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アルプスのタルタラン

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「アルプスのタルタラン」(ドーデー作 畠中敏郎訳 岩波文庫)
 スイスに行く前に読んでおこうと本棚を探したら25年もほおっておいた(と思われる)「アルプスのタルタラン」がありました。

 タルタランシリーズの原作は三部作らしく、この「アルプスのタルタラン」はその第二部のようです。結論から言うと、25年も置き去りにしたのが悔やまれます。せめて、1年前に読んでいたら、話の冒頭に出てくるリギ山→→の味わい方も違ったでしょうし、ほかにも、インターラーケンやユングフラウ、レマン湖に初めて行ったのは、もう10年以上も前だし・・・。

 イギリスのユーモア小説が「ボートの三人男」(ジェローム・K. ジェローム 丸谷 才一訳 中公文庫)➡➡ だとしたら、フランスのそれが「アルプスのタルタラン」なのかもしれません。(エスプリ小説という感じではなく、ちょっと、泥臭い。)

 主人公はタルタラン。南仏プロヴァンスの平和な町タラスコンの山岳会長。
 といっても、小心者で、自称冒険家。
 うぬぼれが強く、地元以外でも自分は有名人だと勘違い。
 無知も手伝って、いつもドタバタ。
 が、ラッキーなことにユングフラウ登頂に成功し、モンブランでも見事生還。
 タルタランの持ち前の明るさが、この話の骨。

 ユングフラウの前哨戦のように、まず、リギ山にのぼるところから話は始まるのですが、ドーデ―が描いた頃(1885年)と大きく違うのは、昨年は、山頂に居た人々が、中国の人が主だったこと。(続く)

☆写真は、スイス リギ山 話に出てくるリギクルム(リギ山頂)まであと10分と表示された標識。標識にはホテルまで1時間とあるので、話に出てくる頂上付近のホテルは想像上のものなのか、昔は、あったのか?
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ごろつき オートリカス

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 「冬物語」(シェイクスピア 小田島雄志訳 白水社Uブックス)
(承前)
 巻頭の人物欄がなければ、突然出てくるオートカリスという人が誰?と思った事でしょうが、読む前から「オートカリス:ごろつき」と示されているので、そうか、ごろつきね。とわかりやすい。読む前からわかってしまうことに異を唱える向きもあると思います。が、舞台でも、ごろつきをはっきりわからせるためには、登場するときの服装や、所作で分かるのですから、カ・リ・リ・ロごときの読者には、よくわかって、とっつきやすい。

 が、この「ごろつき オートリカス」は、大した役回りではないものの、何度か、歌いながらの登場なのです。
 そのせいか、ごろつきとはいえ、明るい役回りです。

≪雪より白い白リンネル、   カラスも顔負け黒チリメン、   バラの香りのする手袋、   顔の仮面に鼻の仮面、   黒玉細工の腕飾り、    琥珀細工の首飾り、    婦人の寝室用香水、   金糸の帽子と胸当ては、    いとしい人への贈り物、    鋼鉄(はがね)の針とアイロンは 娘さんには必需品、   さあ、お買いなさい、お買いなさい、いとしい娘に泣かれぬよう、   さあ、お買いなさい、お買いなさい。≫

・・・・で、この詩は、ウォルター・デ・ラ・メアの「Come Hither」という詩のアンソロジーにも入っています。この大著は、「A Collection of Rhymes & Poems for the Young of All Ages 」と副題がついていて、シェイクスピアが13選ばれています。ちなみに、クリスティナ ロセッティが8、エリナー・ファージョンが5。一番多いのが、ウィリアム・ブレイクで18でした。

≪Lawne as white as driven Snow, Cypresse blacke as ere was Crow, Cloves as sweete as Damaske Roses. Masks for faces, and for noses, Bugle-bracelet , Necke-lace Amber, Perfume for a Ladeies Chamber :≫
☆写真は、ロンドン リージェンツ運河

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その声が聞こえそうな臨場感

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(承前)
 シェイクスピア「冬物語」(小田島雄志訳 白水社Uブックス)

久しぶりに小田島雄志訳のシェイクスピアを読んだら、やっぱり面白くて、一気読み。
シチリアの王リオンティーズが、嫉妬に狂っていく様子が、手に取るようにわかります。
台詞を聞いていないのに、その声が聞こえそうな臨場感。
主要人物のひとりごと、つぶやき、叫び。これらが、ぐっと迫ってくるのが、シェイクスピア。
それに、シェイクスピアの面白いところは、ちょっとしたボタンの掛け違えが、大きな流れを誘い、笑いを取ったり、涙を誘ったり。
時代は、ずいぶんと違っても、人の心、人の心の駆け引き、そしてやり取りは同じだと、納得するのです。

 個人的な問題ですが、一つ難を言うとすると、西洋の戯曲は、名前を覚えるのに一苦労。
 よく似ているし、経年劣化の頭脳には入らないカタカナの名前。したがって、このシェイクスピアの白水社Uブックスの巻頭にある「人物紹介」のページは、必須です。舞台でなら、名前より人物やその服装、喋る様子などでも、区別がついていくのでしょうが、印刷されたものだと、主要人物以外の様子はなかなか把握しづらいものです。(続く)
 
☆写真は、ロンドン グローブ座テムズ川沿いの門扉

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ボヘミアの海

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(承前)
 「新アラビヤ夜話」(スティーヴンスン文 南條竹則・坂本あおい訳 光文社文庫)は、ボヘミアの王子フロリゼルとその腹心ジェラルディーン大佐の諸国漫遊記ですが、ボヘミアの王子フロリゼルというのは、シェイクスピア「冬物語」に登場する王子と同じです。

 ボヘミアは、およそ今のチェコ西中部を指すのですが(つまり内陸)、シェイクスピアの時は、ボヘミアの海にたどり着きなどという表現があって、よくわかっていなかったことからくる不思議な異国というイメージの象徴のようでした。また「冬物語」では、シチリアの王も出てきます。確かにシチリアの周りは海ですが、ボヘミアと船で行き来といった位置関係ではありません。

 とはいえ、「新アラビヤ夜話」でのボヘミアの王子フロリゼルが一体、「冬物語」の王子とどうつながるのか?うーん、結論から言うと、そのキャラクター同士の類似というより、どこか遠く異国の地の王族は、想像の域にあるので、不思議のイメージを深めるために、スティーヴンスンが使ったと考えられます。
 とすると、「冬物語」でシチリアの賢明で美しい妃、ハーマイオニーの名前が「ハリー・ポッター」に登場するのも、その流れなのかもしれません。

 それで、この際「冬物語」を再読してみました。(続く)

☆写真は、太平洋に面した南紀(紀伊半島)の海。ボヘミアの海は架空の海。南紀の美しい海は、実在の海。津波も地震も架空のものじゃない・・・・(撮影:&Co.Sy)

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ラージャのダイヤモンド

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 「新アラビヤ夜話」(南條竹則・坂本あおい訳 光文社文庫)
一見、短篇集に見えるこの夜話は、どれも続いていて、全部、通して読むほうが満足いくものになっています。

 ボヘミヤの王子フロリゼルが身分を隠して、どろどろした世界に関わっていく。それが、つながっていき、一つの方向が見えていく・・・といったお話の構成です。
個人的には、全てが、納得のいく面白いものというわけではありませんが、「丸箱の話」は、軽いおはなし運びも幸いして、一気に読ませてくれました。後半、ちょっとトーンダウンしてしまいますが、それにしても、スティーヴンスンのお話つくりはうまい。

 話は、たわいのない「丸箱」に秘密が隠され、甘ちゃんの若者が、秘密の片棒を担ぐものの、その帽子箱の中には、なんと!・・・といった話。
 その中に入っていたものが、とんでもないものだったがために、そのあと、いろんな人が関っていき、その後、ボヘミヤの王子フロリゼルが、いかに関わってくるか・・・が、この「新アラビア夜話」の後半部分の流れです。

 あんまり、書いてしまうと、このサスペンス仕立てのお話を読むときに、面白くなくなってしまいそうですが、後半部のタイトルにもなっている「ラージャのダイヤモンド」についての描写は、こんなのです。

≪彼は、宝石のことは何も知らなかったが、「ラージャのダイヤモンド」は誰の目にもそれとわかる驚くべき逸品だった。もしも村の子供がこれを見つけたら、金切り声を上げて近所の家に駆け込むだろうし、未開人なら、かくも堂々たる呪物の前にひれ伏して拝むだろう。その宝石の美しさは若い聖職者の目を喜ばせ、その計り知れぬ価値は、彼の知性を圧倒した。自分が今手にしているものは、大主教区の多年の収入よりもっと価値があるのだ――イーリやケルンよりも立派な大聖堂をそれ一つで建てられるのだ――そして、これを所有するものは労働という呪いから永久に解放され、何の気苦労も障害もなしに、悠々と好きなことをして暮らせるのだ。ダイヤモンドをふと裏返してみると、新しい輝きを帯びた光が放たれ、彼の心臓までも射貫くようだった。  人の運命を左右する行動は、しばしば一瞬のうちに、それも人間の理性的な部分の命令を待たずして、行われるものだ。≫(続く)
☆写真は、英国 ハンプトンコート 通用門

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漢字表記の地名

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(承前)
 ボヘミアの王子フロリゼルとその腹心ジェラルディーン大佐の諸国漫遊記ともいう「新アラビヤ夜話」(スティーヴンスン文 南條竹則・坂本あおい訳 光文社文庫)ですが、短篇集のように見えて、実は、それぞれが関連づいて、進行していきます。
 そのせいか、3篇しか入っていない岩波文庫(佐藤緑葉訳)では、わかりにくいところも、7篇全部(新アラビヤ夜話第1巻相当)掲載されている光文社文庫の方では、わかりやすく楽しめました。

 特に、漢字表記地名や旧仮名遣いは、浅学ものには、なかなか手ごわい。
 まず、岩波文庫の「醫師と旅行鞄の話」(光文社文庫では「医者とサラトガトランクの話」)を読み始めて、ん?ここはどこ?
≪羅甸區の所詮家具附ホテルの七階から、巴里の人氣場所などをあれかこれかと調べて樂しみにしてゐた。≫・・・「羅甸區」この字がすぐに読めませんでした。もしかして、「ラテン区」?
 パリということだし、話の後からはリュクサンブルー公園も出てくるし・・・そうだ!もう一冊の「新アラビヤ夜話」なら、新訳だし・・・
 ということで、羅甸區は、今のカルチェ・ラタンのこと。
 
 オックスフォードが牛津、ケンブリッジが剣橋。音で漢字をあてている時もあるし、意味であてている時もあって、柔軟なんだか?思い付きなんだか?じゃあ、骨片波辺は?(続き)
☆写真は、巴里の羅甸區の珈琲店

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新アラビヤ夜話

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(承前)
  この際、読んでなかったこの薄っぺらい岩波文庫も読んでおかなくちゃ・・・「新アラビヤ夜話」(スティーヴンスン作 佐藤緑葉訳 岩波文庫)

 「南海千一夜物語」と「新アラビヤ夜話」と言う題名から、勝手に同じシリーズかと勘違いしていたのですが、前者は、南海の話で、後者はそれこそ、アラビヤの千一夜物語に着想を得て、いろんな話が、入っています。・・・といっても、岩波文庫には、3篇のみ。「醫師と旅行鞄の話」「帽子箱の話」「若い僧侶の話」

 「新アラビヤ夜話」(南條竹則・坂本あおい訳 光文社文庫)には、もう少しお話が入っています。
 こちらの光文社文庫には、「自殺クラブ」-クリームタルトを持った若者の話・医者とサラトガトランクの話・二輪馬車の冒険 「ラージャのダイヤモンド」-丸箱の話・若い聖職者の話・緑の日除けがある家の話・フロリゼル王子と刑事の冒険—-ーの7篇が入っています。

 で、この2冊とも、とっくの昔に我が本棚に鎮座していたのに、ちゃんと読んでいなかった。
 が、なにゆえ、この2冊が・・・
 サマセット・モーム「人間の絆」にこの本が出てくるのです。「人間の絆」(上中下)には、絵画も本もたくさん紹介されて、いずれ読み返さねばと思っているのですが、その中に、
 苦境に立つ主人公フィリップが公共図書館で借りた本が、この「新アラビヤ夜話」。
≪・・・公共図書館に行って、飽きるまで新聞をいくつも読み、それからスティーヴンソンの『新アラビヤ夜話』を借り出した。しかし、目で活字を追っても、少しも頭に入らない。考えるのは、自分の苦境のことばかりだった。あまり長い時間同じことばかり考え続けたので、頭が痛くなった。とうとう新鮮な空気が吸いたくなり、図書館を出て、グリーン公園に行って芝生の上に寝転がった。・・・≫

 そうですよね。自分のことで精一杯のときは、活字を追うのは、ままならず、ましてや、想像力を駆使して、お話にのめりこむということもできない。読書ができるのは、健全な証拠ということかもしれない。
 ということで、「人間の絆」の主人公フィリップが読めなかったのは、「新アラビヤ夜話」が面白くなかったからではありません。(続く)

*「人間の絆」上中下(サマセット・モーム作 行方昭夫訳 岩波文庫)
☆写真は、パリ サンジェルマン付近の水ギセルの店。

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われは フランソア・ヴィヨン、學徒成、

ノートルダムj
(承前)
 「ヴィヨン全詩集」(鈴木信太郎訳 岩波文庫)
 さて、ステーヴンソン「その夜の宿」の主人公フランソワ・ヴィヨン。パリ大学の修士で詩人で悪党。ヴィヨン略年表によると、【1463年1月以降、ヴィヨンに対する公正な言及は見出されない。…一般にはこの以後あまり長くは生きていなかったと信じられている。】とあり、最期も不明のような中世の人。

 それで、この「ヴィヨン全詩集」は訳者鈴木信太郎氏が、力を注いで生まれた結晶のようで、巻末の「後記 私のヴィヨン」もさることながら、全体の三分の一以上をしめる「後註」の細かさにも驚かされます。

 この詩集を読んでみると、ヴィヨンが悪たれながら、結局は死を恐れているのが読み取れます。ステーヴンソン「その夜の宿」の老人が諭したようなことから、ついつい離れるものの、深層ではわかっていたはずなのに・・・・と、上面だけの読者にはそう思えます。

 「フランソア・ビヨン形見の歌」40篇「ヴィヨン遺言詩集」190篇近く。もっと、素直に人生を謳歌した詩も作れただろうに・・・

・・・で、「形見の歌」の冒頭です。
≪惟歳(これとし) 四百五十六、   われは フランソア・ヴィヨン、學徒成、   落着き払って 想ふやう、   馬衘(くつばみ)噛んで 一心に、 傍目(わきめ)もふらず、   己が所行を 顧みよう、   羅馬の賢人、大學者 ヴェジェスの書(ふみ)にあるやうに、   然もなくば、身の過ちの因(もと)となる・・・≫
☆写真は、パリ ノートルダム大聖堂 後ろの屋根の上

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その夜の宿

小鬼12j
(承前)
「マーカイム・壜の小鬼 他五篇)」(スティーヴンソン作 高松雄一・高松禎子訳)の巻頭に入っているのが、「その夜の宿-フランソワ・ヴィヨン物語ー」です。
 詩人フランソワ・ヴィヨンのことは知りませんでした。
 ヴィヨンは詩人であり、パリ大学の修士号を持つ中世末期の人ですが、かなりの無法者で、スティーヴンソンの描いたのは、史実からヒントを得たフィクションです。

≪時は、1456年11月の末である。≫から始まるこの作品は、ヴィヨンを含めた悪党たちのもめごとで殺人沙汰が起り、各人がその場から離れ、行く当てのないヴィヨンは、見知らぬ老人の家に…
 盗みを働いてその日その日の命をつなぐ若者と、主君のために命を戦いぬいてきた老人。その二人の問答、対話が、話の後半です。

 解説によると、1456年11月末という設定には、史実と関わりがあるとしています。
――この一か月後のクリスマスの夜、悪党仲間と示し合わせて神学校に忍び込み、大金を盗み出してパリから姿を消し、その後何年かはパリに戻れなかった――とありスティーヴンソンは「その夜の宿」の中で、ヴィヨンの惨めな未来を予知する問答を表現したからです。

 家に悪党を招き入れた老人は、こう諭します。
≪・・・あんたは小さな欲望に心を煩わせるが、唯一の大きな欲求を忘れている。最後の審判の日に虫歯の治療をする人のようなものだ。名誉や、愛や、信頼のようなものは食い物や酒よりも高貴なだけでない。なお、望むべきもの、これなくしてはさらにつらい思いをするものだと私は思う。できるだけわかりやすく話しているつもりだ。あんたは口腹の欲を満たすのに夢中で、心のなかのもう一つの欲求を忘れているのではないかな。だから生きる喜びを損ない、いつも惨めな思いをすることになるのでは?≫

 が、しかし、ヴィヨンは苛立って、叫び、反発し・・・1456年のクリスマスの夜・・・ということになるのです。(続く)
☆写真は、スイス チューリッヒ 駅前

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生涯の核そのものとなっているたくさんの小さな出来事

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(承前) 「マーカイム・壜の小鬼 他五篇)」(スティーヴンソン作 高松雄一・高松禎子訳)に入ってるのが、殺人を犯した人の心理的葛藤、そして、その時の流れと情景が描かれている表題の「マーカイム」。この話には、もう一人の自分と思われる人物が登場し、現代の作家の作品だと言ってもいいような古さを感じさせない設定です。

 また、「ねじれ首のジャネット」という、表題からして、怪奇ものというのがわかる作品も入っています。
≪スコットランド方言で書かれた怪談でスティーヴンソンの年長の友人ヘンリー・ジェイムズがこの短編の初出を読んで「十三ページで書かれた傑作」と絶賛したらしい・・・≫(訳者解説より)

 この怪奇ものより、先の心理ものより、個人的には「水車小屋のウイル」という短編が気になりました。
 ただ、淡々と粛々と生きた、一個人のフィクションです。渓谷地帯で、養い親に育てられた孤児の一生ものです。一度も自分の思いを叶えることなく成人し、成功もし、恋をしても、結ばれることなく独身のまま老いて亡くなる・・・という話です。
 少年の頃のときめきの描写、年老いた心の描写など、少年でも、その時は老人にもなっていなかったスティーヴンソンの想像力とその筆力に感心するのです。

例えば、少年の頃、
≪…彼は川に行って魚にそう言うのだった。おまえたちはこういう生活をするために創られた。虫と流れる水と、崩れかけた土手の下の穴があれば満足するのだからな。でも、ぼくはそんなふうにはできていない。さまざまな欲望と憧憬に満ち満ちている。指先はむずむずするし、目は欲望に輝いてる。多様に変転するこの世界全体の様相もぼくを満足させることはできない。ほんとうの生、ほんとうの明るい日射しをはあのはるか向こうの平野にあるのだ。ああ、死ぬ前に一度だけこの日射しを見ることができたら!黄金の土地を心楽しく歩くことができたら!鍛えあげた歌い手の歌や、音色うるわしい教会の鐘を聞き、休日の庭園を見ることができたら!「ああ、魚よ!」と彼は叫ぶのだ。「おまえたちは頭の向きを変えて流れに身をまかせさえするならごく容易に伝説の海に入っていくことができるし、大きな船が雲のように頭の上を通り過ぎるのを見ることも、大きな波の山が一日じゅうおまえたちの上で音楽を奏でるのを聞くこともできるんだよ!」だが魚たちは頑なに向きを変えようとはしないから、ウィルは泣いていいのか笑っていいのかわからなくなってしまう。≫

そして、老境に達した頃、
≪七十二歳のある夜、彼は心身にかなりの違和感を覚えてベッドで目を覚まし、身なりを調えると、考えごとでもしようかと東屋に出た。あたりは星一つ見えない真っ暗闇である。川の水かさは膨れあがり、雨に濡れた森や草地の芳香があたりに立ちこめていた。日中には雷が鳴ったが、明日も雷雨になりそうな気配がある。七十二歳の老人にはなんとも陰気な蒸し暑い夜だ。天候のせいか、寝そびれたせいか、あるいは老体にいくらかの熱があったせいか、ウィルの心は狂おしく叫び立てる過去の記憶に責め立てられた。少年時代、太った若者と話しこんだ寄る、養父母の死、マージョリーと過ごした夏の日々、そのほか、他人にはなんの意味も持たないけれど彼にとっては生涯の核そのものとなっているたくさんの小さな出来事――目で見た物事、耳で聞いた言葉、意味を取り違えた眼差しなど――がとっくに忘れていた片隅から立ち現れて彼の注意力を占領した。≫
(続く)
☆写真は、スイス ニーダーホルンから

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