みんなみすべくきたすべく

センダック最後の絵本

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「バンブルアーディ」 (モーリス・センダック さくまゆみこ訳 偕成社)
 モーリス・センダックが亡くなったのは2012年5月のこと。亡くなる前、最後の絵本だったのが、「バンブルアーディ」という子豚の話。4月に訳され出版されました。最近の絵本には珍しく、表紙の絵と、表紙をとった中の装丁が違う丁寧な作りは、センダックへのオマージュのような気がします。(写真手前が、表紙の絵、奥のにこやかな子豚の絵は、表紙をとった中に貼られている小さな絵。)

 さて、子豚のバンブルバーディは生まれてこのかた、誕生日を祝ってもらったことがありません。バンブルアーディが8歳になったとき、豚肉にされたパパママの替わりにアデリーンおばさんに引き取ってもらいます。そこで、9歳にして初めてお誕生日を祝ってもらうことに。が、おばさんが留守の間に、招待した友だち達とどんちゃんさわぎになってしまい、(みんな変装してきます)おばさんは、怒り心頭。・・・とはいえ、素敵なおばさんに、許してもらえて、バンブルバーディは9の9倍キスしてもらうというお話。

 この「許してもらえた」理由が不明瞭なのがひっかかるものの、いつもどおりのセンダックカラーは、どんちゃん騒ぎで本領発揮。
 9歳の誕生日なので他にも9に関連しながら、お話が進む「しゃれっ気」もあります。
 もうこれ以上、センダックの絵本が出ないのは寂しいですが、最後の絵本も、センダック自身が楽しんで作ったのが伝わってきて、よかったよかった。

 実は、この絵本、現代に多くなっている児童虐待ネグレクトの問題を描いた一冊だとも言われています。確かに、ネグレクトとまでは言わなくても、誕生日や日本式のクリスマスを子どもたちと祝わないという親たちが居ることは知っています。が、そんな人たちも、ちょっと、自分の小さかったとき、どんなことに心が弾んだか、思い出してくれればいいのに、と思います。ちょっとでいいから、アデリーンおばさんのように。
  ・・・と、考えれば、「許してもらえた」理由なんかなくても、保護者の大きな心で、子どもを受け留め許したという解釈になるでしょうか。

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くつです。

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(承前)
 「おうさまのくつ」 (ヘレン・ビル文 ルイス・スロボドキン絵 こみやゆう訳 瑞雲舎)を見て、一番に思い出したのが、センダックの「こびとのゴブリン」の話でした。

 子どもが小さい頃、何度読んだかわかりません。(と、どこかに書いたかもしれませんが・・・)
≪ほらあなのそばをとおりかかったゴブリンは、ほらあなの中のドガン!という音にびっくりしたそのひょうしに、くつが脱げてしまいました。そのまま逃げだしたゴブリンですが、ピッタ パッタ ピッタ パッタ ピッタ パッタ なにかがあとをつけてくるのです。怖くて後ろをみることができず、どんどん早く走ります。すると、そのなにかも、どんどん おいかけてくるのです。ピタパタ ピタパタ ピタパタ ・・・≫

 この話の中で何度も読めとせがまれたのは「くつです。」という箇所。きっぱりと言い切る潔さ。「ああ、よかった」の感じが込められているのでしょうか。
 
 おうさまのくつは、ポッカ ポッカ ポッカ ポッカ
 こびとのくつは、ピタパタ ピタパタ ピタパタ
 ここだけでも、声に出して読んでみて。ちょっと、面白いから。

 「こびとのゴブリン」は、こぐまのくまくんがおじいちゃんに聞かせてもらったお話で、 「おじいちゃんとおばあちゃん」 (E.H.ミナリック文 モーリス・センダック絵 まつおかきょうこ訳 福音館)に入っています。

☆写真は、手前が、センダック「こびとのゴブリン」 奥はスロボドキン「おうさまのくつ」表紙。

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詩のすきなコウモリの話

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「詩のすきなコウモリの話」 (ランダル・ジャレル作 モーリス・センダック絵 長田弘訳 岩波)
(承前)
 ・・・やっぱり、この本のことは書いておこう。
 
 モノマネドリの歌を聴くのが好きな小さなコウモリは、眠らなくてはいけない昼にも、起きて、いろんなことを目にするようになります。そして、モノマネドリのような歌を作ります。モノマネドリに自分の作った歌を聞いてもらい、批評してもらうのですが「問題は、詩を作ることじゃないんだ。問題は、その詩をちゃんと聴いてくれるだれかをみつけるということなんだ。」・・・というわけで。詩を聴いてくれるシマリスに出会い・・・

 浮き世離れした小さなコウモリの話です。アクセクしない。のんびり、おっとり、謙虚な姿勢が魅力です。優しい心根のシマリスもいい。二人のやりとりは、心温まります。
 そして、コウモリは「生まれたばかりのコウモリは・・」で始まるコウモリ自身の歌を作ります。まず、シマリスに全編聴いてもらい、次には、仲間に聞いてもらおうと、仲間のところに戻り・・・

 ところで、作家で詩人の池澤夏樹が、須賀敦子全集第5巻(イタリア翻訳詩集他 河出文庫)の解説でこんなことを書いています。
≪・・・誰もが心の奥の方に「若いころ、わたしは・・・」で始まる記憶を持っている。それがこうして美しく普遍化される。共有のものになる。それが詩人の仕事である。・・・≫

小さなコウモリも詩人の仕事をしたというわけですね。

 さて、ランダル・ジャレルの残した4冊の子どもの本(「はしれ!ショウガパンうさぎ」「詩のすきなコウモリの話」「陸にあがった人魚のはなし」「夜、空を飛ぶ」)のうち3冊までがセンダックの挿絵だということからも、息があったパートナーだったのだと推測できます。そしてまた、そのうち3冊が長田弘訳というのも、国を越え、つながるものを感じます。

*「はしれ!ショウガパンうさぎ」(ランダル・ジャレル文 ガース・ウィリアムス絵 長田弘訳 岩波)
*「詩のすきなコウモリの話」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 長田弘訳 岩波)
*「陸にあがった人魚のはなし」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 出口保夫訳 評論社)
*「夜、空を飛ぶ」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 長田弘訳 みすず書房)
☆写真は、ロンドン ケンジントンガーデンズ 中央小さく見えるのは、ワッツ作≪Physical Energy ≫リスもどこかに写っているかも。

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ピーコック・パイ

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(承前)
 フレーザーのことを、他で書くチャンスも少なそうなので、続けます。
 このフレーザーを知ったのは「センダックの絵本論」(岩波)でした。

 センダックは、≪・・・1958年にアルゴシー書店で棚にぶつかり、そのおかげで『ピーコック・パイ』を発見しました。その本が頭の上に落ちてきたのです。ロヴァット・フレーザーのことは一度も聞いたことがなかったのですが、それがかえってよかったと思っています。・・・≫と、面白い出会いを喜び、その一撃を幸運の一撃と呼びました。
 センダックは、フレーザーの作品から進んで影響を受け、フレーザーを見せびらかしや自意識過剰などというもののまったくない、際立って偉大な達人だといい、彼の本はどれも不可思議な幸福感をもたらす・・・と、絶賛です。

 ところが、センダックが嘆くのはその貢献度が評価されていないことでした。
 確かに、英語圏ではない日本では、いっそう、その本は見つけられないし、ほとんど知ることもできません。
 が、1990年に「センダックの絵本論」が岩波から出版された時は、何人も知らない画家や作家たち、あるいは、いくつもの見たことのない作品があったのに、「願えば、叶う」というように、少しずつ、出会っていったことから考えると、きっと、フレーザーにも、もっと近づける日が来ると信じます。(続く)

*「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)
*「孔雀のパイ」(ウォルター・デ・ラ・メア詩 まさきるりこ訳 エドワード・アーディゾーニ絵 瑞雲舎) 
☆写真は、かつて「孔雀のパイ」(アーディゾーニ絵まさきるりこ訳 瑞雲舎)を紹介したときと同じ写真のズーム版

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かたいくるみの物語

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(承前)
 ホフマン原作の「クルミわりとネズミの王さま」(センダック「くるみわり人形」)にある、「かたいくるみの物語」は、ピルリパート王女ほど美しい女の子はこの世に生まれていなかった、というところから始まります。

≪…王女さまの小さな顔は、ゆりの花のように白い絹糸と、ばらの花のように赤い絹糸を織りあわせたほどの美しさ。その瞳は、るり石のようにきらめき、巻き毛の髪の毛は、波うつ金の糸。その上、かわいいピルリパート王女には、生まれた時から、真珠のように真っ白な歯が、上下にはえそろっていたそうだ。…≫

 それで、その王女の母親(王妃)が、ねずみの一族(マウゼリンクス)に脂身を分けてあげた結果、王さまの立腹を招き、ねずみ一族への復讐を決心。で、何匹かは罠にかかってしまうものの、残ったマウゼリンクスたちは怒りと失望と復讐の念を持ち、王妃に忠告します。
 「・・・気をつけな、王妃さま、ねずみの王妃に、おまえのかわいい王女さまが、まっ二つにかみきられないように、気をつけな!」
 ある晩、大ねずみが王女のゆりかごをのぞいているのを(写真上部が、そのシーン)侍女が発見するも、ねずみが消えた後、王女をのぞきこむと!≪金色の巻き毛にふちどられ、うす桃色だった天使のようなお顔が、ぶかっこうな大頭に変わり、その下に、やせてちぢんだ体がついていた。るり石のように青かった瞳は、緑のぐりぐり目玉に変わり、こちらを見つめていたし、かわいかった口は、耳までさけていた。≫
 
 ・・・・と読むと、思い出すのが、 「まどのそとのそのまたむこう」*です。
≪ゴブリンたちがやってきました。おへやにはいったゴブリンたちは、こおりのにんぎょうを かわりにおいて、あかちゃんをかかえて でていきました。≫(写真下部が、そのシーン)

・・・と読むと、思い出すのが、アイルランドの昔話の「取り換え子(Changelings)」のお話。
例えば、「たまごのカラの酒つくり」*
≪サリバンのおかみさんは、いちばんのすえの子どもが、「妖精かくし」にあって、かえ子をされてしまったのだと思いました。ようすを見ると、どうもそうとしか思えません。おかみさんのじょうぶな、青い目の男の子が、一晩のうちに、くしゃくしゃに、ちいさくしなびて、キイキイ、キャアキャア泣くようになったのです。…≫(続く)

*「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン ラルフ・マンハイム英語訳 渡辺茂男日本語訳 イラストレーション モーリス・センダック ほるぷ出版)
*「クルミわりとネズミの王さま」(ホフマン作 上田真而子訳 岩波少年文庫)
*「まどのそとのそのまたむこう」(センダック作 脇明子訳 福音館)
*「イギリスとアイルランドの昔話」(石井桃子編・訳 J.D.バトン画 福音館)

☆写真奥は、「くるみわり人形」。手前は「まどのそとのそのまたむこう」

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くるみわり人形

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(承前)
 今度はセンダックの「くるみわり人形」 (ほるぷ出版)。この本の中にもモーツァルトの胸像が描かれていて(おもちゃ戸棚の上)、センダックのモーツァルトへの思い入れを感じます。
 
 E.T.A.ホフマンの「クルミわりとネズミの王さま」 (岩波少年文庫)は、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみわり人形」として、世に知られていると思います。小学校の音楽鑑賞の時間に初めて聴いた「こんぺい糖の踊り」や「中国の踊り」や「花のワルツ」。うーん、素敵!バレエを習ってる子が居るなんて!うーん、いいなぁ・・・
 組曲は、どの曲もわかりやすく、我が家にLPを購入してもらい、子どもが勝手に触ってはいけないステレオで聴いた覚えがあります。残念ながら、その後も、実際のバレエ舞台を見たことはありませんが、何らかの映像で見たバレエの可愛く、ロマンチックなこと。
 ・・・と、バレエ用のお話だと、大人になるまでずっと思って居たら、原作には「かたいくるみの物語」という事件に至る原因のところもあって、少々お話が長い。

 で、センダックの「くるみわり人形」です。この本の序に、バレエ「くるみわり人形」の舞台美術の依頼を受けたセンダックは、こう寄せています。
≪・・・・「くるみわり人形」のバレー自体の持つ魅力には疑問の余地はありません。平凡な上演の場合でさえも、おおかたの観客を退屈させません。・・・・・(中略)・・・・・・バレー「くるみわり人形」には、ホフマン原作の物語の決定的なわき筋ともいうべき物語の中の物語が、まったく見られない、ということに気づきました。劇的な問題点といえます。「かたいくるみの物語」は、物語全体に劇的感覚と、必要とする心理的意味づけを与えています。バレーにこの部分が欠落していることは、中心部分を空白にし、弱めています。≫と、センダックや美術監督は考えます。そして、ホフマンの原作に立ち返るものの、ホフマンの字面を追うより、ホフマンの本質、ホフマンの精神に従う方法を選び、絵本としての「くるみわり人形」を作るときには、バレーのためのステージデザインと衣装、この物語のために描いた絵や、その他何枚かを加えたもので構成したと書いてあります。
 つまり、世に何冊か出ている「くるみわり人形」の絵本は、バレエ用のお話絵本ですが、センダックの「くるみわり人形」の大きくて重い一冊は、バレエの雰囲気と原作を正当にとらえようとした結果の一冊だということです。(続く)

*「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン ラルフ・マンハイム英語訳 渡辺茂男日本語訳 イラストレーション モーリス・センダック ほるぷ出版)
*「クルミわりとネズミの王さま」(ホフマン作 上田真而子訳 岩波少年文庫)
☆写真は、「くるみわり人形」(ほるぷ出版)の見返し部分と表紙。

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モーツァルトのヴァイオリン

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 センダックはモーツァルトを敬愛し、絵の中に時々、忍ばせて描いています。写真の右「まどのむこうのそのまたむこう」に、ピアノを弾いているモーツァルトが。お話には、直接関係ないものの、センダックは、そのシーンになんらかのモーツァルトの楽曲をイメージしているのだと思います。残念ながら、個人的には、絵本を開いても、その音楽のイメージがわきませんが、きっとセンダックと同じ思いで、楽曲が聞こえる人もいるかもしれません。

 さて、先月の上京の際、練馬、上野、六本木の美術館巡りの最後は、日比谷のロビーコンサートでした。
 企業のメセナ活動の一環ですが、モーツァルトの生家修復から縁のある生命保険会社が、モーツァルト自身のヴァイオリンの修復にも関わり、この度、250年ぶりに修復されたので、そのお披露目のロビーコンサートだったのです。
 早めに行って、楽譜の展示や肖像画の展示を見、壁にもたれてリハーサルのいい音を聞いていたのはよかったのですが、もっと早く行った人は座席の整理券をもらっていて、整理券のない我々は、本番1時間は、壁にもたれることなく直立で聴くことに。せっかくの音色も、フォルテピアノという日頃聴くことのない音色も、足が疲れ、腰が痛くなった素人には、余りありがたくなくなって・・・
 250年前のモーツァルトに思いを馳せることもできず、一日に4か所のアート探訪は無理ということだけがわかった一日でした。(続く)
*「まどのむこうのそのまたむこう」(センダック作 脇明子訳 福音館)
☆写真左は、修復なったヴァイオリンの写る案内パンフ。

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シャガールとセンダック

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(承前)
 東京 国立新美術館の「チューリッヒ美術館展」(~2014年12月15日:神戸市立博物館2015年1月31日~5月10日)で、シャガールの「戦争」(写真に写る絵葉書)を見て、娘と二人で話したのは、センダックの「やぎと少年」を思い出すね!ということでした。

 とはいうものの、具体的にどのお話ということもないのです。
 帰宅し、「やぎと少年」を引っ張り出しても、同じようなシーンも挿絵もありません。雰囲気から感じるものが、ユダヤ系画家・作家という共通点からくる、思い込みだったのでしょうか?

 ともあれ、センダックの絵本になかった?
 するうち、広げたのが、 「ブルンディバール」でした。
 この絵本の紹介文には、≪「ブルンディバール」は、ナチス強制収容所で、子どもたちが演じたチェコのオペラに基づいて作られた絵本で、ユダヤ系アメリカ人のセンダックが、この絵本で初めて正面からユダヤ人の歴史に取り組んだともいえ、子どもたちが力を合わせて悪を追い払う場面の力強さにセンダックが子どもたちに託す希望が読み取れる≫と書かれています。
 確かに、センダックの絵本には、ヨーロッパやアメリカNYの匂いこそすれ、ユダヤ系の匂いは隠れがち。その点で、それ以外の本と一線を画しているのかもしれないし、あるいは、それまでのセンダックが使ってきた吹き出しの手法や登場人物を使ったりしている点からみれば、集大成なのかと思ったりします。
 ただ、オペラで演じられたものを絵本にするのですから、当然、無理もあり、この絵本自体が、日本の多くの子どもたちが楽しめる絵本なのかという点では、疑問が残ります。
 
 シャガールの「戦争」とセンダックの「ブルンディバール」に流れるユダヤ人迫害の歴史の共通点を見出したものの、「やぎと少年」?・・・・結局、ユダヤの重い歴史が醸し出す「雰囲気」・・・だったのかなと思います。

 写真に写る左端の女性たちが嘆き悲しんでいる様子、写真左のシャガールの絵の下、子供を抱く母。
*「やぎと少年」(アイザック・バシェヴィス シンガー文 モーリス・センダック挿絵 工藤幸雄訳 岩波)
*「ブルンディバール」(トニー・クシュナー再話 モーリス・センダック絵 さくまゆみこ訳 徳間書店)

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子守歌

ららばいぶっくj
(承前)
 ビリー・ジョエルの「ララバイ Lullabye (Goodnight、My Angel)」の歌い始めは、
「Goodnight my angel,
Time to close your eyes・・・」なのですが、
これって、
ジョン・レノンの「Beatiful Boy」思い出しますねぇ。
始まりは
「Close your eyes
Have no fear
The monster's gone・・・」
これも、心のこもった優しい曲。
二曲とも、映画のクライマックスに、しみじみと使われてた。
片や「アンコール」片や「陽の当たる教室」
どちらの映画も、涙うるうる。

子を想い、毎夜、母親は子守歌を歌う。
子を想い、心を込めて、父親は子守歌を書く。
子どもを想う人たちは、美しいものを子どもたちに残す。

そういえば、最近見た映画にも、子守歌に使われていたいい曲がありました。(続く)

☆写真は、ウィリアム・ブレイクの「子守歌(ゆりかごの歌)」にセンダックの絵。ブレイク「The Tyger」あるいは「無垢の歌」へのオマージュだと思うのですが・・・
 この本は、「Lullabies and Night Songs」(Music by Alec Wilder Pictures by Maurice Sendak edited by William Engvick Harpper & Row)
ウィリアム・ブレイクの「子守歌」の一連目はこうです。
≪かわゆい夢よ かげをつくれ
 うちの坊やの 頭のうえに
 満ち足り しずかに 月のひかる
 たのしい流れの かわゆい夢よ・・・・≫(「ブレイク詩集 壽岳文章訳 岩波文庫)

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しょうがクッキーぼうやの あしを あげちゃう

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 (承前)
 他にもセンダックの没後翻訳出版されたものがあります。「そんなときどうする?」 (セシル・ジョスリン文 こみやゆう訳 センダック絵 岩波)も、昨年出ています。

 また、原題を「Bears」という、 「くま!くま!くまだらけ」 (ルース・クラウス文 石津ちひろ訳 センダック絵 徳間書房)の日本語のタイトルは、よくわかります。「ベアーズ」もしくは、「くまたち」などとしなかったのがGOOD!

 それにもう一冊「ぼくはきみで きみはぼく」 (ルース・クラウス文 江國香織訳 センダック絵 偕成社)です。この原書をもう30年以上も前に手にしたとき、こんな子どものつぶやきのような言葉を訳すのは大変だろうなと思って居たら、案の定、なかなか翻訳がでず、今回やっと登場。
≪・・・・あいしていたら
しょうがクッキーぼうやの あしを あげちゃう
りょうあしとも 
それにあたまも!
(おさとうで できた
ボタンだけで いいよ。)≫

☆写真は、ロンドン ナショナルギャラリーカフェの我が夫婦のランチ。しょうがクッキーぼうやの横には、エルダーフラワー水(微炭酸)、その横には、日本では全く食べないポテトチップスなのに、イギリスに行けば必ず食べ比べるソルト&ヴィネガー味のポテトチップス。
 もちろん、≪あいしているから、しょうがクッキーぼうやの あしを あげちゃいました!≫

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