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みんなみすべくきたすべく

めうしが おつきさまを とびこす え

つきをとびこしている
➡➡承前)
 マザーグースの中に「Hey,diddle,diddle ヘイ・ディドル・ディドル」があって、月を飛び越している牛が出てきます。
 歌は簡単で、ナンセンス。
 ≪ヘイ・ディドル・ディドル  ネコとヴァイオリン  メウシが月をとびこした  ちいさいイヌがわらったよ そんな冗談を見せられて  そして、お皿とお匙がかけおちだ。≫

 うちでは、マザーグースでアプローチしたのではなく、「おやすみなさい おつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)のなかで部屋に飾られている「めうしが おつきさまを とびこす 絵」(写真上)でなじみ深い。この絵本は、うちでは、ぼろぼろ本の一冊です。何度読んだことでしょう。何度読まされたことでしょう。末っ子が、繰り返し繰り返し読めとせがんだことだけは、未だにはっきり覚えています。 繰り返しのリズム、響きのいい言葉、段々フェイドアウトする部屋、そして静寂。「おやすみなさい」の繰り返しが心地よく、読むほうまでが、安らいだものでした。

 が、マザーグースの元唄は、もっと元気よく、愉快に。という感じでしょうか。
 そして、このマザーグースでも、センダックは、コールデコットをこう言います。
≪音楽が歌詞のあらゆる陰影やニュアンスを高め、より大きな意味を与えるのと同じように、コールデコットは絵によって歌に照明を当てています。これこそほんとのマザーグースです。即興音楽さながらの驚くべき空想が、歌のまわりで愉快にはしゃいでいるかのようにリズミカルに跳ね踊り、しかも決して度がすぎて不調和になったりはしていません。もしもマザー・グースの名と永遠に結びつけられるに値する名前があるとすれば、それはランドルフ・コールデコットの名前です。子どもが最初に出会う何冊かの本の中には、必ず彼の本が含まれているべきです。≫
       「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)

☆写真は、右が、ウォルター・クレイン「BABY'S Opera」(ほるぷ:復刻 マザーグースの世界 1877) の表紙(、左が、コールデコット「Hey,diddle,diddle」福音館 (解説書  ブライアン・オルダーソン 吉田新一 辻村益朗、正置友子)、上が「おやすみなさい おつきさま」

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乳しぼりの娘

6ペンス2
 
 コールデコットの「乳しぼりの娘(The Milkmaid)」には、立派な牛が描かれています。それに、ここ何回か書いてきたカケスやカササギ、コマドリやクロウタドリの果たしてきた役割を二匹の犬がやっています。(写真、右隅)

 古謡の「乳しぼりの娘」をコールデコットなりに絵本にしていますが、始まりは、貧乏地主の息子に母親が助言するところ。
――「お嫁さんは持参金付きの人を探さなきゃダメよ」
 それで、息子は、乳しぼりに出かける途中の娘に出会い、「美しい娘さん、どちらに行かれますか?」「ご一緒してもいいですか?」とナンパ。娘の父親が農家のお百姓だと知ると、「美しい娘さん、結婚してください。ところで、持参金は?」と、強引に迫るものの、娘の答えが「持参金は、私の顔よ」と知ると、「じゃあ、結婚できないなぁ」。
 娘は「結婚なんか頼みませんでした!」「頼んじゃいませんよ!」「ぜったいに!」「誰も頼んじゃいませんよ、結婚なんか!」
・・・・というわかりやすいものです。
 最後のところは、その無礼な息子を取っ捕まえ、牛の背中に乗せ、牛は息子を水の中にほおりだし、息子はびしょぬれになってとぼとぼ帰っていくシーン。向こうの牧草地では、娘と他の乳しぼりの女性と牛が一緒になって小躍りしています。

 さて、息子の犬はというと、まずは、お屋敷と思われる部屋の中で主人に甘え→ 馬で出かける横を走り→ 娘に出会ったときには娘の犬と出会い、ちょっかいかけるような風情→主人が娘と並んで馬を進める横で、娘の犬と寄り添い、はしゃぎ、向き合い・・・するも、持参金が顔だと娘が答えた辺りから、二匹の犬にも、ちょっと距離が→ 娘が、犬の主人を追い返すシーンでは、娘の犬は吠え、屋敷の犬は身を小さくし、追いかけられ→そして、最後、娘の犬が吠えるなか、屋敷の犬は、主人と一緒に とぼとぼ。

・・・と、いくら ここで書いても、センダックのいう「コールデコットはイラストレーターであり、作詞家であり、振り付け師であり、舞台監督であり、装飾家であり、演劇人でもあります。とにかく彼はすごいのです。…」が、伝わらないのが残念。(続く)

*「センダックの絵本論」(モーリス・センダック著 脇明子・島多代訳 岩波)

☆写真は、コールデコットの絵本「The Milkmaid」 福音館 (解説書  ブライアン・オルダーソン 吉田新一 辻村益朗、正置友子)

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6ペンスの唄をうたおう

6ペンス

➡➡ (承前)
 マザーグースの唄に「クロウタドリ」が出てくるのは、「6ペンスの唄をうたおう(Sing a Song of Sixpence)」です。

≪6ペンスの唄を うたおう  ポケットいっぱいのライ麦 20と4羽のクロウタドリ 焼いてパイにして  そのパイあけたらば、  鳥たちがうたいはじめた  こんなめずらしいパイ キングに献上しては?・・・・・(後略)≫(***吉田新一訳 「コールデコットの絵本 解説書」福音館) 

これは、マザーグースの唄なのですが、〔イギリス絵本の伝統とコールデコット〕という本のタイトルにも「6ペンスの唄をうたおう」(ブライアン・オルダーソン 吉田新一訳 日本エディタースクール出版部)と使われています。

 そして、その中にセンダックの「ヘクタープロテクターと うみのうえを ふねでいったら」(神宮輝夫訳 冨山房)➡➡も掲載されていて、そのキャプションに、こんなことが書かれていて、また、つながっていく面白さがあります。

≪センダック自身の書いているところによれば、「コールデコットのおかげで、わたしは絵本におけるリズムと構造の微妙な用い方を、初めて具体的に示すことができた」。そして、「ヘクター・プロテクター」は「この愛する師への心をこめた敬意の捧げものであった」。その敬意の念は、いかなる形の模倣的な営みではなく、より入念な絵物語りを促すために、二つのナーサリイ・ライムを使うという着想に、潜んでいる。≫

 センダックがコールデコットを敬愛していることは、「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)の中に、繰り返しコールデコットが登場するところからもわかるし、その原題が、Caldecott & Co.というところからもわかります。(続く)

 なお、「クロウタドリ」のことは、以前海ねこさんの「子どもの本でバードウォッチング」第6回のところにも書かせてもらっています。➡➡   (続く)

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うみのうえをふねでいったら

かけす2
(承前)
 「ヘクター・プロテクターと うみのうえを ふねで いったら――マザーグースのえほん」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)
 この絵本は、2つのマザーグースの歌から描かれていて、言葉が少なく、絵だけのページもあって、絵がほとんどです。
 「ヘクタープロテクターに登場するのが、一羽の黒い鳥。「ピータ・ラビットのおはなし」のコマドリ➡➡ と違って、「だめ!」「ほれ!」「いいの!」「いこう!」「ふふ!」「ふん!」「ふう!」「ほーい!」という台詞が絵の吹き出しにあります。
 
 前半のヘクター・プロテクターには1羽ですが、後半の「うみのうえを ふねで いったら」には、二羽のクロドリ。今度は、トリックスター的な役回りでなく、実際、歌詞にも登場。
≪うみの うえを ふねで いったら    うみが ぼくの うえにきた   みれば ちいさい くろどりが 2わ、いっぽんの きのうえに いて    1わが ぼくを わるものと よび、   1わは ぼくを どろぼうと いう。   ぼくは ちいさい くろい ぼうを かまえ、    くろどりの はを  ノックアウト!≫

 このクロドリ・・・英国では コマドリと同じような頻度で見かける「クロウタドリ」のことですが、この「ヘクター・プロテクターと うみのうえを ふねで いったら ――マザーグースのえほん」の他にも クロウタドリは出てきます。(続く)

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サーカスの女の子

     サーカス
(承前)
 「とても とても サーカスなフロラ」(ジャック・センダック文 モーリス・センダック絵 江國香織訳 集英社)

 モーリス・センダック最後の作品「わたしの兄の本」と同時期に未邦訳だった「Circus Girl」もでました。

 サーカス生まれサーカス育ちのとてもとてもサーカスな女の子フロラが、ある日「外の人たちってどういうふうなの?」と不安な気持ちを抱きます。そこで、フロラは、サーカスの外に出ていき、見たもの、感じたものは・・・というお話です。
 お話は、画家のモーリス・センダックのお兄さんのジャックが書いたもので、絵はモーリス・センダックで1957年共作。

 たくさんの挿絵はついているものの絵本ではなく、お話が楽しめるのは、小学校以上の子どもたちかと思います。

  センダックの描く絵で、特に好きなのは、夜や薄暗がりのシーンです。そこに居る人物(動物のこともあるけれど)の背中が物語っているように見え、夜のしんとした音が聞こえそうだからです。
 この「とてもとてもサーカスなフロラ」も(上の写真の下半分)も、「うさぎさんてつだってほしいの」(シャーロット・ゾロトウ文 こだまともこ訳 冨山房)(上の写真の上半分)も、「ケニーのまど」(じんぐうてるお訳 冨山房)「つきよのこどもたち」(ジャニス・メイ・アドレー 岸田衿子訳 講談社){ムーン・ジャンパー」(谷川俊太郎訳 偕成社)「シャーロットの白い馬」(こだまともこ訳 冨山房)「ふふふん へへへん ぽん!-きっといいこと きっとあるー」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)➡➡などなども。

 そして、背中を向けたシーンではありませんが、、明るい調子の「かいじゅうたちのいるところ」(神宮輝夫訳 冨山房)。あの深い夜の色合いは、他の絵本には見られないもので、やっぱり、センダックの描く「夜」は、いいですね。

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センダック最後の本

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「わたしの兄の本」(モーリス・センダック 柴田元幸訳 集英社)
 
 2012年に亡くなったセンダックの最後の作品と言われるこの「わたしの兄の本」が昨秋、邦訳出版されました。
 ウィリアム・ブレイクとイメージが似ています。
 シャガールの影響も見えます。
 この話は、シェイクスピア「冬物語」を下敷きにしています。
 子どもの絵本ではありません。 

 二人の青年、ガイとジャックの物語です。
 が、しかし、兄のジャックは1995年に亡くなっていますから、この本が、仲の良かった兄ジャックへの直接的なオマージュというものではないかもしれません。もしかしたら、50年パートナーであったEugene Glynnが2007年に亡くなっていますから、その彼へのオマージュと考える方が近いのだと思います。
 そして、「わたしの兄の本」について生前センダックは、ニューヨークタイムスのインタビューに答えて「哀しい謎解きは、自分にとって最善のものだ」という言葉を発しています。つまり、二人の絆を深く考えることが、敬意を示すことにつながる・・・・(続く)

☆写真左は、「わたしの兄の本」最初のところ
≪荒涼たる真冬の夜に
新星ひとつ!ーー燃え立つ光!
水晶のまばゆさ!ーー月を隠し、
空を焦がし、
ガツン!ーー鉄の大地をまっぷたつに裂き、≫の挿絵

☆写真右はモーリスが描いた兄ジャックの絵(「センダックの世界」(岩波)掲載)

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犬のジェニー

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「ふふふん へへへん ぽん!-きっといいこと きっとあるー」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)です。

「はじめ、ジェニーには なにもかも そろっていました。2かいには まるい まくらが、1かいには しかくい まくらが ありました。くしが ひとつと ブラシが ひとつ、のみぐすりが ふたつ、めぐすりが ひとつ、みみの くすりが ひとつ、たいおんけい 1ぽん、それから さむいときに きる あかい けいとの セーターが 1まい。そとを ながめる まどが ふたつ。しょくじの おわんが ふたつ。かわいがってくれる ごしゅじんも いました」で始まるこの本。

 何でもそろっているということは、こんなに質素で有難いことなのか・・・と、小さい子どもなら思いませんが、大人の読者なら、感じるところがあるかもしれません。
 そして、ジェニーは「なにもかも そろっているよりも もっと いいこと きっと ある!」と、家を出ていきます。
 ここからは、波乱の人生(?)とはいえ、さいごは、舞台女優(?)になるジェニーの物語。

 センダックが彼の愛犬シーリハムテリアのジェニーを主人公をに描いただけあって、ジェニーの風情は魅力的なものです。それに、その不安だとか悲しみだとかを、センダックは、夜の風景や、陰の様子で表現し、実は、深い1冊になっているものの、最後は、コミカルな描き方で、肩の力を抜きます。

 初めは、わけがわからない長いお話だと思っていた子どもたちも、その何が起るかわからない人生に引き込まれていき、マザーグースの言葉を使って生まれたこの本、神宮輝夫のリズミカルな訳で楽しめます。

 が、しかし、もしかして、なんだか楽しめないなと思う人ならば、ぱらぱらとこの本を繰っていけば、丁寧に描かれたジェニーの画集を楽しむことになると思います。
 上の写真は、ブックカーバーを取った中にしかない、ジェニーの肖像。実は、この絵本、布張りで、丁寧な造り。センダックのジェニーへの思いを感じます。

 センダック」の犬の絵本には、漫画のコマ割りのような「子いぬのかいかたしってるかい?」 (マシュー・マーゴリス&モーリスセンダック作& モーリス・センダック絵 山下明夫訳 偕成社)もあります。

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センダック最後の絵本

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「バンブルアーディ」 (モーリス・センダック さくまゆみこ訳 偕成社)
 モーリス・センダックが亡くなったのは2012年5月のこと。亡くなる前、最後の絵本だったのが、「バンブルアーディ」という子豚の話。4月に訳され出版されました。最近の絵本には珍しく、表紙の絵と、表紙をとった中の装丁が違う丁寧な作りは、センダックへのオマージュのような気がします。(写真手前が、表紙の絵、奥のにこやかな子豚の絵は、表紙をとった中に貼られている小さな絵。)

 さて、子豚のバンブルバーディは生まれてこのかた、誕生日を祝ってもらったことがありません。バンブルアーディが8歳になったとき、豚肉にされたパパママの替わりにアデリーンおばさんに引き取ってもらいます。そこで、9歳にして初めてお誕生日を祝ってもらうことに。が、おばさんが留守の間に、招待した友だち達とどんちゃんさわぎになってしまい、(みんな変装してきます)おばさんは、怒り心頭。・・・とはいえ、素敵なおばさんに、許してもらえて、バンブルバーディは9の9倍キスしてもらうというお話。

 この「許してもらえた」理由が不明瞭なのがひっかかるものの、いつもどおりのセンダックカラーは、どんちゃん騒ぎで本領発揮。
 9歳の誕生日なので他にも9に関連しながら、お話が進む「しゃれっ気」もあります。
 もうこれ以上、センダックの絵本が出ないのは寂しいですが、最後の絵本も、センダック自身が楽しんで作ったのが伝わってきて、よかったよかった。

 実は、この絵本、現代に多くなっている児童虐待ネグレクトの問題を描いた一冊だとも言われています。確かに、ネグレクトとまでは言わなくても、誕生日や日本式のクリスマスを子どもたちと祝わないという親たちが居ることは知っています。が、そんな人たちも、ちょっと、自分の小さかったとき、どんなことに心が弾んだか、思い出してくれればいいのに、と思います。ちょっとでいいから、アデリーンおばさんのように。
  ・・・と、考えれば、「許してもらえた」理由なんかなくても、保護者の大きな心で、子どもを受け留め許したという解釈になるでしょうか。

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くつです。

         くつですj
(承前)
 「おうさまのくつ」 (ヘレン・ビル文 ルイス・スロボドキン絵 こみやゆう訳 瑞雲舎)を見て、一番に思い出したのが、センダックの「こびとのゴブリン」の話でした。

 子どもが小さい頃、何度読んだかわかりません。(と、どこかに書いたかもしれませんが・・・)
≪ほらあなのそばをとおりかかったゴブリンは、ほらあなの中のドガン!という音にびっくりしたそのひょうしに、くつが脱げてしまいました。そのまま逃げだしたゴブリンですが、ピッタ パッタ ピッタ パッタ ピッタ パッタ なにかがあとをつけてくるのです。怖くて後ろをみることができず、どんどん早く走ります。すると、そのなにかも、どんどん おいかけてくるのです。ピタパタ ピタパタ ピタパタ ・・・≫

 この話の中で何度も読めとせがまれたのは「くつです。」という箇所。きっぱりと言い切る潔さ。「ああ、よかった」の感じが込められているのでしょうか。
 
 おうさまのくつは、ポッカ ポッカ ポッカ ポッカ
 こびとのくつは、ピタパタ ピタパタ ピタパタ
 ここだけでも、声に出して読んでみて。ちょっと、面白いから。

 「こびとのゴブリン」は、こぐまのくまくんがおじいちゃんに聞かせてもらったお話で、 「おじいちゃんとおばあちゃん」 (E.H.ミナリック文 モーリス・センダック絵 まつおかきょうこ訳 福音館)に入っています。

☆写真は、手前が、センダック「こびとのゴブリン」 奥はスロボドキン「おうさまのくつ」表紙。

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詩のすきなコウモリの話

       リスいないj
「詩のすきなコウモリの話」 (ランダル・ジャレル作 モーリス・センダック絵 長田弘訳 岩波)
(承前)
 ・・・やっぱり、この本のことは書いておこう。
 
 モノマネドリの歌を聴くのが好きな小さなコウモリは、眠らなくてはいけない昼にも、起きて、いろんなことを目にするようになります。そして、モノマネドリのような歌を作ります。モノマネドリに自分の作った歌を聞いてもらい、批評してもらうのですが「問題は、詩を作ることじゃないんだ。問題は、その詩をちゃんと聴いてくれるだれかをみつけるということなんだ。」・・・というわけで。詩を聴いてくれるシマリスに出会い・・・

 浮き世離れした小さなコウモリの話です。アクセクしない。のんびり、おっとり、謙虚な姿勢が魅力です。優しい心根のシマリスもいい。二人のやりとりは、心温まります。
 そして、コウモリは「生まれたばかりのコウモリは・・」で始まるコウモリ自身の歌を作ります。まず、シマリスに全編聴いてもらい、次には、仲間に聞いてもらおうと、仲間のところに戻り・・・

 ところで、作家で詩人の池澤夏樹が、須賀敦子全集第5巻(イタリア翻訳詩集他 河出文庫)の解説でこんなことを書いています。
≪・・・誰もが心の奥の方に「若いころ、わたしは・・・」で始まる記憶を持っている。それがこうして美しく普遍化される。共有のものになる。それが詩人の仕事である。・・・≫

小さなコウモリも詩人の仕事をしたというわけですね。

 さて、ランダル・ジャレルの残した4冊の子どもの本(「はしれ!ショウガパンうさぎ」「詩のすきなコウモリの話」「陸にあがった人魚のはなし」「夜、空を飛ぶ」)のうち3冊までがセンダックの挿絵だということからも、息があったパートナーだったのだと推測できます。そしてまた、そのうち3冊が長田弘訳というのも、国を越え、つながるものを感じます。

*「はしれ!ショウガパンうさぎ」(ランダル・ジャレル文 ガース・ウィリアムス絵 長田弘訳 岩波)
*「詩のすきなコウモリの話」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 長田弘訳 岩波)
*「陸にあがった人魚のはなし」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 出口保夫訳 評論社)
*「夜、空を飛ぶ」(ランダル・ジャレル文 モーリス・センダック絵 長田弘訳 みすず書房)
☆写真は、ロンドン ケンジントンガーデンズ 中央小さく見えるのは、ワッツ作≪Physical Energy ≫リスもどこかに写っているかも。

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