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こいぬとこねこのおかしな話

チャペックj
  5月の新刊に「こいぬとこねこのおかしな話」 (ヨゼフ・チャペック 木村有子訳 岩波少年文庫) があって、嬉しくなりました。
 昔、童心社から出ていた「こいぬとこねこはゆかいななかま」(ヨゼフ・チャペック文と絵 いぬいとみこ・井出弘子訳)です。その後 「チャペックのこいぬとこねこは愉快な仲間」と、なって河出文庫になっていました。

 かつてプラハの小学校に通った事がある訳者の翻訳は、子どもたちにも読みやすくなじみやすいものになっています。
 訳者あとがきにあるように、一番初めに掲載されている「こいぬとこねこが床をあらった話」は、訳者自身が、チェコで友達に話の内容を話して聞かせてもらった楽しい経験があるので、その楽しさが、より伝わるような気がします。

 ≪むかし、森の近くの小さな一軒家に、こいぬとこねこがくらしていました。ふたりは、うちのことならなんでも、人間のおとなと同じようにやりたいと思っていましたが、いつもうまくいくとはかぎりませんでした。…≫で、始まります。

 こいぬが石鹸を食べてしまったり、ブラシがないから、こいぬの毛でごしごしやったり、乾いた布がないからこねこの身体で拭いたり・・・で、ふたりともずぶぬれで、とても汚くなってしまったので、二人はお互いが洗濯物になって洗います。それで、その洗濯物を干すのですが(つまり、二人が、洗濯紐にぶら下がる)、
≪「雨だ!」こいぬとこねこは、さけびました。「せんたくものがぬれちゃう!とりこまないと!」と、ふたりは、せんたくひもからすぐにとびおりると、家まで走って屋根の下に逃げ込みました。「雨、まだふっているかしら?」とこねこが聞くと、こいぬが「もう、やんだみたいだよ。」と、いいました。空を見ると、ほんとうにお日さまが顔を出していました。「じゃあ、またせんたくものを、ほしに行きましょう!」とこねこがいいました。・・・・・≫
 と、また本物の洗濯物のようにぶらさがるものの、また、雨が降ってきたのです!・・・・・を繰り返し、夜になって、
≪「せんたくものが、かわいたから、そろそろかごにいれようか。」と、ふたりはいいました。そして、こいぬとこねこは、そうっとかごに入って丸くなりました。すると、いつのまにかねむくなって、朝まで、ぐっすりねむってしまいました。≫

 さて、最後、洗濯物がかごに入れられる、つまり、この場合は、こいぬとこねこが仲良くかごに入る、という納得のいく終わり方に、めでたしめでたしもより満足のいくものとなるのです。(続く)
☆写真、孫の着ているTシャツは、「こいぬとこねこのおかしな話」の絵。この子の叔母が1歳の誕生日にプレゼントしたもの。

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ダイヤモンドに目がくらみ・・・

       ジュエリーj
京都国立近代美術館の「技を極める・・・・ヴァン・クリーフ&アーベル ハイジュエリーと日本の工芸」展(~2017年8月6日)に行きました。

 まあ、綺麗。ダイヤモンドに目がくらみます。
 大きなエメラルド!
 ゴールドでできた可愛い襟!
 可愛いバレリーナたち。
 真っ赤なルビーのハイジュエリー。
・・・と、およそ一生涯、身につけることのない、いえ、手に触れることもないアクセサリーや、その周りの数々。
つけたら、きっと重いだろう。
つけたら、きっと動きにくいだろう・・・・と負け惜しみを言っても、ともかく、目を奪われるハイジュエリーと呼ばれる数々。

 が、しかし、なぜにここに日本の工芸品が並ぶのか、よくわかりません。
 日本のデザインのものと比べるのでなく、あるいは、同じ様式や、同じテーマでもありません。
 ほとんどが、ハイジュエリーの引き立て役としてのオブジェのような展示の方法。
 そりゃ、ダイヤモンドに目がくらむのが当たり前。その横の並河靖之作の有線七宝の素晴らしい作品も、ダイアモンドの陰で、ただの引き立て役。安藤碌山⇒⇒の筍や柿もなにゆえ、ここに?一つだけある明治刺繍絵画⇒⇒➡➡など明治の超絶技巧の作品たちが、所在無げに、展示されています。
 また、現代の工芸には、志村ふくみの着物➡➡や、ほか織りや染めなども展示されているのですが、展示j会場の設えの一部のような感じが否めません。

 きらびやかなものだけが目を奪うのでなく、その細かい作業と優れたセンス。それが日本の工芸の見せるべきものではなかったの?来館者の多くが、ハイジュエリーの華やかさやデザインの素敵さに目を奪われ、その技巧の素晴らしさにまで目がいかない。
 たぶん、日本の超絶技巧のように、このハイジュエリーたちも、凄い技巧なのよ。と言いたいのかもしれません。
 
 が、そこには、無理がありました。
 一方は、目を凝らしてみなければならないほどの細かい作業とセンス。
 一方は、そばに立つだけで、際立つきらびやかさ。
 その双方を同じ場所に並べても、自ずと観客の目はどちらに奪われるか、わかると思います。
 
  入館する前に勝手に想像していたのは、結果、日本の超絶技巧は、やっぱり凄いんだと思う展示だと考えていましたが、ちょっと違いましたね。チケットをもらって、行く機会があったので足を運びましたが、納得いかない展示会でした。

 が、しかし、平安神宮、岡崎あたり、美味しいものが多いのですよねぇ。気を取り直して入ったカジュアルフレンチ、「ウイキョウのスープ」という初めて口にする美味しいランチで、お口は納得。
☆下の写真は、「ウイキョウのスープ」。ウイキョウは、フェンネルともよばれるハーブです。上にのっているのが緑がウイキョウで、ベースのポタージュもウイキョウの玉ねぎみたいな茎の部分だと、説明を受けました。
ジュエリーj2 

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さぞ、心強かろう

    オックスフォード上流j
(承前)
 昔のことを、もう一つ思い出しました。

 初めての子育ては戸惑うことの連続でした。
 長男は中耳炎を繰り返すより、さらに小さい頃、急な高熱で、ひきつけたことがありました。
 新米の母親は、あたふた。夜中なのに、小児科のドアを叩いていました。
 幸い(当方にとって)、小児科は隣の敷地でした。
 高名な小児科の先生でしたが、診てくださいました。嫌事一つ、おっしゃらないで、診てくださいました。
 受付では、上着を羽織った奥様が、お薬を出してくださいました。
 そして、そこには、我が子のことしか頭になかった失礼極まりない若い母親が居ました。
  
 小児科が親族に一人でも居たらいいのに・・・と、何度思った事でしょう。
 些細なことでも、きっと、相談できたのに・・・さぞ、心強かろう・・・
 
 と、遠い昔の想い出を、最近、小児科の女医さんに話したら、
「ああ、うちの娘も、うんちの色が心配だとか言って、うんちの写真を添付してくるよ」という話になりました。
 そして、その娘さんは、周囲に羨ましがられているのだとか・・・「お母さんが小児科医でいいねぇ」

☆写真は、英国 オックスフォード テムズ川

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ひと頑張りしてもらいたい

     モルジュ朝j
(承前)
 仕事に復帰した娘、保育所生活の浅い孫ですが、娘には仕事を続けてもらいたい。
 かつてのカ・リ・リ・ロより、ずっと産前産後、育休、復帰などの手厚い外資系の会社。
 長い人生、ここは、ひと頑張りしてもらいたい。

 昔、中耳炎を繰り返していた長男は、小児喘息となり、晴天のもと、苦しんでいたことが多々ありました。運動会や遠足や音楽会や、行事の多い二学期に彼は寝込んでいました。
 そしてそのとき、カ・リ・リ・ロは、二人目がおなかにおりましたので、産休を心待ちにしていました。それにしても、どうやって、仕事をこなしていたか、あまり、思いだせません。よく、保育所から呼び出しがかかり、タクシーで勤務地から帰ったことを覚えていますが…

 それで、二人目を出産。楽しみにしていた育休でした。が、長男の小児喘息はよくならず、中耳炎も繰り返す日々。ああ、やっぱり仕事を続けられない・・・・
 そのとき、勤務していた学校に、「辞める」といいに行った日を覚えています。帰りのバスの中で、涙が止まらなかった。(続く)
☆写真は、スイス モルジュの朝
 

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泣いていたのは、その母親

キンポウジュj
晩婚化は、晩ばあばにつながり、中耳炎で保育所を休むときの孫のお世話の動員にへとへと・・・
 痛くて、咳も出て眠らなかった孫の世話で、母親も、体調を崩した以上、ばあばが出なければ…たまたま孫の父親は出張でした。

 かつて、カ・リ・リ・ロ自身も、長男を保育所に預け、仕事に出ていました。
 夫は異業種でしたから、ほとんど、手助けしてもらえず、一体どうやって乗り切ったんだろう?
 ばあばと妹を動員して乗り切った気がします。
 ばあばも妹も仕事をしていたのに、多分、飛んできてくれたんだろう・・・・

 長男も中耳炎を繰り返し、次の子がおなかにいる時、しかも雨の中。
 おしっこで濡らしたシートを抱え、時々、抱っこしてやりながら、耳鼻科に通った夜。
 痛くて泣きたいのは、息子だったのに、泣いていたのは、その母親。(続く)
☆写真は、キンポウジュ(ブラシの木)

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海北友松展

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 大体、テレビの展覧会案内番組で紹介されたら、混雑するのはわかっていて、ちゃんと賢い人は、それ以前に、この「海北友松展」(京都国立博物館:平成知新館)を鑑賞なさっていました。しかも、会期終盤は混雑することも知っていても、数々の諸般の事情から、結局、カ・リ・リ・ロが足を運べたのは最終日でした。

 確かに、入場するには行列ができ、初めの展示物は、見えない状態でしたが、展覧会の常で、中盤からは、人が減っていき、ゆっくり見ることができました。

 街に張り出されていた雲龍図の一部は、建仁寺のもの。建仁寺で、見たことあるしなぁ・・・などと思っているうちに、多忙を言い訳に行きそびれていたのでした。
 建仁寺のものは、複製の襖絵で、しかも廊下からしか見られないので、今回、表具されて展示された雲龍図の迫力は楽しいものでした。
 お茶目な龍とかねがね思っていましたが、「野馬図屏風」のひょうきんな馬も、「放牛図屏風」のほのぼのとした牛も、どこか優しいユーモアが。寒山拾得などの人物も、どこか茶目っ気があって、およそ、桃山時代の人の画とは思えない。
 それら息をする物を描いたものに比べ、風景図屏風のいくつかは、いたみもあるし、伸びやかさにも欠けるような気がしました。

 が!最後の「月下渓流図屏風」(6曲一双)!!!
 これだけでも、見に行ったかいがありました。素晴らしい!!!
 照明を落とした展示室のこの作品、月の薄明りの下、ほんのり、はんなり、光と影。水の音。梅に椿、そして、松、みんな朝靄の中。小さな土筆が、かわいい。
 山水画でもなく、水墨画でもなく、金碧屏風でもなく、静寂を表現できる柔軟な筆の持ち主、海北友松。
 後世、江戸の絵師たちの作品の中に、この人の影響を見るのも当たり前のことかもしれません。

 それにしても、この美しい屏風、どうやって、米国カンザスのネルキン・アトキンズ美術館に渡っていったんだろう?西洋人好みの色合いや迫力とは縁遠いような気がするけど、目利きはいるんですね。手放した日本人は、今頃、気が付く。ほかにも、いろいろあるなぁ。

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日々の手入れ

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 ご近所に会社の大きな寮があって、そこのお庭は、どの季節も、丁寧に手入れされていました。
 が、今年は、なんだか、いつもよりすっきりしないなぁと思っていたら、雑草が生えてきました。
 あれれ・・・と、毎年楽しみにしている躑躅や、芍薬の頃には、もはや、見るのもかわいそうな花々たちが、咲いていました。
  連休頃から、門周辺の雑草などは目立たなくなってきたものの、つつじや芍薬は、庭の一番北端にあるので、管理が追い付かず、かなり、つらいことになってしまったようです。お花が好きだった管理の人が居なくなって、仕方なく、庭の管理もしている人に変わったのでしょうか。
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 花が咲き、花が終わると、その花がらを積んでいく。簡単なことですが、大変なことです。
 写真に写るバラたちは、それぞれのお家や、町内会が丁寧に世話をなさっていて、毎年楽しみを分けてくださいます。
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青空の彼方へ

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 (承前)
・・・と、サマセット・モームの章「丘の上の家」は謎が解けたような気になっていると、大昔、読んだ気がする「若きウェルテルの悩み」や、大人になってやっと読めた「ファウスト」➡➡「親和力」(柴田翔 講談社文芸文庫)のゲーテの科学者としての一面も「黄金の時刻の滴り」(辻邦生 講談社文芸文庫)に書いているので、びっくり。

 浅学極まりないので、ゲーテは小説家であり詩人であり、紀行文・戯曲なども書く、文学系の人だと決め込んでおりました。
 そうしたら、邦訳で手に入るだけでも、「色彩論」「地質学論集(気象篇)」「地質学論集(鉱物篇)」「形態学論集(植物篇)」「形態学論集(動物篇)」(ちくま学芸文庫)などの著作、政治家でもあったようだし、スケッチなども残っている・・・
 
 さて、 「黄金の時刻の滴り」の中の「青空の彼方へ」という章は、ドイツからスイスを越え、イタリアにやってきているゲーテと思しき人が主人公です。
 スケッチブックを持って、歩き回っているとあり、「アルプスのこちら側ではすべてが素晴らしい」と言わせています。
 ああ、これは「イタリア紀行」(岩波文庫)から、インスパイアされているんだろな・・・と思っていたら、「スイス紀行」(ちくま学芸文庫)という本もあるぞ。うーん。

 で、多分シラーに宛てた手紙から、つながるんだろうけれど、
≪友よ。この手紙を書いているのが長いことあこがれていたイタリアからだということを信じても貰えるだろうか。なぜって、ぼく自身、まだそれが信じられないのだ。アルプスを越えただけで万事が魔法をかけたように一変するのだ。黒ずんだ糸杉、オレンジの木、ミルテ、葡萄、銀緑色の葉を輝かすオリーヴ、水揚(オービエ)、夾竹桃、ポプラ――木々を見るだけで心が明るくときめいてくる。≫  *注:ミルテ:銀梅花ギンバイカ
 
 イタリアに行った事がなく、アルプスには行った事がある身としては、そうなんだ。アルプスも魔法がかかったような景色が広がっているけどなぁ・・・
 へぇー。この年齢(とし)になって、知らないことが多すぎる。
 が、まだまだ知りたいことがあって、ありがたい。
 とはいえ、これで、また読まねばならぬ本が増えていく・・・・(続く)
☆写真は、スイス クライネシャイディックから下りる道から見えるメンヒ

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この世は物語だらけ

         ケルムj
(承前)
 「黄金の時刻の滴り」(辻邦生 講談社学芸文庫)のおかげで、いろんな本に手出ししました。

 が、まずは、「丘の上の家」というサマセット・モームの章は、うーん、あれとあれが混在してできた話かなぁ・・・などと、思いながら読みました。サマセット・モームは読んだ数が他よりは少し多いからでしょうか。
 大体、≪山荘は丘の上にあった≫➡➡の出だしの「女ごころ」(尾崎寔訳 ちくま文庫)がありますからね。

 さて、仮想サマセット・モームの口を借りて、辻邦生は、こう書きました。
≪ぼくは、小説家というのは、結局、いかにうまく物語を語れるかに尽きると思っている。物語を必要としない人物は、何も小説を読むことはない。世の中には読むものはいくらでもある。歴史書だって法律書だって、必要な人には欠かせない。ただ小説は、そうした読書とは違う。小説は楽しみのために読むのだ。もちろん楽しみといってもいろいろある。現代人は楽しみというと、大抵低俗なことを考える。だが、世の中には精神の楽しみもある。小説はそのために書かれる。そのためにだけ書かれるといっていい。≫
・・・・とあり、このあと、まだまだ小説談義が続くのです。会話文ですから、いわゆる小説論より面白く読みやすい。

≪・・・「小説家には、つまらない出来事などないんだ。葉が一枚散っても出来事だし、棒が折れても出来事だ。問題は何かが起ることだ。」「では、この世は物語だらけですね。」「そうだ。物語だらけだ。・・・・≫(続く)
☆写真は、英国 ケルムスコットマナー

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黄金の時刻(とき)の滴り

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(承前)
 先日来、「黄金の時刻(とき)の滴り」(辻邦生 講談社文芸文庫)を読んだのに、夏目漱石や丸谷才一など本体の周りから書きました。➡➡ ・  ⇒⇒

 辻邦生を読んだら、ついつい、そこから派生する文学や絵画、音楽にも惹かれます。

 この「黄金の時刻の滴り」は、かつて読んだ「楽興の時十二章」(音楽之友社)や「十二の肖像画による十二の物語」「十二の風景画への十二の旅」(文藝春秋)(今は「風の琴-二十四の絵の物語」PHP「「風の音」文春文庫)などなどと同じように、一つ一つの独立した短編のオムニバス形式の作品となっています。
 そして、辻邦生は、これらの形をパロディとし、≪〈物語〉の構造、面白さ、楽しさを純粋化する装置のようなものである。≫(「あとがき」より)としてます。
 「黄金の時刻の滴り」は音楽や絵画のオムニバスではなく、架空の若い物書きや、文を書こうとする人が、実在の作家の創作への思いに迫ろうとする試みです。
 実際の名前こそ出てきませんが、その作家をよく読んだ人には、その章の主人公はどの作家なのか、推察できるということです。
 
 トーマス・マン、ヘミングウェイ、サマセット・モーム、カフカ、エミリ・ディキンスン、スタンダール、ゲーテ、チェーホフ、リルケ、ヴァージニア・ウルフ、トルストイ、夏目金之助(漱石)。それぞれの章初めに、オマージュを捧げるかのように、作品から一文を掲載しているので、各作家が誰をモデルにしたかは、わかりますからご心配なく。

 とはいえ、各作家の作品しっかり読んでないので、その章題は、どこにつながっているのかは、あるいは、辻邦生のイメージだけから生み出されたものなのか、恥ずかしながらよくわかりませんでした。
 唯一、きっとこれね。とわかったのが夏目漱石の章「野分のあと」だけでした。漱石の短編に「野分」というのがありますから・・・(続く)

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