みんなみすべくきたすべく

ことしもまた

 すもうjj
 今年もまたチケットをもらったので、大阪場所に行きました。
 久々の日本人横綱というので、満員御礼でにぎわっていました。
 綺麗なお相撲さんも2・3人いるので、その人たちには、お声も多く・・・
 とはいえ、日本人じゃなくても、白鵬が休場というのは、なんだか盛り上がらない・・・・

 仕事の都合で一緒に行けなかった娘に、どの「いちばん」がよかったかと聞かれても、うーん、白熱した取り組みの印象が少なく、どのお相撲も、ぶつかるだけ、寄るだけ、はたくだけみたいな感じで、ほんとに「よつに組む」というのが少ない・・・

 とはいえ、あの雑然とした場所の空気、だんだん、くせになってきた。
 狭い狭い席で、年に一度、大阪の春を堪能しました。

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ハイドパークの散歩

ハイドパーク橋j
(承前)
 25年以上も昔に、友人と初めてイギリスに行ったときのことで、思い出深いこと、場所は数々あるのですが、今なお、大きく心に残っているのが、ハイドパークの散歩です。
 この広大な(東京 日比谷公園の9倍とか)、しかも街の真ん中にある、ケンジントンガーデンズと一続きになった公園は、その造りもさることながら、ここを歩く人と犬も魅力的です。

  犬をこんな街のど真ん中で散歩させられる・・・という生活の余裕。
  たいていの犬が首輪をはずしてもらっている・・・楽し気な犬・・・犬と主人の豊かな時間。
 ・・・この公園を散歩できるのは、近くのお金持ちでもあるのでしょうが、そのゆったりした時間の過ごし方に、人の晩年の幸せを見るような気がしたのです。そして、それは、老年期のカ・リ・リ・ロの人生の目標ともなっています。
ラッパズイセンj
 さて、近年は、夏にロンドンに行くことが多かったので、この芝生の緑が、雑草に代わっているような場所を見て、少々がっかりしたこともありましたが、今この時期は、緑が美しく、それに育成中の芝生ゾーンも増えているみたいで、夏も、期待できそうな気がします。(続く)
乗馬1j

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この辺りも春の訪れ

水鳥のときj
 イギリスから帰ってきて久しぶりにこの辺りの散歩をしてみたら、ロンドンの朝より少々肌寒いものの、しっかり春がやってきていました。まだまだ、梅も頑張っていたし…

 例えば、昨日の最後の写真、ロンドンのピンクの木蓮も、日本では、まず白い木蓮から・・・
白木蓮j
おお、花粉症に関連するかのような黄色いミモザ。
ミモザj
 もちろん、沈丁花はいい匂い。
沈丁花j
それに、丹精込めた地域の花壇。
花壇j
あれあれ、クラゲもやってきた。
        くらげj

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春の訪れ

 ロイヤルアルバートj
  はい、遅まきながら、いかなごのくぎ煮作っておりました。
・・・・と、言いたいところですが、予約しても、不漁で手に入らず、別店の予約外で1キロ4000円近くの兵庫県産ものをやっと入手。結局、高級鮮魚と化した「いかなご」は、これでおしまい。かつて、1キロ1000円未満だったそれから見ると、本当に希少品となってしまいました。
 ブルーベルj
 ・・・・で、ただいま。
 ロンドンは、ちょうどこの時期、日本と同じような気候です。というより、ずっと春が進んで暖かく、薄着の人たちも見かけました。
 イギリスまでわざわざ喋りに行くんだろうと娘たちに、言われたくらいの渡英でしたが、久しぶりのロンドンは、心配していたテロの影響も見えず、観光客でにぎわっておりました。とはいえ、夏のスイスや、ここ何年かの大阪や京都に比べ、アジア系観光客が少ないような気がしました。
 妹とロンドンの街なかに4泊し、毎朝ハイドパーク・ケンジントンガーデンズを散歩するというひと時を過ごしてきました。(続く)

☆写真上は、ロンドン ケンジントンガーデンズから見たロイヤルアルバートホール。同じくブルーベルとラッパ水仙。下は、公園に行くまでの木蓮(ピンク)の類。日に日につぼみが膨らんでいくのを見るのは、楽しいものでした。

木蓮ピンクj

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桜とラッパ水仙とクロッカス

サーペンタイン12j
 桜の類いとラッパ水仙が、満開でした。地面の近くのブルーベルもヒヤシンスも、クロッカスも、満開でした。鳥は歌い、春を告げていました。日本に帰ってきたら、寒かった。
 とりあえず、春は西からやってきているのをご報告。
 サーペンタイン桜j
  大きく、しかも相変わらず高価なままのいかなごを予約してくれているようなので、作ろうと思います。
  するうち、孫が来るし、たまった雑用があるので、もうしばらく拙文休みます。
クロッカス12j
☆写真は、英国ロンドン ハイドパークとハンプトンコート庭

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今年のいかなご

石山寺j2
 「いかなご」というワードでこのブログの過去の記事検索をしたら、毎年一回はヒットしました。
 ということで、今年も書かなくちゃ。
  
 が、しかし、今春の漁 解禁は、昨年に続き遅かった(3月7日大安)。
 しかも、不漁らしく、予約も取ってくれず、ちょっとタイミングをずらすと手に入らない。さらに、不漁のせいで、初日は、1キロなんと3780円!(二日目は、3980円ってところもあった。)昔、千円以下で買っていた時が嘘のよう。高級魚でありんす。
 どうしましょう?1週間後でも、小さく(すでにちょっと大きい)、しかもたくさん採れているだろうか???うーん。

 ・・・・・実は、今晩すでに、イギリスに行っております。
 関東に住む妹と初めて出かける海外です。ということで、拙文も、ちょっとお休みします。
 帰ったら、忙しい。
 いかなご作る。
   まごが来る。

 ☆写真は、いかなごをあきらめ、梅見に行った 石山寺(紅葉の頃➡➡)。苔むす古木の梅を見に来る人も少なく、いい香りも存分に楽しめました。
石山寺j1石山寺j3

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生誕150周年

 にあそーりーj
 ピーター・ラビットを生み出したべアトリクス・ポターの生誕150周年記念らしく、各地で、原画や、ゆかりの品々の展示が催されているようです。
 大阪ではグランフロントのイベントホールで開催されています。(~2017年4月2日)

 ピーター・ラビットシリーズに描かれたそのままの風景が残っているということで、25年以上も前に、湖水地方に友人たちと出かけたのが、事の始まり。本当にそのまま、ピーターもジマイマも、タビタさんもナトキンも、みーんなすぐ出てきそうなところでした。
 その後、湖水地方には行っていませんが、多分、お土産屋さんが充実した以外は、まだそのままだと思われます。

 生誕150年1866年生まれのべアトリクス・ポターは、「ジョン・ギルピンのゆかいなお話」 の作者ジョン・ランドルフ・コールデコットの生き生きとした動きを継承した画家のひとりです。
 それもそのはず、彼女の父親自身がコールデコットの大ファンだったらしく原画を収集していたので、彼女は独り占めで、学んでいたようです。
≪「かえるくん 恋をさがしに」の原画もポター家にあったので、『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』のかえるの擬人化は、それが手本になったという。ポターは「私はコールデコットの画業に、最大の賛美をーーー嫉妬を覚えるほどの賛嘆のことばをーーー贈る」と友人へ宛てた手紙にかいてある。≫(「ランドルフ・コールデコットの生涯と作品―現代絵本の父」(ジョン・バンクストン 吉田新一訳 絵本の家)

 ポターの家にコールデコットがあって、ピーターたちが生まれたのは、本物から本物が生まれた例ですが、1928年 アメリカ NY ブルックリン生まれのセンダックも、コールデコットを愛してやまなかった一人でした。➡➡

*「ジョン・ギルピンのゆかいなお話」 (ウィリアム・クーパー作 吉田新一訳 ランドルフ・コルデコット(絵)ほるぷ)

☆写真は、英国 湖水地方 ニアソーリー村。この庭で、ねこのリビーさんからの手紙を犬のダッチェスさんが読んでいます。「パイがふたつあったおはなし」(べアトリクス・ポター作絵 石井桃子訳 福音館)(撮影2011年9月:&Co.I)

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読後の幸福感

       廊下j
(承前)
 丸谷才一の対談「日本語で一番大事なもの」(中公文庫)➡➡が面白く、そのあと、少しいろいろ、読んでみました。中でも全集にあった、堀口大學大江健三郎との関りは、興味深いものでした。が、しかし、昨日の辻邦夫への評価に、なんだか疑問符だらけの頭になったものですから、じゃあ、丸谷才一の文章とはどんなものぞや?と、丸谷才一翻訳のナセニエル・ウェスト「孤独な娘」(岩波文庫)を読んでみました。

 翻訳物をまず読んだのは、丸谷才一自身が書いた小説➡➡より、翻訳する方が、その人の日本語が見えると思ったからです。とはいうものの、「ボートの三人男」(ジェローム 中公文庫)➡➡の面白さは、何度読んでも変わりないので、きっと、訳する本のチョイスも、極め付けなんだろうと思ってのことでした。

 確かに、「孤独な娘」の翻訳は読みやすく、筋立てもしっかり、すっきり、ページを繰らせる力を持っています。
 「孤独な娘」というペンネームの、新聞の身の上相談係の男性の話です。全体に憂うつな空気が漂っています。アンニュイ・・・

 で、読了しましたが、結果、好みの本ではなかった。
 子どもの本中心で読書をしてきたせいでしょうか。煮え切らない流れも、後味の悪い結末も、好みじゃない。
 本のなかに「幸福感」を見つけられなかったのは、残念でした。
 もちろん、これは、原作のことであって、翻訳者のせいではないけれど。

☆写真は、スイス ギースバッハのホテル

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作家の批評

          水仙9j
 「丸谷才一全集10巻」を図書館から借りている間に、もう一つ、備忘しておきたい一文がありました。
 最近でこそあまり読んでいませんが、一時期、辻邦夫をよく読んでいた時期がありました。朝日新聞を取っていたころ、水村早苗と「手紙、栞を添えて」という往復書簡のような連載があって(今はちくま文庫)、端正なお顔立ちと品のいいお手紙に「辻さま」と、お慕い申しておりました。
 『楽興の時十二章』(音楽友社)や『十二の肖像画による十二の物語』(文藝春秋 文春文庫)、「背徳者ユリアヌス」(中央公論社 中公文庫)などなど・・・音楽と絵画と歴史・・・楽しみに根差した読書をしてきました。

 ところが、丸谷才一は、辻邦夫のことを、堀口大學や大江健三郎のように手放しで評価していません。それは、全集に載っている「作家の批評 辻邦夫」という文でわかります。もともと、丸谷才一は辛口で手厳しい評論だと思いますが、同じ年の辻邦夫とは、そりが、合わないのか・・・
 また、「堀口大學 詩は一生の長い道」(長谷川郁夫著 河出書房新社)を読んで以来、文学史上には、いろんな事件や確執、力関係があることを、わかってきたつもりでしたが、ここにも、いろいろあるんだろうと思いました。(もう、ここは深入りしません。)

 さて、「作家の批評 辻邦夫」の冒頭から、さっそく、ねじれた感じがします。
≪高度な知識人でしかも有能な作家である人が、多年尊敬を献げてきた偉大な作家を論ずるときだけ、かういふ充実した本を書くことができる。辻邦夫の「トーマス・マン」はそんな性格の本である。・・・・≫

 昨日の大江健三郎の「慶事を喜ぶ」の文頭と全く違うでしょう?論ずるとき「だけ」なんだって!

 文中、かなり屈折した表現があって、やっぱり辻さまのことがお嫌いのようです。
≪普段、いつも、筋に綾をつけたり、小道具の扱い方を工夫したり、風景描写に苦心したりしている、しかもそのくせ観念的・形而上学的な志向の強い男がゐて≫と表現されていますから。

 そして、文末は、こうです。
≪おそらく辻にとつては、独仏両国の文学の対置と、その果てにある世界文学といふ理想が、運命的な課題なのであろう。さういふ、構へが大きくて威勢のいいマン入門の書として、これはいかにもこの著者にふさはしい本になつてゐる。≫

 ここでは、構えがいいとか威勢がいいは誉め言葉じゃないよね?
 しかも「この著者」だって!微妙な距離感。

 とはいえ、ちゃんとタイトルにあります。この文は辻邦夫の書いた「トーマス・マン」という本の批評ではなく「作家の批評 辻邦夫」でした。(続く)
 

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慶事を喜ぶ

          大江ゆかりj
 「丸谷才一 全集10 」(文藝春秋)を読んでいたら、こんな文が入っていました。同時代の文学者への章です。
 書き出しから、うれしいという気持ちがあふれています。「慶事を喜ぶ 大江健三郎」
≪大江健三郎さんのノーベル賞受賞を喜ぶ。わたしはとても嬉しくて、正直、何だかほっとした。残念なのはただ一つ、いろんな新聞の朝刊に大江さんの破顔一笑の写真が出てゐないこと。顔写真はみんな、もちろん沈んだ表情ではないけれど、ほほゑむ直前くらいゐなんですね。ところがあの人は笑顔千両なんです。・・・・≫

 で、思い出したことがあります。ずいぶん前のこと、大江健三郎がノーベル賞を受賞するより前だったと思います。
 大阪のお話の会が主催する講演会に氏が講演に来たのです。「昔話と私」といったようなタイトルだったと思います。自分の幼い頃、語ってもらったお話、そのときの様子など、それこそ、破顔一笑、たのしげに話されているのを聴きました。
 テレビなんかで、社会的な発言をなさっている時の緊張した面持ちや喋り方ではありません。聴衆にも、お話の楽しさが伝わるのです。こわごわ、足を運んだのですが、なんのなんの、大江健三郎のファンになって帰りました。
 それまでも、何冊かの彼の小説を読んだことはありました。また、何冊かの岩波新書には啓蒙されたものの、作家大江健三郎はとっつきにくい存在でした。
 が、そのあと、障害を持つご長男の話などを含め 『「自分の木」の下で』『「新しい人」の方へ』という子供向きに書かれた本(大江ゆかり画 朝日新聞社 朝日文庫)が出て、ずいぶん読みやすくなったと感じたものでした。

 もう一つ、この講演会には後日談があります。芥川賞作家で、社会的にも知名度の高い氏を講演者に招くなんて、さぞや、講演料が大変だったでしょう?と主催者側に お聞きしたら、意外な答えが返ってきました。
 「交通費と、こちらが用意できる範囲の講演料でいいという話だったので、嘘のような講演料で話してくださったのだ」と・・・

☆写真は『「自分の木」の下で』(大江健三郎 大江ゆかり画 朝日新聞社)の「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」の章の画

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