みんなみすべくきたすべく

うそ

かしわばあじさいj
「まど・みちお詩集」(谷川俊太郎編 岩波文庫)
(承前)
「うそ」
≪はなしの かいてんは 
いよいよ いい ちょうしで 
いよいよ スピードを あげ
せんぷうきのように 
すきとおって くるのでした

みんなの 目には
もう むこうに
べろっと でている 
まっかな したのほかには
なにも みえません
で そればかりを
おもしろがって
いっしんに ながめていました≫

 嘘をついている人と、嘘をついていない人の表情に違いがあるのは、真っ赤な舌の有無なのか。二枚舌というのは、向こうに もう一枚べろっとでているものなのか・・・・

 この前も、幼い頃、嘘つきは、どうなるか教えてもらわなかった可哀そうな人たちのことを書きました。➡➡この話は、今や、いろんな分野に広がって、いい年をした大人が、やっぱり、うそをつきつき➡➡ 保身に走る日々。偽物為政者も偽物指導者も・・・・
 救いは、やっぱり、うそを吐けない『人の心』をもった人がいること。
☆写真は、かしわばあじさい

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よかったなあ

スイレンj
「まど・みちお詩集」(谷川俊太郎編 岩波文庫)
 (承前)
 この詩集には、まど・みちおのエッセイと詩が、谷川俊太郎の区分けしたタイトルのもと、掲載されています。
 昨日の「まめ」という詩は、「いま!」という章にありました。それで、その章の最初にあるエッセイの、一番初めの文「動物を愛する心」の冒頭が、これです。
≪この世の中に色々のものがあるのは、みんなそれぞれに、なんらかの意味において、あらねばならないからであろう。この世の中に存在するものあらゆるもの、それはそのあるがままにおいて可とせられ、祝福せられるべきはずのものであろう。この世の中のありとあらゆるものが、それぞれに自分としての形をもち、性質をもち、互いに相関係してゆくということは、なんという大きい真実であろう。路傍の石ころは石ころとしての使命をもち、野の花は草としての使命をもっている。石ころ以外の何ものも石ころになることは出来ない。草を除いては他の如何なるものといえども、草となり得ない。だから、世の中のあらゆるものは、価値的にみん・な平等である。みんながみんな、それぞれに尊いのだ。みんながみんな、心ゆくままに存在していいはずだ。……≫
そして、文末
≪ああ、世の中のありとあらゆるもの、みんながみんな、すべて心ゆくままに生きたいものだ。≫で終わっています。

この文を読むと、まど・みちおがうたい続けた底辺が見えてきます。
「よかったなあ」
≪よかったなあ 草や木が
ぼくらの まわりに いてくれて
目のさめる みどりの葉っぱ
美しいものの代表 花
かぐわしい実

よかったなあ 草や木が
何おく 何ちょう
もっと数かぎりなく いてくれて 
どの ひとつひとつも 
みんな めいめいに違っていてくれて 

(中・後略)・・・・≫(続く)

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サフォ

       マルモッタンj
(承前)
 昨夏から、ドーデ―の短編・長編など、続けて読んだ中に「サフォーパリ風俗」(ドーデ 朝倉季雄訳 岩波文庫)もありました。
 田舎出身の純朴な美青年と、したたかな娼婦の話。落ちていきます。この青年。
 そういえば、この手の話には、「マノン・レスコー」➡➡がありましたね。
 面白いと言えば、面白いのですが、どれもいっしょくたになりそうな、パリの情に溺れる近代小説の一つです。

 ただ、ドーデ―独自のユーモアを感じるのは、彼は、お伽話を身体の中にたくさん持っているのではないかと思わせる場面が、この「サフォ」にも、他の作品にも散見できます。例えば、かの「プチ・ショーズ」では、田園詩劇の朗読と称して一編の「青い蝶の冒険」という寓話を挿話しています。

 そこで、「サフォ」にあったのが、
≪彼女は、クリシー通りで、素晴らしい寝臺の出物を見つけた。それは新しいといってもいいくらいの品で。鬼の七人娘(ペローの童話『拇指小僧』参照)を並んで寝かせることができそうなほど大きかった。≫という表現です。

そうです。なんと、娼婦が選ぶベッドの豪華さと鬼の七人娘のベッドとを繋げてしまうあたり、かなり意味深でもあり、意図的に緩めているとも取れ、面白いと思います。

が、しかし、おやゆび小僧の話に鬼の7人娘なんか出てきたっけ?と思った人は、グリムの親指小僧のお話をよく知っている人。
実は、おやゆび小僧の話が、背丈の小さい男の子が活躍する話だと、わかっていても、フランスのペローのものとドイツのグリムのものでは、ずいぶん違うお話なのです。(続く)
☆写真はパリ、マルモッタン美術館

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兄のジャック母さん

       看板j
(承前)
「プチ・ショーズーーある少年の物語」(ドーデ作 原千代海訳 岩波文庫)には、個性的な人たちが登場します。酷い奴らも登場するものの、最終的にはハッピーエンドになるこのお話には、善意の人も多く登場するのです。

誠意溢れる兄のジャック。ジャック母さんとダニエルは呼んでいます。この言い方自体、甘えてる!しかも、最後は、甘えが過ぎて、取り返しがつかないことになるのに・・・・
ダニエルの文学の道を支えてくれた兄のジャック母さんは、こんな人。確かに、お母さんのようです。
≪ジャックが帰ってくると、部屋の様子が一変した。すっかり賑やかに、いきいきとする。僕たちは歌ったり、笑ったり、その日の出来ごとを話し合ったりした。「よく勉強したかい?」と、ジャックが云う。「詩の方ははかどってるかい?」・・(中略)・・・食べずに残してきてくれた、デザートの砂糖菓子をポケットから出す。そして、僕が一生懸命囓じるのを、楽しそうに眺めるのだ。それから、僕は、また仕事机に戻って行って韻をひねった。ジャックは、二・三度部屋の中を歩きまわる。そして、僕がすっかり仕事に没頭しているのを見てとると、こう云って、逃げ出すのだ。「仕事の邪魔をしてはいけないから、ちょっとあそこへ行ってくるよ。」・・・・・≫

それから、ダニエルの人生に大きく関わることになるジェルマーヌ神父。
プチ・ショーズを文学の世界に大きく引き込んだのも、この人。そして、自殺しようとするダニエル助けてくれたのもこの人。そして、うまい具合に終盤にも登場。
ダニエルが思い余って体操場にあった鉄鐶に、ネクタイをかけ首をくくろうとし、世に別れをつげようとする、そのとき、
≪不意に、鉄のような拳骨が彼を見舞う。胴中をつかまれて、腰掛の下に、両足でしゃんと立たされたような気持がする。同時に、聞き覚えのある、ぞんざいで皮肉な声がこう云うのだ。
「ええ考えじゃ、いまじぶん、ぶらんこをやるなんて!」≫

 自伝的色合いの濃い、「プチ・ショーズ」は、ドーデ―の処女作の長編だからか、全体に洗練されている感じではありません。が、しかし、登場人物の何気ない仕草や会話の臨場感は、かえって、身近で、わかりやすいものでした。
☆写真は、スイス シュタイン・アム・ラインの看板

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プチ・ショーズ

バーゼル駅前j
「プチ・ショーズ --ある少年の物語」(ドーデ作 原千代海訳 岩波文庫)
 昨秋、ドーデーを続けて読んでいた頃、「プチ・ショーズ」も読みました。自伝ともいえる第一部と、脚色された小説の第二部からなっています。

 主人公の「チビ公」と呼ばれるダニエルは、背丈だけでなく、心もなかなか大人になれませんが、少年から青年へと成長する話です。
 
 第一部の少年時代は、一家の再興という大きな夢と希望に向かって進む「チビ公」なので、おもわず「がんばれ」と言いたい。また、小学校教員だったカ・リ・リ・ロには、生徒監督となった年端も行かないチビ公が、やんちゃな子どもたちを前に四苦八苦している様子が手に取るようにわかりました。
 そして、「チビ公」は、本を読み、詩作をするものの、第二部では、どんどんそこから離れて浮世の波に流されていく姿、くわえて、大人同士でも、陰湿ないじめやからかいがあることを、ドーデ―は克明に描いていきます。ただ、第二部になって、なんだか、だらしない大人に近づいていくところは、第一部で、ドーデーのオリジナリティと熱気が溢れてたものから遠ざかり、当時のパリ文学界の趨勢だった作家たちの作品や風潮を意識したもののようにも思えます。なので、個人的には、ちょっと背伸びした構成の第二部より、第一部の方が楽しめました。

 とはいえ、ドーデ―の作品を次々読んでみると、なぜ、ドーデ―が19世紀フランス文学の中で、あまり、重要視されていないのか、よくわからなくなりました。どれも、面白いのに・・・
 フランス文学史を学んだわけではありませんが、ドーデ―が、パリで活躍せず、田舎中心の作品だったからなのか?はたまた、パリの文学界とは距離を置いていたのか?パリのどろどろした人間模様と関係ある?などなど、興味のあるところです。(続く)
☆写真は、スイス バーゼル 駅前緑地

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似たものどおし

アカデミー
(承前)
 ゴッホの手紙には、モーパッサンや、ゾラやバルザックなどの名前を見ることができ、彼が読者家だったのがよくわかります。中でも、お気に入りの一つともいえるのが、ドーデ―の「タルタラン」だと思います。
 
 先日引用した手紙の最後に≪日本的な陽気さとタルタランのばか正直さ≫という言葉が気になります。➡➡
 確かに、タルタランはばか正直で、お人好し。夢を追い、ほら吹きのようだけれど、現実は、有言実行。ちょっと、ピントは、ずれているにしても。
 ん?もしかして、これって、ゴッホにどこか、似てなくもない。
 生真面目で、夢を追うところ。(理想を求めるところとも考えられる。)

 それに、作家のドーデ―。今や、モーパッサンや、ゾラやバルザックほど、日本で名前が知られているわけではなくなってきているのかもしれない作家、ドーデ―。(岩波文庫などの、ドーデ―はすべて再版未定の状態というのも、新たに読む人が居ないことにつながっていると思われる。教科書から「最後の授業」が撤退してからなのかもしれない。)
 ・・・と、日本では、いくつか理由が考えられますが、本国でもドーデ―は、パリのアカデミー・フランセーズに(学士会)の会員になることはありませんでした。
 
 つまり、パリの主流の中に居場所がなかったゴッホとドーデ―。勝手に共通項を見つけるのはおかしいでしょうか。

 また、タルタラン物語の舞台は、スイスアルプスや北アフリカや、南洋ではありますが、実は、タルタランという人物やタラスコンびとを生み出しているのは、ゴッホの居たアルルの北20キロほどのタラスコンという歴史ある町です。
 ここは、パリから離れてはいるものの、フランスの誇りを失わない、とはいえ、かなりフランス語はなまっている(独特のフランス語:イタリア近い)場所です。つまり、パリからは田舎者扱いされている町。ドーデ―は、アルルやタラスコンに近いニームというところ(ローマ軍が居たという)出身ということで、気位の高いフランス学士会と、うまく行かなかったところがあるんだろうなぁ。
 同じように、パリに居場所がなかったオランダ人のゴッホが、タラスコンに惹かれたのも、当然の成り行きかと思うのです。
 そこで、先のタルタランのばか正直さという言葉につながっていくのではないかと、考えてみるのです。
 タラスコンのタルタランに見つけたのは、 洗練さとほど遠い生き方に接点があったような気がします。

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
☆ パリ ルーブル美術館から、橋向こうのフランス学士院を望む。この写真は、2014年に、「マドレーヌといぬ」のところで使っています。➡➡

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うぬぼれ

ゴーギャン描く
(承前)
 ゴッホの弟テオに宛てた多数の手紙の中で、ゴッホがゴーギャンに対して、大いになる愛を捧げようとしているのが読み取れます。それは、画家としての尊敬の気持ちであっただろうし、人間の慈愛や誠意といったもの大きな情愛だったかもしれません。また、そこには、思い込みが強いゴッホも読み取れます。
 
 テオへの手紙で、再三再四、ゴーギャンの現況を聞き、アルルで共同生活するのがゴーギャンにとっても最良だと、何度も手紙に書くのです。
 結末を知っている者には、ゴーギャンへの片思いが、その文の中にあふれているのに胸が痛くなります。
 やがて、弟テオの援助もあって、ゴーギャンとの生活が始まります。それがきまったときのゴッホの喜びや今後への思いが、熱く手紙の中で語られます。そして、密かな思いを弟には吐露しています。
≪・・・じつは僕にもゴーガンによってある程度の印象を与えてやろうというぬぼれがあるし、それには彼が来る前に、ひとりでできるだけの仕事をしておきたいということ以外僕には考えられないのだ。彼が来れば、僕の手法にも変化が起きるだろうし、それはそれで成功すると思う。≫
・・・・・と、書いた後、同じ手紙の中で、ゴッホはこうも書いています。
≪もしゴーガンが、グービル商会に対しては公式に、君に対しては友人としてまた債務者として個人的に、その絵を渡してくれるなら、それと引換えにゴーガンはこのアトリエの主宰者となって思う通りにお金を使い、できればベルナールやラヴェルに絵の交換で援助してやることもできるだろう。僕は僕で、百フランと僕の分の画布と絵具代と引換えに習作を渡すことにしよう。とにかく、ゴーガンが僕たちといっしょになってこのアトリエの主宰者だという自覚を持てば持つだけ、それだけ早く彼の健康も回復するだろうし、ますます熱心に仕事をするようにもなるだろう。それに、このアトリエが完成し、整備されてここに立寄る連中に利用できるようになればなるだけ、彼にはいい考えが浮ぶだろうし、それを活々と表現する野心も湧いてくるだろう。≫

 おい、おい、ゴーギャンの方が年長者だとはいえ、どこまでお人好しなんだ?
 牧師の息子で、一時は聖職者を目ざしたような生真面目なゴッホと、船乗りだったこともあり、株式仲買人だったこともあるしたたかさも感じられるゴーギャン。
 さらに、ゴーギャンの南洋での生活や、帰欧してからの妻たちの年齢を知ると、ゴッホとの、人間を見る目の差異を感じます。(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

☆写真は、ゴーギャンがゴッホを描いたものですが、これを見て、ゴッホは「これは確かに私だ。でも気の狂った私だ。」といい、狂人として描かれた1枚の絵によって、ゴーギャンから「レッスンを受けた」という屈辱感は、ゴッホの精神の限界を越えこの絵が完成した晩に、ゴッホはゴーギャンの頭にコップを投げつけ、翌晩、自分の耳を切り落とした。(参照:岩波世界の巨匠・ゴーギャン「ひまわりを描くファン・ゴッホ」)
☆右下絵葉書は、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館の「ひまわり」

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眼尻は日本風に少し釣り上げた

ゴッホからゴーギャンへ
(承前)
 ベルナールの自画像➡➡、ゴーギャンの自画像➡➡は、もともとゴッホが、それぞれの肖像画を描いてほしいと依頼したものでした。が、ベルナールやゴーギャン、そして、もう一人肖像画を依頼したとするラヴァルの間で、アルルに居るゴッホの知り得ない緊張感があったため、結局、自画像になったとされています。

ゴッホがベルナール宛(「ゴッホの手紙」上巻 岩波文庫)に書いた手紙には、そのお礼の言葉があります。
≪ゴーガンと君の絵を受取った。これでほっとした。二人の顔をまのあたりにして心の暖まる思いだ。君の肖像画はとても気に入った。君の描くものはみんな好きだ。繰返すまでもないが、おそらく僕ほど君の描くものが好きな人間はいないだろう。肖像画をうんと勉強することを勧める。たくさん描くといい、そして途中で投げ出さないことだ。僕の考えでは、将来われわれは肖像で大衆を捕えなければならない。だが今は仮定の議論に脱線するのはよそう。≫

が、弟テオに宛てた手紙(「ゴッホの手紙」中巻 岩波文庫)には、こんなふうに書かれています。

≪ちょうど今、ゴーガンの自画像とベルナールの自画像を受け取ったところだ。ベルナールの自画像の背景にはゴーガンの肖像がかけてあり、ゴーガンのもまたその反対になっている。ゴーガンのももちろんすばらしいが、僕はベルナールのがとても好きだ。それは画家的な考えしか感じないもので、簡略な調子と、黒っぽい線でまとめられ、ちょっと粋で本物のマネそっくりだ。ゴーガンのはもっと探求して、深く突込んでいる。
 これは彼も手紙で言っていることだが、この肖像は何よりもハッキリ囚人を描いた感じを与える、陽気なところは影さえない。皮膚の感じは全然ない。でも、大胆に、彼が憂鬱なものを表現しようと計算したとも解せる。陰になった皮膚の部分が痛ましいほどの青になっている。(中略)

僕はゴーガンへの返事でこう書いた。肖像画で自分の個性を誇張することが僕にも許されるなら、僕は自画像の中に単に僕自身だけでなく、全般的な意味の一人の印象派画家、永遠の仏陀の素朴な崇拝者で或る坊主でもあるかのようにこの肖像は考えて描いたのだ、と。(中略)

 僕の肖像画はゴーガンに送るが、彼は手放さずに持っていてくれるだろうから、君もそのうちに見てくれるだろう。それは全体の灰色と淡いヴェロネーズ緑(黄色は入れない)が対照になっているものだ。服は例の青い縁取りの茶色の上衣だが、僕はその茶色を真紅にまで誇張し、青い縁取りの幅もひろげた。頭は明るい厚塗りで形づけ、ほとんど影のない明るい背景に相対している。ただ眼尻は日本風に少し釣り上げた。≫(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
☆写真は、ゴッホがゴーギャンに送った自画像。

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芸術の基礎である建築

ゴーギャンj
 (承前)
 ベルナールは、印象派について、何度か言及するのですが、ここでは、「芸術は抽象である。線は抽象の最初のもので、自然のなかにはない。」といった後に、興味深いことが書かれてありました。
≪芸術の基礎であるーー建築はーー線によってしか表現されないし、おそらく建築のなかにこそ最大の美が眠るのであろう。≫
このあと、延々と彼の芸術論が続くのですが、画家自身が、「芸術の基礎である建築」と言い切るところが面白いと思ったのです。
 
 そこで、ーー比べるのも おかしいのですがーー
先日、甥が建築の大学院に合格したとき、工学部出身の夫は、
「工学部でも、電気工学はElectrical Engineering 化学工学はChemical Engineering 機械工学はMechanical Engineering  土木工学はCivil Engineering と、どれもエンジニアリングとつくのに、建築だけは、Department of Architecture というんやから、特別やねんで」と、嬉しそうに言っていたのを思い出します。
 
 ま、ベルナールの論とは、なんのつながりもなく、単に、建築をもっとしっかり「みる」と、思ったに過ぎない程度です。

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)


☆写真は、画面大きく自画像を描いたゴーギャン。昨日のベルナール➡➡を右隅っこに肖像画として掲げていますが、すごくテキトーな感じがします。この写真に使った画集(岩波 世界の巨匠)では、この自画像のタイトルを自画像「レ・ミゼラブル」としています。ゴッホ宛てのこれら二枚でへのゴッホの感想は・・・(続く)

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ベルナール宛

ベルナールj
(承前)
 「ゴッホの手紙」は3冊からなっていて、一巻目(上)はゴッホから、ベルナール宛のものです。ベルナールの作品(「ポンタヴェンの市場」)は、東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日 )➡➡、京都国立近代美術館(2018年~3月4日)➡➡ にも、来ていました。

 ベルナールは、ゴッホと、同時代の画家仲間の一人で、ゴーギャンとも一時、親しかった人です。
 三巻読了すると、このベルナール宛のものが、他の弟テオ宛てのものとちょっと様子が違うのが分かります。
 片や身内ということ、片や仲間=ライバルでもあることから、やはり、論じる方に近いものとなっています。もちろん、その分量も違い、ベルナール宛という岩波文庫上巻は、ゴッホからの手紙(22通)より、ベルナールがそれを編集した時の序文などに半分が割かれ、ゴッホの手紙とベルナールの芸術論といった様相です。
 
 ベルナールの書いた言葉には、いつくかの印象に残るものがありました。例えば、
≪学ぶとは、「物をみる」謂であり、「ものを観る」とは、美しいものを毎日解体してゆくことである。というのは、ものをよりよく見つめれば見つめるほど、今まで無邪気に眺めていたものの姿は消え、それは人間の貴い智慧と入れかわるからである。≫
・・・・個人的に、わかったような気がするのは、学ぶとは「物をみる」謂(いい)であるというところだけかもしれませんが、この絶妙な訳➡➡が、そのあと、3巻読み通す原動力になったような気がします。(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
☆写真は、ゴッホがベルナールとゴーギャンに、それぞれの肖像画を描くように依頼したものの、できたのは、それぞれの自画像で、壁に相手の肖像画が掛かっています。なので、左がエミール・ベルナールの自画像で、中央の肖像画はゴーギャン。
 

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