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みんなみすべくきたすべく

雪梅雄鶏図

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今冬の京都文化財特別公開のテーマ「京都にみる日本絵画」(~2019年3月18日)➡➡  ⇒⇒の続きです。スタンプラリーもあって、先日、妙心寺天球院と麟祥院の二つに行きましたから、3つ集めるスタンプも、もう一つ・・・ということで、建仁寺両足院の若冲を見に行きました。
 両足院は、便利がいい場所にあるので、先日の秋の紅葉の時も➡➡、半夏生のときも⇒⇒  ➡➡、  ⇒⇒など、よく行っていますが、冬の公開時の両足院には、行った事がありませんでしたから、若冲の「雪梅雄鶏図」も、初めてでした。

 すぐそばで見ることのできるこの掛け軸は、鶏の尾羽が綺麗。梅の枝の雪の様子も綺麗。そして、何より、綺麗なのは、赤色。雄鶏の鶏冠の赤。葉が緑の椿の花の赤。絶妙なバランスで配置された赤。密かに、ウグイスも来てますから、春も近い・・・今日の日のように・・・

伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」の公開は、2月1日~2月25日
長谷川等伯筆『竹林七賢図屏風』『水辺童子図襖絵』
伝如拙筆『三教図』【重要文化財】1月10日~1月31日
しろき観音像2月26日~3月18日と案内されています。

☆下の写真は、建仁寺近く花見小路裏のお玄関先の鉢植え。親切に名札がついています。椿の名前は「太郎冠者」。紫のお花は「おきな草」(翁草)・・・花の後、白くもしゃもしゃした毛のような種が、老人の髪のようだからということです。 つまり、太郎冠者と翁。なかなか粋なアレンジ。京都らしい。一番下の写真は、建仁寺境内の侘助(下向いて咲いている椿の一種)、多分、これも太郎冠者。
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ロバのおうじ

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 ソプラノとリュートのコンサート➡➡に行く前、娘に「リュート、初めて聞きに行く」と話すと、「いいなぁ。ロバの王子が弾いていたやつでしょう。」
 そうなのです。「ロバのおうじ」(グリム童話より M.ジーン・クレイグ再話 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)を、彼女は思い出したのです。

 カ・リ・リ・ロにしても、もしかしたら、この絵本で、知ったかもしれません。
 そして、一時期、ロンドングローブ座に毎年のように出かけていた頃、エリザベス朝宮廷音楽のCDを持ち帰り、家でよく聞いていました。多分、その時に、リュートの音を楽しんだのが、初めだったと思います。それにしても、実際の演奏には、なじみがありませんでした。

 で、「ロバのおうじ」です。写真下の挿絵は、グリム童話(ホフマン絵 大塚勇三訳 福音館)の「ろばくん」のものですが、話のルーツとしては、同じものの、ホフマンの方は、簡潔な昔話。それに比べるとクーニーの絵本の方は、人物描写もあって、長い物語になっています。

 強欲な王様の 生まれてくる子どもにかけられた呪文は、ロバそっくりに生まれてくることでした。誰かが、その姿かたちを気に留めず、心から愛するようになるまで、ロバそっくりの姿でいなければならないのでした。・・・・で、大きくなったロバそっくりの王子を愛してくれるお姫様が現れて、ハッピーエンド!

 王子がお姫様の心を捉えた一つは、王子が習得したリュートの弾き語りでした。

≪あるあさ おひめさまが つぎのきょくをせがんだので ロバの王子はいいました。「では、こんどは おひめさまに キスしてもらって うれしさのあまり きんいろにかわった バラのうたをひきましょう」≫

≪「・・・ね、こんどは たのしい うたにして!」そこで ロバの王子は そらを とびたがった ひきがえるという みじかい こっけいなうたを うたいました。これをきくと にわしは くまでを とりおとすほど わらいころげるし りすは けらけら わらって まつのきから おっこちるし、おひめさまも わらって わらって なみだが でるほどわらいました。≫

・・・と、おひめさまの心を捉え、お姫様の前から居なくなろうとするときの、台詞も、ちょっと、素敵に決まっています。
≪おひめさまは かおをあげました。「とおくへ?でも あなた どこへも いかないでしょう?」「いかなきゃならないんです。」とロバのおうじはいいました。「ぼくのうたが きけなくなっても さびしく おおもいになるかもしれません。でもいなくなっても うたは おもいだせます。」「さびしいのは うたが きけなくなることじゃないわ」とおひめさまは いいました。「あなたが いなくなることよ!」≫

・・・うーん。これは、ラブロマンスものじゃあ、ありませんか。
リュートと愛の歌、バレンタインデーにふさわしい・・・

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リュート

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(承前)
 ソプラノとリュートの小さなコンサートでは、演者が、簡単に楽器や、歌詞の説明をしてくれる場面もあり、興味が増しました。
 リュートは、ペルシャ時代からその原型があり、石造りの建物で弾くヨーロッパでは、優しい音色(はかない、か弱い感じ)で、受け入れられ、東に伝わったら、「琵琶」となり、畳、障子の音の吸収しやすい日本では、結構大きな音の弦楽器となっていったようです。

 するうち、リュートは、音域を増やすために弦が増え、上の写真にうつる、直角に曲がる部位も、今見る弦楽器のように、まっすぐになっていったようです。また、上記写真右のフェルメールの絵の女性が調弦しているように、ガットの調弦は、なかなか大変だったようで、弦が増え、今のようなナイロン製のガットでないなら、ますます大変だったとのこと。で、「リュート奏者が60年演じるなら、その40年は調弦している」というジョークまで、披露してくださいました。
 そんな苦労の多い楽器も、優しい音がゆえに、大きな音の出る楽器や、たくさんの楽器の中では、存在感が薄れ、衰退していったようです。ですので、今回、音響のいい、小さなコンサートで、楽しめたのは、よかった。

☆写真上は、「フェルメールと音楽展」「(2013年:ロンドン・ナショナルギャラリー)➡➡のときの図録の上に、「リュートを調弦する女」(フェルメール)の絵葉書
☆写真下は、同じく「フェルメールと音楽展」図録”Two Men and a Young Woman Making Music on a Terace,about 1670-5"(Jan Steen画1626-1679)の一部
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ロマンチックな歌に、優しい音色

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ソプラノとリュートの 小さなコンサートに行きました。生リュートの演奏は聞いたことがありませんでした。
バレンタインデーが近いということで、フランス、イギリス、イタリアの愛の歌を集めたものでした。

 お昼を済ませたばかりのその時間、少々眠気を誘われるのは、ソプラノの優しい歌声と、その伴奏となる、優しいリュートの音色ならばこそ。

 讃美歌や古謡、マザーグースなどは、どこかで聞いたことがある、親しみのあるメロディ。中でも、LochLomond(ローモンド湖)などは、「五番街のマリー」かと、思うくらい似たところがあることにびっくりしたものの、とってもいい歌。スコットランド地方の古謡は、どこか、懐かしい。

 ・・・と、英語の歌もさることながら、イタリア、フランスの歌も、素敵でした。
「恋人よバラを見に行こう」は、ロンサールの詩を歌ったもの。
改めて、ロンサールが古い時代の詩人だとわかります(1524~85)。というのも、リュートがルネサンス期からバロック期に活躍していた楽器だったからです。
ロマンチックな歌に、優しい音色のリュートの伴奏。

≪恋びとよ、見にゆかん、
花薔薇(はなそうび)、けさ紅(あけ)に、
陽に解きし その衣、
くれないの 重なりも、
きみに似し頬のいろも、
失せたりな、今宵いま。
・・・・・(後略)・・・・・≫「カッサンドルへのオード」(「ロンサール詩集」井上究一郎訳 岩波文庫)(続く)

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ねこどけい

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「ねこどけい」(きしだえりこ作 やまわきゆりこ絵 福音館)と「せっけんつけてぶくぶくぷわー」(岸田衿子文 山脇百合子絵 福音館)のことちゃんは、同じ女の子。
けれども、出てくる猫は違うねこ。
「ねこどけい」のねこは、ねねこ。
「せっけんつけてぶくぶくぷわー」の二匹は、ねえこと にいこ。

ねねこは、鳩時計のハトが気になってしようがありません。鳩時計の屋根に飛び乗り、まどに入ろうとします。すると、鳩が出てこなくなって…というお話。

ねえことにいこは、ことちゃんと一緒に洗濯をします。
≪せっけんつけて もく もく もく ぷく ぷくぷわー よーく あらって ごしょ ごしょ ごしょ≫
すると、うさぎさんと りすくんと くまさんも、やってきて一緒にお洗濯。せっけんつけて、もくもくもく、よーくあらって ごしょごしょごしょ。せっけんつけて、きれいなみずでゆすいで、しぼって、のばして、干して・・・・・飛んで行って・・・・と、いうお話。

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呪文

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(承前)
 そうなのです!ベルゼブブ!(蠅の王)➡➡
これは、カ・リ・リ・ロだけが知らなかったのでしょうが、かのクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞に出てくるではありませんか!
映画「ボヘミアン・ラプソディ」➡➡をご覧になった人は覚えていらっしゃるでしょう。
 クィーンが、レコード会社に、意気揚々とこの6分の長い曲を提示すると、「長すぎる」だとか、「こんな呪文みたいな歌詞」、「なにが、ガリレオだ!なにが、ガリレオ・フィガロ!だ」というようなシーンがありますが、この呪文みたいな部分の最後。
”♪Beelzebub has a devil put aside for me,for me,for me for me♪”
「♪ベルゼブブ(蠅の王)が、ぼくに悪魔を 用意していたんだ、ぼくに ぼくに ぼくに♪」

 だからといって、フレディの心の叫びとも言えるこの歌が、同国のイギリス人のノーベル文学賞作家の「蠅の王」から直接来ているなんて思いません。何故なら、その呪文のような歌詞には、他にも、宗教的な単語が出てきていますから。
 が、しかし、たまたま、映画の大ヒット(結局、二回見に行きました)と、カ・リ・リ・ロ自身の読書の流れと重なったので、ちょっと気になったのは事実です。

 小説「蠅の王」で、生命の象徴としての豚、その生首にたかる蠅、フレディ・マーキュリーの人生を振り返ると、このベルゼブブ(蠅の王)という一つの単語にも、重さを感じます。

 「ボヘミアン ラプソディ」の初めのコーラス部分が済んだあと、フレディのソロが入りますが、その歌い出し。「今、人を殺してきた」なんて歌、他にある?
 ともかく、この曲は曲の構成と言い、歌詞と言い、その奥の深さといい、今も人を魅了するのがわかります。で、この殺された者が、誰を投影しているのか、今なら、理解できます。

♪ Mama,just killed a man  (ママ ぼくは たった今 人を殺してきたんだ)
Put a gun against his head  (彼の頭に銃を突き付けて)
Pulled my trigger, now he's dead (引き金をひいたら、死んじゃった)
Mama,life had just begun (ママ ぼくの 人生は始まったばかりなのに)♪

☆写真は、単にショーケースのガラスに向こう側も写っただけの失敗写真ですが、ちょっと不思議な感じなので、使いました。スイス オーバーホーヘン城⇒⇒

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蠅の王

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(承前)
 スティーヴン・キング➡➡  ⇒⇒が序文を書いたという「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング 黒原敏行訳 ハヤカワepi文庫)です。スティーヴン・キングは、このノーベル文学賞作家ウィリアム・ゴールディングの作品の大ファンで、ペンギンブックス版の序文を書いたようです。また、「蠅の王」は、スティーヴン・キング自身の作品にも大きく影響を与えているようです。(参考:訳者あとがきより)

 今回、「蠅の王」を読了したのは、たまたま2つの縁があったからです。
 まず、その一つ目。
 スティーヴン・キングの一連の恐怖シリーズが、少年たち(人間)の深い心の闇を描いていた描いていたことは、すでに書きましたが、それが、「蠅の王」の影響があるとされるなら、やっぱり、「蠅の王」も読んでみなくちゃ・・・
 ということで、読んでみると、「スタンドバイミー」や「ゴールデンボーイ」と 時代や背景は違うものの、心の闇を巧みに描き、同じく、一気に読ませる力のある話でした。

 南太平洋の無人島に不時着した少年たちの話です。当初は、大人の居ない楽園だった島の生活が、次第に、対立を呼び、どろどろした陰惨なものになっていき、「生きる」という根源の問題に突き当たっていく・・・
 無人島に漂着した話なら、「十五少年漂流記」(「二年間の休暇」 ジュール・ベルヌ 朝倉剛翻訳 福音館古典シリーズ・福音館文庫)がありますが、ジュール・ベルヌの描いた話とは、正反対ともいうべき、悲惨な無人島生活の話が「蠅の王」です。

 話には、極度に視力の弱い少年が登場します。その子の眼鏡は、火をおこす時に、重要な役割を果たしています。つまり、生きていくために必要な火です。・・・となると、「スタンド・バイ・ミー」にも「夏の庭」にも出てきた分厚い眼鏡の男の子たちより、さらに必然性のある設定です。
 「生き延びる」というテーマを考えるなら、この小道具にしか過ぎないような眼鏡も、大きな役割を担います。
 ・・・・ということで、さすがに、後世の作品に影響をもたらしたノーベル賞作家の代表作と言われる「蠅の王」は、後味は悪いものの、面白い作品なのでした。

 さて、タイトルの「蠅の王」は、聖書に登場する悪霊ベルゼブブのことであり、この作品では 蠅のたかる野生の豚の生首のことを称しています。つまり、「食する」 すなわち、「生きる」「いのち」につながる生首です。
 それで、ベルゼブブ?ん?どこかで耳にした・・・ということで、もう一つの縁に続きます。

☆写真は、スイス ニーセン山 ➡➡ニーダーホルンに上るケーブルカーから写しました。

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ゴールデンボーイ

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(承前)
 続いて、恐怖の春夏篇「ゴールデン ボーイ」(スティーヴン・キング 浅倉久志訳 新潮文庫)➡➡の夏篇は「ゴールデンボーイ」。副題は「転落の夏」

 これは、中編というより、長編です。
 多分、二度とスティーヴン・キングの作品、特にホラーものは読むつもりはありませんが、この4つの作品(恐怖の春夏秋冬)の読ませる力には、納得。
 スティーヴン・キングの作品の多くが映画化されたということから考えると、センセーショナルな内容というだけではなく、万人に絵がイメージしやすい作品であるのだと思います。少なくとも、恐怖の春夏秋冬のうち3つは、映画化されています。

 この「ゴールデンボーイ」にしても、「オエッ!」となる場面が少なからずあるものの、人間の深いところを読み取っていくには、この手法もあるのだと思います。あくまでも、この手法は、好みじゃないとはいえ、核心に迫っていくスリルは、読む者をぐいぐい引っ張っていきます。久しぶりに、結末を先に読んでしまったのも、「これって、どうなるん?」と、落ち着かなかったからです。そして、その終わり方は、単純なようで、なかなかに複雑で、やっぱり、中盤からしっかり読んでいきました。

 話は、少年、ナチスにつながる老人、何人かの大人たち・・・が、出てくるアメリカの話です。キーワードは、学業成績、銃、地下室…。

 で、この後、スティーヴン・キングが影響を受け大ファンだという「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング 黒原敏行訳 ハヤカワepi文庫)を読みました。この本に至るには、別の角度からの、偶然のつながりもありました。(続く)

☆写真は スイス レマン湖の朝焼け

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ショーシャンクの空に

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(承前)
 2018年12月に書いて以来の続きです。「夏の庭」(湯本香樹実 新潮文庫)⇒⇒のあと、「スタンド・バイ・ミー」(スティーヴン・キング 山田順子訳 新潮文庫)⇒⇒  ➡➡を読み、その中の「マンハッタンの奇譚クラブ」➡➡から、ディケンズの「クリスマスキャロル」(脇明子訳 ジョン・リーチ絵 岩波少年文庫)➡➡につながっていったのですが、実は、恐怖の秋冬篇だった「スタンド・バイミー」の後、恐怖の春夏篇「ゴールデン ボーイ」(スティーヴン・キング 浅倉久志訳 新潮文庫)も読んでいました。さらに「蠅の王」にもつながり、さらに、「夏の庭」後、同じ作者の春夏秋冬のテーマの作品も読みました。

 まず、「ゴールデンボーイ」の中に入っている春篇「刑務所のリタ・ヘイワース」。
 これは、かつて見た映画「ショーシャンクの空に」の原作です。この映画は、よかった・・・読んでみて、原作がいいからだとわかったのですが、原作も映画化されたものも、それぞれに、面白い。
 原題の「刑務所のリタ・ヘイワース」じゃ、映画のタイトルとして、ちょっと難しいだろうし、原作のままの助演者だと、ちょっと深みがたりないだろうと思うのです。原作は、ナレーター的役割なので、人種は、さほど問題がないものの、映画では、モーガン・フリーマンという黒人。渋い・・・
 原作では主役が、小柄な堅物ー堅い業務に就く、クレバーで真面目臭いイメージ。それなのに何故 投獄?と読者に訴えているのですが、映画では、長身(195センチ!)のティム・ロビンス。
 塀の外の 空の下、自由を満喫する姿は、長身の俳優がぴったり!

 それで、「刑務所のリタ・ヘイワース」は、どんな話か?というと、刑務所の話で、リタ・ヘイワースという女優のポスターが出てきて、この原作の副題が「春は希望の泉」というものです。(続く)

☆写真は、上下とも、スイス レマン湖 シヨン城⇒⇒  ここに幽閉された宗教改革者のことを謳ったのが、バイロンの詩「シヨンの囚人」

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アンガスとねこ

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 「アンガスとねこ」(マージョリー・フラック 瀬田貞二訳 福音館)

昨年の犬の絵本の時に、アンガスのシリーズを紹介しました。➡➡  ⇒⇒  ➡➡

 今回は、猫が中心的役割の「アンガスとねこ」です。シリーズの中でも、この絵本に描かれているユーモアは秀逸で、絵本と言うものの「めくる」という機能を活用し、話に「落ち」をつけるかのように、話の次が知りたくなります。
≪・・・ひごとに、おとなになるにつれて、アンガスは いろんなことを おぼえました。  かえるが とべることや、≫・・・で、ページをめくると≪じぶんが とべないことも、≫と、池にはまって、ずぶ濡れのアンガス自身の絵。
≪ふうせんが≫と、風船をおいかける絵をめくると、≪われることも!≫と、割れてしまった風船に茫然自失のアンガスの絵。

それで、ねこに出会い、好奇心いっぱいで近づくものの、猫は冷たく、気をもませるだけ・・・で、猫を見失ったアンガスは、二階の窓からのぞいてみます。
≪・・・まどのそとをのぞいても、・・・≫と窓をのぞくアンガスの絵をめくると、≪うちのにわにも、となりのにわにもとーーーどこにも ねこのすがたはありませんでした。≫と、窓から見える周囲の風景。(その窓のすぐ横に、猫は居ます)

 絵本は、アニメーションのように動きません。子どもたちは読んでもらい、「めくる」という動作で、頭の中で、お話が動き出すのです。

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