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サモトラケのニケ

399サモトラケのニケj
(2012倫敦巴里57)
(承前)
 子どもの本から入っていた美術の世界も、やっぱり深く、素人には伺い知れない世界の一つです。が、底が見えないから、よけいに新鮮で、わくわくする楽しみがあります。今回の倫敦巴里も、行く前より、帰ってからの方が、ずいぶん楽しませてもらったような気がします。
 本を読みやすい季節とも重なり、たくさんの本にも出会いました。特に、はまりこんだカミーユ・クローデル関連本は、いの一番に図書館で借り、次々、調べていたのに、季節もとっくに変わるこんな時期に書くことになってしまいました。カミーユの人生を思うと、適当なことは書けなかったので、結果、駄文になろうとも、心を寄せて書いたつもりです。
 
 さて、個人的に好きになれない大きな美術館のひとつ、パリ、ルーブル美術館ではありますが、次に、パリに行くことがあったら、「ルーブルって大きすぎるわ」等といいながらも、「サモトラケのニケ」には会いに、また足を運ぶのだと思います。2000年以上たっても美しい。この前では、ちっぽけなことは忘れます。
 そのときは、もちろん、カミーユに会いに、ロダン美術館にも参ります。(完)

☆写真上、パリルーブル「サモトラケのニケ」 下、雨のそぼ降るロダン美術館庭                400雨のロダン美術館j

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コクトーが言います。

398薔薇と考える人j
(2012倫敦巴里56)
(承前)
  カミーユ・クローデルの作品―石膏や粘土、あるいは、彫刻、あるいは、生前に鋳造されたもので、残っているものは、多くはないようです。カミーユが、サインを残したものが少なく、ロダンの下働きだった名残りか、ロダンの作品の中に組み入れられたものもあるといいます。また、悲惨なことには、病気の進行につれ、自分自身の作品を壊したという事実もあります。
 
 さて、ここに、フランスの作家で詩人、ジャン・コクトーとルイ・アラゴンが「美をめぐる対話」(辻邦生訳 筑摩書房 表紙は、マネの「オランピア」)と言う対談集に興味深い話があります。自分たち詩人と画家の仕事について比べているところです。ここで、「画家」となっているところを「彫刻家」と置き換えて読んでみました。
 
 コクトーは言います。
「彼(ピカソ)は、画家の幸運がどういうものかを心得ている――作家が作り出すのは実体を欠いた幽霊のようなものだが、画家が産み出す作品はちゃんと血肉をそなえているということをね。画家は一種の直接的な明示性、一種の言葉に魅入られる。そしてそれを世界中のすべての国の人々が読みとれる言葉にしないではいられなくなるんだ。画家の手仕事は、誤解されるようなものではないし、あとで不愉快な気分にさせられることも少ない。・・・・」
 それを受けて、アラゴンは「ええ、絵画は、万国共通の言葉ですからね。この点では詩人は画家に対してだいぶ分が悪い。なにしろ自分の絵に向かい合うときの画家は、そもそもその最初の瞬間からもう一人きりではないんですから。画家の背後には、今ここにはいなくとも、やがて必ずやって来るはずの観衆がいるんですよ。」

 そうそう。カミーユ、今日もまた、世界中の人々が読みとれる作品を、そう、カミーユ、貴女の作品を、見にくる人達がいますよ。(続く)

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(雨の中) もの想う人

397考える人j
(2012倫敦巴里55)
(承前)
 次に読んだのが、知の発見双書「カミーユ・クローデル」(レーヌ=マリー パリス、エレーヌ ピネ、湯原 かの子訳 創元社)。
 その次が、あの重い「カミーユ・クローデル」(なだいなだ 宮崎康子訳 みすず書房)。著者は、カミーユの弟ポール・クローデルの孫娘レーヌ=マリー・パリスです。序文の一つにポール・クローデルのものを使い、資料や、長いあとがきも含まれています。また、作品の写真もたくさん掲載されていて、カミーユの作品だけでなく、カミーユとロダン作品を比べるにも興味深い本となっています。この重い本は、「事実は小説より奇なり」などという言葉より、深く濃いものを感じます。

 カミーユ・クローデルは強制的に連行され、死ぬまで精神病院に入って、30年!
 自らの天才を葬る日々。
 会いたい、帰りたいと切望する手紙。
 若く美しかった頃の写真。精神病院での写真。魅力的だった瞳が、あきらめを伝える瞳に。
 弟以外に訪ねる人もなく、有名人となった弟も稀にしか訪れず。カミーユの被害妄想は続きました。
 ロダンとの別れが引き金ですが、もともとの成育歴やその時代背景など、複雑に入り組み、彼女を孤独な終末へと導きます。
 そして、姉カミーユ・クローデルは、たった一人で逝き、弟ポール・クローデルは、国葬されました。

 この本を重くしているのは、カミーユの病気について、専門の解説がついていることです。そして、何より、この本を、もっと重くしているのは、30年にわたる入院生活の記録に「同じ精神状態」「同様」という記録が続いているという事実です。一日分ではありません。一年間の記録が、たった一言!「同様」。
 訳者あとがきで、精神科医なだいなだ氏は、こういいます。「365日の生きた人間の生活を総轄するのに、『同様』のたった一言しかないとは。それは、治療者と患者がほとんど言葉を交わさなかったことを意味している。・・・つまりは、患者と治療者の間に、人間的交流がほとんどなかったということだ。・・・」

 加えて言うなら、書簡の資料も、この本の「重さ」です。
 カミーユが繰り返し訴える妄想。ロダンの一味が悪さをしてくる・・・
 ところが、画廊主の友人がカミーユに宛てて書いた手紙にはこうあります。
「ある日のこと、ロダンが私の所に来ました。私は、彼が突然この肖像(*カミーユ作の『嘆願する女』)の前で身動きしなくなり、じっと見つめ、その金属を優しく愛撫し、そして泣くのを見ました。そうです。泣いたのです。子どものように。・・・」
 そして、ロダンの臨終の言葉は、「パリに残した若い方の妻に逢いたい。」

 カミーユの作品「分別盛り」の真中で軸足を結局、老女の方に傾けたロダンが、子どものように泣き、つぶやいた臨終の言葉。
 天才の前に現れたミューズもやっぱり天才だった時の哀しい末路です。
 彼の作品「地獄の門」にも、「考える人」が座っていますが、「地獄の門」という作品は、未完成なのです。

 「重い」本でした。でも、出逢えて、よかった。(続く)

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眼は聴く

396金丸屋根j
(2012倫敦巴里54)
(承前)
 恥ずかしながら、カミーユ・クローデルの弟 ポール・クローデルも著名な文化人だったと知るのも、あとからでした。劇作家で詩人で、外交官、しかも、日本にも5年間赴任した大使です。ジャポニスムと呼ばれる、その日本好みは、姉カミーユに感化されたものにちがいありませんし、日本に、実際に暮らした本物でした。(特に、2007年川口市立アートギャラリー「二人のクローデル展」では、その片鱗を見ることができたようです。今や、図録でしか、うかがい知ることができませんが、そこには、日本滞在中のポールが書いた書や歌などをみることができます。)

 このポール・クローデルと、カミーユの関係、そこから生まれる弟の人生について、知ったことをここで書くつもりはないものの、カミーユのことを知るために一番初めに読んだのが、ポール・クローデルの書いた絵画論「眼は聴く」(山崎庸一郎訳、みすず書房 表紙はフェルメール「デルフト眺望」)の中の「カミーユ・クローデル」の章でした。そこには、カミーユの作品「分別盛り」のことと、その作品の以前に出来ていた同じモチーフのことが書かれていました。初めのバージョンは、まん中の男の軸足が、懇願する女の方に向いていたのです。まん中の男の軸足が時を経て、老女に傾いたというこの作品の流れ。
ロダンとカミーユ、師弟で恋人。二人の天才。
そして、もう一人。
思い溢れる弟。(続く)

*「眼は聴く」と同時にポール・クローデルの「繻子の靴」(渡辺守章訳 岩波文庫)も、読み始めましたが、途中で、置いたまま。弟よりお姉さんに先にたどり着きたい。

☆写真は、ロダン美術館庭の向こう、ナポレオンが眠るアンヴァリッドの金色の丸屋根が見えます。「考える人」どこ?

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心は千路に乱れ

395考える人と薔薇j
(2012倫敦巴里53)
(承前)
 彫刻家の技量や彫刻作品の魅力はなんでしょう?
 写真の「考える人」は、世界中で人気があり、生前に鋳造されたものが、パリだけでなく、京都でも東京でも見ることができます。
 そして、神の手を持つと言われるロダンの作品は、確かに力強く迫力のあるものです。また、その生み出した作品はどれも、実際の人間を鋳造したのかと思えるほどの真実味を帯びています。

 同じく天才のカミーユ・クローデルは、繊細で細やかな動きを表現します。
 カミーユが生み出した作品にある情念。それは、ロダンに勝るとも劣りません。
 穏やかな少女像もありますが、佐藤忠良のときに感じた、人間の暖かく穏やかな視線とは異なる鬼気迫る情念、情感。そして、執念ともいうべき、奥深いものを、カミーユの作品から感じます。
 
 パリに滞在中もずっと、ロダンの数々の作品より、カミーユの「分別盛り」を思い、心は千路に乱れました。何故?帰ったら、彼女が知りたい・・・
 波乱に満ちた彼女の過酷な人生、彼女の背負った重いものを知るのは、日本に帰って何冊かの本を読んでからでした。(続く)
☆写真は、パリ ロダン美術館「考える人」

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分別盛り

394分別盛りj2
(2012倫敦巴里52)
(承前)
 東京ブリヂストン美術館「ドビュッシー、音楽と美術」にも、カミーユ・クローデルの作品は3点来ていました。
 一時期、交流のあったドビュシーと、カミーユです。ドビュッシーが生涯、手元に置いていたと言うカミーユの「ワルツ」(ブロンズ)が、印象的でした。ギリギリのバランスで抱き合い、身体を寄せ合う男と女。男が女の腰を支えているのですが、その腕が、本来の人間のバランスより明らかに長く、太く・・・つまり、倒れそうになる女をしっかりと支えているのです。ギリギリのバランスのまま、ベッドに倒れ込む二人なのか、そのまま、禁断のワルツを踊り(添い)続けるのか、すでに足元は、一つに溶け合っています。
 また、「懇願する女」も、ありました。誰に懇願?何を?そんなに悲しい顔しないで・・・・・・・・・

 それでも、パリ ロダン美術館で見たカミーユの「分別盛り」は、もっともっと強烈なオーラを放って、そこにありました。

 懇願する女とともに、老いた悪魔(老女)、その老女に全身をゆだねようと、今まさに、軸足を悪魔の方に向けている男。ああ、なんて、苦しい。その作品に強い力を感じます。かつて、初めてフェルメール「真珠の耳飾りの少女・青いターバンの少女」を見たときと同じ行動を取っていました。一度見て、ジッと見て、ぐるっと見て、下から見て、横から見て、ああ、離れられない・・・で、帰りにもう一度、同じことして・・・(続く)

☆写真上、パリロダン美術館カミーユ・クローデル「分別盛り」。
                            

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ロダン美術館

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(2012倫敦巴里51)
(承前)
 パリ、ロダン美術館は、庭のある素敵な美術館です。庭にも有名な作品の数々「考える人」「カレーの市民」「地獄の門」「バルザック像」・・・その日は、あいにくの雨で、庭の像を心おきなく、と言うわけにはいきませんでしたが、それにしても、像のある庭、なかなかいいものです。まだ、バラも少し咲いていました。「考える人」は、雨の中で、一人考えていました。
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 19世紀末のチャペルの内装を新しくした新館の展示室は、その時のテーマに沿ったロダンの作品が整然と並べられています。そして、庭を横切って、瀟洒な邸宅展示室の方に入ると、ぐっと雰囲気が変わります。
 この邸宅は1730年頃に建てられた建物で、修道会のものになった後は、安価で貸し出されたこともあって、いろんな著名人―リルケ、コクトー、マティス等など―、も出入りしたようです。そして、最後は晩年のロダンの住居となり、今では、ロダン美術館となりました。邸宅では、窓の向こうに庭が見えたり、光によって陰翳が出来たり、生きて生活していた空気が感じられ、作品一つ一つの息吹も感じられるような気がしました。他の邸宅美術館にも言えることなのですが、このような邸宅美術館鑑賞の楽しみは、当時の作家や収集家の息づかいも含めて鑑賞(体験?)できることです。(続く)
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 ☆写真上、ロダン美術館の庭と白い建物は新館のチャペル。「考える人」います。真中左は、庭の像を見ながら傘をさして鑑賞。(9月半ばのパリは秋の風情。撮影:&Co.H)真中右は、邸宅美術館の階段。一番下の写真は、ムンクの描いた「考える人」

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重い本

                           389薔薇とj
 (2012倫敦巴里50)
 図書館で借りたばかりなのに、さっさと古書店から購入したのが、 カミーユ・クローデル (レーヌ=マリー・パリス文 なだいなだ 宮崎康子訳 みすず書房)です。

  この本は、9785円で、360ページ以上もあって、紙質のとてもいい、とても「重い」本です。とうてい、書店の初見じゃ購入できません。(と、いっても今は出版されていません)
 図書館で借りた後、目を通すと、この本は、そばに置いておかなくちゃ・・・で、元々と比較すると安価で(2000円)、状態もとてもいい(帯までついてた)重い「カミーユ・クローデル」が、私のそばにやってきました。

 この本を読み終わらない限り、2012倫敦巴里報告を終えることができない・・・(しばらく、続きます。)

☆写真は、ロダン美術館の9月の庭。薔薇のずっと向こうに、ロダンの「考える人」が、小さく写っています。さて、どこに?

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オノレ・ドーミエ

                    363オルセー窓j

(2012倫敦巴里49)
 2012年11月に岩波文庫「ドーミエ風刺画の世界」(喜安朗編)が復刊されたのですが、そのオノレ・ドーミエ(1808~1879)は、フランスの画家です。まずは、石版画家として、風刺画を描き日刊風刺新聞「ル・シャヴァリ」で活躍しました。
 ドーミエのデッサン力は優れ、力強く生き生きとしています。特に、彼の描く人物の「目」は鋭く、それが、風刺画として、より迫力を持つのだと思います。社会や時流を切り取る鋭い感覚も備えていたからこそ、風刺画家としての人気を博したのでしょう。
 ドーミエは、風刺画だけでなく、後から、油絵も描き、パリ オルセー美術館には、油絵の「洗濯女」「クリスパンとスカパン」等があります。油絵ですから、スピード感のある石版画のタッチとは少し違い、温かみのあるものとなっていますが、風刺画家として培った眼力はそのままで、物語る人物が描かれています。
 
 パリ オルセー美術館で特に見たかったものの一つに、ドーミエの彩色された粘土の連作がありました。それは、36人の国会議員の胸像です。
 ドーミエの観察眼と、その表現力をもってすれば、当時の国会議員たちのそれぞれの個性が見えてきます。風刺とユーモア、絶妙のバランスで、個々を表現しています。見ていて飽きない作品群です。指先で、ちょいちょいっとこねただけの作品が、一つずつ個性を発揮しているなんて、素人には考えられません。

☆写真上は、パリ オルセー美術館 最上階窓から、モンマルトルの丘、サクレクール寺院を望む。写真下は、パリ美術学校エコール・デ・ボザールのセーヌ川に面した裏庭で、学生たちが粘土細工をやっていました。この学校が輩出したパリの芸術家たちは数知れず・・・つまり、この写真に写る学生たちも、いつの日かパリの美術館の常連になるかもしれません。手前の彼女は、猫をテーマに作り続けています。(と、思います)
364ボザール粘土jj

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マルモッタン モネ美術館

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 (2012倫敦巴里48)
(承前)
 マルモッタン モネ美術館は、モネの名前を冠しているので、印象派中心の美術館かと思いがちなのですが、当初、マルモッタン氏が、家具などの調度品の収集をされていたところに、時を経て、ナポレオン時代の絵画や、モネ等印象派絵画の寄贈があったと知りました。それで、実は、モネやベルト・モリゾなどより、所蔵数で言えば、中世からルネサンス期の彩色写本の所蔵も充実しているのです。

 モネの展示の部屋は、さながらサンルームのように明るいのですが、ルネサンスの彩色写本のコレクションの方は、当然、光を落とした2階の部屋にありました。
その状態のいいこと!今出来上がったかのように光り輝いていました。
絵は細かく描かれ、彩色も金や青や赤で、眼にも眩しい。
文字と言えば、彩色され、装飾された一文字だけのものが、たくさん並んでいました。
楽譜と思われるものもありました。ん?五線譜じゃなく四線譜です。音符もオタマジャクシのように丸くなく、みな同じに四角くて、リズムはわかりません。
 これらは、みな美しく、大切にされてきたものを見せていただいたという気持ちになりました。

☆写真は、パリ マルモッタン モネ美術館入ってすぐの部屋にあった針のない時計と、テーブルセッティング。(この美術館は写真禁止ですが、表示がなかったので、入ってすぐのこの部屋でパチリとやったら、係の人に注意されました。ごめんなさい)

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