みんなみすべくきたすべく

子どもの本でちょっとお散歩(川 その19)

           平底船j
 (承前)
「緑の精にまた会う日」 (リンダ・ニューベリー作 野の水生訳 平澤朋子絵 徳間書房)
さて、見える人にしか見えない「炉端のロブ」ですが、ルーシーとおじいちゃんには見えました。そのおじいちゃんが亡くなって、ロブと暮らした畑もなくなって、ロンドン暮らしのルーシーは、ロブに会えることを切望します。で、長い道のり、ロブはロンドンに・・・

 この本の最初に「道を歩む者にささぐ」とあって、この本の骨格を一言で表現しています。ロブは、いろんな人、ことに出会いながら、徒歩で進んでいくのですが、一度、平底船に乗りこんで進むところがあります。
≪幅二メートルほどの平底船が、ポンポンと音を立て、つぎつぎ通りすぎてゆく。運河の途中に木の水門があり、船人はそこで行ったん船を降り、水位の異なる上流と下流の水門を、手順どおりにあけたり閉めたりすることになる。勢いよく水が移動し、水位が変わる。そうしてようやく水門をぬけ、平底船はふたたび運河の旅に出る。・・・・中くらいの大きさで、ペンキがきれいで新しく、屋根には少しの緑があって、そして人が多すぎない・・・それだけでいい。そんな船がこないだろうか。≫
 そう、ロックです。

 イギリスの道には、いわゆる道路だけでなく、川の流れも道に含むのだと思います。日本のように、急流でなく、ゆったりと流れていることが、道の一部と捉えられているのかもしれません。(続く)

☆写真は、英国 テムズ川を進む平底船(撮影:&Co.I)

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その18)

                  454バース 川jj
 (「わたしは河が好きだ」から続き)
(承前)
読んだときに、そうそう、納得!と思える文に出会うと、寿命が延びたような気になりませんか?民話と歴史の違いを、こんなにわかりやすく説いた文に、ユゴーの「ライン河幻想紀行」で、出会いました。

≪ところで、お気づきだろうか?歴史はときに徳に背くことがあるが、民話は常に正直で、徳にかない、高潔である。・・・・・民話では、地獄は目で見ることができる。罪には、必ず罰が下り、ときに厳し過ぎる罰すら下る。罪の末路は必ず責苦であって、その責苦もしばしばすざまじい。悪人は必ず不幸に陥り、ときにははなはだしく嘆かねばならないはめになる。こうしたことは、歴史が無限の中に消滅しようとするのに対し、民話が有限の中に死滅しようとすることに起因している。・・・・≫

 そんなユゴー自身のイマジネーションから生まれたのが、「ライン河幻想紀行」の最後に載っている伝説仕立ての「美男ペコパンと美女ボールドゥ―ルの物語」です。

 ん?ペコパンって?美男のイメージと程遠い、コミカルなお名前だこと、と思っていたら、それが、ボールドゥ―ルと共に、最後の最後で意味を持つのです。
「ペコパン!ペコパン!」「ボールドゥ―ル! ボールドゥ―ル!」
片や雌鶏、片や鳩の鳴き声。

 といっても、なかなかシビアな結末のお話で、いわば、美男ペコパンの放浪記のようなものですが、悪魔が革袋に魂を収集しているところで、昔、子どもたちによく読んでやっていたフランスの民話「ふくろにいれられたおとこのこ」 *を思い出しました。男の子が、イチジクの木から落ちて、おにの袋に入れられ、食べられそうになるのですが・・・これも忘れられないお名前、ピトシャン・ピトショ。(「敷石道に響く音」に続く)

*「ライン河幻想紀行」(ユゴー著 榊原晃三訳 岩波文庫)
*「ふくろにいれられたおとこのこ」
(フランス民話 山口智子再話、堀口誠一絵 福音館)

☆写真は、英国バース エイボン川 バルトニー橋

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子どもの本でちょっとお散歩(川 番外)

ロックLock 
(承前)
 以下は、英国ウーズ川のロックです。昨日の写真の、テムズにあるマーローロックより水深が浅く、小ぶりです。いずれにしても、ロックの開閉は手仕事です。上流から来た船はロックの中に入って、水位が下がるのを待ち、下流から来た船は、ロックの中で水位が上がるのを待ちます。お互いが入っている間は、逆方向に進む船は気長に、ロックの外で待機しています。ともかくも、舟遊びというのは、気長でゆったりしているものなのでしょう。川の途中には停留地もあるので、夜はそこで舟を止め、また次の朝、出て行くという舟もあります。もちろん、舟に乗らない川沿いの散歩も楽しく、川沿いを歩く。歩くと、集落があって、小さなお店があって、お茶を飲んで・・・

①下流からボートきました。                 ②ボート入りました。
142ロック1j143ロック2j
③④水門閉めて水位あげます。
145ロック4j144ロック3j
⑤水位上がりました。出ていきます。次に上流から青いのが来ています。⑥青いのが入り、もう一艘、白いのも入ります。門閉めます。水位下がります。
146ロック5j147ロック6j
⑦後から入った白いのから下流に出ていきます。  ⑧青いのも出ていきます。屋根に犬が。
148ロック7j149ロック8j
ちなみに、3月24日の写真は、⑤と⑥の間です。

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その17-2)

141マーローロックj
「グリーン・ノウの川」
(ルーシー・ボストン作 亀井俊介訳 ピーター・ボストン絵 評論社)

(承前)
 さて、実は、昨年6月、英国ヘミングフォード村に行った後、川べり散歩のことを書きすすめていました。ところが、夏場になると、日本では、川の氾濫等、大きな災害が相次ぎ、こんな文を公開するのも、ためらわれているうち、結局、ブログ開設ということになりました。それで、また、もたもたしているうちに、いわゆる大雨のシーズンになり、しかも、今日は台風!とりあえず、あの本もあの本も残っているけど、「子どもの本でちょっとお散歩 川編」を休憩しようと思います。

ロック(Lock)・ 水門・ 閘門(こうもん)
 イギリスの川のお話に、よく出てくるのが、もちろん、「グリーン・ノウの川」にもでてくるのが、ロックです。高低差のある川を行き来するボートのために、水門を開閉し、ボートの進行方向の水の高さに調節する仕組みです。日本にもいくつかあって、大阪には、淀川と大川の高低差を調節する毛間閘門というのがあります。

 「グリーン・ノウの川」では、オスカー、アイダ、ピンの3人の子どもたちが、ロック(水門)に入り、出ることが、こう書かれています。
≪・・・それで子どもたちはかいをこいで、細い石壁の水路へとまっすぐにはいっていった。すると後ろで水門がしまった。水は急速にへっていった。まるでエレベーターにのっておりていくような感じだった。両側の壁がぐんぐん上がっていった。川の一部がこんなにこんなに深い流れになっているなんて、思っただけでも怖くなるくらいだった。この巨大な風呂桶のせんは、ゴボゴボ音をたて、カヌーを引っぱり、吸いこんでいった。・・・・ようやく、下がわの水門がひらかれた。水がもういちど激しくぶつかり合い、泡だちあったのち、あらたに平らな水面ができ、カヌーは水車池にかいをこいで出ることができた。・・・≫

 「グリーン・ノウの川」には、挿絵がついていますが、文だけでは、まだロックをイメージしにくいかもしれません。明日は番外編で順を追った写真を、載せます。
(川 番外に続く)

☆写真は、英国マーローロック 水位の低い方に、ボートが出て行きます。
 

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その17-1)

       139朝6時5分j
「グリーン・ノウの川」
(ルーシー・ボストン作 亀井俊介訳 ピーター・ボストン絵 評論社)

 英国の田舎に行くと、川べりの散歩が楽しみです。
 昨年のヘミングフォード村探訪の2日間でも、グリーン・ノウシリーズの舞台のマナー・ハウスを見学するだけでなく、「グリーン・ノウのおともだち」で、雨が降り続き、川が溢れ洪水になったという、そのウーズ川散歩も楽しみました。マナー・ハウスの庭は、川に面しているのです。

 グリーン・ノウのシリーズは、1120年に建てられ、今も住居として使われているマナー・ハウスとその周りの世界、そこに生きる子どもたちのシリーズです。

 シリーズの中でも、「グリーン・ノウの川」は題名に「川」とあるくらいですから、「川」が舞台となっています。「たのしい川べ」では、「川」がお話の舞台になり、本の骨となりましたが、「グリーン・ノウの川」は、お話の骨と言うより、お話のいたるところに「川」が流れている感じです。これは、「たのしい川べ」がテムズ川で、「グリーン・ノウの川」は、もう少し小ぶりなウーズ川であることが、関係しているかもしれません。大きな川でない分、より生活に密着し、しかも、その川のすぐ目の前に作者ルーシー・ボストンが、住んでいた。

 この本のように身近な視線での「川」の描写、しかも、繰り返し何度も「川」に接しているお話を他に知りません。ところが、その結果、お話全体の構成は、散漫な印象があります。同じシリーズの「グリーン・ノウのお客さま」が、優れた構成で、一気に読ませる力があるのと比べると、少々、差があります。

・・・・・オスカー、アイダ、ピンの3人の子どもたちは、夏休みになる前に、川を探訪し遊ぶのですが、夏休みになって、川に人が増えてくると・・・
≪川はもう、子どもたちが夢中になっていた、神秘的なところではなくなってしまった。もちろん川は、美しく曲がりくねり、きらきら輝き、しかも涼しく、カヌーの下では水があたってピチャピチャ音を立て、空には雲が地平線から地平線までのどかに浮かんでいた。だがそれでも、川はあたりまえの場所―人間の遊び場になってしまった。川を本当の住まいにしている生きものたちは、みんな身をひそめてしまった。本当のいのちはなくなって、水泳プールかお祭りばにすぎなくなってしまった。≫

・・・・・で、アイダは、新しい方針を決めます。
≪『もとどおりの川を見たかったら、夜明けに出かけなきゃだめよ。毎日、空が明るくなりかけたころに起きましょうよ。そしたら、朝ごはんの前に探検できるわ。』≫

・・・・・・そう!そう!英国の田舎の夏の早朝! Very Good Idea !
≪夜明けといっても、まだ太陽はのぼらず、風もなかった。空には雲らしい雲は出ていなかったが、ただいちめんに青白くかげっていた。水面はさびた水銀のようで、遠くには、木々の葉が何か忘れもののようにかすんでいた。進んでいくカヌーのまわりは、深くシーンとしずまっていた。≫
(川 その17-2に続く)

*「グリーン・ノウ」シリーズ(ルーシー・ボストン文 亀井俊介訳 ピーター・ボストン絵  評論社)「まぼろしのこどもたち」

☆写真は、英国ヘミングフォード村、グリーン・ノウの前で6月に撮りました。教会の時計の針は朝6時5分を指しています。

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その16)

140マーロー河堰j
 先日TVで「大都会ロンドン キツネ1万匹 大繁栄の謎に迫る」というドキュメンタリーを放映していました。キツネたちが、ロンドンの民家や公園に1万匹も住みついていると言う内容でした。キツネは小ぶりな赤ギツネです。そう!ルーファス。(Rufusという男子名は、ラテン語で、red-headedらしい。また、英語でrufousは、赤褐色の、赤茶けたの意)

「こぎつねルーファスのぼうけん」「こぎつねルーファスとシンデレラ」
アリソン・アトリー著 石井桃子訳 キャサリン・ウィグルズワーズ挿絵 岩波)

 アナグマさん一家と暮らすこぎつねのルーファスが、川で小さな金の星を釣る話「こぎつねルーファスと魔法の月」には、月夜の川のきらめきが見える、美しい情景が書かれています。

 ≪ルーファスは、鼻を空のほうにむけて、川岸の匂いをかぎました。ぬれた土の匂いが、つんと鼻にきましたが、それは、とても気持ちのいい匂いでした。それから水ハッカや、フクロ草や、シモツケ草の香り、それから、コケや葉っぱの強い匂い。川は、にぎやかに流れていました。川は岩を飛び越え、白いあわをたてたり、小さいたきを作ったりしながら、大きな声で歌っていました。波の上には、金色の星のかけらや、ゆがんだ月が、空にある星や月と同じように、輝いていました。≫
 
・・・・それで、ルーファスは釣り糸を投げ、小さな金の星をたくさん釣るのでしたが、やってきた白鳥に諭され、一つ以外は川へ戻します。すると、

≪たくさんの白い手が水の中から出てきて、それをつかんだようでした。『あれ、どういう、ひとたちですか?』ルーファスはびっくりして、とぎれとぎれに聞きました。『ここに住む水の精たちです。』ルーファスが、水の精を見ようとして、じっと川の中をのぞきこんでいたとき、・・・・・≫

☆写真は、英国マーロー、テムズ川河堰、早朝、水面がキラキラ。

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その15)

           138ハンプトンコート裏庭j
 「川べのちいさなモグラ紳士」 
(フィリッパ・ピアス 猪熊葉子訳 パトリック・ベンソン挿絵 岩波)

 フィリッパ・ピアスの作品は、「トムは真夜中の庭で」を筆頭に、先の「ハヤ号セイ川をいく」にしても、この「川べのちいさなモグラ紳士」にしても、一気に読ませてくれます。
 モグラと英国の歴史、まったく繋がっていそうもないことが、モグラの掘るトンネルのように、深いところでつながっていると言う面白さ。英国の歴史に興味のない向きには、興味半減だとしても、英国の子どもたちには、きっとぞくぞくとする楽しさを持って受け入れられたことでしょう。とはいえ、単なる歴史物語ではなく、成長物語だと言うところが、ピアスの「腕」の見せ所です。
 モグラの寿命は5年と言われているのに、ハンプトン・コート生まれのモグラが、何故に、300年もトンネルを掘りつづけ故郷に帰ろうとしているのか。はたまた、どのようにして、モグラが進化論を理解し、アルフレッド・テニスンの詩を味わうことができるようになったのか。そして、いかに、おばあちゃんの家で暮らす、本好きで孤独な少女ベットと心を通わせていくのか。
 「たのしい川べ」のモグラが子どもらしいモグラだとしたら、このモグラは大人であり、かつ紳士。そして、「不思議の国のアリス」を思い出させる魔法の時間。
 ともかくも、事の発端を読んだら、もしかしたら、これはフィクションじゃなくて、こういうことで、歴史が動いたのかも・・・と、納得。え?それじゃ、わからない、って?じゃあ、ヒント。イギリス名誉革命。モグラ塚。ハンプトン・コートで落馬。

 ベットは思うのです。≪もしかすると、読めば聞く人を作りだすのかもしれない。ベットはゆっくりと大きな声で読みだした・・・・≫
 そうそう、書けば読む人を作りだすのかもしれない。

☆写真は、英国ハンプトン・コート(撮影:& Co.H)

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その14)

137氷河と牛j
「わたしの山の精霊ものがたり リューベツァール
(オトフリート・プロイスラー作 吉田孝夫訳 ヘルベルト・ホルツィング絵  さ・え・ら書房)

 「大どろぼうホッツェンプロッツ」*や「クラバート」*の作者、プロイスラーが、故郷の山の精霊「リューベツァール」にまつわる物語を「わたしの」と題し、彼なりの視点で伝説を紹介しています。挿絵は、クラバートでも一緒だったホルツィングです。
 伝説なので、小さい子向きに書かれた昔話とは、少々違うのですが、困った時のお助け精霊であり、懲らしめる時の精霊でもあるリューベツァールは、この地方の人たちの身近な存在だったのが分かります。自然を侮ることなかれ。自然に敬意を払うべし。されど、自然と共に・・・と言った感じでしょうか。

 その中の一つに、川を制そうとした男の話があります。
水門作りのエキスパート、ゼップ親方は、川床を隅々まで細かく調べ、水の流れが曲がる場所も、狭まった場所も、傾斜や岩壁も、全部ぬかりなく調べ「ここが新しい水門の場所だ。ここに造ることにする。――リュ―ベンツァーゲルの野郎は、この水門に咬みついて、自分の歯を折ることになるだろうよ」と、自信に満ち、降りつづける雨にも「好きなだけ降るがいい。こんな雨、おれたちには屁でもねぇ!」と、うそぶくのでした。が、夏の盛りだというのに、突然、強い寒さがこの一帯を襲い、山では雪が降り出し、一週間降りつづけた後、今度は生暖かい風を伴って雨が・・・そして、ものすごい鉄砲水・・・≪ここからは、さらにリアルなプロイスラーの表現が続きます。≫
(注:リューベンツァーゲルはリューベツァールの別称)

*「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズ (プロイスラー文 中村浩三訳 トリップ絵 偕成社)
*「クラバート」(プロイスラー文 中村浩三訳 ホルツィング絵 偕成社)

☆写真は、スイス 向こうが氷河、こちらでは、牛が草を食んでいます。

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子どもの本でちょっとお散歩(川その13)

116四万十川カヌーj
「ハックルベリー・フィンの冒険
(マーク・トウェイン作 西田実訳  岩波文庫)
(マーク・トウェイン作 大塚勇三訳 E.W.ケンブル絵 福音館)

「ハックルベリー・フィンの冒険」は、「トム・ソーヤーの冒険」*の続きと言えば続きの話です。取ってつけたように、初め頃と終わり頃に、トムが出てきて、ひと騒ぎします。

悪ガキトムと組んでいた浮浪児ハックが、今度は黒人のジムと、ミシシッピー川の流れに沿って、筏の旅を続ける話です。逃亡奴隷を子どもが助けるという筋書き自体、当時のアメリカ合衆国の社会問題をはらみ、賛否が分かれる作品のようです。加えて、ヒートアップする、ハックの「はったり」や「うそ」。今回、真面目なおばさん、カ・リ・リ・ロが、読み返してみると、自分が、どんどん「ポリーおばさん化」していくのがわかります。「このうそつき!」「よくもまあ、次々、口から出まかせがでるもんだ!」・・・とはいえ、生き抜くために、ハックなりの知恵を絞っているわけですから、重いものを感じ、笑い飛ばせないのです。単に、「もう、この子は!」と、その強烈な個性を楽しむトム・ソーヤーとは、ちょっと違う。

「トム・ソーヤーの冒険」は、子どもの悪知恵や機転、それに勇気が加わって、子どもの冒険として単純に楽しめます。ところが、「ハックルベリー・フィンの冒険」の方は、「生命」がかかっている真剣勝負に、口八丁で逃げ切ろうとする冒険話なので(そこが面白いところなのですが)、知恵を働かせて身体をはる冒険話より、子どもには理解しにくいかもしれません。
とはいえ、ハックの「うそ」「はったり」で騒ぎに入る前後には、生き抜くことの苦労を背負っているハックの静かなつぶやきや思いが書かれていて、ポリーおばさん化していても、応援したくなります。大きな「力」から逃げようとする「ハック」。子どもの時代を満喫する「トム」。この二つの冒険話は、実は、まったく種類の違う「冒険話」なんだと思います。

≪おらは、筏がそこから三キロ下って、ミシシッピー川のまん中に出るまで、ちっとも気が落ち着かなかった。それからおらたちは合図のカンテラを下げて、これでやっと自由で安全な世界へ戻ったと思った。おらは昨日から一口も物をたべてなかった。そこでジムは、トウモロコシパンにバターミルクや、ブタ肉にキャベツ、それに青物なんかを出してくれた―ちゃんと料理してあれば、世の中にこんなうまい物はねぇ―おらは、食べながら、二人でしゃべって、じつに楽しかった。おらは怨恨なんてものから逃げ出して、やれやれと胸をなでおろしたし、ジムも沼から逃げられてほっとしていた。なんて言ったって、筏ほどいい所はねえなと二人で話した。ほかのとこは窮屈で息がつまりそうだけど、筏ではそんなことはねぇ。筏の上にいると、すごく自由で気楽でのんびりするんだ。(西田実訳)≫

*「トム・ソーヤーの冒険」
(マーク・トウェイン作 石井桃子訳 T.W.ウィリアムズ 挿絵 ノーマン・ロックウェル カバー絵 岩波少年文庫)
(マーク・トウェイン作 大塚勇三訳 八島太郎絵 福音館)

☆写真は、四万十川(撮影:&Co.A)

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子どもの本でちょっとお散歩(川 その12)

106ボストン池j
 
「かもさんおとおり」
(マックロスキー 渡辺茂男訳 福音館)

ボストン、チャールズ川の水辺のしげみのなかに気持ちのよい場所を見つけて巣を作ったのは、マラードさんご夫婦でした。
これまでも、「かもさんおとおり」の楽しさは、いろんなところで書いたり話したりしてきましたが、この絵本を初めて読んだ時から、40年たっても、いつも新鮮な気持ちで楽しめる1冊です。
末っ子のクワックが、いつも遅れて、気になる存在であるのは、相変わらずです。
実は、お母さんも、けっこう、注目なのです。
街を自慢げに歩いている時以外、一列に並んで歩いていたり、泳いだりするときのお母さんの目線は、常に、ちらりと後ろに流し眼です。やさしい視線の先には、子どもたち。お母さんの歩き方も、子どもたちのよちよち歩きとは違います。爪先から歩く、エレガントさ。
そして、「よるになると」と最後のページにあります。それまでと同じモノトーンの絵ながら、夜の帳を降ろした様子がよくわかります。橋の上につくガス灯のほんのりした明るさまで伝わってきます。

作者のマックロスキーは、実際にカモを飼い、つぶさに観察し、この絵本を作りました。ボストンの街や川や公園の池もずいぶんスケッチしたのでしょう。多分、街角の本屋さんもチャールズ通りの鍵屋さんも、そのままあったのでしょう。それで、もしかしたら、今もそこに見つけ出すことができるかもしれません。というのは、今回の池の写真でも、絵本が描かれた頃(1941年出版)と、大きく変わらない風景の写真が撮れているからです。この写真は、&Co.T1が2009年にボストンで撮ったものですが、池の大体どこに立って写真を撮ったか、絵本を見たらわかりそうです。マラードさん達の子孫も、うまい具合に写真におさまっています。

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