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みんなみすべくきたすべく

ヒナギク野のマーティン・ピピン

ライ3
(承前)
「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(E.ファージョン文  イザベル&ジョン・モートン=セイル絵 石井桃子訳 岩波)
 これまで、面白おかしかった「ライの町の人魚」でさえも、ちょっとしたメッセージが入っていたことに気づいてみて➡➡、この「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の中のお話の寓話性にも着目してみました。

 この本のあとがきで石井桃子が、「ナンセンスと寓話のいりまじったようなもので、他の六つのお話とは、あまり調子がかけはなれ、なぜ、この本にこういうものが、長々とはいってこなければならなかったかを、ふしぎに思います。」と評価しなかった「ニコデマスおじさんとジェイキン坊や」でさえも、今のカ・リ・リ・ロには、結構面白く読めました。確かに全体としては長々と教訓て臭く、蛇足のような位置づけではありますが、一つ一つのお話はとても短く、この短さで、大事なことを伝えようとしたファージョンの老婆心がちょっと楽しく思えました。「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(1937年)はその姉妹版である「リンゴ畑のマーティン・ピピン」(1921年)から、15年以上も経ってできた本だと考えると、ファージョン(1881年~1965年)がまだ伝え足らないことを書いたとも考えられます。カ・リ・リ・ロが、気に入ったのはイタリア人が話した「自分で選んだ重荷は軽い」の話。

 そしてまた、かつて読んだときには、「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」や「ウィルミントンの背高男」ほど楽しくなかった「タントニーのブタ」のナンセンスな筋運びも、ちょっと深いところに触れているのかとわかると、やっぱり面白く楽しめました。(続く)

*「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、6つのお話とそれをつなぐ前奏曲、第一~第五間奏曲、後奏曲などで構成されています。
6つのお話は、「トム・コブルーとウーニー」「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」「タントニーのブタ」「セルシー・ビルのお話」「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」 そのあと、「洗たく物かごのなかの赤んぼう」「ニコデマスおじさんとジェンキン坊やがちえをさがしにゆく」(続く)

☆写真は、英国ルイスの町 ルイス城から、ケーバーン山(「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」の舞台)を望む。右端に白亜が見えますが、海には面していません。ケーバーン山自体が主に白亜層でなっています。それゆえ、樹木が少なく、こういう丘(丘陵)をダウンといいます。(撮影:&Co.Ak)

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ライのマーメイドイン

ライ
(承前)
 なにゆえ、ライに行ったかは、以前、書き➡➡⇒⇒他でも書いているので、「ライの町の人魚」のお話の出ている「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)のこと。
 何しろ、30年近く前、友人とイギリスに行ったのは、ファージョン探訪だったし、湖水地方のポター、ランサム探訪でした。そのあとは、サトクリフ探訪、ディケンズ探訪(少し)も加わって、果たして、何回イギリスに行ったか・・・ただ、子育て真っただ中の頃でしたから、多くは3泊か4泊の旅でした。
 
 さて、あの頃は、「ライの町の人魚」の話が興味深く、しかもその名前を冠したホテルがあるという楽しさに夢中でした、今回「ヒナギク野のマーティン・ピピン」全体を読み返すと、他の話にも、以前とは違った視点も生まれて、新鮮な気分で読み返していました。

 「ライの町の人魚」は、ライという海に面し、しかも海岸は、砂地でなく湿地近くの海で暮らす、人魚がウィンチェル嬢が、人の暮らす丘の上の町ライの生活に入っていくというお話です。アンデルセンの人形姫とちょっと似ています。が、大きく違うのは、ハッピーエンドなのです。
 言葉は、田舎言葉で、世間知らず(人の世界知らず)のウィンチェル嬢が、アンデルセンの人魚姫のように、声(言葉)と足(人魚の身体)を交換して、丘に上がるという結末ではなく、何も失うことなく、ライの「マーメイド旅館」で≪男たちを、老いも若きも、うっとりさせるために出かけ≫≪そのとおりのことをやり、今もやってる。≫のです。そして、≪いままでにこの世に生まれた人魚のなかで、ライの町の人魚ほど、その名を知られている人魚はいない。…ウィンチェル嬢は、まったく「天才」だったのだ。≫で、終わります。

 アンデルセンの人魚姫が、つらい思いをして、丘に上がり、悲恋に終わるのと違い、ウィンチェル嬢は、人魚のままで丘に上がります。
≪「もう出かける時間だ。」とセップがいった。「あたし、だいていっていただかなくちゃならないわ。」と、P・ウィンチェル嬢はいった。「あたし、あるけないんだから。」ウィンチェル嬢は、波うちぎわまで、ぱちゃぱちゃはっていって、それからあとは、セプティシマスが嬢をかかえていった。≫
 
 足があろうがなかろうが、田舎言葉であろうがなかろうが、洗練されていようがそうでなかろうが、向上心があり、コミュニケートすることを大事にする人(人魚)であれば、未来は明るい・・・・・

 昔この話を楽しんだときは、明るい気楽なお話の一つとして読んでいたのですが、軽く、単純なように見せて、実は、人生を励ますお話でもあったのが、やっとわかった次第。(続く)

☆写真は、ライのマーメイドイン(人魚亭)の廊下。(撮影:&CO.Ak)

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地図を見る

ケルト5

(承前)(***この文章を書いていたのは、コロナ自粛真っただ中の頃です。)
 ゆっくり本を読む時間や調べる時間が増えた昨今。図書館や書店が休みでも、自分の本棚の前に立つだけで、読み返したい本の多いこと。くらくらします。
 読書の連鎖は、とどまることを知らず、この度は、サトクリフからファージョンにつながるという嬉しい結果。

 ・・・・と、その前に、やっぱり地図(ROMAN BRITAIN)も見ておかねば…
「ケルトとローマの息子」➡➡の物語の後半の舞台となったロムニー・マーシュ(下の海岸線の緑の印)は、干拓してできた土地、いわば、海岸であり低地であったところとも言えます。だから、歴代、いろんな民族の侵入の場面となる場所です。この地のHPには、ローマ、アングロサクソン、バイキング、ノルマン、スペイン、フランス・・・からの侵略の入り口として、地図や絵などを公開し、その歴史を見ることができます。また、第二次世界大戦時のドイツ軍侵略の計画図ともいえるものも掲載されています。(1940年)それは、この海岸線のほかは、侵入しにくかった場所だとも言えます。

上記地図の右から二つ目の印がドーバーで、ここは大きくは白亜の崖があります。上から見張ることができますし、絶壁です。(もちろん大きな港もありますが)
ドーバー15

また、緑の印の左隣のオレンジの印は、ライで、入江とはいえ、沼地が続き、離れて高台になっています。
この左隣のオレンジの印はヘイスティングスで、白亜の崖も沼地もありませんから、やはり、侵入しやすかったと見え、近くの小高い丘でいわゆるヘイスティングスの戦い(1066年ノルマンディー公ギヨーム2世とイングランド王ハロルド2世)がありました。その隣のオレンジの印はイーストボーンですが、ここから船に乗って、西方向海岸線は、かのセブンシスターズといわれる美しい白亜の崖で、やはり絶壁。
セブン14

 ということで、この大陸と近いドーバー海峡に、面した海岸線のうち、侵入者が狙いやすかった地の一つが、ロムニーマーシュ➡➡だったとわかります。

  蛇足ながら、サトクリフファンなら、ああ、とため息がでそうな海岸線の町の一つ。一番右端のオレンジの印は、ルトピエ(リッチボロー)「ともしびをかかげて」猪熊葉子訳 岩波)そして、もう一つ、一番左端の町、アランデル➡➡。ここはちょっと内陸のように見えますが、当時は、もっと海岸線寄りだったように描かれています。(「運命の騎士」猪熊葉子訳 岩波)
 おまけに、地図の上部、緑の印はロンドニュウム(ロンドン)です。他にも内陸部でサトクリフ関連の地名をたくさん見つけるのは、今や老後の楽しみになりました。とはいえ、老眼には厳しいなぁ・・・(続く)

☆写真の地図は「ROMAN BRITAIN」 MAPです。ドーバーの写真撮影&Co.I.。 セブンシスターズの写真撮影&Co.Ak。

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ロムニー

アランデルj
(承前)
 サトクリフの多くの作品に共通するのは、主人公の少年・青年の成長ということと、それを支える友情や信頼や尊敬…一人では乗り越えられなかったかもしれないことの後ろ、あるいは横にいる人の存在です。時には、その風景や花、鳥、そして、犬も大きな役割を持って登場しますが、やっぱり、主人公に寄り添う人の魅力が大きいのも、作品の特徴なのだと思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)の主人公ベリックが部族から出て、ローマの奴隷になり、そこで出会う人の一人に、ローマの首席百人隊長ユスティニウスが居ます。
 ≪軍団の首席百人隊長であり、ローマ帝国の辺境の地に道路を建設したり、湿原の干拓をしたりした、その功績が有名な男だ。だが壁の前に立っているベリックの注意を引いたのは、その男の名声ではなく、彼の身にそなわっているなにかだった。実際、その男はだれといても目立った。がっしりして胸板が厚く、いかつい肩をしている。立ったところを見ると、奇妙なほど腕が長い。浅黒く引きしまった顔に、大きなワシ鼻。ひたいの中央にミトラの印をつけているが、その下でつながりそうな黒い眉は、砂漠のアラブ人を思わせた。だが手に持った酒杯から目を上げると、その目の色は意外にも、太陽の国の黒ではなく、澄んだ灰色をしていた。冷たい北の海の色だ。ときとして非情になることはあっても、けっして卑劣にはならない男の目だった。ああいう男に仕えることができたらいい。「あの男の奴隷ならよかった!」ベリックは思った。「あの男の奴隷ならよかったのに!」≫

 この首席百人隊長ユスティニウスは、自分を根っからの「土木技師」といい、再度、北へ(ブリテン)湿原の干拓に戻ります。それを最後の仕事として完成させたいという思いをもって、また、そこに蘇りつつある農場での生活のために。

 その干拓した土地というのが、今のロムニーマーシュという土地です。Romny 、つまりローマです。
 そして、ローマが作ったのが「リーの防壁」(Rhee Wall)。ただWallを壁と訳したいところですが、土手とか堤防と訳してみると、現在の水路と土手のような場所のイメージができるかと思います。
≪湿原の南橋にあるマーシュ島は、島といっても土地がまわりより二、三フィート盛り上がっただけの場所にすぎない。ほんの1マイルほどの島だが、「リーの防壁」と呼ばれる大堤防がここを守っている。さらにレマニス港の下手の北の水門から続いている砂利の堤も、この島の海岸線沿いを通っている。…≫

今、この辺りは牧草地になっていて、上質の羊毛でも有名なようです。が、このような土地は、現代の地球温暖化で様々な影響があるのではないかと、危惧します。実際、温暖化とは程遠かったローマンブリテンの時代も、三日三晩続く大嵐と戦うというのが、物語りのクライマックスとなるのです。

そして、この辺りのことを、地図で見、WEBの映像で見ましたら、おお、昔、訪ねたライの隣町ではないかですか?そうそう、あそこも、向こうに海が見えるものの、そこに行きつくまでは、沼のような湿地だった・・・なぜ、ライに行ったか?それは、以前にも書きましたが・・・➡➡(続く)

☆写真は、ロムニーではなく、英国 アランデル城から、イギリス海峡を見る。ロムニーは、この海岸線をずっと東方向、ドーバー海峡に近いところ。(撮影:&Co.I)

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ケルトとローマの息子

ケルト2
 ペスト禍を扱った作品➡➡  ➡➡  ➡➡ を、次々読んでいったのですが、シュティフター➡➡だけでなく、サトクリフにも疫病が関係する話があります。シュティフターもサトクリフも、大人も若年層も楽しめるという点では共通していると思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
 この本では、他のペスト禍(疫病)とちがって、その話題を大きく取り扱っているわけではありません。ケルトの部族に助けられ育てられたローマの少年が、疫病神扱いされ、部族を出ていき、その後、ローマに奴隷となって、渡り、過酷な日々の後、またブリテンに戻り…という話ですから、疫病が、話のきっかけにはなっていますが、疫病自体を取り扱っているわけではありません。また、疫病と大きなくくりで書かれ、ペストやコレラ、スペイン風邪などと言わないのは、時代がローマンブリテン(西暦紀元頃~5世紀)だからです。

≪・・・作物は枯れ、羊は死んだ。獲物はとれず、そしてこの疫病だ。…一族にさらなる災いが降りかからぬうちに、こいつを追放せねばなるまい。そうでなければ、取り返しがつかぬことが起きるだろう。そう、追放だ。・・・・われらが問題にしているのは、彼がなにをしたかではない。彼がなんであるか、だ。彼に流れている血が、われらの神を怒られせているのだ。・・・≫

この血筋というアイデンティティーの問題は、サトクリフの多くの作品の底に流れるものです。この現代においても、疫病の出自にこだわり、そこを突き詰めたら、この災いが軽減するかのように思い込む輩がいるのですから、ローマンブリテンとしては、よくある話だったと思います。

 サトクリフの他のローマンブリテン4部作(猪熊葉子訳 岩波)に比べると、追放された少年ベリックの過酷すぎる運命や、登場人物が多く、人物構成が複雑だと感じるかもしれないものの、物語りの最後は、サトクリフの多くの作品同様、向こうに光が・・・・という結末が待っています。(続く)

「ケルトとローマの息子」(1955年)
ローマンブリテン4部作:(岩波)
「第九軍団のワシ」(1954年)
「銀の枝」(1957年)
「ともしびをかかげて」(1959年)
「辺境のオオカミ」(1980年)
☆写真は、英国 オックスフォード近郊

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コケの自然誌

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「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本には、ネィティブアメリカンの深い考え方だけでなく、ユーモアにあふれる研究生活も描かれていて、コケと我々の間を狭めてくれたような気がします。
 また、かつては、おむつの代わりをしていたとか、生理用品の代わりでもあったという箇所を読むと、この学者の女性としての視点も見え、納得もできました。

 あるいは、「人工のコケ庭園」「コケ泥棒と傍観者」という章では、現代のアメリカ合衆国のコケへの姿勢に疑問を呈し、コケが身近にある日本とは違う価値観を知ることができました。が、これらは、アメリカの農業における遺伝子組み換え問題や農薬などなど、小さなコケが示す大きな問題にもつながるかと思いました。

「人工のコケ庭園」という章の最後で、筆者は、人工のコケ庭園の敷地のはずれに行きます。すると、
≪敷地の境界は、鹿やその他の動物が侵入できないように、外に向かって角度をつけた四本鎖の電気柵で仕切られていた。策の下の地面一帯はすべて除草剤が撒かれ、植物はすべて枯れてしまっていた。シダも、野草も、灌木も、木も、幅3メートルあまりの帯状に排除されていたのだ。何もかも枯れてしまった――コケ以外は。化学薬品の影響を受けないコケがその場所を占領し、コロニーが集まって、無数の緑色から成るものすごいキルトを作っていた。…≫

 「面白いから読んでみて」と教えてもらい読んだ本です。そのバトンを次につなぎます。「面白いから読んでみて」

☆写真上は、スイス ミューレン。 コケを意識して撮った写真ではないのですが、複数のコケが写っていて、ちょっと嬉しくなりました。写真下は、近くの公園。

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コケの強み

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「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 「コケの自然誌」が面白かったのは、何もネィティブアメリカンの考え方に触れたからだけではありません。著者のコケに対する愛情が、苔の素人にも伝わり、興味深かったからでもあります。

≪コケが小さいのは、上に伸びるのを支える器官をもたないからだ。・・・・・木が高くしっかりとそびえるのは、維管束組織があり、木部組織が張り巡らされ、壁の厚い尿細管細胞が木製の配管設備のように木の内部に水を運ぶからだ。コケは最も原始的な植物で、そういう維管束組織を持っていない。その細い茎は、あれ以上伸びれば重さを支えられないのだ。・・・・けれども、小さいからといってそれは失敗したことにはならない。コケは、どんな生物学的尺度で見ても成功している――地球上、ほとんどすべての生態系にコケは存在し、その種類は2万2000にのぼるのだ。・・・・コケは表面に生息する。岩の表面、樹皮、倒木の表面など、地面と空気が最初に出会う小さな空間だ。空気と地面が出会うこの場所のことを、境界層という。コケは岩や倒木と片寄せあって生えており、その形や特性をよく知っている。小さいということが不利であるどころか、コケはそのおかげで、境界層の中に形作られた独特の微環境をうまく利用することができるのだ。≫

 個人的には、小さいものの味方をする考えが好みなものですから、納得しながら読みました。そして、コケの湿った葉が二酸化炭素を容易に吸収できること、コケは、他の植物がその大きさゆえに生息できない空間を自分の場所とするなど、コケの小ささ、その限界こそがコケの強みだというのです。パチパチパチ(拍手)

 そして、≪コケは水分の98パーセントを失っても枯れず、再び水分が補給されれば、元の状態に戻る。≫とし、標本キャビネットで40年脱水状態にあったコケのことを紹介しています。ここを読んで、また納得。我が家のプランターでさえも以前の家から付いてきていましたからね。(続く)
☆写真は、スイス アルメントフーベル。点在する岩の表面やその割れ目にコケが生えているのが見えますか?

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その名前を知ることが第一歩

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「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本の底流を流れるネィティブアメリカンの哲学は、現代の人に重く響きます。
≪…(現代の)私たちはもはや植物の名前すら知らない。平均的な人が知っている植物の名前はせいぜい12、3種類で、しかもその中には、「クリスマスツリー」などというものが含まれていたりする。名前を忘れるというのは敬意を失うことに繋がる。植物との繋がりを取り戻すには、その名前を知ることが第一歩だ。≫

 ここで思い出すのが、シオドーラ・クローバー『イシ-北米最後の野生インディアン-』 (行方昭夫訳、岩波)『イシ-二つの世界に生きたインディアンの物語-』(中野好夫・中村妙子訳、岩波)
 ネィティブアメリカンの最後のヤヒ族といわれる「イシ」ですが、自分の名前をみだりに他人に告げることはない種族でした。白人学者に協力し穏やかな半生を過ごすものの、そのあとの解剖だとか博物館との関わりを考えると、上記でいう、名前と敬意という奥の深い問題を、「イシ」は知っていたのだとわかります。・・・・「イシ」も読み返さなくちゃ・・・・あーあ、またつながっていく。

閑話休題。
≪ ネィティブアメリカンの人々は、大きいものも小さいものも含めた植物が、再び人間に恵みを与える責任を果たしてくれたことに感謝をささげるために集う。…・口頭伝承から学べること。書かれたものの中から学べること。植物から学べること。そして、私たち人間もまた、私たち自身が果たすべき役割を意識してもいい頃だ。互恵というクモの巣において、私たちが持つ特別の力、お返しに私たちから植物に差し出せるものとは何なのだろう。
  人間の役割とは、尊敬することと管理すること。生命を寿ぐ形で世話することが私たちの責任であると。植物を利用することは、その性質に敬意を表すことである、と私たちは教わる。・・・・・・・≫

 ああ、この本は、かつて「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン文 上遠恵子訳 新潮社)「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹 簗一訳 新潮文庫)➡➡を初めて読んだ時と同じくらいの重さと深さを目の前に差し出してくれました。(続く)
☆写真は、スイス ギースバッハ

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求めているものが姿を現す

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 「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)は、科学の本ですが、文芸の本のような匂いもする面白い1冊でした。

 一昔前のカ・リ・リ・ロなら、過日の「英国貴族、領地を野生に戻す」➡➡や、「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)➡➡ 「動物たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた野生の声」(ペーター・ヴォールレーベン 本田雅也訳 早川書房)➡➡、そして、今回の「コケの自然誌」など、書評に出ていても、友人に勧められても、なかなか手を出さなかったような本です。
 
 ネイティブアメリカン ポタワトミ族出身で、科学者の彼女のコケ愛が詰まった本です。
 知り合いの長老に、何かを見つける最良の方法はそれを探しに行かないことだと、言われます。科学者である彼女にとって、これは難解な概念ながら、さらに目の隅で見ること。可能性に心を開くこと。そうすれば求めているものが姿を現す。と教えられます。

  ネイティブアメリカンのものの考え方では、≪すべての生き物にはそれぞれの役割があり、生き物はそれぞれ、特有の才能と知恵、魂、物語を生まれながらにして持っている。…自分の中にあるそういう賜を発見し、それを上手に使うことを学ぶ、ということが教育の根幹にある。こうした賜にはまた、それを手段として互いのために尽くす責任がともなっている。・・・・≫

 なんて深い考えかたなのでしょう。この根幹のところを押さえている者が、為政者となり、教育を司る者となるならば、地球上に住むあらゆるものは、危機から縁遠いはずなのに・・・(続く)
☆写真は、先日の天神山➡➡のご神木

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魔法の泉

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「片手いっぱいの星」(ラフィク・シャミ 若林ひとみ訳 岩波)
(承前)
 サリームじいさんの話を聞いて育つ「ぼく」は17歳の日記にこう書きます。
≪ぼくは17歳だが、ぼくの最高の友サリームじいさんの話を聞くのが十年前と同じくらい大好きだ。ぼくはいま、じいさんが十分考えたうえで、同じ話をある一定の期間のをおいてくり返し話してくれたんだと思う。話は語られるたびに少しずつ変わるものだが、変わるのは話だけではない。聞き手の方も年をとり、その話からまらちがった“魔法の果実”を得る。物語は決して涸れることのない魔法の泉だ。≫
 ここで思い出すのは、『お話を運んだ馬』(シンガー文 工藤幸男訳 マーゴット・ツェマック絵 岩波少年文庫)のお話の名手ナフタリですが、これはユダヤ人の話でしたね。

 ユダヤ、イスラエル、シリア、作者のシャミの生まれたダマスカス・・・混沌とした地域の宗教と歴史。シリア問題(大きく言えば、この辺り一帯の問題)は現代までも、片付いていない大きな問題ですが、「ぼく」が日記に書いたように、物語は魔法の泉です。大人は、それぞれの場所で伝えていかなけばならない。その使命感を忘れないようにしたい。

 最後にサリームじいさんの葬儀の箇所は、感動的です。
≪女は、ふつうは教会までしかいっしょに行かないのだが、全員墓地まで行くことにした。みんな、夫だけを危険な目にあわせたくなかったのだ。この通りから、あんな葬列が出たのははじめてだった。何百という人びとが、六人の男たちのかつぐじいさんの柩に続いた。また、二百人以上もの女たちが、柩の前を歩いていた。・・・・・(中略)・・・・・四人の兵士が機関銃を女たちに向けていた。でも女たちは先に進もうとした。みんな大声で兵士たちをどなりつけていた。サリームじいさんの娘さんが黒いブラウスを破き、叫んだ。「葬列を通しな。撃つんならわたしをやりなよ!」彼女は前にとび出していき、ほかの女たちは道端の石をひろうと、じりじりとあとずさりしている兵士たちの方へ向かっていった、一人の女が、「わたしはあんたたちの姉さんや妹や母親だよ!」と、叫ぶと地面に目を落とした兵士もいた。ジープにいた将校が、兵士にもどるよう命令し、ジープは去っていった。≫

☆写真は、スイス アスコナ

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