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みんなみすべくきたすべく

ゴッホの糸杉

     糸杉3
(承前)
 「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)➡➡からゴッホの糸杉につながったのですが、となると、やっぱり、「ゴッホの手紙」➡➡でしょうか。
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

以下、弟テオに宛てた(第596信 1889年6月25日)です。 参考: *1888年12月23日 耳を切り落とす *1890年7月29日没

≪いつも糸杉に心をひかれる。ひまわりを扱ったように描いてみたいのだ。まだ僕が感じているように描いたものを見たことがないのだ。線が見事で、ちょうどエジプトのオベリスクのような均衡を備えている。それにその緑の質が非常に上品なのだ。陽の照った景色のなかでは、黒い斑点になるが、その黒い調子は最も興味のあるもので、正確に捕えるのがとてもむつかしいと思う。しかし、ここでは「青に対して」、もっと具体的に言えば「青の中」において見なければならない。当地の自然をつかむには、どこでも同じだが長く滞在することが条件だ。・・・・・・≫

 と、ゴッホは糸杉の緑の質の上品さを捉えています。ところが、「僕が感じたように描いているのを見たことがない」と言い切るゴッホの感じた深いものは、何だっだのでしょう?この手紙が書かれた時期が、耳切り落とし事件の後で、結局、亡くなるまでの間だったことを考えると、ペルシャでは、「陽」の象徴としてある糸杉、英文学では、「死」のイメージに近い糸杉、そして、明るい日射しの中のプロヴァンスの糸杉。そして、ゴッホの晩年の目。・・・・・なかなか興味深いことです。

 さて、もう一つ、個人的「糸杉」考のおしまいに、英国詩人ブラウニングの詩「好みについて」の糸杉・・・・この詩の糸杉が、英国とペルシャの糸杉の中間地点にあるような気がするのですが、どうでしょう。ちなみに、ブラウニングはイタリアに移住したり、晩年ヨーロッパを渡り歩いたり、最後は、イタリアで客死。

≪そこでは焼けつく陽光に蝉は干上がって死んでしまうし、
一本の木ーー糸杉ーーが、
数百年の年月に赤錆色となり、
ざらざらした鉄釘のような葉を繁らせ、
熟れた実をいっぱいつけて、
すっくと立っている。≫
「対訳 ブラウニング詩集」(富士川義之編 岩波文庫)

☆写真は、ゴッホ「糸杉」(岩波美術館 テーマ館第9室「木と草花」)と右下は「ゴッホの手紙 下」(岩波文庫)

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英文学の糸杉

糸杉2
(承前)
「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)に次々出てくる「糸杉」でしたが、ゴッホの描いた糸杉のイメージとずいぶんと違う。

 ペルシャ伝説では、明るいイメージの糸杉も、「英米文学 植物民俗誌」(加藤憲市著 冨山房)では、どう書いてあるかというと・・・

≪代表種は地中海東部やペルシャに多い。イギリスにもあるが、湿度と寒さで育ちが悪い。≫とありました。
≪材質が固く耐久性があり、虫に食われないないので、古くは家具のほか、棺をつくるにも用いた。≫
で、シェイクスピアの十二夜を引用しています。
『来たらば来たれ、死よ。そして弔いのイトスギ棺に納めておくれ。』

また、古代から、神殿の柱や笏や杖、槍などの武器まで、この糸杉で作ったとあり、この木の芳香は空気を清めるといって、古くは肺病によいとされていた、ともありました。

ところが、こんもりと小暗く茂らせるので、暗い沈うつな死を連想させるというし、実を結ばない事や、ひとたび切られれば再び発芽しないとも言われていたようで、死の象徴として、墓地に植えられたり、喪の象徴として葬儀にも使われたようです。

うーん、ずいぶんと、ペルシャ神話と違うなぁ…と、思っていたら、ありました、ありました。
≪Zoroaster ゾロアスターが天国から持ち帰った若枝から、ひろまった≫
そして、俗に、糸杉の種を食べれば、永遠の体力・健康・若さを保ち、その実は、出血を止め・・・ともありました。

「英米文学 植物民俗誌」では、花言葉は、死、悲嘆、永遠の霊魂.。
あるいは、「英文学植物考」(加藤さだ著 名古屋大学出版)によると、花言葉は死、服喪、絶望。

で、もう一つ、「英文学植物考」に引用されているクリスチナ・ロセッティの「歌」という詩には、
≪私が死んだ時、愛しい方よ、
わたしのため、悲しい歌は歌わないで。
枕頭にばらの花など植えないで、
また影深いいとすぎも。≫

・・・ということで、英文学における「糸杉」とペルシャ神話の「糸杉」、ずいぶんと違う捉え方ですが、プロヴァンス地方やオランダ人ゴッホの捉え方は、どうなんでしょう。(続く)

☆写真は、ゴッホ「糸杉のある麦畑」(岩波 世界の巨匠ゴッホ)

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ペルシャの糸杉

糸杉
(承前)「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫) 
「王書」には、何度も「糸杉」が出てきます。今まで、読んだどんな本より、たくさん出てきます。
 三人兄弟➡➡のところで、紹介したように、イラン王国の王座についた三男のイーラジの妻の名前はサヒー(健やかな糸杉
 「王書」の中の糸杉は、ただ背の高い形容だけでなく、品格までも含んでいるように思います。

たとえば、
*蛇王ザッハーク王(在位1000年)の夢では、王者の木から突然3人の勇者が現れます。それは、二人の年長者を両脇にしたがえた一人の若者で、身丈は糸杉のように高く健やか、そして王者の風貌をしている。

*フェリドゥ―ン王(在位300年)は、すこやかな糸杉のように丈高く、王者の威光に輝き・・・

*イエメンの王は多数の人民の首長、その影をひろく遠くおとす糸杉である。

*一人は麗しの娘ルーダーベ、もう一人は分別も愛情もある妻のスィーンドフトである。二人とも春の花、頭から足の先まで色と香と絵のような美しさにあふれる装いをこらしているが・・・父王は娘ルーダーベのまえで立止まり、その美しさに驚いて彼女の上に神の祝福あれと祈った。糸杉の身丈に月の顔をおいた姿を父は見たのだが、その頭には竜涎香の冠(漆黒の髪)を戴き、それはさながら天国のように美しく錦と宝石で飾られている。

*侍女のうち一人が続ける。「おお、糸杉のようなお方、誰にもこのことを知られないように気をつけてください。・・・」

*それまで稔りのなかった糸杉が実を結ぶまでに、さほどの時はながれなかった。
伸びやかな糸杉の葉が枯れた
*白銀の糸杉の美女

*背丈が八尺、伸びやかな糸杉ほどになると彼はまるで天に輝く星かと見えるほどで、世の人びとは彼を見上げてただただ感嘆のほかはない。

糸杉の身丈に勇者の肩と項をしたザールの子が座っていた。

*サマンガ―ンの王は司教の言葉を聞くと、その喜びに気高い糸杉のように伸びやかにくつろいだ。

・・・・・が、個人的には、「糸杉」といえば、ゴッホが描いた何枚かの「糸杉」が、頭に浮かぶのものの、この「王書」で示すところの糸杉のイメージと少々違う。
 なので、「英米文学植物民俗誌」で、糸杉を引いて見ましたよ。(続く)

☆写真は、ゴッホ「男たちの歩いている道≪星と糸杉≫」(岩波世界の巨匠「ゴッホ」)

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夜は暗く、剣は煌めく

  花火j
 (承前)
「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)
一冊の文庫で、それも、たまたま、転がり出た文庫本➡➡を、こんなに楽しめたのには、この「王書」には、知らなかったことがたくさん書かれて好奇心が刺激されたこと、表現が豊かで、文学としても楽しかったことがあげられると思います。

たとえば、英雄伝説の時代の英雄ロスタムの章には、こんな表現が・・・
≪夜は暗く、剣は煌めく。大地はバダフシャーン(イラン北東部の町)のルビーのように朱にそまった。振りおろし振りはらう剣のもとに血潮はながれ、天空から夜明けの光がふってきたかのよう。ロスタㇺは、一人また一人と敵の武将を剣・鎚矛・投げ縄で斃し、太陽がヴェールの陰からあらわれて天から地までこの世を光でみたしたときんは、城内に敵の軍兵のかげも見えなくなっていた。・・・≫

ん?こんな情景、現代のゲーム(?)にあるような・・・カ・リ・リ・ロは、まったくゲームをせず、周りにも、ゲームをする人が居ませんから、よくわかりませんが、テレビなどの宣伝や 電車などで隣り合わせた人が、夢中でやっているものの題材に、この「王書」を真似たものがあるのかもしれないと思います。英雄伝説だとか、やっつけるだとか、キーワードになっているでしょうから。(続く)

☆写真は、窓から見えた、町の花火。カメラをもう少し操作したら、綺麗に写っただろうに。写真下は、花火の次の朝、目の前で鳴くセミ。

せみj

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三人兄弟

     壁絵13
(承前)
「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)には、神話伝説と英雄伝説、つまり史実に基づいた人ではなく、伝説上の人たちが登場するのですが、なかでも、息子3人の手柄に与えた土地が、今もなお、争いの火種になっていることを考えると、興味深い。

 在位1000年蛇王ザッハーク王から王国を奪い返したフェリドゥ―ン王(在位500年)には、三人の息子がいました。三人の息子は、イエメンの王女三人をそれぞれ娶とるとき、それまで、名前のなかった彼等あるいは、彼女らに名前がつきます。
 長男はサルㇺ、妻はアール―ズー(自由)、次男は、トゥール、妻は、マーヘ・アーザーデ・フーイ(高貴な月)、三男はイーラジ、妻はサヒー(健やかな糸杉)。
 フェリドゥ―ン王は、世界を三つに分けます。第一はルーム(小アジア)と西方。第二は、トルキスタンとシナ。第三は英雄の国イラン。 そして、長男サルㇺには、ルームと西方の地すべて。次男トゥールに、トゥーラーン(中央アジア、アラル海の東方と想定されている)。そして、三男イーラジには、イラン国とその周辺の砂漠の地を与え、「イラン王」と呼びました。

 で、結局、末っ子の三男が、イラン国の王座に就くのですから、他の二人が許さない・・・という想像しやすい展開に。
 つまり、未だに、イランとその周辺の、平和ではない現状。また、あるいは、隣国ではなく、イラクを越えたイエメンから嫁をとる・・・など、根深い問題のルーツが、ここに読み取れます。

 また、次男の王国トゥーラーン・・・これって、かのプッチーニのトゥーラーン・ドットにもつながっている・・・ほんと、知らないことばっかりです。(続く)
☆写真は、スイス ヴェヴェイ 建物の壁絵。

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王書

   ペルシャ12
(承前)
「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)の解説(岡田恵美子)は、ペルシャのことをよく知らなかった者にとって、勉強になる事ばかりでした。

先の悪魔に文字を教えてもらう件➡➡は、
ペルシャ(イラン)が、ヨーロッパとアジアをつなぐ位置であり、イスラム教のアラブとも近い。したがって、≪「王書」をはじめ、そのほかのペルシャ文学の作品を読むとき、その複雑多彩な人種の共存・混淆があったことを私たちは知らなければならない≫とあります。

 その解説に書いてあるペルシャの歴史の概観をさらに概括すると、
 紀元前6世紀にアケメネス朝が興る。紀元前330年アレクサンダー大王の東進で崩壊。その死後、広大な領域は分断。ついで、中央アジア起源のパルティア人が領有、その王国は期限後3世紀まで続く。226年ササーン朝ペルシャー成立。古代ペルシャの宗教ゾロアスター教を国教と定める。651年イスラム教のアラブ人の攻撃で王朝崩壊。ゾロアスターからイスラムへの改宗、アラビア文字の使用を推進。以降、中世ペルシャには、トルコ・モンゴルの異民族王朝が興亡。
(*ただし、このトルコは、現在のトルコではなく、ペルシャの東方のトゥーラーン)
(*ゾロアスター教僧侶や、社会上層部は、パフラビー語を使用。読み書きのできない一般民衆は、口語としてのペルシャ語、そこへ征服者のアラビア語・・・・)

 そんな背景を持つペルシャの文化。訳者はいいます。
≪ペルシャ人の社会生活に底流する、この国際性が、この国の中世叙事詩に独特の味わいを添えていると思われる。・・・≫

 そして、この「王書」は、1009-10年了とされていて、作者のフェルドウスィ―(934?~1025?)の生涯を詳しく知る事もできないものの、この「王書」には、30年から35年の労苦を要したという記述はあるようです。日本では、「源氏物語」(1005年頃)の時代です。(続く)

☆写真は、スイス オーバーホーヘン城、ちょっと、オリエンタルな趣味の部屋。

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文字を教えてくれたのは

      pure-toj.jpg
➡➡ 承前)実は……
 「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)は、ずいぶん前に購入していたものの、読んでいなかった文庫本でした。
 文庫本は、収納スペースに、昔から使っている木の本棚に入れていたのですが、段々、棚がずれてきて、ついに、ガタン!と本が崩れ落ちました。そこで、文庫本の奥の奥のものも出てきて、整理するうち、見つかったのが、この「王書」。たまたま、先日行ったのが、「イランの子どもの本展」➡➡でしたから、これは、読まねば!

 先に、「トルコ至宝展」➡➡のことを書いたとき、それと重ねてこの「王書」も紹介しましたが、イラン(ぺルシャ)に、なじみがないものですから、新鮮な感覚で読みました。また、こういう神話や伝説物にありがちな、わかりにくい訳ではなく、とても読みやすい。

 この本は二部構成で、第一部は神話の王たちの時代、第二部は、英雄伝説の時代となっています。もともとは、これら伝説部門より、歴史部門の分量が多いようですが、割愛されています。
 それで、薔薇水のところでも書いたように➡➡、神話伝説の王たちは、在位が1000年とか、700年とか、500年というふうに長い…中には、30年という王もいるのですが、その第三代悪魔縛りの王タフムーラス王というのが、ある意味、凄い。(どの王も、凄いのですが…)

 第三代悪魔縛りの王タフムーラス王は、小悪魔たちの企みの現場を襲い、戦闘開始するも、呪術によって、敵の三分の二を鎖で縛りつけ捕虜にするのです。すると、悪魔たちは懇願します。「王よ、私らを殺さないでください。そうすれば、あなたの役に立ち新しい技術を私らから学びとることができましょう」
 それで、悪魔たちは、≪王に文字を教え、知識によって、王の心を輝かせたが、その文字も一種類ではなく30に近い。例えば、ギリシャ語・アラビア語・ペルシャ語・ソグド語・シナ語・パフラビー語(中世ペルシャ語)、それらを発音のままに書いて見せたのである。≫

 悪魔を縛り、その顛末に文字を教わる・・・そして、その王は≪彼の業績は彼の名残りとしてこの世にとどまっている。≫
なるほど。

 が、ここには、ペルシャの歴史を読むうえでも、重要なことが書いてありました。(続く)

☆写真は、スイス ニーダーホルン ロープウェイ駅

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九尾の猫

    ココシュカ12
 (承前)
 ジェフリー・アーチャーの短編「プリズン・ストーリーズ」は、原題をCat O’Nine Talesといいます。猫の出てこない9匹の猫の話とは、刑務所で、作家本人が聞くことのできた9つの話から来ているということも関係ありますが、この短篇集自体には、それ以外の話も3つ入っていて、9匹の「9」にこだわっているようではないようです。

 訳者の解説がありました。
≪・・・ここに出てくるCATは、生きた猫そのものではなく、cat o’nine tails(九尾の猫)といって、昔罪人を打つのに用いられた九本縄の鞭のことで、猫の爪で引っかいたようなみみずばれが出来るところからそう呼ばれた。さらにこのタイトルはtails(尻尾)とtailes(物語)をかけたpun(語呂合わせ)になっているところがみそである。作者の刑務所体験を生かした九編の作品の主人公はみな犯罪者なのだから、そこで「九尾の猫鞭」をもじったタイトルが生きてくるわけである。≫

 また、新潮文庫には、採用されていませんが、原書には、登場人物が擬人化された猫のイラストが描かれているようで、見てみたいものです。文庫版で、制約があるとはいえ、原作を文も絵も使ってほしかった。訳者自身も、そう言ってます。とはいえ、今は、この文庫本でさえ、図書館のを借りるしか、方法がありませんでした。
☆写真は、スイス ヴェヴェイのイエニッシュ美術館➡➡のココシュカ。 

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見る人次第で

りすj
(承前)
 ➡➡ジェフリー・アーチャーの短編に、「九匹の猫の話」があり、今年は「猫」の絵本を紹介しているので、読んでみました。が、原題がCat O’Nine Talesというだけで、猫が出てくる作品集ではありませんでした。
 短篇集「嘘ばっかり」が面白く、その勢いで読んだ「15のわけありの話」が、策略ばっかりで、段々飽きてきたので、この邦題「プリズン・ストーリーズ」(ジェフリー・アーチャー 永井淳訳 新潮文庫)にも、さほど期待ができませんでした。何しろ「刑務所の話」なのですから。悪事と関係しているだろうし、実際、作者本人が、刑務所生活で出会った犯罪者から聞いた話を基にできているからです。

 臨場感あふれる(実話をもとにしたフィクション)展開は、興味深く、一気に読めます。が、個人的には「ああ、よかった」「ちょっと、いいかも」の結末が好みですから、狡猾な背景と結末には、すっきりした気分で読了できないことが多い。

 そんな中、最後の一編「あばたもエクボ」は、ちょっと、いい感じで終わりました。
 ただし、この邦題はちょっと違うような気がします。原題は、≪In The Eye of the Beholder≫です。辞書には、≪見る人次第で 見る人によって≫とありました。意訳すると、「あばたもエクボ」と言えなくもないけれど、一体、主人公の一人パオロは、妻のアンジェリーナの体重の多さを あばたと見ていたんだろうか。
 その言葉には、「他の人からは、あばたにしか見えないんだよ。それって。」という意味が見えます。確かに、話の中では、酷い差別意識で、彼女の体重の多さを、あばたとしか見ない人達のことが描かれ、後味悪い部分もあるのはあるのですが、それを消してしまうくらいのちょっといい結末から考えると、やっぱり、「あばたもエクボ」というのはいただけないような気がします。
 また、もう一人の主人公ロレンツォも、彼女の体重の多さに反応しているものの、彼女自身の思慮深さやその見識を知っていき、彼女をリスペクトしていきます。つまり、この場合、彼女の外見と、彼女の賢さをひき替えて、あばただけど、エクボに見える、とは、言っていないのです。したがって、タイトルは、そのままの「見る人次第で」で、いいんじゃないかと思うのです。これなら、『見る人の確かな目」という意味が前面に出てきて、話の本筋になるような気がします。
 
 さて、ここでも、美術収集家でもある作者のジェフリー・アーチャーは、たくさんの芸術家たちを、本文に散りばめます。主人公の一人のロレンツォが美術商という職業であり、体重の多さを引き合いに出される大金持ちの一人娘アンジェリーナは、結果、見る目のある美術品コレクターという設定なのです。
 カナレットから始まり、カラヴァッジオ、ベルリーニ、ダ・ヴィンチ、そして、庭にはムーア、プランクーシ、エプスタイン、ミロ、ジャコメッティ、ポテロ・・・ (続く) 

☆写真は、スイス オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」➡➡の庭、「見る人次第で」後ろの栗鼠に惹かれる人もいるでしょう。

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しょうびすい

     ばらすいj
(承前)
 大体、隣国というのは、何かと、簡単にいかない問題が山積するものだし、そこに宗教・宗派・教義が絡むと、より根深い問題が残り・・・また、アジアとヨーロッパを陸続きと考える、基本の土地が、トルコでありイランであり・・・なかなか、高校で習った程度では、理解が難しい、トルコとイランです。特に、平和ボケしている国民には、ピンと来ないことも多いのです。

 が、「トルコの至宝展」➡➡で、見た豪華絢爛な宝石などが、その昔のイランの「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)にも、同じように書かれているのを知ると、彼らが、単に陸続きにあったことを、我々にも教えてくれます。(今も、もちろん、陸続きなのですが)

 例えば、第一部神話の王たちの時代 第五代蛇王ザッハーク王(在位1000年)では、
≪ある日、王は、トルコ石を鏤めた(ちりばめた)王冠を戴き、象牙の王座に座り、王権の基盤を万全のものにしようと全国の貴族高官を御前に集めた。そして、拝火教高僧にこう言った。≫
 ここでいう王冠は、トルコのスルタンの王冠に似ているし、象のいるインドともつながっていたイラン(ペルシャ)は、象牙の王座・・・たったこの一行で、イランが、トルコとインドの間にあることがわかります。(詳しく言えば、今のアフガニスタンやパキスタンもある。)そして、最後で、王書に書かれている宗教は、拝火教、ゾロアスター教だとわかるのです。

 さて、宗教のことは、まったくの勉強不足ですが、映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」➡➡のインドから来たアブドゥルという青年が、ペルシャ系インド人で、ペルシャ絨毯を例えに、ヴィクトリア女王に話すところや、かのクィーンのフレディ・マーキュリーが、ゾロアスター教だったことを知ると、世界最古の宗教の一つだと言われるものの、今では、三大宗教どころか、ヒンズー教の陰にもなっているゾロアスター教にも、興味がわきます。

 閑話休題。そうそう、「トルコの至宝展」と古代ペルシャの「王書」の共通項をもう一つ。
 第一部神話の王たちの時代 第四代偉大なる統治の王ジャムシード王(在位700年)の章
≪王はまた別の年月を調査についやして雑多な石から鉱石をえらび、ルビー・琥珀・金・銀といった輝く宝を手にいれる。それらの貴重な石をほかの岩石から選別するのに王は呪術をつかったが、いわば岩の縛め(いましめ)から宝をとりだす秘密をとき明かしたのであった。また人びとがその芳香を愛する安息香、樟脳、純粋な麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、竜涎香(りゅうぜんこう)澄んだバラ水といった香料をつくる。≫
 バラ水というのは、女性の美容効果に近しいものとされていますが、古くは、宗教儀式で、浄めるときに使われてきたようです。ということは、、「トルコの至宝展」で、女性のための唯一の美術工芸品かなと思ったバラ水入れも(上記、写真の案内紙にある七宝製)、多分、およそ、身分の高い男性のものだった???(続く)
 ちなみに薔薇水は、しょうびすいと読むようです。

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