(承前)
ソプラノとリュートの小さなコンサートでは、演者が、簡単に楽器や、歌詞の説明をしてくれる場面もあり、興味が増しました。
リュートは、ペルシャ時代からその原型があり、石造りの建物で弾くヨーロッパでは、優しい音色(はかない、か弱い感じ)で、受け入れられ、東に伝わったら、「琵琶」となり、畳、障子の音の吸収しやすい日本では、結構大きな音の弦楽器となっていったようです。
するうち、リュートは、音域を増やすために弦が増え、上の写真にうつる、直角に曲がる部位も、今見る弦楽器のように、まっすぐになっていったようです。また、上記写真右のフェルメールの絵の女性が調弦しているように、ガットの調弦は、なかなか大変だったようで、弦が増え、今のようなナイロン製のガットでないなら、ますます大変だったとのこと。で、「リュート奏者が60年演じるなら、その40年は調弦している」というジョークまで、披露してくださいました。
そんな苦労の多い楽器も、優しい音がゆえに、大きな音の出る楽器や、たくさんの楽器の中では、存在感が薄れ、衰退していったようです。ですので、今回、音響のいい、小さなコンサートで、楽しめたのは、よかった。
☆写真上は、「フェルメールと音楽展」「(2013年:ロンドン・ナショナルギャラリー)➡➡のときの図録の上に、「リュートを調弦する女」(フェルメール)の絵葉書
☆写真下は、同じく「フェルメールと音楽展」図録”Two Men and a Young Woman Making Music on a Terace,about 1670-5"(Jan Steen画1626-1679)の一部


ソプラノとリュートの 小さなコンサートに行きました。生リュートの演奏は聞いたことがありませんでした。
バレンタインデーが近いということで、フランス、イギリス、イタリアの愛の歌を集めたものでした。
お昼を済ませたばかりのその時間、少々眠気を誘われるのは、ソプラノの優しい歌声と、その伴奏となる、優しいリュートの音色ならばこそ。
讃美歌や古謡、マザーグースなどは、どこかで聞いたことがある、親しみのあるメロディ。中でも、LochLomond(ローモンド湖)などは、「五番街のマリー」かと、思うくらい似たところがあることにびっくりしたものの、とってもいい歌。スコットランド地方の古謡は、どこか、懐かしい。
・・・と、英語の歌もさることながら、イタリア、フランスの歌も、素敵でした。
「恋人よバラを見に行こう」は、ロンサールの詩を歌ったもの。
改めて、ロンサールが古い時代の詩人だとわかります(1524~85)。というのも、リュートがルネサンス期からバロック期に活躍していた楽器だったからです。
ロマンチックな歌に、優しい音色のリュートの伴奏。
≪恋びとよ、見にゆかん、
花薔薇(はなそうび)、けさ紅(あけ)に、
陽に解きし その衣、
くれないの 重なりも、
きみに似し頬のいろも、
失せたりな、今宵いま。
・・・・・(後略)・・・・・≫「カッサンドルへのオード」(「ロンサール詩集」井上究一郎訳 岩波文庫)(続く)
レディー・ガガの映画「アリー・スター誕生」を見に行きました。
今まで、ジュディ・ガーランドやバーバラ・ストライサンドなども主演した映画「スター誕生」の現代版。(舞台や設定は、各々、異なるようです)今をときめく、レディー・ガガの歌を劇場で聴けるとあっては、見に行かなくては…
予想通り、レディー・ガガの歌唱力は圧巻。監督で共演の男優も、歌の上手いこと。
しかも、すっぴんのレディー・ガガは、歌手が本職とは思えない演技力。
歌唱力や演技力が光っているように思えるものの、さて、映画作品の出来としては、どうなんだろう?・・・・と、思っていたら、アカデミーや何やかやで、評価が高いらしい。
クィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」➡➡も劇場で聴くことのできる臨場感はともかく、こちらも「アリー・スター誕生」同様、作品の評価も高いらしい。フレディ・マーキュリーの天才と波乱に満ちた人生があってこその作品だったような気がするけれど。
とはいえ、レディー・ガガの心のこもった歌、フレディ・マーキュリーの魂の叫び。天賦の才能を持った人たち。
加えて、レディー・ガガが、政治的な発信をしているのも、応援したくなる一因です。
ユーチューブで見ることのできるレディー・ガガが歴代大統領経験者を前に、弾き語る映像は、なかなか小気味よく、素晴らしい歌声。
で、確か、「アリー・スター誕生」の中で、主人公アリー(レディー・ガガ)の部屋に、キャロル・キングの写真が貼ってあったのは、本人のリスペクトの象徴なんですよね。➡➡
☆写真は、ロンドン チャーチル博物館壁
おもわず、声をかけにいきました。
テストのその朝、いつもはお洒落な彼の今どきのキャップの下は、丸刈り坊主頭。
彼は、照れながら帽子をとって、頭をかきました。
こちらは、「優しいんやね・・・」と、肩を叩くのが精いっぱいでした。
真面目に授業を受け、授業後は質問もし、持参した絵本を手に取りに来る。毎回の言葉遊びも、こだわって、適当に提出する学生とずいぶんの差。
そんな彼が2週続けて休みました。ん?学校にも連絡が入っていたようです。「家族の用があって・・・」
で、登校した時、彼は、「母の抗がん剤治療・・・」と言いました。
次に、エレベーターで一緒になった時、「昨晩は、家族でウィッグをかぶり合い、誰が一番似合うかやったんすよ。ま、母が一番似合ってましたけど」
そして、今や、真冬の丸刈り。
なんと、優しい心を持った青年に育っているのでしょう。頑張れ、彼のお母さん。
テストの出来も、きれいな字で、ちゃんとハイスコアでした。ご安心を。
☆写真は、ロンドン ハイドパーク
先日、長男が、「こんな画像あるよ」と、見せてくれたのが、フィジアンダンスの画像。
そうそう、子どもたちが、10代前後の頃、夏休みに続けて3度、南太平洋フィジーのマナ島に行ったとき、ホテルの夜の出し物に、フィジアンダンスを見たのです。
狩りに行く前の踊り、お別れの歌・・・・などなど。
長男が、見せてくれた画像は、狩りに行く前のものでしたが、あのときの曲と、ちょっと違うかも?
・・・ということで、今度は、みんなで検索し合い、これかな?これが近い?などと楽しみました。多分、部族ごとに、微妙に違うのだと思いますが、みんなが覚えていたのは、男の人たちが、筋肉質でかっこよかったことと、女の人の中には、髭が生えていた人も居たということ。それに、ゆったりしたフラダンスや、タヒチアンダンスのように、フィジアンダンスも女の人たちが踊るものは、手の動きで、何か思いを表現しているということ。
ほかに、朝ご飯の卵を調理のおばさんが片手だけで割ったこと。
体重と荷物の重さを計って島に飛ぶ小さなセスナの扉がきちんと閉まってなくて(閉まらなくて)少々、びくびくしていたのは、親だけだったこと。長男などは、パイロットの横の席に乗せてもらったし・・・などなど、思い出は尽きません。
年金生活の近い今、なんという出費!と、我ながら驚きます(なんといっても、家族5人ですからね)。
とはいえ、日頃は、テレビを見ず、塾に行かず、ゲーム機を買い与えるわけでなく、3人の散髪は家でやり、外食をせず、ドライブもせず、年に一度、距離と日数を伸ばしながら(小児喘息の長男が居ましたから)、旅行に出かけた その思い出を楽しむ姿を見せてもらうのは、有難いことでした。
初笑いは、孫の言葉遊びでした。
お天気の良い日、人通りの少ない直線の道を、走りたくなるのは、ばあばも同じですが(?)、孫も公園 川沿いの道を走ります。
自分で「位置について、よーいどん」と言って、走ります。
ん?違います。
「1について よーい4」です。
舌足らずだからではありません。
そのあと、
「1について よーい3」といい、
「1について よーい1」といい、
そのあとは、
「いちについて よーい 白」。
☆写真に写る絵本は、イギリス ブックスタートの絵本Twinkly night(赤ちゃんの好きなキラキラ光る部分が各ページにあります)
穏やかな関西のお正月でした。
黒豆は上手に炊けたし、数の子の味付けはGOOD!娘が作ってくれたごまめは、素材を高級にしたら、嘘みたいに美味しいごまめに。
年賀状を出し始めて60年近く、初めて、大みそか、紅白歌合戦を見ながら年賀状を作り、書きました。
年賀状は、いついつまでにという郵便局のおふれを守り、投函していたのが、嘘のよう。いつのまにか、期日を過ぎ、そのうち、クリスマス以降に書き・・・ついに、2019年の年賀状は、初日の出を見に行くときに、投函。
年に一度の消息情報より、メールのやりとりが増えてから、段々、年賀状が億劫に・・・・
とはいえ、勝手なもので、成長されたお孫さんや子どもさんの写真をいただくのは、楽しいし、旅行先のお写真は、どこなのか検索するのも楽しい。もちろん、絵本に関連した絵柄を見るのも楽しい。などなど。
年々、減らし、減っていく年賀状であるものの、お正月の楽しみであることには違いありません。
それにまた、このブログを読んで下さっているというご連絡は、日々の楽しみでもあり、励みになっています。年賀状のように、億劫がらずに、拙欄を書いていきたいと思っています。
2019年になりました。
よく晴れた元旦の朝。
今年もよろしくお願いします。