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立体芸術の愉しみ

           151蝦夷鹿j
  以前は、彫塑という立体芸術の愉しみが、よくわかっていませんでした。
 「ブリティッシュ・アート論」の現代彫刻の授業のとき、大理石でできた鳩の映像を見ました。バーバラ・ヘップワース(1903~74)という女流彫刻家の“DOVES(鳩たち)”という作品でした。硬く冷たい大理石でできているのに、ふわふわとした羽根にぬくぬくとくるまった白い鳩が身体を寄せ合っているように見えました。柔らかそう・・・。触ってみたい。その後、英国テートギャラリーにあったヘンリー・ムーア(1898~1986)の作品でも、同じような経験をしました。このゆるい曲線は、柔らかそう・・・・(触ってみました。触っても良かったのか、禁を犯したのか、定かではありません。ごめんなさい。) 硬い石であり、ブロンズであり、木であっても、その素材を忘れる作品の滑らかさ。血が通っているかのように見え始めました。すると、彫塑と言う分野が面白くなってきました。

 先の彫刻家佐藤忠良生誕100年特別展では、実際に触ってもいい作品がたくさんありました。お尻の曲線も、ごわついたジーンズも、子どもの頬にも、触れることができました。芸術にじかに触れることができたのです。高い場所から、この作品、お前らにわかるか?というのではありません。一緒に分かち合える喜びがありました。

 佐藤忠良の作品には、人間の持つ温かさ、優しさがあります。人間を愛し、人間を信じた人。佐藤忠良の成し終えた作品―彫刻にも、絵画にも、文章にも、健康な精神が満ちています。次世代に伝える言葉にも溢れだすものがいっぱいです。

「美術や人間の変化というと、時代が移り変わったり、年齢を重ねたりすると自然に変わっていくように感じられるかもしれないが、私たちは、そうは考えていない。自然に変わるどころか、自覚的に人生を歩んでいる人は、自分を作り変える努力を重ねて生きていっていると、とみている。なぜ、こうした努力を重ねるかというと、自由な人間になるためである。自由な人間というのは、偏見や権威に惑わされず、理想や美に対して直面し、勇気をもってそれを吸収できる知性や感性をそなえた人間である。生まれたままの自然児が自由な人間ではなくて、ほんとうの知性や感性を努力の末に獲得した人間が、自由なのである。」(高等学校美術科『美術・その精神と表現』)

☆写真は、佐川美術館の建物を囲む水辺に立つ「蝦夷鹿」(佐藤忠良:作)

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記録を作った男の顔

               150佐川美術館2j
 
 ご縁があって、また佐川美術館にいきました。もうすぐ佐藤忠良生誕100年記念展示が終わります。

 今回も、この前行った時にも、強く心惹かれたものの一つが王貞治氏のブロンズ像でした。「記録を作った男の顔」という題です。王貞治という人の秘めた闘志が伝わってきて、神々しささえ感じます。佐藤忠良の解説文には、こう書いてありました。「・・・モデルにはないが、眉間から額の生え際までに少しばかりスーッと糸のような起伏をつけた。意志が苦しみのように表れず、知的に見えればと思ったからである、鍛え上げて作った記録の上に、もう一つたたき上げて生きようとしている男の顔を美しいと思ったのである。」
 記録を作った男も凄いけど、その像を造る芸術家も凄い。

 そして、佐藤忠良は子どものための、図工や美術の教科書の監修、執筆にもたずさわります。

 小学校図画工作の教科書文に、「・・・王さんの一本足を、あの形らしく作ることはやさしいけれど、本当の形を作るのは、とてもむずかしい。王さんが世界記録を立てることができたのは、わたしたちが考えることができないほどの失敗と、練習のくりかえしがあったからだろうと思う。わたしも四十年以上も彫刻をしてきて、失敗の連続であった。このごろになってようやくわかってきたことは、人間は失敗をおそれない、失敗の上に足をしっかりとふまえ、考えて、またやり直してみることが大切だということだ。・・・」
 この教科書も凄い。

 そしてまた、高校の美術の教科書には、「・・・・・・自分の願望を貫き得たということは、力づくで、ただたくましいというだけのことではないのだから、あの意思的な顔の中に、孤独と優しさが出せたら、と考えていた。・・・」
 この教科書も然り。

 1985年に佐藤忠良の書いた「子どもたちが危ない―彫刻家の教育論」(岩波ブックレット)は、「子どもたちが危ない」ことに変わりない今も、必読の教育論です。最近、復刊されました。

*引用文は、すべて、「生誕100年 彫刻家 佐藤忠良」図録より

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生誕100年 彫刻家 佐藤忠良展

55佐川美術館j
楽しみにしていた琵琶湖の景色。
黄砂のせいで、比叡山も琵琶湖も、全然見えません。
電車とバスを乗り継いで、着いたのは「佐川美術館」。

ほとんど入館者も居なくて、ゆっくり鑑賞できました。
朝早く行ってよかった。
彫刻を見て、涙が出そうになったのは、どうしてでしょう。
本物に会えたからでしょうか。
そこには、生きた人間が居ました。
どの人も、語りかけてくれます。
「奇をてらう」とは縁のない自然な世界。
じかに触れることのできる作品もたくさんあります。
彫刻家 佐藤忠良に、より近づける気がします。
大好きな絵本「木」*の原画もありました。
木を見る温かくて優しい目。
絵本「おおきなかぶ」*の原画の連なりの前では、小さな声を出して、歩きました。
「おじいさんが かぶを うえました。
『あまい あまい かぶになれ。おおきな おおきな かぶになれ。』」
歩くリズムは、
「うんとこしょ どっこいしょ ところが かぶは ぬけません。」
穏やかで豊かな時が流れました。

*「木」(木島始文 佐藤忠良画 福音館)
*「おおきなかぶ」(A.トルストイ文 内田 莉莎子訳 佐藤忠良画 福音館)

蛇足ながら、平日の午前早くは、ゆったり鑑賞できましたが、11時を過ぎる頃には、団体のおじちゃんおばちゃん、少人数のグループ等、少々賑わってきました。もし、足を運ばれるのであれば、空いている日時をお選びになることをお薦めします。

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ほんまもん

49マーロー桜散り積もるj
(日本経済新聞2012年4月12日夕刊「こころの玉手箱」4 福音館書店相談役 松居直)
 「写実ではなく、真実を子どもに伝えたいのです。そのためには『ほんまもん』の絵が必要なんです」と、松居直は、彫刻家佐藤忠良に絵本「おおきなかぶ」*の絵の依頼をしたとあります。
 佐藤忠良(1912~2011)は、昨年亡くなりましたが、生誕100年でもあり、2012年4月14日~6月24日まで、佐川美術館(滋賀県守山市)で、『彫刻家佐藤忠良展』をやっています。うちから少々行きにくい場所にある美術館とはいえ、語りかける『ほんまもん』に会いに行きたいです。

 以下、彼の記した教育論のほんの一文です。他にも大きくうなずくところが多い文章です。
「子どもたちが危ない―彫刻家の教育論」(佐藤忠良著 岩波ブックレット1985)
≪・・・・「あれはほんものだ」とか「ほんものじゃない」などとよく言われますが、私はほんものと言うのは、作品を見た人に人間としての感動や感慨をもたらすもの、それがほんものだと思います。そうしたものがあったとき、初めて作品が「格調」とか「品位」に結びついてくるはずです。・・・≫

*「おおきなかぶ」(A.トルストイ文 内田 莉莎子訳 佐藤忠良絵 福音館)
☆ 写真は、英国マーロー、教会の桜散り積もる。

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