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みんなみすべくきたすべく

しょうびすい

     ばらすいj
(承前)
 大体、隣国というのは、何かと、簡単にいかない問題が山積するものだし、そこに宗教・宗派・教義が絡むと、より根深い問題が残り・・・また、アジアとヨーロッパを陸続きと考える、基本の土地が、トルコでありイランであり・・・なかなか、高校で習った程度では、理解が難しい、トルコとイランです。特に、平和ボケしている国民には、ピンと来ないことも多いのです。

 が、「トルコの至宝展」➡➡で、見た豪華絢爛な宝石などが、その昔のイランの「王書—-古代ペルシャの神話。伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)にも、同じように書かれているのを知ると、彼らが、単に陸続きにあったことを、我々にも教えてくれます。(今も、もちろん、陸続きなのですが)

 例えば、第一部神話の王たちの時代 第五代蛇王ザッハーク王(在位1000年)では、
≪ある日、王は、トルコ石を鏤めた(ちりばめた)王冠を戴き、象牙の王座に座り、王権の基盤を万全のものにしようと全国の貴族高官を御前に集めた。そして、拝火教高僧にこう言った。≫
 ここでいう王冠は、トルコのスルタンの王冠に似ているし、象のいるインドともつながっていたイラン(ペルシャ)は、象牙の王座・・・たったこの一行で、イランが、トルコとインドの間にあることがわかります。(詳しく言えば、今のアフガニスタンやパキスタンもある。)そして、最後で、王書に書かれている宗教は、拝火教、ゾロアスター教だとわかるのです。

 さて、宗教のことは、まったくの勉強不足ですが、映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」➡➡のインドから来たアブドゥルという青年が、ペルシャ系インド人で、ペルシャ絨毯を例えに、ヴィクトリア女王に話すところや、かのクィーンのフレディ・マーキュリーが、ゾロアスター教だったことを知ると、世界最古の宗教の一つだと言われるものの、今では、三大宗教どころか、ヒンズー教の陰にもなっているゾロアスター教にも、興味がわきます。

 閑話休題。そうそう、「トルコの至宝展」と古代ペルシャの「王書」の共通項をもう一つ。
 第一部神話の王たちの時代 第四代偉大なる統治の王ジャムシード王(在位700年)の章
≪王はまた別の年月を調査についやして雑多な石から鉱石をえらび、ルビー・琥珀・金・銀といった輝く宝を手にいれる。それらの貴重な石をほかの岩石から選別するのに王は呪術をつかったが、いわば岩の縛め(いましめ)から宝をとりだす秘密をとき明かしたのであった。また人びとがその芳香を愛する安息香、樟脳、純粋な麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、竜涎香(りゅうぜんこう)澄んだバラ水といった香料をつくる。≫
 バラ水というのは、女性の美容効果に近しいものとされていますが、古くは、宗教儀式で、浄めるときに使われてきたようです。ということは、、「トルコの至宝展」で、女性のための唯一の美術工芸品かなと思ったバラ水入れも(上記、写真の案内紙にある七宝製)、多分、およそ、身分の高い男性のものだった???(続く)
 ちなみに薔薇水は、しょうびすいと読むようです。

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15のわけあり小説

     テートj
(承前) ジェフリー・アーチャーの「15のわけあり小説」( 戸田裕之訳 新潮文庫)も、結論から言うと、面白かったけど、カ・リ・リ・ロにとって、心に残るような佳品が少なく・・・・そりゃ、そうです。「わけ」があるということは、素直な道筋とは違うということですから。狡猾な技は、そのとき、そのときは、感心するのですが、心に残らないものも多いのだと、思いました。ただ、、一気に読めてしまう短篇集なので、ファンも多いのは、わかります。

 そんな中、一つ、気になった短篇が、「外交手腕のない外交官」です。
 主人公のパーシヴァル・アーサー・クラレンス・フォースダイクは、大英帝国に決して陽が没しないことを証明する役割を果たしてきた家系に生まれ、生まれた瞬間にケンブリッジのトリニティカレッジという道を進むことが決められ、卒業後は、傑出した祖先にならって外務省入り…が、彼の学問的優秀さは認められるものの、常識に欠け、社会性に乏しく、外交的緻密さに欠けると結論付けられ、出世街道から外れていきます。
 外務省をくびにはならないものの、文書保管事務官という,地下の狭いオフィスでの仕事に・・・そして、その30年に及ぶ地下での仕事は、退職送別会で外務大臣に「彼は、大英帝国がこれまで結んだどの協定も条約もほとんど暗唱できる、比類ない百科事典のような記憶力を持つ男だ」と、賛辞されます。が、しかし、祖父は貴族、父は上級勲爵士なのに、自分はただの下級文官で終わったことの修正をはかる計画を立て、それを実行・・・・そして。。。。。
 
 ネタバレになるので、これ以上詳しく書けませんが、その計画というのが、彼の能力をいかんなく発揮させた上、外交という大きな世界事情を垣間見ることができ、最後は、ふーん、そこ?という終わり方でした。

 まったく、個人的ではありますが、彼の自宅がロンドン プリムコであることや、タクシーでユーストン駅に向かうなどと言う文言には、反応してしまいます。
 プリムコは、かのラファエル前派の絵をたくさん所蔵しているテムズ川に面した ロンドン テート・ブリテンの最寄り駅で、美術館に近づくにつれ、閑静な大きな住宅が並ぶ地域になる・・・ことを思い出します。
 また、初めて友人たちとイギリスに行ったとき、地下鉄に乗らず、タクシーで、マーブルアーチからユーストン駅に行ったものの、その後、地下鉄でも簡単に行けることがわかり、それ以来、タクシーはロンドンでほとんど使ったことがない、ということを思い出すのです。

 で、もう一つ、この話で気になったのが、彼の飼っている猫のホレイショーのことです。
 パーシヴァル・アーサー・クラレンス・フォースダイクの飼い猫ホレイショーは、どんな猫かというと、
≪彼がプリムコの自宅へ戻ると、三週間、ホレイショ― ―――三本足で片眼の猫―――だけを仲間として書斎にこもって、詳細な覚書を書き上げた。≫
≪(3か月たって)プリムコへ帰って最初にしたことは、猫に餌をやることだった。≫

 ホレイショーという名前が気になったのは、ジェフリー・アーチャーが他の短編でもシェイクスピアを扱い、ホレイショーというのが、ハムレットの友人の名前だから・・・そして、それから、現代では、「ねこのホレイショ」という絵本があるからです。(続く)

☆写真は、2017年プリムコから歩いて行ったテート・ブリテン案内。➡➡ 

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トロイラスとクレシダ

     グローブ50
(承前)
 先のジェフリー・アーチャー「嘘ばっかり」➡➡の中の短編 「立派な教育を受けた育ちのいい人」➡➡の最終講義に引用されていた「トロイラスとクレシダ」(ウィリアム・シェイクスピア 小田島雄志訳 白水社Uブックス)

 恥ずかしながら、この話のことは、知りませんでした。
 かつて、ロンドン、グローブ座にシェイクスピアの劇を見たくて何度か行きました。
 その時、現地の人と一緒に笑いたいものだと思い、字幕の代わりに、いつも持参していたのが、白水社Uブックスのシェイクスピアの小田島雄志訳です。で、結構、読んだつもりだったのに、この「トロイラスとクレシダ」は、知らなかったなぁ・・・

読んでみましたが、恋愛物語と戦記物が混在。ギリシャ神話なのに、生々しい。神話や昔話にも、生臭い話は多々ありますが、どれも、淡々と描かれるものが多いのに、この本は、戯曲なので、細かい表現を信条としています。そこが、舞台なら、きっと面白い。笑えて、考えさせられる。

 読むだけなら、個人的には、今まで読んだシェイクスピアの中で、一番すっきりしませんでした。多分、たくさんの主人公級の人々(神々?)が、フル出演することによって、カタカナ名前の苦手な、この読者は、しっかり、読み込めなかったと、考えられます。

 解説によると、この話の最後は「トロイラスは、死にもしなければ、不実なクレシダを殺しもしない。カタルシスは起こらない。・・・グロテスクな劇は悲劇より残酷だ。」とする見方と、「風刺劇の手法から、主人公たちを嘲笑すべき対象として劇の終わりに放逐したに過ぎない。」という見方もあり、「それまで絶対的なものとされてきた宇宙の秩序・神の摂理に疑問が投げかけらるようになった17世紀初頭のこの劇がまた復活していることの意味は大きい」とも、ありました。
 ということは、やっぱり、専門家たちの間でも、大きくも見解の異なる、難解な話だった・・・と、わかったら、カ・リ・リ・ロの読解力のなさも、少しは救われるかも・・・

☆写真は、ロンドン グローブ座 お芝居が始まりますよ!の時間。

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さようならは溜息とともに消えていく

シェイクスピア
(承前)
 「嘘ばっかり」(ジェフリー・アーチャー 戸田裕之訳 新潮文庫)➡➡の中で、話の流れの描き方に感心した一つ。

 「立派な教育を受けた育ちのいい人」
 今より、さらに女性差別のあったアメリカ、1970年に、イェール大学の准教授になった女性マーガレット・アリス・バーベッジの最初の講義と最終講義の話です。
 彼女の専門は、シェイクスピア。
 新任の彼女を引きずり降ろそうと、虎視眈々と狙う男子学生。
 そこには、息詰まる、質疑応答の繰り返し。
 するうち、シェイクスピアを暗唱する応酬。
 テンペスト第4幕第一場、ハムレット第一幕第三場、ヘンリー6世第二部、ソネット・・・

 そして、時を経て、最終講義のシェイクスピア。
「『時』ははやっている宿屋の亭主に似ている、
去っていく客にはおざなりの握手をかわすのみだが、」
「新米の客となると両手をひろげて飛んでいき、
抱きかかえんばかりだ。いらっしゃいは笑みをたたえ、
さようならは溜息とともに消えていく」
・・・「トロイラスとクレシダ」第3幕。
(続く)

☆写真は、パリ シェイクスピア・アンド・カンパニー➡➡

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物の値段を知っているが その価値を知らない人間

ゴッホ2j
(承前)
 昨日➡➡「ゴッホは欺く」(上下巻 永井淳訳 新潮文庫)➡➡には、画家ではありませんが、イギリスの作家 オスカー・ワイルドも出てきます。

 ゴッホの「耳を切った自画像」を、どうしてでも、手に入れようと、画策し続けるフェンストン会長のことを、主人公の美術コンサルタントのアンナはこう言います。
≪彼は、オスカー・ワイルドの、「あらゆる物の値段を知っているがその価値を知らない人間」という言葉を絵に描いたような人物だった。≫

 気になってしまい、何の話に出てくる言葉なのか、調べました。「ウィンダミア卿夫人の扇」でした。(オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫)➡➡

≪D:君たち、なんて皮肉屋なんだ!
G:皮肉屋とは何ぞや?(とソファーの背に腰をかける)
D:あらゆるものの価格は知っているが、なにものの価値をも知らぬ人間のことなり。
G:そして、感傷家ってのはだね。ダーリントン君よ、あらゆるものにとてつもない価値を認めるが、たったひとつのものの市場さえ知らぬ人間のことさ。≫

 オスカー・ワイルドを読んで、このブログでも続けて紹介していた時期がありましたが、この軽妙さは、シェイクスピアに通じるものがあると感じています。
 そして、ジェフリー・アーチャーも、今度は、シェイクスピアです。(続く)
☆写真は、スイス バーゼル美術館 ゴッホ自画像

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ゴッホは欺く

ゴッホ耳
(承前)
 ジェフリー・アーチャーの短編のことは、またあとで書くとして、ゴッホつながりで、長編「ゴッホは欺く」(上下巻 永井淳訳 新潮文庫)。

 ゴッホにばかり気がいっていたので、このストーリーの章題が九月十日、九月十一日、九月十二日・・・・と続いていくことに、変わった章題だとは思いながらも、九月十一日という、特別な日と関連づいているなどと、ピンと来ず、その舞台がNYであって、ビルに飛行機がぶつかったという箇所を読んで、やっと、あ!と思った次第。イギリスの作家というので、まさかの、NYの9・11、またもや思い込み。

 始まりは、イギリスの貴族ウェントワースの破産寸前の様子。その家の財産である美術品。その中には、ゴッホの耳を切った後の自画像。
 そのあとは、イギリスとNYの二つの舞台なのですが、美術品収集家の闇と、9・11の混沌。・・・というサスペンス。が、画家の名前が出てくるところに反応するものの、9・11の扱いが、安易な感じがして、読むのを小休止し、やっぱり、ジェフリー・アーチャーは短篇作家?などと、途中は考えていました。

 とはいえ、ゴッホの絵の行方が気になり、読み進んでいくと、今度は、チャウチェスク!ルーマニアの独裁者。主人公の一人と、陰の主人公の一人、さらに闇の主人公の一人が、ルーマニア人・・・
 こちらは、個人的に、9・11より、現実味と切実感が乏しく、読み進むハードルにはならず、今度は休止することなく一気呵成に読み終わりました。

☆写真は、ロンドン コートールド美術館のゴッホ自画像 本の中のゴッホの自画像は、この絵のことだと思います。と、いうことは、ゴッホが、耳を切った後、最晩年を過ごしたオーヴェル・シュル・オワーズと、また、つながっていくなぁ。(続く)(撮影:&CO,T)

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最後の一行

   セザンヌj
(承前)
 結論から言うと、何冊か読んだジェフリー・アーチャーの短編集で一番面白いのが多かったのは、最新作の「嘘ばっかり」(戸田裕之訳 新潮文庫)➡➡でした。
 どの短編も、最後の一行まで、わからないのが、この人の大きな特徴だと思います。

 この短篇集の一番初めは「最後の懺悔」というタイトルですから、ま、最後の方を意識して読んでいたら、よかったのですが(とはいえ、やっぱり、最後は、え?と思った・・・)、次の「オーヴェル・シュル・オワーズの風景」という話は、「オーヴェル・シュル・オワーズの風景」という絵が、セザンヌの描いたものであると知っているか、いないかで、最後の「え?」の声が違うかもしれません。

 ジェフリー・アーチャー自身が、美術収集家でもあることを、あとから知ったのですが、この短編以外にも、その見識が、いかんなく発揮される作品の数は、多いようです。
 それで、短篇集「嘘ばっかり」の中でも特に短い話「オーヴェル・シュル・オワーズの風景」。

 主人公ガイは、警察官ですが、エクセター大学で美術史を学んでいました。卒業時の成績は優秀で、大学に残ってスペイン印象派のソローリャ***に関する博士論文を仕上げたらどうかと教官に勧められたほど。その言葉は、有難く受け止めたものの、ガイは、警察官に。・・・・で、警察官にとっての最初の逮捕に関わる案件。・・・・と、これ以上書くと、ネタバレにつながりそう。

 さて、セザンヌの「オーヴェル・シュル・オワーズの風景」は、3枚あって、一枚は、英国 オックスフォード アッシュモレアン美術館にあったようですが、盗難。 
 ん?ネタばれました?(続く)

***スペインの印象派ホキアン・ソローニャ展は、英国ロンドンナショナルギャラリーで、現在開催中。(~2019年7月7日)1908年以来とありました。

☆写真は、スイス オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」 所蔵のセザンヌの静物画で、「オーヴェル・シュル・オワーズの風景」ではありません。2017年10月に、このコレクションのセザンヌの絵を掲載しました➡➡が、よく似ているけれど、今回とは違う静物画です。それにしても、たくさん描いているなぁ・・・

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嘘ばっかり

レマン湖12
 軽いものを読みたい・・・・と、よろよろと書店に行ったら、目に入ったのがこれ。「嘘ばっかり」(ジェフリー・アーチャー 戸田裕之訳 新潮文庫)

 最近、「嘘ばっかり!」と吐き捨てることがなくはなく、タイトルに、引かれて購入。
 人気作家(らしい)ジェフリー・アーチャーを他に1冊も読んだことなかったものの、このイギリス人作家の新作を読みました。

 おお、面白いじゃないですか!
 2018年12月頃、続けて読んだスティーブン・キング➡➡より好みかもしれません。ホラー作家であるアメリカ人の中編作品より、もう少し、文化の香りと歴史の面白さを感じ取ることができるこの短篇集は、単に、イギリスびいきなだけかもしれませんが、15分もあれば、一篇読めてしまいそうなものも多く入っています。

 最後の一行まで、侮れません。最期の一行こそが、書きたかったことなのかもと思わせる作品が多いのです。最後の一行で、え?と思う何篇かは、もう一度核心部分だったと思われるところを丁寧に読み返すと、ある、ある、ちゃーんと最後の一行の為の布石が・・・しっかり、読めてないだけやん、最後の一行にえ?と思うのは・・・と、考えるものの、この最後の一行に「おち」を置くということは、カ・リ・リ・ロ以外の読者も、つい、引っかかる人もいるのかもしれない・・・・

この作家ジェフリー・アーチャーの過去を知ると、経験が豊富すぎ。
投獄はされるは、破産はするは・・・オックスフォード出であり、一代貴族の貴族院議員であるは・・・で、多筆。美術への造詣が深く、短篇のみならず、長編も書いている・・・・・・・この本の後、何冊か読みましたが、飽きるくらい、書いています。(続く)

*この後、ジェフリー・アーチャーが続きますが、そこから、読みたくなった本にも飛び、相変わらず、いろんなところへ行ったり来たりすることになります。

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名画と解剖学

サージェントj
 「名画と解剖学」(原島広至 CCCメディアハウス)という本を見ました。副題は、ー『マダムX』には なぜ鎖骨がないのか?-ーです。表紙の絵は、ジョン・シンガー・サージェント➡➡の『マダムX  ピエール・ゴートロー夫人』(1883-4)です➡➡。この夫人の名前は、バージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートロー。

 確かに鎖骨が描かれていない・・・が、アクセントになっているのが、頭を動かす強力な筋である「胸鎖乳突筋」(らしい)。この本によると、≪「胸鎖乳突筋」は、通常、顔を前に向けた状態では、あまり目立たない。しかし、横を向くと「胸鎖乳突筋」が次第にはっきりと見えてきて、特に胸骨に近い腱の部分は明瞭に浮き出る・・・(後略)≫

 へぇー。・・・とまあ、こんな調子で、有名な絵画や彫塑の骨や頭蓋骨や筋や目や歯、ひいては動物の肢や骨・・・などなどの説明が続きます。ふーん・・・とはなりますが、解剖学や病理など、もっと知りたい人は、さらに調べないといけないかもしれません。
 タイトルだけの時は、美術好きの医療関係者の著作だと思っていたのですが、そうではなく、自らが描き、解剖学の知識が豊富な人の著作です。

 それにしても、世に残る絵画や彫塑は、本当に、骨の髄まで よく見て造形したのだとわかります。無意識に描いたことが、遺伝や、病巣まで読みとろうとすればできるようなのです。

 で、何故、マダムXには、何故鎖骨がないのか?
≪・・・肩を下げ、胸を張って背中で肩甲骨同士を近づけると、鎖骨が胸郭を構成する肋骨に近づくために体表ではあまり目立たなくなる。しかし、肩を上げたり前に出すと鎖骨と胸郭を構成する肋骨が離れるために、鎖骨が見えてくる。つまり、鎖骨を描かないことにより、なめらかな肌を強調しているだけでなく、胸を張って堂々とした姿勢を表現していた可能性がある。≫

 ここで、このモデルの背景に戻ります。この ピエール・ゴートロー夫人バージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートローは、親子ほど年の離れた富裕なフランス人ピエール・ゴートローの妻で23歳のアメリカ女性でした。また、26歳だったこの絵の画家サージェントもアメリカ人でした。≪華やかなパリで、当時は田舎者とみられていたアメリカ人同士は、彼らを軽んじていた人々の鼻をあかそうと意気込んだに違いない。≫と、解説がありました。
 なるほど、そういう見方ができるんですね、という「名画と解剖学」でした。 

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古典の中の猫

花桃1
猫の絵本 関連ではなく、最近、気になっている涅槃図の猫 関連で見つけたのが、「猫の古典文学誌ー鈴の音が聞こえる」(田中貴子著 講談社文芸文庫)でした。

 読んでみると、涅槃図の猫について書かれているのは、ごく一部で、しかも、著者は、涅槃図の多くの実物をご覧になっていないこともあって、深く掘り下げたものではありませんでした。

 ともあれ、専門である中世国文学の猫を中心に、日本古来から、いろんな形で、猫が表現されてきたことは、よくわかりました。愛猫家と自称されているので、その辺の掘り下げは愛のこもった深いもののように思います。

 そして、ここにも源氏物語。これは、あの猫。あの御簾を引っ掛けたあの猫。柏木と女三宮出逢いのあの子猫の登場。

 先日書いた、夕霧が藤袴を差し入れるのも御簾ごし➡➡で≪御簾のつまよりさし入れて≫という「藤袴」の話より、この「若菜」の方が、御簾の役目が ずっと印象的。子猫という小道具がアクティブだから、映像としてイメージしやすい。

 御簾ごしに蹴鞠を見ている女たち、そんなとき、子猫が少し大きな猫に追いかけられて、御簾の下から潜り抜け走り出るも、つけられていた長い綱が、ひっかかって、逃げようと引きずる間に、御簾の端が、めくれ上がり、室内の女三宮たちは、外に居た柏木達の目に触れることに…で、この一瞬で、柏木はフォーリンラブ・・・そのあと、柏木は、女三宮の猫を手に入れ・・・「ねうねう」と鳴く (この鳴き声が意味深長) 猫を可愛がり・・・そして・・・・
 
☆写真上左側に、白黒の猫が写っているの見えますか?近くの公園の八重で紅い花桃の木。
 花桃2

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