(承前)
子どもの詩集の中に、「牛」の詩は?と思ったときに、一番に浮かんだのは、その詩ではなく、この写真にうつるさし絵でした。
このイラストは、「A.A..ミルン童謡集」(山田正巳訳 中日文化)ですが、この画家E・H・シェパードで有名なのは、「くまのプーさん」(石井桃子訳 岩波)「たのしい川べ」(ケネス・グレアム 石井桃子訳 岩波)です。また、風刺画誌「パンチ」で、たくさんの仕事をし、メアリー・ポピンズの挿絵を描いたメアリー・シェパードーの父親です。(メアリー・ポピンズの牛のことは、後日掲載予定。)
閑話休題。
この絵は「王さまの朝ごはん」につけられたイラストです。
王様のパンの一切れにつけるバターを求めて、女王様、乳搾り女、そして牝牛が登場。
≪・・・・・(前略)・・・・
「陛下のパンの一切れに つけるバターを忘れちゃだめよ」
牝牛は ねむそに言いました
「陛下に おつたえ下さいな 今じゃあ みんな それよりも マーマーレードがお好きです」
乳搾り女は言いました
「あらまあそう」って言いました
そしてゆきます
女王さまへ
腰をかがめて御挨拶
顔を赤らめ言いました
「まことにぶしつけ すみません 失礼ですが 女王さま
マーマレードは 濃く 塗れば 大へん 美味しゅうございます」
・・・・(後略)・・・≫
と、いう流れですが、このイラストの箇所は
≪「それはそれは」と牝牛さん
「そんなつもりじゃなかったの
はいはいここにございます
オートミールのミルクです
パンにお塗りのバターです」≫
(続く)
(承前)
「べこの うしのこ」(サトウハチロー詩)➡➡のような歌になった詩は、身近に感じますが、「詩」そのものは、日本では、何故か敷居が高く感じる人も多いようです。
それで、「牛」の絵本やお話と一緒に「牛」の詩も探したら、瀬田貞二編「幼い子の詩集 パタポン1・2」(童話屋)の中にありました。
まずは、日本の丸山薫「風」の一部、
≪繁みの中で一と声、牛が鳴く。
枝が一斉に打ち消すようにそよいで、
まちまちに静かになる。
繁みの中で一と声、牛が鳴く。
枝が一斉に打ち消すようにどよめいて、
まちまちに笑い痴ける。
……(中略)・・・
その笑いに重ねてもう一と声、牛が鳴く。≫
目に見えるよう、というか、耳に聞こえてくるよう。
阿部知二訳のロバート・フロスト「牧場」も載っています。
≪牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。
ちょっと落葉をかきのけるだけだ。
(でも水が澄むまで見てるかもしれない)
すぐ帰ってくるんだから――君も来たまえ。
小牛をつかまえに行ってくるよ。
母牛(おや)のそばに立っているんだがまだ赤ん坊で
母牛(おや)が下でなめるとよろけるんだよ。
すぐ帰ってくるんだから――君も来たまえ。≫
すぐ帰ってくるというのが、いいですね。ちょっと見てみたい、でも、安全な場所だろうか?好奇心の塊の子どもたちの心をくすぐります。
別の編詩集にも、「牛」の詩あります。(続く)
☆写真は、阿部知二訳のロバート・フロスト「牧場」の原文 ”The Pasture" 。
”You Come Too"(Illustrated Cécile Curtis *Bodley Head London) 蛇足ながら、この本の序文は、エリナー・ファージョンです。この関係については、またいつか・・・
(承前)
赤ベコのことを話している際、「べこのこ うしのこ」の唄を思い出し、歌いだしたのは、この年寄り夫婦。
が、30代の娘たちは知らないといいます。え?歌ってない?
孫たちの歌好きは、その母親譲りで、ともかく、よく歌います。今のところ孫たちは、テレビ(マス・メディア)を見ていません。なので、保育所で習った歌か、歌の絵本を見ながら、母親が歌ってくれる童謡・わらべうた中心です。母親は、歌の絵本を見ながらとはいえ、かつて、その母親が歌った歌ばかり。そのなかに、この「べこのこ うしのこ」は入っていなかったようなのです。複数ある、歌の絵本にも入っていなかったし・・・何故なのか、ちょっと、不思議です。
・・・・ともあれ、サトウハチロー作詞の一番の歌詞は、
≪べこのこ うしのこ まだらのこ かあさんうしに よくにたこ おおきくなったら おちちをだして ふもとのまちの あかちゃん そだて もうもう なかずに なかずに おあそびね≫
二番は、とうさん牛、三番はおばさん牛と続きます。トンボもちょうちょもでてくるし、おっとりしたいい詩です。最後の繰り返しも、楽しい。 (続く)
そうか・・・・
そこで、ばあばは、市販のホワイトブックに、スイスやイギリスで撮ってきた牛の写真を貼り、歌詞をつけて、孫たちのために 小さな歌の本をつくりました。
自己満足 出来る形になって、気をよくしたばあばは、他の歌も、できるかなと考えています。
☆写真の木彫りの子牛像は、スイス グリンデルヴァルト。アイガービューの広場にありました。

(承前)前回、写真の隅っこにちょこっと写っていた、赤べこの話です。
「あかべこのおはなし」(わだよしおみ文 わかやまけん絵 こぐま社)
会津の民芸店の仕事場で、木型に合わせて作られた紙の張り子・・・それが、「赤べこ」です。
今 出来たばかりの「赤べこ」は棚に並べられ、会津磐梯山が紅葉で赤いのを見ます。買われた家でも、山に行ってみたい「赤べこ」は猫に頼んでみたり、カラスに頼んでみたり、お城から飛び降りてみたり、そこで出会ったカエルに頼んでみたり、次はいたち、次は亀。ついに着いた山の登り口では、のうさぎに「おやまのみちは けわしいよ。」
「でも、ぼくは のぼりたいんだ。」
≪ゆっくり あるけ。 ゆっくり あるけ。 まっすぐ のぼれ。まっすぐ のぼれ。すべって おちて それでも のぼる。あしが おもい。めが まわる。「ちょうじょうだ。」・・・・(中略)・・・・もみじの ばんだいさんに ゆうひがてって まっかです。あかべこは とても しあわせでした。≫
「あの山に行ってみたい」・・・どこかに行きたい、外に出たい・・・この願いは、子どもたちにわかりやすいものですが、最後は「しあわせでした」という抽象的な表現。これは、なかなか、幼い子どもにはわかりにくい。子どもの話としては、抽象的なものから 幸せというのは、わかりにくい。あたたかいご飯がまってる。おかあさんのハグがまってる。おいしいおやつがある。・・などなど。子どものための≪どこかへ行って戻ってくる、行きて帰し物語≫は、具体的なものが 待っているのが、わかりやすい。
この絵本が大人向きであるというなら、なんの文句もないのですが、赤い山で佇んで終り・・・というのは、ちょっと残念。せめて、みんなで行ったとか、報告に帰ったら、みんなが待っていたなどなど、子どもたちも、ああ、よかったと思える結末であったら、よかったなぁ・・・
☆写真は、「あかべこのおはなし」の上に、招福舟の紅白張り子の牛。絵本と同じ会津のものです。
(承前)
菅原道真の牛車➡➡つながりで、もう一つ。と、思ったら、これはこれで、酒呑童子にも、つながった。➡➡ ➡➡
「今昔ものがたり――遠いむかしのふしぎな話」(杉浦明平文 太田大八挿絵 岩波少年文庫)に「牛車にまけた三豪傑」という話があります。**福永武彦訳の「今昔物語」では「屈強の侍どもが牛車に酔う話」(ちくま文庫)
酒呑童子のもとになったのは、源頼光とその家来の話、大江山の鬼退治で手柄を立てた家来のうち、平貞道、平季武、坂田公時が、京の加茂の祭りの翌日、斎院行列の見物に牛車で行く話です。
≪乗馬で紫野に出かけるのは、田舎ものくさく、やぼったくていかん。≫ということで、牛車で行こうということになるものの、≪乗りなれぬ牛車に乗って≫事故でも起こしては大変と、≪簾を垂れさげて女用の車のように見せかけてはどうじゃろう≫ということになって、車を借りてきます。3人の豪傑は、車のまわりに簾をたれ下げ、田舎ものらしい紺色の水干(すいかん)と袴など着たまま乗り込みます。
ところが、牛車に乗るのが初めての三人は、乗り方がわからず、牛車に振り回されます。
…頭をぶつけるやら、ほっぺたを打ち合わせてひっくり返るやら、うつぶせに倒れてごろごろ転がるやら・・・・ということで、3人とも、酔ってしまいます。
御者の子どもに「やいやい、そんなに速く走らんでくれ」とうめくも、牛は止まりません。周りの人たちもこの女房車には、どんな方が乗っているんだろう?と、不審に思います。
そんな猛烈な勢いで進んだものですから、3人の牛車は、どの車より早く紫野に到着。行列を待つ間の長い間、酔ってしまった3人は寝込んでしまい・・・
・・・・というような滑稽話なのですが、興味がわいたのは、田舎者と思われないために乗馬をやめるとか、田舎者の服装の様子とかです。
ちなみに、平貞道(碓井貞光)は、相模国。坂田公時(まさかりかついだ金太郎?)は、駿河国。平季武(卜部 季武 坂上季猛)は、今の宝塚。
(承前)
酒呑童子➡➡ ➡➡から「やさいのおにたいじ」(つるたようこ 福音館)➡➡につながったのですが、この人の描いた絵本のうち、昔話の絵本や2020年3月号の月刊こどもとも「じゃがいものんたのわすれんぼう」(福音館)も、野菜が主人公。
それで、このおっとりした野菜好きの画家のことをよく知らなかったので、調べてみたら、1965年生まれのつるたようこという画家の訃報が東京の図書館のHPに掲載されていて、ショック!野菜愛に満ち溢れていたのに・・・・合掌。
上の写真は、「まめと すみと わら」(つるたようこ再話・絵 アスラン書房)の最後のページ。
まめと すみと わらが お伊勢参りに行く途中、川があっても橋がなく、渡れません。すみもわらも流されてしまいますが、助けようもしないで笑ってばかりいた「まめ」は、笑いすぎて、体が裂けてしまい、痛くて泣いていると、通りかかったお針子に、体を縫ってもらいますが、慌てていたので、黒糸でした。≪そのときから、まめには、あたまのところに くろいいとのあとが ついているんですって。≫
この絵本は、つるたようこ氏の初めての絵本で、ご自身の懐かしい昔話の思い出もあって、その素朴さを表現するために紙版画で描かれたと、作者紹介のところに記載されていました。
また、別の絵本の紹介文には、「野菜を見ていると顔が浮かんでくるという特技の持ち主」だとも。
作品ごとに、画材や画風を工夫し、ユーモアのセンスが随所に見受けられた彼女の野菜の作品は、「やさいとさかなのかずくらべ」(いしだとしこ文 つるたようこ絵 アスラン書房)「だいこんとにんじんとごぼう」(再話・絵 つるたようこ アスラン書房)があります。
(承前)
「酒呑童子」の話の伝わり方は、各地、時代で異なったものがありましたが、絵本「やさいのおにたいじ―― 御伽草子「酒呑童子」より――」(つるたようこ絵 福音館)は、野菜の酒呑童子の話です。しかも、京の都の京野菜。
≪都に住む野菜たちはみんな平和に暮らしていました≫が、東の山から恐ろしいコンニャクイモの鬼が出てきては、娘たちをさらっていっていました。お屋敷に住む 日野菜姫がさらわれてしまいます、すると、父親の聖護院かぶらが筍、松茸、加茂ナス、みずな、金時人参、堀川ゴボウの6人に鬼退治を命じました。≪山を越え川を渡り、雨にも負けず風にも負けず、力を合わせて進んでいくと 山の途中に壊れた橋が…≫そこには鹿ケ谷カボチャのお爺さんが渡れずこまっていたので、堀川ゴボウが橋の代わりになって、進みます。ようやく鬼の屋敷につくと、そこには、八つの顔を持つ八ツ頭。そこは、おっとり加茂ナスが難を切り抜け、次は、普通の大きさの人参とゴボウが 大きな金時人参と堀川ゴボウに恐れをなし、最後、庭の入り口には毒キノコ、そこは、松茸のいい香りで毒キノコを眠らせ、ようやく、酒好きのこんにゃく芋の鬼のところへ。で、酒を飲ませ・・・・・
関西人には、なじみ深い野菜のオンパレード。ただし、京都にしか売ってない野菜も多く、口にしたこともないのもあります。
加えて、東の山の恐ろしい鬼とありますから、これは、都の西北にある大江山ではなく、伊吹山の酒呑童子と考えられます。
このつるたようこ画による昔話絵本は、他にもあります。どれも、野菜!(続く)
☆写真上は、日野菜(ひのな)のお姫様がさらわれ、それを右手のお母さんが「かえしてんかー」と言ってる場面に、手前、日野菜の漬物を置いてます。美味しい。
☆写真下は、渡れないところを堀川ゴボウが橋になる場面ですが、堀川ゴボウの本物を見るまでは、「ゴボウ」にそんなことできるかなぁ。ま、土がついてワイルドなイメージだからかな・・・・などと思っていましたが、なんのなんの、本物の堀川ゴボウのたくましいこと。写真にも写る「鬆(す)」の部分をくりぬいて料理します。柔らかくて美味しい。ちょっと、癖になります。 
(承前)
「酒呑童子」の伝説は、各地であり、また、伊吹山系と考えるもの、大江山系と考えるもの、やはり、古いものは、深い。
江戸時代の死因の第一は、致死率が高かった疱瘡(天然痘)だったとありますので、姫たちが神隠しにあったのも、それを隔離と考えたりするのも不思議はありません。また、瘢痕(一般的にあばたと言われる)が厳しいものだったので、それも、鬼の疫病であり、赤ということと関係づけたともいえるのでしょう。
「定本 酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化」(高橋昌明 岩波現代文庫)には、
≪近世の医療やまじないの世界では、疱瘡の脅威にたいし、疫霊(疱瘡神)として、猿に似た想像上の怪獣である猩々(しょうじょう)の人形(ひとがた)を作って祭り、燈明や赤紙を口につけた酒徳利、小豆飯や赤鰯をそなえ、三日後この人形を門前から川辺に運び出して流す、という呪儀が行われていた。赤面の猩々以下、すべてが「赤」で統一されているのは、疱瘡が身体を赤く変えることと関係し、疱瘡神の色が「赤」と考えられていたことを示す。・・・・(中略)・・・・疱瘡神=赤=猩々という連想は、中世まで遡るだろう。『大江山絵詞』で、正体を現した酒呑童子の姿が、見事な朱紅色に描かれ、名前の由来自ら「我は是、酒をふかく、愛するものなり、されば、眷属などには、酒呑童子と、異名に、よびつけられ侍也」と語っているのも、猩々(疱瘡神)のイメージが宿された結果とみたい。≫とありました。
ともかくも、このコロナ禍、いえ、ウィルスとの闘いが昔も今も、そして、未来も続くなか、昔の知恵から学ぶことはないのかと、謙虚に考えないといけないと思います。この「定本」の後書きは2020年に書かれ、実際のコロナ禍の中での新版だったようで、本文とは違う迫力で記されていたのが、印象的でした。(続く)
☆写真は、伊吹山系「酒呑童子絵巻」狩野元信(室町後期)≪源頼光一行が、鬼の首を切ったら、その生首が頼光の頭に。ところが、頼光は神兜をかぶっていたので大丈夫。≫「大絵巻展」)図録(京都国立博物館2006)