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ケルト5

(承前)(***この文章を書いていたのは、コロナ自粛真っただ中の頃です。)
 ゆっくり本を読む時間や調べる時間が増えた昨今。図書館や書店が休みでも、自分の本棚の前に立つだけで、読み返したい本の多いこと。くらくらします。
 読書の連鎖は、とどまることを知らず、この度は、サトクリフからファージョンにつながるという嬉しい結果。

 ・・・・と、その前に、やっぱり地図(ROMAN BRITAIN)も見ておかねば…
「ケルトとローマの息子」➡➡の物語の後半の舞台となったロムニー・マーシュ(下の海岸線の緑の印)は、干拓してできた土地、いわば、海岸であり低地であったところとも言えます。だから、歴代、いろんな民族の侵入の場面となる場所です。この地のHPには、ローマ、アングロサクソン、バイキング、ノルマン、スペイン、フランス・・・からの侵略の入り口として、地図や絵などを公開し、その歴史を見ることができます。また、第二次世界大戦時のドイツ軍侵略の計画図ともいえるものも掲載されています。(1940年)それは、この海岸線のほかは、侵入しにくかった場所だとも言えます。

上記地図の右から二つ目の印がドーバーで、ここは大きくは白亜の崖があります。上から見張ることができますし、絶壁です。(もちろん大きな港もありますが)
ドーバー15

また、緑の印の左隣のオレンジの印は、ライで、入江とはいえ、沼地が続き、離れて高台になっています。
この左隣のオレンジの印はヘイスティングスで、白亜の崖も沼地もありませんから、やはり、侵入しやすかったと見え、近くの小高い丘でいわゆるヘイスティングスの戦い(1066年ノルマンディー公ギヨーム2世とイングランド王ハロルド2世)がありました。その隣のオレンジの印はイーストボーンですが、ここから船に乗って、西方向海岸線は、かのセブンシスターズといわれる美しい白亜の崖で、やはり絶壁。
セブン14

 ということで、この大陸と近いドーバー海峡に、面した海岸線のうち、侵入者が狙いやすかった地の一つが、ロムニーマーシュ➡➡だったとわかります。

  蛇足ながら、サトクリフファンなら、ああ、とため息がでそうな海岸線の町の一つ。一番右端のオレンジの印は、ルトピエ(リッチボロー)「ともしびをかかげて」猪熊葉子訳 岩波)そして、もう一つ、一番左端の町、アランデル➡➡。ここはちょっと内陸のように見えますが、当時は、もっと海岸線寄りだったように描かれています。(「運命の騎士」猪熊葉子訳 岩波)
 おまけに、地図の上部、緑の印はロンドニュウム(ロンドン)です。他にも内陸部でサトクリフ関連の地名をたくさん見つけるのは、今や老後の楽しみになりました。とはいえ、老眼には厳しいなぁ・・・(続く)

☆写真の地図は「ROMAN BRITAIN」 MAPです。ドーバーの写真撮影&Co.I.。 セブンシスターズの写真撮影&Co.Ak。

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ロムニー

アランデルj
(承前)
 サトクリフの多くの作品に共通するのは、主人公の少年・青年の成長ということと、それを支える友情や信頼や尊敬…一人では乗り越えられなかったかもしれないことの後ろ、あるいは横にいる人の存在です。時には、その風景や花、鳥、そして、犬も大きな役割を持って登場しますが、やっぱり、主人公に寄り添う人の魅力が大きいのも、作品の特徴なのだと思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)の主人公ベリックが部族から出て、ローマの奴隷になり、そこで出会う人の一人に、ローマの首席百人隊長ユスティニウスが居ます。
 ≪軍団の首席百人隊長であり、ローマ帝国の辺境の地に道路を建設したり、湿原の干拓をしたりした、その功績が有名な男だ。だが壁の前に立っているベリックの注意を引いたのは、その男の名声ではなく、彼の身にそなわっているなにかだった。実際、その男はだれといても目立った。がっしりして胸板が厚く、いかつい肩をしている。立ったところを見ると、奇妙なほど腕が長い。浅黒く引きしまった顔に、大きなワシ鼻。ひたいの中央にミトラの印をつけているが、その下でつながりそうな黒い眉は、砂漠のアラブ人を思わせた。だが手に持った酒杯から目を上げると、その目の色は意外にも、太陽の国の黒ではなく、澄んだ灰色をしていた。冷たい北の海の色だ。ときとして非情になることはあっても、けっして卑劣にはならない男の目だった。ああいう男に仕えることができたらいい。「あの男の奴隷ならよかった!」ベリックは思った。「あの男の奴隷ならよかったのに!」≫

 この首席百人隊長ユスティニウスは、自分を根っからの「土木技師」といい、再度、北へ(ブリテン)湿原の干拓に戻ります。それを最後の仕事として完成させたいという思いをもって、また、そこに蘇りつつある農場での生活のために。

 その干拓した土地というのが、今のロムニーマーシュという土地です。Romny 、つまりローマです。
 そして、ローマが作ったのが「リーの防壁」(Rhee Wall)。ただWallを壁と訳したいところですが、土手とか堤防と訳してみると、現在の水路と土手のような場所のイメージができるかと思います。
≪湿原の南橋にあるマーシュ島は、島といっても土地がまわりより二、三フィート盛り上がっただけの場所にすぎない。ほんの1マイルほどの島だが、「リーの防壁」と呼ばれる大堤防がここを守っている。さらにレマニス港の下手の北の水門から続いている砂利の堤も、この島の海岸線沿いを通っている。…≫

今、この辺りは牧草地になっていて、上質の羊毛でも有名なようです。が、このような土地は、現代の地球温暖化で様々な影響があるのではないかと、危惧します。実際、温暖化とは程遠かったローマンブリテンの時代も、三日三晩続く大嵐と戦うというのが、物語りのクライマックスとなるのです。

そして、この辺りのことを、地図で見、WEBの映像で見ましたら、おお、昔、訪ねたライの隣町ではないかですか?そうそう、あそこも、向こうに海が見えるものの、そこに行きつくまでは、沼のような湿地だった・・・なぜ、ライに行ったか?それは、以前にも書きましたが・・・➡➡(続く)

☆写真は、ロムニーではなく、英国 アランデル城から、イギリス海峡を見る。ロムニーは、この海岸線をずっと東方向、ドーバー海峡に近いところ。(撮影:&Co.I)

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ケルトとローマの息子

ケルト2
 ペスト禍を扱った作品➡➡  ➡➡  ➡➡ を、次々読んでいったのですが、シュティフター➡➡だけでなく、サトクリフにも疫病が関係する話があります。シュティフターもサトクリフも、大人も若年層も楽しめるという点では共通していると思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
 この本では、他のペスト禍(疫病)とちがって、その話題を大きく取り扱っているわけではありません。ケルトの部族に助けられ育てられたローマの少年が、疫病神扱いされ、部族を出ていき、その後、ローマに奴隷となって、渡り、過酷な日々の後、またブリテンに戻り…という話ですから、疫病が、話のきっかけにはなっていますが、疫病自体を取り扱っているわけではありません。また、疫病と大きなくくりで書かれ、ペストやコレラ、スペイン風邪などと言わないのは、時代がローマンブリテン(西暦紀元頃~5世紀)だからです。

≪・・・作物は枯れ、羊は死んだ。獲物はとれず、そしてこの疫病だ。…一族にさらなる災いが降りかからぬうちに、こいつを追放せねばなるまい。そうでなければ、取り返しがつかぬことが起きるだろう。そう、追放だ。・・・・われらが問題にしているのは、彼がなにをしたかではない。彼がなんであるか、だ。彼に流れている血が、われらの神を怒られせているのだ。・・・≫

この血筋というアイデンティティーの問題は、サトクリフの多くの作品の底に流れるものです。この現代においても、疫病の出自にこだわり、そこを突き詰めたら、この災いが軽減するかのように思い込む輩がいるのですから、ローマンブリテンとしては、よくある話だったと思います。

 サトクリフの他のローマンブリテン4部作(猪熊葉子訳 岩波)に比べると、追放された少年ベリックの過酷すぎる運命や、登場人物が多く、人物構成が複雑だと感じるかもしれないものの、物語りの最後は、サトクリフの多くの作品同様、向こうに光が・・・・という結末が待っています。(続く)

「ケルトとローマの息子」(1955年)
ローマンブリテン4部作:(岩波)
「第九軍団のワシ」(1954年)
「銀の枝」(1957年)
「ともしびをかかげて」(1959年)
「辺境のオオカミ」(1980年)
☆写真は、英国 オックスフォード近郊

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水路閣

ローマン水道j
 よく晴れた日曜日、ローマに行きました、ローマ水道を模した、京都南禅寺境内にある「水路閣」に行きました。ローマ水道は、紀元前から作られた古代ローマの水路ですが、琵琶湖疎水を引き入れるこの水路は、明治21年(1888年)と、新しい(?)もの。
 今も現役で水が流れています。

 昔、世界史で古代ローマのことを習ったときより、今ははるかに古代ローマのことに興味を持っています。というのも、大人になって、サトクリフの歴史小説を読み、歴史観がそれまでと大きく変わったからです。そして、その中にローマンブリテンものがあって、当時、教科書では習わなかったローマの勢力図の西端には、ブリテン島があり、北の端は、エジンバラ方面であったことを知ってからは、古代ローマと古代ブリテンの歴史を意識するようになりました。また、ローマ軍が通ったと思われる、スイス レマン湖の遺跡を見たり➡➡、ブリテンでは、ローマの遺跡の一つであるバースに行ったり、ウィンチェスターに行ったり、ローマ軍の北端エジンバラ近郊まで行ってみたり・・・
 ともかくも、古代ローマの影響力が、今も残り、つながっていることに驚きます。京都 蹴上の「水路閣」も然り。

 さて、この現役の水路は、蹴上インクライン➡➡ともつながっています。

インクラインj

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翻訳は無上の精読

鍵j
 「大人に贈る子どもの文学」(猪熊葉子 岩波書店)
(承前)
 さて、猪熊葉子の翻訳考はまだ続きます。
≪翻訳者は、その世界に入り込み、子どもの登場人物だけに目を向けるのではなくて、大人の登場人物たちを見ることなく素通りしてはなりません。そうしなければ作品の構造が明らかに見えてこないでしょう。これが堀口*のいう「翻訳は無上の精読」の結果という意味でしょう。精読というと、一見ただ言語上の問題であるかのように理解されるかもしれず、誤訳がなければよいと思われるかもしれませんが、実は作品自体の構造分析を含んでいることを知っていなくてはならないと思います。そしてその上、翻訳者には自国の言葉を自在に正確に使う能力と、訳そうと試みる作品の要求する的確な言葉を選んで使える能力が必要です。このような難しさを達成できたなら、はじめて読者を強い力で作品のなかに引き込む翻訳が誕生するのでしょう。優れた翻訳がしばしば創作であると評されるのは、そういうときなのではないでしょうか。≫

 そうでした。この高い意識に裏付けされた猪熊葉子訳で、ゴッデンもピアスもノートンもボストンもエイケンもネスビットも・・・・・そして、サトクリフ!にも出会ったのでした。

 カ・リ・リ・ロにとって、岩波から出ている猪熊葉子訳のサトクリフの歴史小説「第九軍団のワシ」「ともしびをかかげて」「太陽の戦士」「王のしるし」そして、「運命の騎士」!の5冊**に出会ったことは、それまでの読書体験をひっくり返すくらいの勢いで、心に響いたのを思い出します。

 確かに、ピーター・ラビットやプーに会いたくて、あるいは、真夜中の庭やハヤ号、グリーンノウに触れたくて、そしてまた、ファージョンの世界をたどりたくて、何度も、英国に足を運びました。
 が、一番底にあったのは、猪熊葉子訳で出会うことのできたローズマリー・サトクリフの描くブリテンの風を感じたかったと、今にして、思うのです。

*堀口大學
**のちに、「銀の枝」と「辺境のオオカミ」が加わりました。
☆写真は、サトクリフ「ケルトの白馬」のホワイトホースカントリーにあった塀の鍵

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・・そんなわけで、10月半ばになりそうです。

     教会j
  私より1歳年下の彼女からメールをもらったのは9月18日のことでした。
 ここ数年は、毎年のように、イギリスなどに児童文学探訪に出かけていた彼女は、5月頃、渡英し、かのマーメード・インの絵葉書をくださっていました。それで、その時の話などをお聞きしようと、もう一人の友人と日程を調整するも、なかなか合わず、「・・・そんなわけで、10月半ばになりそうです。」というメールをいただいたのが、最後になりました。
 そのときの添付写真が、上の写真で、彼女のキャプションには、≪「運命の騎士」でベービスが徹夜で祈りをささげた教会です。≫とあります。
 
 そしてまた、7月に交換したメールには、「本当にイギリス旅行は楽しくて今も密かに反芻して味わっております。夢が一つかないました。」とあります。その時の添付写真が下のものです。彼女のキャプションには、≪ミルン一家が住んでいたお家のクリストファー・ロビンです。≫とありました。

 信じられません。
 こんな形で10月半ばにお会いするなんて。合掌。
☆写真撮影:&Co.Yoko
 「運命の騎士」(ローズマリ・サトクリフ キーピング絵 猪熊葉子訳 岩波)
 「クマのプーさん」(A.A,ミルン シェパード絵 石井桃子訳 岩波)

      ミルンj

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まじらなかったことはない

スーパームーンj
 (承前)
 「ケルトの白馬」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)で、「まざっていく」こと、「第九軍団のワシ」(猪熊葉子訳 岩波)で、「まじっていく」こと。この「闇の女王にささげる歌」(ローズマリー・サトクリフ作 乾侑美子訳 ほるぷ出版)では、「まじらなかったことはない」ことについてです。

 ≪世継ぎの姫エスィルトは、ジギタリスのようなそばかすのある白い肌に青い目、母親に似て背が高く、そのほかほとんどのことが、見かけも心も母親似でした。父のプラスタグスからエスィルトが受けついだのは、日ざしの中の栗毛馬そっくりの髪の色だけでした。 そうしてネッサン、夏至の火の燃えているあいだに生まれたおちびさんは、ほかのだれでもなく、あくまでもネッサンでした。ただ、この姫の内には、古い民の姫がひそかに生きているようでした。あの小さな肌のあさぐろい人々、馬の民がくるよりさらに前に、この地にいた人々の血が流れていました。というのも、征服した民の血が、征服された民の血と、どういう形にしろ、まじらなかったことはないのですから。年老いた乳母が、そういうことだったとうけあいました。が、そういう乳母自身があさぐろい肌の人々の一人なのです。 ネッサンは小鳥みたいに小さく、髪は黒く、大きな目は雨を思わせる灰色でした。・・・≫

 また、サトクリフの「アネイリンの歌――ケルトの戦いの物語」(本間裕子訳 小峰書店)では、色が黒くてがっしりした父親に愛されていないと思っている色白で痩せ型の少年プロスパーが主人公となっています・・・が、これは、また別の話です。
☆写真は、2014年9月9日のスーパームーンと言われた月。下は、ぼんやり遠くに写るアフィントンの白馬。
               
               ケルトの白馬遠いj

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部族の蜂起から変わる

      イケニ女王j
(承前) 
 サトクリフの「第九軍団のワシ」をはじめとする何冊かのローマン・ブリテンものを読んでいると、ローマ人の立場、あるいは、ローマ化されていったブリテンの視線で読み進むので、自ずと、ブリテン島に溶け込んでいった、あるいは溶け込もうとするローマ人側にたって読んでいます。

 ところが、 「闇の女王にささげる歌」 (ローズマリー・サトクリフ 乾侑美子訳 評論社)は、卑劣な侵略者としてローマ人(軍)を描いているものですから、今度は、原始的な殺戮を繰り返す女王であっても、そりゃ、ローマが卑怯やから仕方ないね。という視点になります。人間の尊厳すら踏みにじったら、そりゃ、怒るわ!
 
 そして、その怒りを、サトクリフは、残忍さで読み進めなくなるくらいの表現を使っても、描き切りました。
 この話を読んでいると、侵略者・征服者と、被征服者の争いの繰り返しが、地球のどこかで、もう2000年以上も続いているのだとわかるのです。現在の地球上で実際に起こっているような問題が、あるいは、清算してこなかった現実が、ほとんどすべて、この話の中にはあるからです。

 サトクリフは、あとがきでこんなことを書いていました。
≪女王と姫たちへのローマ人のあつかいは、単に残忍で粗野だというだけでなく、もっと悪い、命そのものへの冒涜、ということになります。また、そのあとに起こったことも、部族の蜂起から、聖戦へと変わります。そうして、聖戦ほど、あらゆる戦いのなかでもっとも残虐で無慈悲な戦いはありません。≫(続く)
       
         こうまj

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イケニ族の女王

ロンドン像横j
(承前)
 昨日のカエサル像は、ニスイス ニヨンの街はずれ、人通りのないところに立っていましたが、イケニ族の女王ブーディカ像は、凄い人並に囲まれています。ただ、この日、女王ブーディカ像を見ているのは、カ・リ・リ・ロくらいなものです。そう、この像は、ロンドンの真ん中、国会議事堂の時計ビッグベンの真ん前の地下鉄出入口に設置されてます。しかも、像の下にはテント張りのお土産屋さんもあって、銘板すら見えません。

 ルブリンの仲間のイケニ族が北に移動し、「ケルトの白馬」」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)は終わりました。のちのイケニ族の女王の話は「闇の女王にささげる歌」 (ローズマリー・サトクリフ作 乾侑美子訳 ほるぷ出版)です。サトクリフの作品には珍しく、女性が主人公です。

  テムズ沿いの ブーディガ像を実際に見てみると、作品を読んだイメージと違う女王がそこにいることに気づきます。実際の像は、勇猛であるものの、エレガントさと、女性特有のしなやかさを表現しているような気がします。
 サトクリフの描いたブーディカ女王は、確かに、女性としての美しさも、女王としての責任感や、気品や勇気をも持った女性ではありましたが、時代的に見ても、もっと素朴で、荒々しく、たくましい女性だととらえています。
 馬の種族といわれていたイケニ族だけに、立派な女王の戦車を引っ張るロンドンの像。でも、これでは、まるで、敵方ローマの女性の像のようにみえます。(ローマの女性は戦いませんでしたが)馬もスマートだし。

  「闇の女王にささげる歌」を歌うのは、「竪琴」のカドワンです。
≪女王ブーディカの命の歌なら、馬の群れのことも歌いましょう。森と沼地のあいだに広々と広がる牧場で草をはむ馬たち。誇らしげに頭を上げる雄馬、足ばかり長い二歳馬、訓練された戦車用の馬、子をはらんだ雌馬たちのことを。さらに、沼地の果てに巨大な翼を広げて落ちていく夕日のことも。葦の茂る湖とまがりくねる小川とが、落ちる日の輝きを受けとめて天に投げもどし、ついには大地と空とがともに燃え上がるかと見える、あの夕映えのことも歌わねばなりません。秋の夜、北から渡ってくる雁のこと、カッコウの声がくぐもる真夏の森の外れの、緑の香る木下闇(こしたやみ)のこと、戦場におもむく王の青銅の盾をいろどる赤い渦巻き模様のこと・・・。≫(続く)

          仔馬j

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まじっていく

             カエサルj
(承前)
 「ケルトの白馬」のイケニ族ルブリンの時代(~紀元前1世紀)から、100年以上経ると、「第九軍団のワシ」の舞台、ローマンブリテン(紀元後1世紀~)の時代になります。 
  「第九軍団のワシ」には、こんなことが書いてあります。
≪・・「叔母と叔父は、カミラとよびます。でも本当の名前はコティアよ。」少女はいった。「あの人たち、なんでもローマ風が好きなの。おわかりでしょ。」
「あなたはローマ風が好きじゃないんですか?」マーカスはたずねた。
「わたしが? わたしはイケニ族なのよ!…(略)・・・」
・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
「カミラとよばれればラテン語で返事をするわ。でも着物の下のわたしはイケニよ。夜着物をぬぐ時、わたしはいうの。『ほら、これで明日の朝まではローマとはおわかれよ!』 ≫

 このコティアの言葉から、部族の誇りと、今の生活との折り合いをどうつけているかが、よくわかります。いがみ合うだけでなく、戦うだけでなく、個人のレベルでは、敷居を低くし、友好的に「まじっていく」のが、常だったのでしょう。ただ、それには、時間が必要だということも、サトクリフの作品群からわかります。
 サトクリフは、英国の歴史を書きながらも、その中身は、歴史のデキゴトを書いているわけではありません。「人」 と「人」を描いているからこそ、こうやって、時代も異なり、国も異なる読者を魅了できるのだと思います。

 ≪エスカやマーカスやコティアのような人間間のことなら、このへだたりはせばめることができ、そのへだたりを越え互いに触れ合うことができるようになる。そしてそうなれば以前にそのようなへだたりがあったことは問題ではなくなるのだ。≫(「第九軍団のワシ」より)(続く)

*「ケルトの白馬」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
*「ケルトの白馬/ケルトのローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ちくま文庫)
*「第九軍団のワシ」「銀の枝」「辺境のオオカミ」 (ローズマリー・サトクリフ著 猪熊葉子訳 ホッジス挿絵 岩波) 

☆写真上は、スイス ニヨンのカエサル像。下は、テムズ河畔に居た小ぶりで足ががっしりした馬。
≪…マーカスはローマで時々御したアラブの馬たちのことを考えた。この馬たちはアラブの馬たちよりも小さかったーー背丈は掌の幅で計って十四くらいだろう、とマーカスはあたりをつけたーー毛足が長く、体の大きさに比して、そのつくりはがっしりしていた。しかしそれなりに調和がとれていて、全くすばらしい一組だった。…≫(「第九軍団のワシ」より)

うしじゃない馬j

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