みんなみすべくきたすべく

ラモーのメヌエット

    ドーデ―j
(承前) 「風車小屋だより」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)の中で一番可笑しかったのが、「三つの読唱ミサーークリスマスの話」➡➡でしたが、この短編は、ドーデ―の「クリスマス物語」の中の一篇であると解説されています。
 そして、その「クリスマス物語」の中のもう一篇が「マレー街の降誕祭の祝宴」という短編で、「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)に入っています。

 こちらは、ディケンズの「クリスマスブックス」の中の「クリスマスキャロル」を意識したのじゃないかと思わせる内容です。
 タイトルの「マレー街・・・」からして、スクルージ&マーレイ商会のマーレイを思いだしたし、かつての館の住民たちが幻想(幽霊?)として現れるところもよく似ています。ただ、クリスマスキャロルより短いお話なので、その場の雰囲気は伝わるものの、スクルージの心の変遷を描いたものに比べ、二代目マジェステの心の深みを読み取るまではできません。しかしながら、ロンドンの幽霊やそれが見せたもの、フランスの幽霊とその登場場面の違いは楽しめるかと思います。

 かつて繁栄していたネーモン家のお屋敷が今や炭酸水製造者の倉庫兼工場兼住宅となっていて、その頃の紋章は炭酸水の商標に。
 そんな屋敷に、クリスマスの祝宴を終え、鼻歌を歌いながら家路についたマジェステ氏。
 そこで見たものは、
≪・・・・次第に炭酸水のあわが彼らを元気づけ、興奮させ、彼らに踊りたい気持を起こさせた。メヌエットが組み合わされた、ネーモン氏が招いた四人のじょうずなヴァイオリンひきがラモーの曲を始めた。全部が三連譜で、急調の中に軽い憂うつなところがある。美しい老婦人たちが静かにまわって荘重な楽の音に合わせてあいさつするのは見ものだった。この音楽のために彼女たちのお化粧も衣装も若返り、また、金をちりばめた胴着、金の飾りのあるの礼服、ダイヤモンドの留め金のついたくつも若やいだ。羽目板までがこの古曲を聞いて生き返ったように見える。二百年も前から壁に閉じ込められている古い鏡もこの歌が分かると見え、すっかり傷んで角が黒くなってはいるがものやわらかに輝いて、踊る人たちのしみじみした昔をしたう淡い姿を映している。こういう典雅さの中で、マジェステ氏は当惑してしまった。彼は箱の後にうずくまってながめている・・・・だんだん夜があけてきた。倉庫のガラスをはめた戸口から、広場が白んできて、それから窓の上、その次ぎに部屋の一方がすっかり明るくなるのが見えた。光が差し込むにつれて、人々の姿が消えて行き、見分けられなくなって行った。・・・・・≫

 それで、このラモーのメヌエットなる曲を知らなかったので、WEBで聴いてみましたら、うーん、すっかり気分はバロック。(続く)

☆写真は、スイス グリュイエール城

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バラゲール僧正の物語

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 (承前)
「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)
 ドーデ―のユーモアと自然描写が魅力の短編が入っている「風車小屋だより」ですが、
 一番可笑しかったのが、「三つの読唱ミサーークリスマスの話」
 クリスマスのミサのあとの、ごちそうの話を聞いた僧正。
 その日、悪魔が僧正をうまく誘惑し、恐ろしい「どん食」の罪を犯させるかのように、話は進みます。
≪僧正は城じゅうの小さな聖器室で式服を着終った。そしてこのうまそうな有様を聞かされてすっかり心が乱れ、着物を着替えながら繰り返しこうつぶやいた。七面鳥の丸焼き・・・・金色のこい・・・・・こんなに大きなあゆ!・・・・≫

≪急ごう、急ごう・・・早く終われば終わるほど早く食事にありつける、と言っているように聞こえるあのやかましい小鈴ではないか。とにかく、この悪魔の鈴が鳴るたびに、僧正はミサを忘れてレヴェイヨンの事ばかり考える。ざわめく料理人、火の真赤におこっているかまど、ふたのすき間から立ちのぼる湯気、そしてこの湯気の中に、腹いっぱい松露を詰めて張り切った、二羽のすばらしい七面鳥・・・≫

≪三番目のミサが始まる。食堂に行くためには、もうあとわずか歩けばいいのだ。ところが残念!レヴェィヨンが近づくに従って、、不幸にも、バラゲール僧正はとても食べたくてがまんしきれなくなった。幻影はますますはっきりと現われて、金色に輝くこい、蒸焼の七面鳥が、それ、そこに・・・目の前に・・・ああ!・・・さらには湯気が立ち、ぶどう酒は薫る。そして、小さな鐘は、やたらに鈴を振って叫ぶ。ーー早く、早く、もっと早く!・・・しかしどうして、もっと早くできる事ができるか!くちびるを動かすばかり。はっきりした言葉は言われない…早くやるには神様をだましてミサをごまかすのでなければ・・・・・・・・ところが、それをしたのだ、この不届き者は!・・・誘惑の加わるにつれて、まず一節とばし、続いて、(後略) ≫(続く)
☆写真は、スイス グリュイエール城の厨房

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海を見つめることによってすべてを忘れ

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(承前)
 「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)
 この短篇集には、自然描写が生き生きと描かれているものも多く、また、自然の中で感じる喜びを伝えてくれるものもあります。
「サンギネールの灯台」
≪・・・・ミストラルやトラモンターヌのあまり強くない時は、かもめ、いそひよどり、つばめなどを友に、波の面にすれすれな二つの間へ行ってすわる。そうして、海を見つめることによってすべてを忘れ、快く身を打たれたようになって、ほとんど終日ここで過ごすのであった。諸君もおそらく御存じであろう。あの魂の美しい酔い心地を。考えるのでもない、夢を見るのでもない。身も心も我を逃れ出で、飛び去り、散り失せる、我身は、水に潜るかもめ、陽を受けて二つの波頭の間に漂う水のあわ、遠ざかり行くあの郵便船の白い煙、赤い帆かけたさんご船である。この波の珠と砕け、かの雲の一片(ひとひら)と流れる。すべてありとあらゆる我ならぬものに・・・・ああ、この島に半睡(まどろみ)と忘我の快い時をいかばかり過ごしたことか!・・・・   風の荒れる日は、みぎわには居られないから、隔離所の中庭にこもった。;;や野生のにがよもぎの豊かに薫る、ささやかな寂しい庭であった。ここで、古い壁によりかかって、私は静かに、荒廃と悲哀のほのかな香りの身に襲いかかるにまかせた。その香りは、古代の墓地のように口の大きく開いた石造りの小屋の中を、陽の光とともに漂っていた。時々、何かとびらをたたく、草の中を軽く跳る・・・それは風を避けて草をは食みにくる一匹のやぎであった。私を見て驚いて立ちどまる。そうして、根が生えたように、目の前にじっと立っている。活発な様子。角を高く立て、あどけない目で私をながめながら・・・    五時ごろになると、番人のメガフォーンが夕食に呼ぶ。そこで私は、海にのぞむ急な斜面に生い茂った木立の細道をたどる。そうして、登るにつれて広がるように見える。水と光の無限に広い水平線を一足ごとに振り返りつつ、ゆっくりと灯台の方へ帰るのである。≫*まんねんこう・・・まんねんろう。ローズマリー。

 目に見えるような描写は、読んでいる者をその汀に連れて行き、見えるもの、聞こえるもの、香るものを身近に感じさせてくれます。特に、最後の一行は、自然の雄大さと、心の穏やかさが表現されています。(続く)
☆写真は、芦屋川河口。

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風車小屋だより

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(承前)
 「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)も、30年前に購入した文庫ですが、これは、多分絵本の「スガンさんのやぎ」(ドーデ―作 岸田衿子訳 中谷千代子絵 偕成社)から、近づいた文庫だったと思います。
 「スガンさんのやぎ」・・・うーん、これは昔話風とはいえ、結末が子どもの本として、どうなんだ?
 それに、中谷千代子の描くやぎの優しい画風はいいものの、彼女の作品に多い突っ立ったままの登場人物は、物語る絵本として、どうなんだ?などと考えた結果、原作は?と思って読んだのだと思います。

 結果、原作が「おおかみは子やぎに飛びかかって、彼女を食べたのである。」となっているものの、絵本では、「動かなくなった」と書くことで、わかるでしょ、勝手なことしたらどうなるか、狼と何時間も戦ったとしても子ヤギではね・・・・と、直接的な表現で終わっていません。
 あんなに頑張ったのに・・・現実はね・・・・という後味が悪い。まだ、原作の方が、すっきりわかりやすい。これは、昔話にも言えることですね。
***「スガンさんのやぎ」の絵本は西村書店からエリック・バトゥー絵(ときありえ訳)ででも、出ています。こちらは、お話も原作にかなり近く、絵も美しいものの、やっぱり、原作の「はア暁方にゃ、おおかみめ、やぎっ娘を食っちまっただア。」という最後に、ぴったりという絵ではないと思います。

 「風車小屋だより」には、「スガンさんのやぎ」以外にも20以上の短編が入っている文庫本です。モーパッサンやモームのように人生の機微や心理に近づく面白さというより、美しい自然描写とちょっとしたユーモア(エスプリというのか?)を楽しむ短篇集です。

  20余年放置されていたプロヴァンスの風車小屋を買い取って、そこに住み始めたドーデ―。
 パリに住む友人に手紙を書いて「まあ、きいてくれたまえ」と報告する形をとる「風車小屋だより」。
 パリとは違う、自然の美しさに触れ、あるいは、土地の生活に触れ、新鮮な眼差しで書いています。(続く)
 ☆写真は、スイス シーニッゲプラッテ付近、斜面の牧草地

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アルルの女

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  「アルプスのタルタラン」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡の後、「アルルの女」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)を読みました。これも、20年近くほおっておいた文庫本。

 ビゼーの「アルルの女」組曲のもとになった戯曲ですが、ドーデ―の書いたものと、ビゼーの曲が、ぴったりという感じでないのは、お話の方は、結局、姿を現さないアルルの女以外の行動や心の動きも読み取るのに比べ、ビゼーの方は、可視化されていない「アルルの女」を表現しているようで興味深い。(といっても、ビゼーの「アルルの女」に詳しいわけではないけれど)

 いずれにしても、「アルルの女」というのは、悪女・・・ということになっています。フランス文学をここ何年か読むようになって気付くことは、多くの場合、どこそこの悪女を設定し、主人公の男性に起こる問題の根本は、悪い女がいたからやん・・・という設定が多いと思われます。この後、読んだ「サフォーパリ風俗」(ドーデ― 朝倉季雄訳 岩波文庫)も、然り。
 引っ掛ける方も悪いけど、引っかかるのも思慮が浅いなぁ・・・などという視点を100年以上も前の男性作家が持っているわけもなく、あるいは、当時の読者の多くも、やっぱり、悪女はあかんなぁ・・・と。
 ジェンダーにうるさいわけではありませんが、やっぱり、こと男女間に関しては、その単位で、平等だと思うし、そうでなければならないはず。

・・・と、ぶつぶつ言うより前に、書いておかなくちゃいけないのが、端役なのに、結構重要な役回りの「ばか」と呼ばれる子どもに、羊飼いのおじいさんが、おはなしをしていた設定なのですが、それが絵本にもなっている「スガンさんのやぎ」(ドーデ―作 岸田衿子訳 中谷千代子絵 偕成社)。
 夜っぴておおかみとたたかったスガンさんのやぎ。夜が明けたら、おおかみに食べられてしまったスガンさんのやぎ。「アルルの女」での挿話として、示唆に富むのか、単に意味深なのか。
 「スガンさんのやぎ」の掲載されている「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)も、久しぶりに読んでみました。(続く)
☆写真は、レマン湖畔ヴェヴェイの本屋さん

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フランスは魅力的でありたいと望んだ

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「伽藍が白かったとき」(ル・コルビジェ著 生田勉・樋口清訳 岩波文庫)
(承前) 岩波文庫は、見つけたときに買っておかないと、次はいつになるかわからない販売システム。ということで、日頃はほとんど読まない岩波青帯の「伽藍が白かったとき」。

 著者の建築をスイスで見たことと、ちょっと文学の香りのする邦題に惹かれてでした。
 パラパラとめくると、ル・コルビジェの描いた画も入っていて読みやすそう・・・
 しかも、まえがきではル・コルビジェの直接の門下である建築家前川国男が
≪・・・題して「伽藍が白かったとき」という名実ともにル・コルビジェらしいひらめきと詩情とにあふれた此の本が生田君、樋口君の名訳を得た事はほんとうにうれしい。この美しい訳文を読んで、彼の本を夢中になって読みふけった自分の青春時代を思い起こした。・・・・≫と、ありました。
 こりゃ、こりゃ読まねば…と、読んだものの、前川氏のいう名訳が、カ・リ・リ・ロの頭にはさっぱり入ってこない・・・この美しい訳文という文についていけない・・・

 ということで、この名著と言われる「伽藍が白かったとき」が、ル・コルビジェが当時のアメリカの高層ビルに象徴されるものやその機能性を称賛したりけなしたりしながら、それまで批判的に見てきたフランスの文化を再認識しようとしているのか?と推測しながら、読了しました。
≪フランスは魅力的でありたいと望んだのだ。魅力的であるというのが現在のフランスの評判である。アメリカ人は私たちを魅力的な親戚だと思っている。≫
 うーん、この個所は、コルビジェの心の奥深いところを書いているのではないか・・・

  ・・・と、この拙文は、ここまで書いてほおっておいたものの、「ル・コルビジェとアイリーン」➡➡という映画で、野心家としてのル・コルビジェを見ると、彼の先進性と野心がつながっていきました。

 さて、「伽藍が白かったとき」の日本語版前書き、1957年4月15日の日付でル・コルビジェ自身がいいます。
≪私が、まだ白く新しかった時代の伽藍を憶い起こしたのは、心理的、精神的な一時期を示すためであって、ただ物質的なだけの真実を示すためではなかった。『伽藍が白かったとき』の最初の百ページは、戦争の迫った一般的な混乱の中で非常に苛酷な非難攻撃を受け、そして絶えず受けつつあった私の国フランスにたいして厳しいことが書かれている。それは、あの大きな動乱の時期において、まさに嵐であった。千年このかた一分一秒も屈したことのない文明をもつフランスに課せられた、意識の問題。問題の本質は、明確に見ること、明確に見るように努めることであった。

 上記の引用で、心惹かれたのは最後のところ。
 「明確に見るように努めること」・・・何事にも通じる大切なことです。
 たった1票でも、そのように、努めただろうか・・・と、今日のこの日だから、余計に考えてしまいます。

 閑話休題。ル・コルビジェはスイス生まれ。確かに、スイスとフランスの国境近く生まれで、母語はフランス語とはいえ、彼は、我がフランスという表現をよく使います。それも、彼の野心に通じているのかと思ったりします。
☆写真は、スイス ヴェヴェイ ル・コルビジェ「小さな家」

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二楽荘史談

       ケーブル13j
(承前)
 「二楽荘史談」(和田 秀寿  国書刊行会)
 不審火によって焼失し、その後管理者も変わっていく二楽荘⇒⇒ですが、個人的には、興味のあることばかり。

 二楽荘は、明治42年(1909)西本願寺第22世宗主大谷光端が神戸・六甲山の山麓に建設した別邸。
 建設に際して助言者となったのが建築家伊東忠太。「本邦無二の珍建築」と評され、一般にも公開され、大いに賑わった。
 荘内では、教育、園芸、気象観測、出版・印刷が行われ、大谷探検隊という大谷光端が中央アジアに派遣したシルクロードの学術探検隊が持ち帰ったものの整理・展示、および研究が行われた。

 ふーん、ただの奇をてらっただけの遺物ではなかったのだ・・・

 で、さらに個人的な興味を引いたのが、この別邸 二楽荘 建設以前には、須磨 月見山に別邸があったということ。え!これは、カ・リ・リ・ロの出身地 須磨じゃありませんか。掲載されている古い地図を見ると、詳しい須磨の地図もあり、懐かしい地名の数々。と、同時に、一人の知り合いもいませんでしたが、お金持ちたちの大きな家の個人名が列挙。(今の町内地図の広域版)
 で、その須磨の別邸は、宮内省が買収し、今の須磨離宮公園に。・・・・そうか、二楽荘の庭内園芸、離宮公園の大きな庭園。
 また、阪神間から須磨にかけての一帯は、園芸を行うのに最適な自然環境で、公私設の果樹園芸場が多かったとあり、須磨寺周辺に観光客を誘致し、須磨浦公園という遊園地に・・・
 
 さらに、うちの親もお世話になったことのある、須磨浦公園内にある病院も、関係していました。
 ここには、大谷光端の父親の大谷光尊も入院し、見舞いに来た光端は、須磨の地が気に入ったようで、海を見下ろす月見山の地に別荘を。
 本文にあるように、≪山を負い海に臨む須磨は、冬は紀淡海峡から来る海風で暖かく、夏は南北から吹く風で涼しく、空気が清らかで風光明媚な地域≫なので、日本最初の結核療養所が開院されたとか・・・

 なんだか、子どもの頃、慣れ親しんできた場所のことが、この歳になって、近づいてきてくれたようで、嬉しい。
  
 そして、阪神間が≪夏は涼しく、冬は暖かい≫という自然環境を強みとして保養地として開発が進められたというのを読むと、鼻高々・・・としたいところですが、月見山も二楽荘も海を見下ろす、風通しのいい高台にあって、我が生地や以前の住居や現在の住まいは、彼等が見おろした先(下)にあるわけで、今や大きなくくりだけが同じ。

☆写真上は、スイス ブリエンツ湖ギースバッハのケーブル。
下の写真の真ん中辺りに、二楽荘のあった丘が写っています。後ろ、うっすらと雪をかぶっているのが、六甲山。(2012年お正月の写真)

二楽荘12j

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二楽

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(承前)
 「伊東忠太 動物園」(筑摩書房)の写真を見ていて、気になったのが、焼失してしまった六甲山麓にあった二楽荘・・・うーん、この写真は見たことあるぞ、かつて、神戸市東灘区に住んでいた時の広報か何かに載っていたような気がします。海も山も、二つとも楽しめるというところから二楽。面白い発想で、そこに行くためには、専用用ケーブル・カー(軽便鉄道)。
 先日、書いたスイスのホテルも自家用ケーブル・カーで行くところが同じです。➡➡ もとは、資産ある人の別荘だったわけですから、その建物の出自も同じです。ただし、スイスの方は、湖と滝の二楽。

≪来訪者はケーブルカーを降りるとこの世とは思えない光景に迎えられることになる。目の前にはお花畑が広がり、池には蓮が咲き、、その向こうには鮮やかに色どられたインド風の建物が六甲の山脈を背にスックと立つ。そして、一歩足を入れると、これはもうインドのマハラジャの宮殿やアラビアンナイトと見まがうようなインテリア・・・・≫
 これは伊東忠太が直接の設計者ではなく、顧問だとしているものの、建て主の 大谷光端との話し合いでその方向性が決められたといってもいいようで、そのあとに続く、西本願寺の現伝道院(旧真宗信徒生命保険会社)につながります。
 
 と、かつての二楽荘の存在を知ったものの、それって、どの辺だった?・・・ということで、「二楽荘史談」(和田 秀寿  国書刊行会)という本まで借りました。(続く)
☆写真は、スイス ブリエンツ湖 船着き場から自家用ケーブルに乗り、丘の上のホテルへ。

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急の字にちなんだ翼

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(承前)
「伊東忠太動物園」(藤森照信 編・文 増田彰久・写真 伊藤忠太 絵・文 筑摩書房)を見ると、伊東忠太の建築作品が写真となって出ています。
 先日の祇園閣➡➡で写真に撮れなかった、妖怪の抱える廊下の電灯も出ています。(上の写真は、京都祇園閣の入り口から撮った唯一の内部写真ですが、上方にその手だけが写っています。また、この下の写真は、同じく祇園閣前の阿吽の像の「吽(うん)」の像。昨日の一番上の写真、伝道院前の「吽(うん)」の像と比べてみるのも面白い。)
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 さて、別の一枚を見て、思い出した思い出した。昔の大阪 梅田阪急百貨店と阪急電車梅田駅を結ぶアーケードの南端!今や、阪急百貨店はドラマに使われるような新らしいビルになっていますが、かつて、レトロな個所が随所に残る百貨店だったのを思い出しました。
伊東忠太16j
 モザイクの壁画はビザンチンの壁画の技法をベースにしたものらしく、地に金を使い「有翼の獅子」「鳳凰」「龍」「有翼の馬」の四つの図柄。しかも、この中で有翼の馬というのは、珍しいらしく、
≪中国では天馬。ヨーロッパではギリシャ神話のペガサス。と東西両方に空を飛ぶ馬はあるが、中国では赤や茶を名馬とするところから、有翼の白馬はペガサスを意味すると考えられる。すべての動物に翼が付くのは、阪急の急の字にちなんだにちがいない。翼はスピードの象徴でもあるのだ。≫
 ふーん、洒落てる!

 では、筑摩書房から、この本が出版(1995)されてから、その後、解体され、新築されたので、伊東忠太の作品はどうなったの?
 調べたら・・・百貨店内のレストランの天井となっていましたよ。(続く)
伊東忠太15j

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伊東忠太動物園

妖怪j
(承前)
 京都 西本願寺 伝道院の周りを取り囲む守護妖怪の姿が、それぞれユーモラスで、楽しかったので、「伊東忠太動物園」(藤森照信 編・文 増田彰久・写真 伊藤忠太 絵・文 筑摩書房)を読んでみました。
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 中でも、「怪奇図案集」には、数々の妖怪たちが描かれていて、どの子も変な顔!
妖怪4j
そして、後半の「伊東忠太幻獣論集」は伊東執筆で、「化けもの」「狛犬」「馬に関する空想」「龍」「鳳」「麒麟」「狻猊」(*さんげい・・・獅子の別名)「鯱」(しゃち)という文が掲載されています。
 それぞれの歴史的背景が嬉々として書かれ、伊東忠太が、幻獣に心惹かれて(憑りつかれて?)いるのがよくわかります。(続く)
妖怪3j

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