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みんなみすべくきたすべく

うみやまがっせん

やまうみj
「うみやまがっせん」(上沢謙二原案 長谷川摂子文 大島英太郎絵 福音館)
 昨日に続き➡➡、この絵本も、引っ張り合い、力合わせのおはなしです。
 この絵本は、申年に紹介したいものの、申年には、もうこのブログもやってないので、今回です。
 先日紹介した恐竜絵本の大島英太郎➡➡の絵になる 昔話のような、現代風の展開のようなお話の絵本(福音館 こどものとも年中版出身)「うみやまがっせん」です。

おさるがつりざおをかついで、山から海へ。
まず、つれたのは、大きなたこ。
≪「おまえなんかにつられてたまるか。さあ、そのさおを こっちによこせ」たこは ぐーんと いとを ひっぱった。「やあやあ、さおを とられてたまるものか。かえせ、もどせ。おさるは おこって「やっせ わっせ」と ひっぱった。さあ、うみと やまとの ひっぱりっこが はじまった。 おさるは うみのほうへ ずるずるずる。「おーい、だれか きてくれ」・・・≫

 ということで、まずはうさぎ、すると、海の助っ人は鯛。次ぎ、山の助っ人はたぬき 、海はひらめ・・・・・と続き、「えんやさの よいやさ」「やっせ、わっせ」とやるものの、ひっぱりこはどっちも動かない状態に。そこへ、現れたのが、だれあろう?昨日の➡➡「いどにおちたぞうさん」や「おおきなかぶ」と同じように、小さい存在の・・・・

 言葉のリズムがよくて、楽しい。繰り返しでメンバーが増えていくのも、楽しい。 
 そして、最後に現れたものに、現代風のシャレを感じます。
 え?何が、最後か?って。
 ヒントは、一番最後の常套句。
≪ちょっきん ぱらりこ ぷう はなしは おしまい。≫

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いちばんちいさいネズミ

いどにおちたぞうさん10
 
 ネズミ年だから、ネズミの絵本と思ったら、意外と、多いのですよ。いえ、とても多いのです。

 が、とりあえず、猫もネズミも出てくる絵本から。
 まずは、「おおきなかぶ」(A.トルストイ文 内田 莉莎子訳 佐藤忠良画 福音館)
 しかも、一番小さいネズミの力が発揮されてこそのこの話。このブログだけでも、すでに何度か紹介しているので、
➡➡  ➡➡  ➡➡  ➡➡この話に似たもう一冊を、ここでは紹介します。

「もりのなか」「またもりへ」(エッツ作 まさきるりこ訳 福音館)のエッツが描いた「いどにおちたぞうさん」(マリー・ホール・エッツ たなべいすず訳 冨山房)

≪むかし、ちいさいぞうさんが、ものほしのつなを はなにまいて、さんぽしていました。ところが いどにおちて どうしても でられません。≫
 そこへ馬がやってきて、引っ張って助けようとしますが、助け出せません。すると、牛が、次に山羊が、その次には豚、小羊、犬と、続きますが、どうしても、助けられないところに、ネズミがやってきて・・・・

 みんなが力を出し、小さいネズミの力も加わって、「いどにおちたぞうさん」では、井戸に落ち象さんは助かるし、「おおきなかぶ」では、おじいさんが植えた甘い大きなかぶも抜けたのでした。

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雨水とはいえ、未だ、2月。

アイガー4
 ここ数年続けて、夏にスイスに行って、定点観察➡➡  ⇒⇒ などという写真をUPしているのは、拙文を読んでくださっている人なら、御存じだと思いますが、年々、氷河部分が、少なくなってきていることも、目に見えて、わかる温暖化の一つ。が、それは、夏の気温がスイスでも高いので、とけているんだろうなどと素人考えでいたら、大間違いでした。
 次回、訪問したら、泊りたいホテルがあって、そこのHPを時々見ていたら、雪が少ない。
 最近など、屋根の上の雪までも解けてる。岩肌も見えている・・・・きゃあー晴れる日が多い地域とはいえ、標高1800メートルくらいのところです。
 それで、スイスの山や街のお天気状況がわかるWEBカメラのページを見つけたので、それをみたら、やっぱり、ぎゃあー。夏に見るような岩肌の山が見える・・・確かに、スキー客もたくさんいることは居ますが、なんだか、屋根の上や木々の雪も少ないのでは・・・雨水とはいえ、未だ、2月。

 と、きゃーぎゃー言っていたらフランス政府が、モンブランの登山規制をするとのこと。温暖化で氷河が後退しているのと、登山客の混雑からとか・・・
 スイスアルプスに雪が降らなかったら、凍らなかったら、どうなるか・・・ヨーロッパは、いずれ、水不足になる?水力発電や水資源は、どうなる?昨夏のスイス旅行のとき、やっとわかったこと。ライン川も、ドナウ川(イン川)も、ポー川も、ローヌ川も・・・みんな、スイスアルプスに源があった・・・➡➡ ⇒⇒もう、知らない・・・・
そしたら、イギリスで強風大雨、洪水のニュース。この前までは、オーストラリアの森林火災のニュース、今は洪水。・・・・そして、今、ここ(阪神地方)は暖かく、ご近所の沈丁花が、もう咲きました。雨水とはいえ、未だ、2月。

☆写真上は、2019年スイス 左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ
☆写真下は、上から2017年夏、2018年夏、2019年夏 レマン湖から見たモンブラン北側
同じカメラで、同じ時期、同じ場所。が、2017年のモンブランは、白い部分が分厚い感じがしませんか?

2017モンブラン12
2018モンブラン12
2019モンブラン12

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三時知恩寺

冬1
(承前)
 尼門跡 光照院➡➡のすぐ近くにあるのは、やはり尼門跡の三時知恩寺(さんじちおんじ)。三時???・・・・これは、一日6回の勤行のうち、昼の三回(三時:みとき)をこの寺で行うことになったことに由来する名前。

 ここも尼門跡なので、こじんまり、こざっぱり、おお、ここには、小さな涅槃図がありました。この時期ならではです。➡➡ ⇒⇒
 この表具の周りは、華麗な牡丹の絵で、涅槃図と言えども、お寺に大々的にあるものと違い、床の間にぴったりの可愛いもの。とはいえ、下部の動物たちのなか、ちゃーんと、ネコはネズミをにらんでおりました。➡➡
そして、涅槃図の下には、子どもたちを楽しませるための江戸期の妖怪絵巻。
本堂には、狩野永納作の六曲一双の「四季花鳥図屏風」。これも門跡ならではの、華麗な花鳥図。尾の長い鳥、金箔地に優美に描かれています。

さて、書院は、一の間、二の間、三の間、とありますが、まず、源氏物語扇面貼交襖(せんめんはりまぜぶすま)といって、源氏物語を扇に描いたものを絵の部分だけ貼った襖も、なかなか華麗で、優雅です。源氏物語を古筆でずっとやり続けている身でありながら、その扇面が、どの場面か、特定しにくいのが、情けないものの、壁の色も優しい桃色の可愛いお部屋を楽しみました。

二の間と三の間の仕切りの杉戸絵は、片面が鶴、片面が亀となっています。円山応挙の筆とか…
そして、シンプルな二の間の隣、奥まった部屋、三の間は、「魞漁図」(えりぎょず)いう円山応挙の襖絵。
これは、もし、当時のきれいなままだったら、どんなに美しかったでしょう。琵琶湖の青い水が、下部に広がり、ところどころ、赤い紅葉が見えます。背後にはどっしりと比叡山。尼門跡にしたら、雄大な雄々しい感じの絵かもしれませんが構図より、多分初めの色合いの美しさは、優しい気持ちになれる豊かさだったに違いありません。金粉部分は残っていますが、湖の青さの退化が、本当に残念。襖絵の宿命とも言えます。
 ここが、旧入江御所であり、入り江で、漁をする魞漁方法の襖絵だったのが、お洒落。それも、一番奥の部屋。
 
 それにしても、いつも思うこと。京都は、どんな小さな寺院でも、お宝があります。

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光照院

       冬
 毎年、冬の京都、特別公開に、足を運んでいます。いつもなら、一番寒い時期にお寺などの拝観ですから、冷える足元のために、靴下を持って行ったりします。時々は、小グループに出会うこともありますが、大抵は、混雑することもなく、拝観しやすい状況です。小さいお寺などの場合は、外国からの拝観者もほとんどいません。

 それに、今年は、そこに行くまでの私鉄など、交通も、近年になく、空いています。2月で、大学が休みになっていることもあって、ともかく、駅も、京都の街もすいていました。
 10年ほど前は、こんな感じだったのが、インバウンドという言葉の知名度が上がると同じくして、京都が騒々しくなっていたのは、誰もが知る通り。特に、祇園と嵐山は凄いことになっていた・・・

 それで、特別公開の2つの尼門跡寺院に行きました。尼門跡ですから、どちらもこじんまりと、さっぱりしています。2つともお庭も内部もみな、写真禁止でした。

 後に行ったのが、光照院(旧常磐御所)でしたが、ガラス戸の向こうに見える五葉松は、樹齢500年、そばにある松の木も300年とか、100年とか。見事な枝ぶりに見とれます。その五葉松の見える床の間に、並んでいたのが、やんごとなき方々のうがい椀。この季節ならではの展示(?)。他のときなら、見すごしていたかもしれませんが、その綺麗なうがい椀を見ていると、かつてから、日本人は、うがいなどの習慣を持っていたのかと、ちょっと、嬉しくなりました。多分、ごろごろぺっと使ったのではなく、ちょっとしたお口漱ぎにつかったのでしょうね。

  などと、考えて、帰宅後調べてみたら、お歯黒のお姐さんが、お歯黒の後、口の中が苦いので、口をゆすいだ茶碗とありました。(下の北斎「夏の朝」岡田美術館蔵の右下に、鏡の蓋の上に置いたうがい椀が置いてあり、その中に朝顔が浮いていて、夏の朝の光景だとわかります。それにしても、その鏡の蒔絵なども、きれいです。この女性は、遊女でも芸者でもなく一般の家庭婦人を描いた美人画だと、ありました。この絵のことは、以前に書いています。➡➡

 閑話休題。
 さて、本殿の天井画は、80面の花の絵で飾られ、釈迦如来立像が祀られていました。18年ぶりの公開らしく、次の18年は無理でしょうから、今回行ってよかったなと思いました。天井画の花の絵は、秋の短期間公開で見た信行寺、若冲の167図の花卉図が、個人的には、好きですが・・・➡➡(続く)

うがい椀j

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でておいでよう

たまごのあかちゃん
(承前)
 科学の絵本を紹介していたら、恐竜の絵本になり、いつのまにか、この赤ちゃん絵本にも、つながりました。
 
「たまごのあかちゃん」(かんざわとしこ文 やぎゅうげんいちろう絵 福音館)。もしかしたら、科学絵本の第一歩なのかもしれません。

≪たまごのなかで かくれんぼしている あかちゃんは だあれ?でておいでよ≫と繰り返し、にわとりのあかちゃん、かめのあかちゃん、へびのあかちゃん、ぺんぎんのあかちゃん、そして、きょうりゅうのあかちゃんと続きます。最後の最後は、言葉はないものの、わにの赤ちゃん登場です。
 
 この絵本の(たまごから)「でておいでよう」の繰り返し、その楽しい呼びかけを、当時、2歳前後だった孫は、身振り付きで(おいでおいでと手招きする動作)楽しみ、いろんなものに手招きしていたのを思い出します。

 また、写真左上に写る、同じく、柳生弦一郎➡➡の絵による「いろいろおせわになりました」➡➡も最後は、恐竜の登場になっています。こちらは、わらべうたですが、描かれた絵に、楽しい秘密が隠れていて、大人も楽しめますから、ぜひ、ゆっくり、絵を隅々、ご覧あそばせ。

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きょうりゅうのかいかた

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「きょうりゅうのかいかた」(くさのだいすけ文 薮内正幸絵 岩波の子どもの本)

もう1冊、恐竜の絵本。これは、お話の絵本です。科学の絵本ではありません。画家の薮内正幸絵は、写実的な動物の絵を描き、たくさんの絵本を出版しています。この人の描いた福音館「どうぶつのおかあさん」「どうぶつのおやこ」など、小さい子どものための絵本は、我が家でもぼろぼろになった絵本です。

 写実的な絵ということは、実在する動物たちを丁寧に見た結果、描いたものなのだろうと思います。が、その画家が、見たこともない恐竜の絵を描いたところに、この絵本の魅力があるのではないかと思います。

≪ どうぶつずきのきょうだいのまきとめぐみのところに、ある日おとうさんが、きょうりゅうをもらってきました。
「ふたりで、 ちゃんと かうんだよ」≫
二人は、恐竜に どんというなまえをつけ、どんの家のために大きさを計り、ともだちの力も借りて、家を作り、食べ物を調達・・・
そして、子どもたちと どんは仲良く、遊び、「あしたは どんと なにをして あそぼうかな。」で終わります。
子どもたちと仲良くなる動物が恐竜なだけで、犬でもネコでも、身近な動物と飼い方はほとんど同じ流れです。

4月に4歳になる孫は、この絵本が好きで、何度も読んだようです・・・といっても、恐竜に関心というより、恐竜が市民生活を送るための手続きに関心があって、その箇所は特に暗唱しているそうな。それは、最後のページの登録カードに書いてあることで、予防注射の項「7がつ10かに ちゅうしゃずみ」等。最後には市役所のハンコと「まちのどうぶつとして とうろくをうけつけます 7月15日」という署名。

赤ちゃんだった孫も、こうやって、市民生活の一員の自覚を持っていくのか・・・なあーんてね。(続く)

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じめんのうえと じめんのした

じめんj

(承前)
先日の「つちづくり にわづくり」(ケイト・メスナー文 クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)➡➡でも、地面の上と地面の下の絵が描かれていましたが、この「じめんのうえと じめんのした」(アーマ・E・ウェーバー文・絵 藤枝澪子訳 岩波子どもの本)は、全編、地面と上と地面の下の科学を、明瞭に無駄なく伝えてくれます。(絵は、画家が描いたものではなく、この植物学博士が自ら描いているので、他の科学の絵本とは、ちょっと差がありますが・・・)

 この絵本は、本当に重要なことーーー生命の繋がりのことを、こんなに簡単な言葉で、表現するのです。
最後にこうあります。
≪にっこうに あたった しょくぶつだけが くうきと つちから えいようぶつを つくります。
たいようが どんなに かんかん てっても、どうぶつは くうきや つちから えいようを とることは できません。
どうぶつは、しょくぶつを たべたり しょくぶつを たべる どうぶつを たべたりして、えいようを とらなければなりません。
だから、じめんの うえに すむ どうぶつも じめんの したに すむ どうぶつも。しょくぶつの おかげで いきているのです。≫

おお、人(動物)が陸の上で食べてきたものは、植物を食べて来たものだった!と、この自明のことに、改めて納得然り。
そういえば、狂牛病というのがありました。家畜の骨や内臓を原料とした飼料を食べさせたのが原因の一つだったのでしたね。
自然界の摂理を、無視したら、あかんのです。

 さて、写真にも写っているかと思いますが、(キリンの足もと、右下)ミミズが、またちゃーんと描かれているのです。とてもとても、小さく・・・
先の「つちづくり にわづくり」➡➡にも、ミミズが描かれていたし、「どこかで だれかが ねむくなる」➡➡でも、大きくミミズが描かれていました。これらから、考えるに、土のことを描くには、やはりダーウィンのミミズの研究➡➡を リスペクトして描いているじゃないかと、推測するのです。

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満月をまって

満月j
(承前)
 「どこかで だれかが ねむくなる」(メアリー・リン・レイ詩 クリストファー・サイラス・ニール絵 こうのすゆきこ訳 福音館)➡➡の詩を書いたのは、メアリー・リン・レイですが、この人は、バーバラー・クーニー(1917~2000)の最後の作品「満月をまって」(1999年)の作者でもあります。

「満月をまって」(メアリー・リン・レイ文 バーバラ・クーニー絵 掛川恭子訳 あすなろ)

メアリー・リン・レイは、作家であり環境保護活動家であると、紹介にあります。絵本「どこかで だれかが ねむくなる」も、そんな視点を持っていたのかと、納得がいきます。
 
 そして、この絵本は、環境保護と人権問題についての視点も併せ持ち、絵本の形をとってはいるものの、赤ちゃんや幼児に向けた絵本ではありません。日本では、絵本と言えば、小さい子どものもの、あるいは、一部のお洒落なお姉さんのものと思われがちですが、内容の深い絵本は、小学校中学年以上の子どもたちにも楽しんでもらいたものです。この主人公の年齢は9歳ですから、およそ、それくらいの子どもが、対象の中心なのだと思っても、間違いではないと思います。

 さて、今から100年以上前、アメリカ北東部ニューヨーク州ハドソンからそれほど遠くない山あいの地方で、かごを作って生計をたてる人たちがいました。
 木の声を聴き、風の歌を聴くカゴつくり職人たち、丈夫で美しいかごを作る技術は、父から子へと伝えられていきます。

 バーバラ・クーニーの描く、深く、丁寧な世界とともに、全編、詩的な世界が広がります。自然の中でのシーンだけでなく、かごを編む作業をするシーンでさえも。
≪台所はうすぐらくて、しーんとしている。ときどき、とうさんが、口をひらく。ビッグ・ジョーや、クーンズさんのときもある。山の木がしてくれたはなしを、かわるがわる、くりかえしはなすのだ。   ぼくも、山の木の声をききたいとおもう。でも、よる、耳をすましても、ぼくにはなんにもきこえない。   まきがパチパチはねる。いすがきしむ。木のリボンがゆかをたたく。ビッグ・ジョーがいう。「きく耳があれば、きこえるよ。」・・・≫

9歳になった満月の夜、やっと、お父さんとかごを、ハドソンまで売りに行けた「ぼく」でした。(ここは、同じバーバラ・クーニーの「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)➡➡を思い出します。)

かごを売り、買い物をし、お母さんにハドソンの話をしようと考えている帰り道、ハドソンの人たちから、酷い言葉を浴びせられてしまいます。そして。。。。。

≪・・・夜になって、ストーブがしずかになり、いえもしずかになったとき、「おいで」と、風のよぶ声がきこえた。   ぼくはついていった。くぐって、でて、くぐって、でて、夜につつまれた枝を、くらい枝を、くぐって、でて、くぐって、でて。風がかごをあんでくれるんだ。半月のかすかなあかりのもとで、木の葉の1まい1まいが、ぼくにむかってあいさつをおくってくるようだった。
 あさ、木の枝がいえのかべをやさしくこすって、ぼくをおこしてくれた。「木が大きくなっていく」かあさんがいった「木のリボンがのびていく。いつまでたってもつかえるかごが、たくさんできるね」   ぼくにはもうわかっていた。・・・・・いつまでたってもつかえるかご。ぼくのつくるかごは、そういうかごだ。・・・・・≫

蛇足:::いつまでたってもつかえるかご・・・・使い捨てでなく、最後は、自然に戻ることのできる製品が、現代は、多くない・・・・ということを考えるだけでも、心が痛い。

☆写真下は、スイス シャトーデーの切り絵美術館、民俗博物館➡➡
  かご12

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どこかで だれかが ねむくなる

おやすみなさいj
(承前)
もう1冊 続けて、クリストファー・サイラス・ニール絵による絵本です。「どこかで だれかが ねむくなる」(メアリー・リン・レイ詩 クリストファー・サイラス・ニール絵 こうのすゆきこ訳 福音館)

 おやすみなさいの絵本で、一番好きなのは、「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)に変わりがありませんし、同じ、マーガレット・ワイズ・ブラウン文 による「おやすみなさいのほん」(ジャン・シャロー絵 石井桃子訳 福音館)も、静かに描かれた世界に引き込まれます。なんといっても、おやすみ おやすみと呪文のように繰り返す、マーガレット・ワイズ・ブラウンの文は、心に安寧を呼びます。また、この2冊が瀬田貞二訳や石井桃子訳ということも、日本の子どもたちにラッキーだったと思うのです。

 さて、「どこかで だれかが ねむくなる」ですが、この絵本自体が、自然の生きものたちにおやすみをいう絵本です。
 他の自然科学絵本の入門絵本ではないにしても、クリストファー・サイラス・ニールの絵は、メアリー・リン・レイ詩にあっているかと思います。また、期せずして、この絵本にも、今年の干支のネズミが描かれていて、楽しい。

≪どこかで はちが おやすみのしたく ばらの ベッドで よるを まつ
どこかで ビーバー こえだの ベッドを つくる
どこかで くまが まるきの べっどに もぐる きっと こんなふうに
どこかで チューチューねずみたち
ちちゅうに ベッドを かくし ホーホーふくろうに めくらまし・・・・≫

 加えて、かのミミズ➡➡も大きく描かれています。
≪・・・みみずも つちに ねむる≫

ちなみに、写真右に写る「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)の、暖炉の右手にもちゃんと、ネズミがおりますよ。≪おやすみ ねずみさん≫
(続く)

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