FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

コケの自然誌

こけ5j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本には、ネィティブアメリカンの深い考え方だけでなく、ユーモアにあふれる研究生活も描かれていて、コケと我々の間を狭めてくれたような気がします。
 また、かつては、おむつの代わりをしていたとか、生理用品の代わりでもあったという箇所を読むと、この学者の女性としての視点も見え、納得もできました。

 あるいは、「人工のコケ庭園」「コケ泥棒と傍観者」という章では、現代のアメリカ合衆国のコケへの姿勢に疑問を呈し、コケが身近にある日本とは違う価値観を知ることができました。が、これらは、アメリカの農業における遺伝子組み換え問題や農薬などなど、小さなコケが示す大きな問題にもつながるかと思いました。

「人工のコケ庭園」という章の最後で、筆者は、人工のコケ庭園の敷地のはずれに行きます。すると、
≪敷地の境界は、鹿やその他の動物が侵入できないように、外に向かって角度をつけた四本鎖の電気柵で仕切られていた。策の下の地面一帯はすべて除草剤が撒かれ、植物はすべて枯れてしまっていた。シダも、野草も、灌木も、木も、幅3メートルあまりの帯状に排除されていたのだ。何もかも枯れてしまった――コケ以外は。化学薬品の影響を受けないコケがその場所を占領し、コロニーが集まって、無数の緑色から成るものすごいキルトを作っていた。…≫

 「面白いから読んでみて」と教えてもらい読んだ本です。そのバトンを次につなぎます。「面白いから読んでみて」

☆写真上は、スイス ミューレン。 コケを意識して撮った写真ではないのですが、複数のコケが写っていて、ちょっと嬉しくなりました。写真下は、近くの公園。

コケ1j

PageTop

コケの強み

こけ4j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 「コケの自然誌」が面白かったのは、何もネィティブアメリカンの考え方に触れたからだけではありません。著者のコケに対する愛情が、苔の素人にも伝わり、興味深かったからでもあります。

≪コケが小さいのは、上に伸びるのを支える器官をもたないからだ。・・・・・木が高くしっかりとそびえるのは、維管束組織があり、木部組織が張り巡らされ、壁の厚い尿細管細胞が木製の配管設備のように木の内部に水を運ぶからだ。コケは最も原始的な植物で、そういう維管束組織を持っていない。その細い茎は、あれ以上伸びれば重さを支えられないのだ。・・・・けれども、小さいからといってそれは失敗したことにはならない。コケは、どんな生物学的尺度で見ても成功している――地球上、ほとんどすべての生態系にコケは存在し、その種類は2万2000にのぼるのだ。・・・・コケは表面に生息する。岩の表面、樹皮、倒木の表面など、地面と空気が最初に出会う小さな空間だ。空気と地面が出会うこの場所のことを、境界層という。コケは岩や倒木と片寄せあって生えており、その形や特性をよく知っている。小さいということが不利であるどころか、コケはそのおかげで、境界層の中に形作られた独特の微環境をうまく利用することができるのだ。≫

 個人的には、小さいものの味方をする考えが好みなものですから、納得しながら読みました。そして、コケの湿った葉が二酸化炭素を容易に吸収できること、コケは、他の植物がその大きさゆえに生息できない空間を自分の場所とするなど、コケの小ささ、その限界こそがコケの強みだというのです。パチパチパチ(拍手)

 そして、≪コケは水分の98パーセントを失っても枯れず、再び水分が補給されれば、元の状態に戻る。≫とし、標本キャビネットで40年脱水状態にあったコケのことを紹介しています。ここを読んで、また納得。我が家のプランターでさえも以前の家から付いてきていましたからね。(続く)
☆写真は、スイス アルメントフーベル。点在する岩の表面やその割れ目にコケが生えているのが見えますか?

PageTop

その名前を知ることが第一歩

こけ3j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本の底流を流れるネィティブアメリカンの哲学は、現代の人に重く響きます。
≪…(現代の)私たちはもはや植物の名前すら知らない。平均的な人が知っている植物の名前はせいぜい12、3種類で、しかもその中には、「クリスマスツリー」などというものが含まれていたりする。名前を忘れるというのは敬意を失うことに繋がる。植物との繋がりを取り戻すには、その名前を知ることが第一歩だ。≫

 ここで思い出すのが、シオドーラ・クローバー『イシ-北米最後の野生インディアン-』 (行方昭夫訳、岩波)『イシ-二つの世界に生きたインディアンの物語-』(中野好夫・中村妙子訳、岩波)
 ネィティブアメリカンの最後のヤヒ族といわれる「イシ」ですが、自分の名前をみだりに他人に告げることはない種族でした。白人学者に協力し穏やかな半生を過ごすものの、そのあとの解剖だとか博物館との関わりを考えると、上記でいう、名前と敬意という奥の深い問題を、「イシ」は知っていたのだとわかります。・・・・「イシ」も読み返さなくちゃ・・・・あーあ、またつながっていく。

閑話休題。
≪ ネィティブアメリカンの人々は、大きいものも小さいものも含めた植物が、再び人間に恵みを与える責任を果たしてくれたことに感謝をささげるために集う。…・口頭伝承から学べること。書かれたものの中から学べること。植物から学べること。そして、私たち人間もまた、私たち自身が果たすべき役割を意識してもいい頃だ。互恵というクモの巣において、私たちが持つ特別の力、お返しに私たちから植物に差し出せるものとは何なのだろう。
  人間の役割とは、尊敬することと管理すること。生命を寿ぐ形で世話することが私たちの責任であると。植物を利用することは、その性質に敬意を表すことである、と私たちは教わる。・・・・・・・≫

 ああ、この本は、かつて「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン文 上遠恵子訳 新潮社)「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹 簗一訳 新潮文庫)➡➡を初めて読んだ時と同じくらいの重さと深さを目の前に差し出してくれました。(続く)
☆写真は、スイス ギースバッハ

PageTop

求めているものが姿を現す

こけ6 (2)j
 「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)は、科学の本ですが、文芸の本のような匂いもする面白い1冊でした。

 一昔前のカ・リ・リ・ロなら、過日の「英国貴族、領地を野生に戻す」➡➡や、「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)➡➡ 「動物たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた野生の声」(ペーター・ヴォールレーベン 本田雅也訳 早川書房)➡➡、そして、今回の「コケの自然誌」など、書評に出ていても、友人に勧められても、なかなか手を出さなかったような本です。
 
 ネイティブアメリカン ポタワトミ族出身で、科学者の彼女のコケ愛が詰まった本です。
 知り合いの長老に、何かを見つける最良の方法はそれを探しに行かないことだと、言われます。科学者である彼女にとって、これは難解な概念ながら、さらに目の隅で見ること。可能性に心を開くこと。そうすれば求めているものが姿を現す。と教えられます。

  ネイティブアメリカンのものの考え方では、≪すべての生き物にはそれぞれの役割があり、生き物はそれぞれ、特有の才能と知恵、魂、物語を生まれながらにして持っている。…自分の中にあるそういう賜を発見し、それを上手に使うことを学ぶ、ということが教育の根幹にある。こうした賜にはまた、それを手段として互いのために尽くす責任がともなっている。・・・・≫

 なんて深い考えかたなのでしょう。この根幹のところを押さえている者が、為政者となり、教育を司る者となるならば、地球上に住むあらゆるものは、危機から縁遠いはずなのに・・・(続く)
☆写真は、先日の天神山➡➡のご神木

PageTop

鼠どもを呼びさまし・・・

     シヨン城j
(承前)カミュ「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)
 ペスト禍や疫病禍は、どの作家を以てしても、不条理な現実だったと言えるでしょう。
 ただ、デフォーがロンドン、マンゾーニがミラノ、シュティフターがオーストリア、カミュがアルジェリアを舞台にした疫病の話で、各国にこうして話が残っているのに、日本では、さほど大きな形で残っていないのは、なぜなんだろう?と考えます。(個人的な勉強不足を棚に上げていますので、現代の文学ではなく、日本でも大きく伝わる文学があるなら知りたいと、思っています。)
 地震や他、天災に苦しめられてきたほど、大きな問題ではない?疫病のことを書き残すなんて、それこそ厄?
 それって、文書記録がない、処分したなどと言う、現代の一部の大人の言い訳の歴史の一端でもある????

  カミュの「ペスト」も最後を迎えます。
それは、鼠がまた、走りまわるのを見たところから始まります。鼠の大量死から始まり、鼠が走りまわっているのを≪それこそ楽しくなるようだ≫と。

 で、病疫は退潮。終息に向かい、町はロックダウンから解放。が、身内や友人の死・・・
≪事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅かされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることしっていたkらである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。≫

☆写真は、スイス シヨン城 バイロン「シヨンの囚人」にうたわれた宗教改革者が実際に幽閉されていた場所。

PageTop

本質的なものに帰らねばならぬ

ノートルダム十字架j

(承前)カミュ「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)

加えて、神父が延々と説教する場面があります。

≪・・・・神父はさらに豊かな潤色をもって、災禍の悲壮なイメージを語り続けた。・・・・・(中略)・・・・・・こういう次第で、あなたがたの来ることに待ち疲れたもうた神は、災禍があなたがたを訪れるに任せ、およそ人類の歴史なるものが生まれて以来、罪ある町のことごとくに訪れたごとく、それが訪れるに任せたもうたのであります。あなた方は今や罪の何ものたるかを知るのであります。--カインとその子らがそれを知ったように、洪水以前の人々が、ソドムとゴモラの人々が、ファラオンとヨブとまたすべてののろわれし者どもがそれを知ったように、知るのであります。そしてこの町があなたがたとこの災禍を閉じこめて囲いを閉ざした日以来、あなたがたはちょうどすべての人々がしたように、一つの新たな眼を生き物や事物の上に向けているのであります。あなたがたは今こそしてついに、本質的なものに帰らねばならぬことを知ったのであります。・・・・≫

 また、後半で、一人の少年が、ペストでもがき苦しみ亡くなります。医者のリウーは、≪まったく、あの子だけは、すくなくとも罪のない者でした。≫と激しく叩きつけるように、神父にいいます。神父は≪それはわかります。まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはわれわれの尺度を越えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです。≫すると、医者リウーは、身のうちに感じえたかぎりの力と情熱をこめて、神父の顔を見つめ、頭をふります。
≪そんなことはありません。僕は愛というものをもっと違ったふうに考えています。そうして、子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません。≫

 結局、神父自身もペストで亡くなってしまいます。
 不条理を受け入れること・・・これは、大きな課題です。解決しない課題でしょう。(続く)

☆写真は、パリ 火災以前のノートルダム寺院の上にあった十字架。

PageTop

抽象だって相手にしなければならぬ

      ノートルダム2j

 「ペスト」関連で、 デフォー➡➡、マンゾーニ➡➡、シュティフター➡➡の次に読んだのが、このカミュの「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)です。
 どの本も、現在のコロナ禍と似通う場面が多々あり、どの本もいつの時代?と思いながら読みました。このカミュは、ノーベル文学賞作家だからか、不条理作品の作家だからか、どの本の中でも、一番現代に近いからか、個人的には、一番読みにくい。

 デフォーは、ジャーナリストでもあったので、事後報告の面があり、マンゾーニは、ペストは、話の一部に過ぎなく、シュティフターのは、子どもに語り聞かせる話だったから、カミュより、読みやすかったのかもしれません。それに、シュティフターは他のも次々読みたくなったのですが、カミュは、これでもういいかもと思いました。読解力がないからだと考えます。

≪・・・・ややあって、医師は頭を振った。あの新聞記者の、幸福へのあせりは無理もないことだろうか?「あなたは抽象の世界で暮らしているんです。」ペストが猛威を倍加して週平均患者数五百に達している病院で過ごされる日々が、果たして抽象であったろうか。なるほど、不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかって来たら、抽象だって相手にしなければならぬのだ。・・・・≫
≪ペストというやつは、抽象と同様、単調であった。≫

『抽象』という言葉が、抽象的なので・・・・手強い。相手にしなければならないけれど。(続く)

☆写真は、パリ 火災より以前のノートルダム寺院が向こうに・・・

PageTop

ピュラモスとティスベ

      マルベリー4j
(承前)
 マルベリーを摘むと、手が赤く(赤紫)になってしまうのですが、これは「英米文学植物民俗誌」(加藤憲市著 冨山房)によると、ピュラモスとティスベの悲恋物語につながるようです。
 ≪ピュラモスとティスベ、双方の親は二人の仲を許さなかった。あるとき、ニノス王の墓近くのマルベリーの木陰で会うことを約束。ティスベーが先に来てみると、折しもライオンが殺したオウシを貪り食っていた。驚いたティスベーは、外套を脱ぎ落したまま逃げ去ったが、後から来たピュラモスが、鮮血で染まった外套を見て、てっきり恋人が食い殺されたと思い、絶望のあまり、その木陰で自殺する。ティスベーが戻ってみると、ピュラモスが倒れているので、自分もその後を追って身を果てた。そのマルベリーの木は二人の混じりあった血を吸って、それ以後、その実は真っ赤な色に染まったという。≫

 ふーむ。これは、さながら、シェイクスピア!ロミオとジュリエット➡➡じゃありませんか!

 この話は、オウィディウス「変身物語(上下)」(中村善也訳 岩波文庫)四巻にあります。カ・リ・リ・ロは、この「変身物語」をとても、楽しんでいた時期があって、この話の欄外に「桑の実」や「ロミオとジュリエット」等とメモしてました。忘れてるなぁ・・・・

 「変身物語」にあるのは、無類の美青年ピュラモスと『東方』第一の美女ティスベの話で、バビュロンの都を舞台としています。親たちの反対に合うものの、二人は、両家を隔てる壁の細い裂け目を通して語り合い、恋はつのっていきます。ある日、二人はこんな取り決めを交わします。
≪夜のしじまが訪れたら、見張りの目をかわして、門の外へ抜け出すことにしよう。家を出たら、そのまま町はずれまで行こう。広い野原に出ることになろうが、そこではぐれたりしないように、ニノス王の墓で落ち合い、木の陰に隠れていることにしよう―――そういうことにしたのです。じっさい、そこには、真っ白な実をいっぱい垂らした木が―――高い桑の木だったのです―――冷たい泉のそばに立っているのです。≫

 夜陰に乗じて、ティスベはヴェールで顔を隠し約束の場所に行きます。その時、牛を食い殺したばかりで口を血だらけにした雌獅子が泉の水で渇きをしずめようとやってきます。驚いたティスベはヴェールを落とし、暗い洞穴に逃げ込みます。泉で渇きをいやした雌獅子は、落ちていたヴェールを見つけ、血だらけの口で引き裂きました。それで、遅れて家を出たピュラモスは、その引き裂かれ血に染まったヴェールを見つけ、嘆き、後追い自死。その際、吹き出した血は、桑の実をどす黒く染めます。根も、血を吸って、垂れ下がる実を赤く染めました。恐怖を抱きながらも洞穴から出てきたティスベは、先の桑の木と様子が違うと思いながら近づくと・・・
 それで、ティスベは、最期に願います。
≪・・・・この桑の木にもお願いが…。今は、みじめなひとりのなきがらを、枝の下に隠しているけれど、もうすぐ、ふたりのからだを覆い隠してくれましょうか。これからは、わたしたちの死の形見に、いつも、嘆きにふさわしい黒い実をつけてほしいの。ふたりの血潮の思い出にね。≫

☆写真は、我が町の庭木のマルベリーを発見。 黒くなって食べ頃ですから、鳥が食べに来てました。カ・リ・リ・ロも、一粒持って帰って食べました。    
                マルベリー20

PageTop

月やはるか遠くの星たちからふり注ぐ冷たい光

テムズ12
(承前) 
  アトリーの評伝➡➡は、二段組みで400ページ以上もある、大作です。が、今、先日来 書き続けたポターとその周りのことを書いているときと、ずいぶん、気分が違います。前向きに、自然のこと、子どものこと、作品のことを考えて生涯を閉じたポターを思い書くことは、時も場所も何もかも離れたここにいる者にとっても、力を与えてくれた時間でした。
 が、アトリーのネガティブな思考に寄り添うことは、なかなか大変でした。

 ただ、個人的には、愛する息子が、結婚し、住み続け、自死したのは、かのガーンジー島➡➡ ➡➡で、過日見た映画や、読んだ原作を思い出すきっかけとなりました。
 また、評伝には、デ・ラ・メアとのよき交流についても少し出てくるし、ファージョンとの交流も、ほんの少し出てきます。(ここで、デ・ラ・メアやファージョンに深入りすることはやめておきます。)

 さて、アリソン・アトリーの書いた児童文学「時の旅人」(小野章訳 評論社/松野正子訳 フェイス・ジェイクス絵 岩波少年文庫)のことは、またいつか書くとして、この評伝で見つけたアトリーの一文を引用して、アトリーの評伝から離れます。
 評伝の著者デニス・ジャッドはいいます。(この一文は、)≪亡き友人のウォルター・デ・ラ・メアの特徴をよく分析しており、同時にそれはまた、アトリー自身の墓碑銘にも相当するものである。≫

 以下、チャールズ・タニクリフ➡➡の挿絵によるアトリーのエッセイ集「Seacret Places」(1972年)の中にある「ウォルター・デ・ラ・メアの詩」
≪ウォルター・デ・ラ・メアの不変なる魅力、そして能力とは、人生におけるあらゆる諸相に対する興味、またその新しい刺激と交流がもてることにほかならない。彼は、とてつもなく大きな好奇心をもっていた。それに、まるでかわり映えしない代物を明るく照らしだす灯火と電光をもっていて、そこに、美を与えている――というよりも、彼は、その美をこちらに示し、これまで気がつかなった繊細なる複雑さを私たちに教えてくれている。そこではじめて、私たちは、あたかも、かのアダムがエデンの園で花や生き物を眺めたように、その事物の真価と出会うことができるのだ。そのとき、これらのものに注がれる光は、やさしい黄色の蝋燭の光、あるいはまぶしい虹のスペクトル、または、月やはるか遠くの星たちからふり注ぐ冷たい光のようである。≫
☆写真は、英国 オックスフォード テムズ上流

PageTop

安全な世界

とげj
(承前)
 アリソン・アトリーは、マーガレット・テンペストの挿絵をやめ、友人のキャサリン・ウィグルズワースを起用するのですが、この人のご主人ウィグルズワース博士とも摩擦がありました。日記には、≪退屈で、冷たく、不作法、…鼻持ちならない人≫としています。また、決定的だったのは、ビアトリクス・ポターのまねだと、からかわれた としています。
 ま、とにかく、「子ぎつねルーファス」などの挿絵はキャサリン・ウィグルズワースでした。(リトル・ブラウン・マウスシリーズの一部は、後にフェイス・ジェイコブスに変わっています「兄さんネズミがさらわれた!」「子ネズミきょうだい町へいく」(まがたようこ訳 偕成社)➡➡  

 アリソン・アトリーの作品は、数多くあるため、挿絵画家もたくさんの人と組んでいます。絵も描けたビアトリクス・ポターと違って、文のみだったアトリーは、自分の頭に描いたものと、実際に画家が描いたものの差や、自分の思うとおりにならないことににいらだつことが多かったのではないかと思います。

 が、しかし、彼女の書いたイギリスの自然描写表現は、目に見えるように繊細で心に届くものが多いと思います。それは、≪自然の中に深い慰めを見つけるという能力を持った≫アリソン・アトリーならではのものでした。

≪いつまでも変わることのない、緑に囲まれた子ども時代のあらゆるものが、心の眼のなかに浮かんできて、私は、自分の生まれた、あのえんえんと続く丘の連なりのうちに、再び生き始めるのだ。どこにいても、私はこの愛する場所に似ているところを無意識のうちに探し求めていた。≫

そして、晩年、アトリーは、次のように書き残しました。
≪子どものためのお話というものは、たとえ、どんなに幻想的なものであっても、その背後には真実がなくてはいけない。・・・・(中略)・・・私は、それぞれの物語のなかに、自分が子どものころ耳にした伝説や格言、金言のきれはしなど、必ず何かを隠しこんでいる。道徳性は、絶対に必要。子どもの世界は、よいものが悪しきものに打ち勝つという、安全な世界であるべきなのだ。・・・子どものための作家とは、そこに注意を怠らずに・・・安心感を与えてやらなければならない。・・・・だから、私は子どもたちを・・・本当の恐怖のない――あるとしても、それは乗り越えられる、そんな世界へと導いてやるのだ。≫(続く)

☆写真は、英国 オックスフォード テムズ上流 ブラックベリーの凄い棘!見えますか?

PageTop