みんなみすべくきたすべく

あれからどれくらい経ったのだろう。

ライj
 まだもう少しスイス2016報告は続くのですが、続きにつなげるために、ちょっと、イギリス話。
 大学生の甥がイギリスに夏休み1ヶ月行っていました。
 お気に入りの紅茶をたくさん頼んでいたので、それを持って来てくれました。
 
「で、どこがよかった?」
「ライ」
「ええっー!!!! どこに泊まったん?」
「マーメイド・イン」
「きゃーあ。うっそー!」

 20歳の甥の趣味は、オールドファッションとアンティーク。彼の年配の知り合いから、教えてもらったのが、骨董や陶器の街のライで、階段の歪んだ屋根裏部屋に泊まれるマーメイド・イン(1420年~)だったようです。
ライ廊下j

「ヒナギク野のマーティン・ピピン」
(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)
  
 
 もはや25年ほど前、初めて英国に行ったときに、ライに行きました。ファージョンの「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の中にある話「ライの町の人魚」にひかれてです。
 このことは海ねこさんに書きましたが、当時は写真がデータでないため、今改めて、ここにライの街の写真を掲載できて嬉しい。( →→8月18日の項
 ただ、甥の写真には、あの海賊の巣窟のようにも思えるパブの写真がなく、こじゃれたサロンみたいな部屋が写っていました。甥もそんなところ、あったかなぁ、ということで、改装したんだろうかと、少々心配。(未確認) あの大きな暖炉の前で骨董品の椅子に座り、甲冑や槍を見ながら、海賊のざわめきを聞いたような気がしたのが懐かしい・・・
まさに「宝島」のこの表現がぴったりの場所でした。
≪・・・・船長は・・・・(中略)・・・・夜はずっと、客のたむろする談話室の暖炉のそばに陣どり、少しだけ水で割った、強いラム酒を飲んでいた。・・・・≫(「宝島」スティーブンソン作 金原瑞人訳 偕成社文庫)

 さて、甥は、イギリス探訪に出かけただけでなく、(本当は短期語学研修)パリやパリ郊外にも足を延ばしたようで、これが、カ・リ・リ・ロのスイス2016報告と、ちょっとつながる予定。(撮影:&Co.S)
ライ看板j

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パスタの名前

オレキエッテj
(承前)
 ファージョンの「イタリアののぞきめがね」の中で好きなのは「アニーナ」という章に続く「トリポリの王さまが パスタをもってきた」の話です。
 今でこそ、イタリア料理の食材コーナーに、いろんなパスタが並んでいるので、このお話に出てくる面白い名前のパスタが、多分イタリアでは、実際にあるんだろうと想像できますが、初めて読んだときは、ファージョンの想像力の産物なのかと思っていました。

≪マカロニ、バーミセリ、星型、文字型、貝、鈴、木の実、リンゴのたね、はりのさき、ノミの目、馬の歯、聖人さまのたね、オリーブのたね、麻のシーツ、ハート型、ダイヤモンド型、鳥のはね、聖母マリアの涙≫
・・・・はたして、どんなパスタなんだ?と思いつつ、上のパスタの写真を娘に送ると、「耳たぶ」みたいと言いました。
はい、その通り。オレキエッテ(耳たぶ)というパスタです。

*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)
☆写真上は、オレキエッテ・ブロッコロ(ブロッコリー)。下のイタリアンカクテルは、シチリアンミモザ。
                                           シチリアンミモザjj

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イタリアののぞきめがね

おりーぶj
(承前)
 実は、今日のオリーブの写真も散歩で見つけたオリーブの木です。ご近所には、庭木や玄関前の鉢植えにオリーブを植えてらっしゃるおうちが、少なくないのですが、この塀越しに見つけたオリーブの木には、たわわになっていました。12月初めの散歩です。

 で、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」のなかの「オレンジとレモン」。
 白の王子の家来ペッペは、鳥のように口笛を吹く人で、いつもオリーブの木の上にいます。
 そして、このペッペもトカゲも、じつは、「オレンジとレモン」の前の章「ブリジエットのイタリアの家」で、お話の伏線として出てきています。白の王子でさえも。
以下は、「ブリジエットのイタリアの家」の章。
≪わたしたちは、オリーブ農園の門にはいりました。オレンジやレモンの木が植わっていて、まるで王子さまのご殿のように見える、農園主の真っ白い家を通りすぎて、坂道をオリーブ畑までおりていきました。オリーブの木の上には、男たちが座って、鳥のようにうたったり、口笛をふいたりしていました。≫ 
 リアルなものがファンタジックなものに変身する楽しさ、です。

 「イタリアののぞきめがね」の前の章で、何気なく登場したものが、次の章では、主役であったり、重要な役回りであったりしながら、イタリアの空気を伝えていきます。
 ん?前の話のあれじゃないの?次の話ではどうなっているんだろう?を楽しみにページを繰って行くのです。(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)

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オレンジとレモン

 れもんjj
 散歩道で、レモンがなっているのを見つけました。
 散歩道は、この木より上にあるので、(つまり、家は散歩道の下)、大きなレモンの木の上方に実がなっていても、よく見えます。阪神間は割と温暖な地域とはいえ、まさか、こんなに立派なレモンがなっているとは・・・(その木の上方には、あといくつか残っておりました。多分、この木のある家の人は、上方にレモンが残っているのを知らないと思います。)

 「オレンジとレモン」というお話が、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」に入っています。
 白の王子が育てているオレンジとレモンの実と、黒の王女の育てている実の大きさを比べる話です。重要な小道具は望遠鏡。

 王女の実を見るために、王子が、王女のお城に入るには、トカゲくらいの大きさでないと石垣の隙間から入れません。そこで、望遠鏡の、ものが小さく見える端を石垣の方に向けてから、望遠鏡と石垣の間に王子が立つと、あら、不思議。王子はトカゲのように小さくなって妖精のように石垣の隙間をくぐり抜けることができます。
 この話を子どもの時に読んだなら、秘密裏に、この方法に何度か挑戦して、身体を小さくする訓練をするのではないかと思います。

 さて、オレンジとレモンの実の大きさ比べ。
 実は、王女の持っていたのは、ライムとキンカンの実だったものの、家来のペッペの判定は、見もしないで「王女」にくだります。
 ≪こうなると、王子と王女は、もう結婚するほか、ありませんでした。そこでふたりは結婚しました。≫(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)

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セブン・シスターズ

                セブンシスターズ丘からj
  昨日の、まったくドーバーのセブン・シスターズとは関係のない文に使った、白亜の崖は、本当に美しく、海から船に乗って眺めたのは、20年くらい前のこと。とはいえ、その時の青空と白亜と海の写真は、フィルム写真でしたので、今回、お友達のデジカメ写真をいただいて掲載しているわけです。その送信された写真を見ているうちに、懐かしさでいっぱいになり、ファージョンの「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(石井桃子訳 岩波書店)の中の『ウィルミントンの背高男』を読み返しました。

 ウィルミントン村に住むとても綺麗好きな7人姉妹が、ある日、とても小さな男の子を見つけ、育てます。そのウィルキンと名付けられた男の子は、大きくなりたいと願うものの、一向に大きくならず、結局は、煙突掃除の仕事につきます。ところが、そのすすだらけのウィルキンのお世話にほとほと疲れた7人姉妹は、耐えきれず、白い崖に姿を変えてしまうのです。それで・・・

 という話です。話に、実在する、セブン・シスターズという崖と、ウィルミントンの背高男という丘絵(石灰質で覆われた丘の斜面を掘って描かれた様々な絵)が、出てきます。そして、話の舞台になった、英国の南、サセックス辺りは、地面の下が、石灰質で白く綺麗なのですが、水はけも悪く、増水や洪水にもつながります。そんな地質を背景に、同じくファージョンの『若ジェラード』( 「リンゴ畑のマーティン・ピピン」所蔵 石井桃子訳 岩波)も生まれたのでした。

☆写真は、英国 サセックス セブン・シスターズ (撮影:&Co.Ak)

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西ノ森

       海岸線j
 児童文学、特に英国のそれが好きなのは、事細かく、目に見えるように書いている作品が多いからです。

 「ここから先は、自分自分でイメージしなさい」と、著者が独自の世界を紹介してくれるよりも、「この世界を一緒に分かち合いましょう」という著者の姿勢が、読む楽しみを増やしてくれます。

 例えば、昨日のファージョンの「棟の木かざり」(「年とったばあやのお話かご」)の中に
≪・・・つぎの日、わたしたちは、みんな、いちばんのよそゆきをきました。管理人さんは、皮のふちどりをした、みどりの服をき、帽子にはワシのはねをつけました。わたしは、こい赤のウールのドレスに、はでな色のスカーフを肩にまき、黒いきぬのエプロンを腰にまきました。そして、リーゼルは、白いひだひだのあるブラウスに、青いスカート、黒いビロードの胸あてをつけ、ししゅうのあるカラーのまわりには、チリンチリンとなる銀のくさりをかけて、まるで絵のようにかわいく見えましたよ。・・・≫
 スイスの民族衣装に身を包んだ3人が、絵のようにかわいく見えてきませんか?
 
 同じくファージョン「西ノ森」(「ムギと王さま」)のこの箇所はどうです。
≪・・・木だちのずっとむこうには、金色の海岸が見えました。それは、きらめく砂、輝く貝、色とりどりの小石のある入り江でした。ガラスのようにすきとおる、青くエメラルド色の海は、その入り江の右の岸から左の岸までいっぱいにさざなみをたて、その一ばんはては、ほの白く光るがけのある岬になっていて、がけには、雪花石のほら穴やくぼみがありました。・・・≫

 このファージョンの文を読めば、上の写真(オーストラリア、メルボルン)のような景色を思い浮かべられます。(撮影:&Co.A)

「年とったばあやのお話かご」 (ファージョン作 アーディゾーニ挿絵 石井桃子訳 岩波)
「ムギと王さま」 (ファージョン作 アーディゾーニ挿絵 石井桃子訳 岩波)

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棟の木かざり

棟の木かざりj
 昨年、スイスに行った時、「ああ、あれ!」と、叫んだら、夫は「????」。私の指さす方にあったのが、写真に写る、小さなモミの木。
 興奮状態の私が「棟の木かざりよ!」「はあ????」
 「スイスの棟上げのときに、飾るモミの木よ!」「・・・・・」
 大満足で、
「ああ、これが、ファージョンが『棟の木かざり』といったモミの木ね」

 ところが、次の日も、同じ席で、その木を眺めていたら、
「ん?棟の木かざりっていうのは、こんな途中の屋根じゃなくて、屋根のてっぺん?・・・・なーんだ、ベランダに植えているモミの木が大きくなっているだけ?」
 ・・・一気にシュン・・・

 家に帰って「年とったばあやのお話かご」の中の「棟の木かざり」を読み返してみると、≪・・・棟あげをするときには、その家が、どんどん大きく繁盛して、しあわせになっていくというしるしに、切りづまのてっぺんに、小さい木を立てるしきたりがあるんです。・・・≫とありました。
 このお話の舞台がスイスで、小さなモミの木で・・・ということで、思い込んでいただけだったようです。
 
 とはいえ、もしかして、もしかして だけど、その棟の木飾りに使ったモミの木を、今も育ててたんじゃないのと、思うのです。

*「年とったばあやのお話かご」(ファージョン作 アーディゾーニ挿絵 石井桃子訳 岩波)
☆写真は、スイス ヴェンゲン 

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夜は明けそめた

       グリー・ノウ早朝j
え?これって、♪~モーニング ハズ ブロークン♪~?
 CMのバックに流れるこの曲!
 昔、キャット・スティーヴンスが歌ってヒットした「雨にぬれた朝」。
 雨上がりの爽やかさ、夜が明けた清々しさの伝わるメロディ。

"Morning has broken"作詞は、エリナー・ファージョン。
エリナー・ファージョン伝 夜は明けそめた」という伝記の副タイトルにもなっています。
 信仰に基づく、深い詩のようですが、個人的に好きなのは、詩の始まり、曲の始まり。
Morning has broken,
like the first morning
Blackbird has spoken,
like the first bird
 
 パソコンのファイルに入れたキャット・スティーヴンスの歌声、今、エンドレスで聴きながら、パソコンに向かっています。窓の外に、小鳥の声が聞こえなくとも、少々、陰った朝でも、英国の田舎、小鳥が一斉に鳴き始める爽やかな朝を思い出し、ちょっと幸せな気分になれるのです。

*「エリナー・ファージョン伝 夜は明けそめた」(アナベル・ファージョン著 吉田新一・阿部珠里訳 筑摩書房)

☆写真は、英国 ヘミングフォード村 早朝 朝日の当たった建物は、「グリーン・ノウ シリーズ」(ルーシー・M・ボストン著 ピーター・ボストン絵 亀井俊介訳 評論社)の舞台になったマナーハウス。
 ちなみに、以前「古本 海ねこ」さんに書かせていただいた拙文「子どもの本でバードウォッチング」7回目に早朝の小鳥のさえずりの音声動画と、6回目にピントがずれてはいますが、早朝、歌うブラックバードの写真掲載してもらっています。

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桜の花の満開の下

34近衛邸しだれ桜j
  「桜の森の満開の下」 (坂口安吾 講談社学芸文庫)
 山賊にさらわれてきた美しい女が、都の生活で、新しい首を所望し、渇え、弄ぶ。 ところが、山賊は、山の暮らしに戻りたい。そして、桜の満開の森を通って、山に戻るとき・・・
 坂口安吾の、この話を初めて読んだのは、10代の後半だと思います。一度読んだら忘れられない、どろどろした妖しい世界に、どきどきしながら読んだ記憶があるものの、後味よくないなぁ・・・。しかも、桜が満開の木の下に立って、ウキウキこそすれど、山賊が感じたようなゾワゾワした気分を味わったことがない鈍感な身としては、ずっと、「桜の森の満開の下」を「桜の花の満開の下」と思い込んでいました。勝手に、森を一本のとてもとても大きな桜の木と解釈していました。いつのまにか、梶井基次郎の「桜の樹の下には」*と混ざってしまっていたのかもしれません。
 その間違いに、この歳になってやっと気付きました。以前書いた「春を待つ日のアドベントエッセイ」の「若ジェラード」 (ファージョン)の項でも、きっちり間違っております。今頃、誤記に気付きました。誤記は、わが身のいい加減さを露呈していますが、今、再び、この2冊を読み返しても、「若ジェラード」は、春に一押しのサクラの話に変わりありません。これは、好みの問題です。
 「若ジェラード」のサクラは、一本の継穂から枝を伸ばし、二人が結ばれたときに、初めて花を咲かせます。散ることは書いてありません。完全なハッピーエンディングです。咲いてこそ、美しい。
 ところが、「桜の森の満開の下」のクライマックスは、散り染めであり、満開の桜が、散る美しさというものと、醜さを対比させています。散り際の美しさを際立たせるには森の暗さも要るし、心の闇にも森の深さは通じます。だから、勝手に一本の大きな満開の桜をイメージしていたのは、明らかに読解力不足ということだったのです。日本人の美意識。狂気への道。死への道。散ってこそ、美しい。
 この二つの作品の「桜」の捉え方を、深く論じる力はありません。しかしながら、同じ美しい花でも、なかなか散らず、長い間咲いているように見える英国の桜と、開花情報を収集し、季節のあいさつに「桜」を用いる日本人の桜、象徴するものに、ずいぶん違いがあって、それがまた面白いと思います。

*「檸檬」梶井基次郎 新潮文庫
*「リンゴ畑のマーティン・ピピン」
(エリナー・ファージョン作 石井桃子訳 リチャード・ケネディ挿絵 岩波書店)

☆写真は、京都御所一般公開中(4月4日~8日)の外苑、旧近衛邸しだれ桜。2012年4月4日撮影

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金星と木星

8有明の月j
 先日、西の空に並んだ金星と木星、綺麗でした。二つ、かなり接近してるので、余計目立ってました。晴れていてよかった。それにしても、金星は光りすぎてるやん。
 あんまり光るので、ついつい、ぐいぐいそっちへ眼が行きます。ベツレヘムの星と言うのは、こんな感じだったのかもしれません。街でも、見えるまばゆさですから、平原や山の上、光源が他にないようなところで、この明るさに出会ったら、やっぱり神秘的だと思います。
  「月をみはる星」 *というE.ファージョンのお話があります。三日月のそばに星が見えたら、いつもこの話を思いだします。「月はまだほんのねんねで、今だって、ちっとも分別がない」ので、太陽から力を与えられた、まるで番兵のように光っている星がいるのです。
 さて、3月下旬は、その三日月です!金星と木星と、月の饗宴。楽しみやねぇ。なにしろ、まだ起きてる時間というのが嬉しい。
*「町かどのジム」(エリノア・ファージョン文松岡享子訳エドワード・アーディゾーニ絵童話館出版)
☆写真は、夜明けの東の空。
「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」≪素性法師≫

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