろ、30年近く前、友人とイギリスに行ったのは、ファージョン探訪だったし、湖水地方のポター、ランサム探訪でした。そのあとは、サトクリフ探訪、ディケンズ探訪(少し)も加わって、果たして、何回イギリスに行ったか・・・ただ、子育て真っただ中の頃でしたから、多くは3泊か4泊の旅でした。
 
 さて、あの頃は、「ライの町の人魚」の話が興味深く、しかもその名前を冠したホテルがあるという楽しさに夢中でした、今回「ヒナギク野のマーティン・ピピン」全体を読み返すと、他の話にも、以前とは違った視点も生まれて、新鮮な気分で読み返していました。

 「ライの町の人魚」は、ライという海に面し、しかも海岸は、砂地でなく湿地近くの海で暮らす、人魚がウィンチェル嬢が、人の暮らす丘の上の町ライの生活に入っていくというお話です。アンデルセンの人形姫とちょっと似ています。が、大きく違うのは、ハッピーエンドなのです。
 言葉は、田舎言葉で、世間知らず(人の世界知らず)のウィンチェル嬢が、アンデルセンの人魚姫のように、声(言葉)と足(人魚の身体)を交換して、丘に上がるという結末ではなく、何も失うことなく、ライの「マーメイド旅館」で≪男たちを、老いも若きも、うっとりさせるために出かけ≫≪そのとおりのことをやり、今もやってる。≫のです。そして、≪いままでにこの世に生まれた人魚のなかで、ライの町の人魚ほど、その名を知られている人魚はいない。…ウィンチェル嬢は、まったく「天才」だったのだ。≫で、終わります。

 アンデルセンの人魚姫が、つらい思いをして、丘に上がり、悲恋に終わるのと違い、ウィンチェル嬢は、人魚のままで丘に上がります。
≪「もう出かける時間だ。」とセップがいった。「あたし、だいていっていただかなくちゃならないわ。」と、P・ウィンチェル嬢はいった。「あたし、あるけないんだから。」ウィンチェル嬢は、波うちぎわまで、ぱちゃぱちゃはっていって、それからあとは、セプティシマスが嬢をかかえていった。≫
 
 足があろうがなかろうが、田舎言葉であろうがなかろうが、洗練されていようがそうでなかろうが、向上心があり、コミュニケートすることを大事にする人(人魚)であれば、未来は明るい・・・・・

 昔この話を楽しんだときは、明るい気楽なお話の一つとして読んでいたのですが、軽く、単純なように見せて、実は、人生を励ますお話でもあったのが、やっとわかった次第。(続く)

☆写真は、ライのマーメイドイン(人魚亭)の廊下。(撮影:&CO.Ak)

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まるで 妖精のように

とかげ10
(承前)  花は好きですが、花に集まる小さい虫たちも嫌いじゃありません。バッタみたいに触ろうとは思いませんが、きれいな「とかげ」を見るのは平気です。「きゃあ」なんて言いません。

 スイスで、男前の「トカゲ」を見ました。大抵、シャッターチャンスを逃すのですが、この時は、2枚も撮れました。
 陽光サンサン降り注ぐ中、彼は、ぎろっとこちらを見て、行ってしまいました。
 ファージョンの「イタリアののぞきめがね」の中の「トカゲ」を思い出しました。
 帰国して、読み返したら、トカゲは、もちろん出てきますが、数多くの花々も次々登場しているのを、再発見し、嬉しくなりました。そのお話は「ブリジェットのイタリアの家」です。

≪家まで帰る途中で、みどり色のトカゲが、日にあたろうとして、石がきのすきまから出てくるのにあいました。というのは、月があがったのに、お日さまも、まだ出ていて、みどり色の、イタリアのトカゲは、日なたぼっこがすきだったからです。トカゲは、宝石のように、キラリと光りました。けれども、わたしたちが近くにいるとわかると、トカゲは、あわててにげだして、まるで妖精のように、またべつのすきまにかくれてしまいました。・・・≫

*「イタリアののぞきめがね」(ファージョン作 アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波)

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あれからどれくらい経ったのだろう。

ライj
 まだもう少しスイス2016報告は続くのですが、続きにつなげるために、ちょっと、イギリス話。
 大学生の甥がイギリスに夏休み1ヶ月行っていました。
 お気に入りの紅茶をたくさん頼んでいたので、それを持って来てくれました。
 
「で、どこがよかった?」
「ライ」
「ええっー!!!! どこに泊まったん?」
「マーメイド・イン」
「きゃーあ。うっそー!」

 20歳の甥の趣味は、オールドファッションとアンティーク。彼の年配の知り合いから、教えてもらったのが、骨董や陶器の街のライで、階段の歪んだ屋根裏部屋に泊まれるマーメイド・イン(1420年~)だったようです。
ライ廊下j

「ヒナギク野のマーティン・ピピン」
(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)
  
 
 もはや25年ほど前、初めて英国に行ったときに、ライに行きました。ファージョンの「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の中にある話「ライの町の人魚」にひかれてです。
 このことは海ねこさんに書きましたが、当時は写真がデータでないため、今改めて、ここにライの街の写真を掲載できて嬉しい。( →→8月18日の項
 ただ、甥の写真には、あの海賊の巣窟のようにも思えるパブの写真がなく、こじゃれたサロンみたいな部屋が写っていました。甥もそんなところ、あったかなぁ、ということで、改装したんだろうかと、少々心配。(未確認) あの大きな暖炉の前で骨董品の椅子に座り、甲冑や槍を見ながら、海賊のざわめきを聞いたような気がしたのが懐かしい・・・
まさに「宝島」のこの表現がぴったりの場所でした。
≪・・・・船長は・・・・(中略)・・・・夜はずっと、客のたむろする談話室の暖炉のそばに陣どり、少しだけ水で割った、強いラム酒を飲んでいた。・・・・≫(「宝島」スティーブンソン作 金原瑞人訳 偕成社文庫)

 さて、甥は、イギリス探訪に出かけただけでなく、(本当は短期語学研修)パリやパリ郊外にも足を延ばしたようで、これが、カ・リ・リ・ロのスイス2016報告と、ちょっとつながる予定。(撮影:&Co.S)
ライ看板j

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パスタの名前

オレキエッテj
(承前)
 ファージョンの「イタリアののぞきめがね」の中で好きなのは「アニーナ」という章に続く「トリポリの王さまが パスタをもってきた」の話です。
 今でこそ、イタリア料理の食材コーナーに、いろんなパスタが並んでいるので、このお話に出てくる面白い名前のパスタが、多分イタリアでは、実際にあるんだろうと想像できますが、初めて読んだときは、ファージョンの想像力の産物なのかと思っていました。

≪マカロニ、バーミセリ、星型、文字型、貝、鈴、木の実、リンゴのたね、はりのさき、ノミの目、馬の歯、聖人さまのたね、オリーブのたね、麻のシーツ、ハート型、ダイヤモンド型、鳥のはね、聖母マリアの涙≫
・・・・はたして、どんなパスタなんだ?と思いつつ、上のパスタの写真を娘に送ると、「耳たぶ」みたいと言いました。
はい、その通り。オレキエッテ(耳たぶ)というパスタです。

*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)
☆写真上は、オレキエッテ・ブロッコロ(ブロッコリー)。下のイタリアンカクテルは、シチリアンミモザ。
                                           シチリアンミモザjj

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イタリアののぞきめがね

おりーぶj
(承前)
 実は、今日のオリーブの写真も散歩で見つけたオリーブの木です。ご近所には、庭木や玄関前の鉢植えにオリーブを植えてらっしゃるおうちが、少なくないのですが、この塀越しに見つけたオリーブの木には、たわわになっていました。12月初めの散歩です。

 で、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」のなかの「オレンジとレモン」。
 白の王子の家来ペッペは、鳥のように口笛を吹く人で、いつもオリーブの木の上にいます。
 そして、このペッペもトカゲも、じつは、「オレンジとレモン」の前の章「ブリジエットのイタリアの家」で、お話の伏線として出てきています。白の王子でさえも。
以下は、「ブリジエットのイタリアの家」の章。
≪わたしたちは、オリーブ農園の門にはいりました。オレンジやレモンの木が植わっていて、まるで王子さまのご殿のように見える、農園主の真っ白い家を通りすぎて、坂道をオリーブ畑までおりていきました。オリーブの木の上には、男たちが座って、鳥のようにうたったり、口笛をふいたりしていました。≫ 
 リアルなものがファンタジックなものに変身する楽しさ、です。

 「イタリアののぞきめがね」の前の章で、何気なく登場したものが、次の章では、主役であったり、重要な役回りであったりしながら、イタリアの空気を伝えていきます。
 ん?前の話のあれじゃないの?次の話ではどうなっているんだろう?を楽しみにページを繰って行くのです。(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)

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オレンジとレモン

 れもんjj
 散歩道で、レモンがなっているのを見つけました。
 散歩道は、この木より上にあるので、(つまり、家は散歩道の下)、大きなレモンの木の上方に実がなっていても、よく見えます。阪神間は割と温暖な地域とはいえ、まさか、こんなに立派なレモンがなっているとは・・・(その木の上方には、あといくつか残っておりました。多分、この木のある家の人は、上方にレモンが残っているのを知らないと思います。)

 「オレンジとレモン」というお話が、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」に入っています。
 白の王子が育てているオレンジとレモンの実と、黒の王女の育てている実の大きさを比べる話です。重要な小道具は望遠鏡。

 王女の実を見るために、王子が、王女のお城に入るには、トカゲくらいの大きさでないと石垣の隙間から入れません。そこで、望遠鏡の、ものが小さく見える端を石垣の方に向けてから、望遠鏡と石垣の間に王子が立つと、あら、不思議。王子はトカゲのように小さくなって妖精のように石垣の隙間をくぐり抜けることができます。
 この話を子どもの時に読んだなら、秘密裏に、この方法に何度か挑戦して、身体を小さくする訓練をするのではないかと思います。

 さて、オレンジとレモンの実の大きさ比べ。
 実は、王女の持っていたのは、ライムとキンカンの実だったものの、家来のペッペの判定は、見もしないで「王女」にくだります。
 ≪こうなると、王子と王女は、もう結婚するほか、ありませんでした。そこでふたりは結婚しました。≫(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)

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セブン・シスターズ

                セブンシスターズ丘からj
  昨日の、まったくドーバーのセブン・シスターズとは関係のない文に使った、白亜の崖は、本当に美しく、海から船に乗って眺めたのは、20年くらい前のこと。とはいえ、その時の青空と白亜と海の写真は、フィルム写真でしたので、今回、お友達のデジカメ写真をいただいて掲載しているわけです。その送信された写真を見ているうちに、懐かしさでいっぱいになり、ファージョンの「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(石井桃子訳 岩波書店)の中の『ウィルミントンの背高男』を読み返しました。

 ウィルミントン村に住むとても綺麗好きな7人姉妹が、ある日、とても小さな男の子を見つけ、育てます。そのウィルキンと名付けられた男の子は、大きくなりたいと願うものの、一向に大きくならず、結局は、煙突掃除の仕事につきます。ところが、そのすすだらけのウィルキンのお世話にほとほと疲れた7人姉妹は、耐えきれず、白い崖に姿を変えてしまうのです。それで・・・

 という話です。話に、実在する、セブン・シスターズという崖と、ウィルミントンの背高男という丘絵(石灰質で覆われた丘の斜面を掘って描かれた様々な絵)が、出てきます。そして、話の舞台になった、英国の南、サセックス辺りは、地面の下が、石灰質で白く綺麗なのですが、水はけも悪く、増水や洪水にもつながります。そんな地質を背景に、同じくファージョンの『若ジェラード』( 「リンゴ畑のマーティン・ピピン」所蔵 石井桃子訳 岩波)も生まれたのでした。

☆写真は、英国 サセックス セブン・シスターズ (撮影:&Co.Ak)

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西ノ森

       海岸線j
 児童文学、特に英国のそれが好きなのは、事細かく、目に見えるように書いている作品が多いからです。

 「ここから先は、自分自分でイメージしなさい」と、著者が独自の世界を紹介してくれるよりも、「この世界を一緒に分かち合いましょう」という著者の姿勢が、読む楽しみを増やしてくれます。

 例えば、昨日のファージョンの「棟の木かざり」(「年とったばあやのお話かご」)の中に
≪・・・つぎの日、わたしたちは、みんな、いちばんのよそゆきをきました。管理人さんは、皮のふちどりをした、みどりの服をき、帽子にはワシのはねをつけました。わたしは、こい赤のウールのドレスに、はでな色のスカーフを肩にまき、黒いきぬのエプロンを腰にまきました。そして、リーゼルは、白いひだひだのあるブラウスに、青いスカート、黒いビロードの胸あてをつけ、ししゅうのあるカラーのまわりには、チリンチリンとなる銀のくさりをかけて、まるで絵のようにかわいく見えましたよ。・・・≫
 スイスの民族衣装に身を包んだ3人が、絵のようにかわいく見えてきませんか?
 
 同じくファージョン「西ノ森」(「ムギと王さま」)のこの箇所はどうです。
≪・・・木だちのずっとむこうには、金色の海岸が見えました。それは、きらめく砂、輝く貝、色とりどりの小石のある入り江でした。ガラスのようにすきとおる、青くエメラルド色の海は、その入り江の右の岸から左の岸までいっぱいにさざなみをたて、その一ばんはては、ほの白く光るがけのある岬になっていて、がけには、雪花石のほら穴やくぼみがありました。・・・≫

 このファージョンの文を読めば、上の写真(オーストラリア、メルボルン)のような景色を思い浮かべられます。(撮影:&Co.A)

「年とったばあやのお話かご」 (ファージョン作 アーディゾーニ挿絵 石井桃子訳 岩波)
「ムギと王さま」 (ファージョン作 アーディゾーニ挿絵 石井桃子訳 岩波)

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